黒刃刀姫と黄金雷刀 XV

 黒亜に対し、言葉をかけるでもなく平然と黄菜は男の傍でふわふわと漂う。金色の光が尾を引いて暗闇に輝きを残した。


 男の隣に着くと、黄菜は舞台の上にでもいるかのように両手を広げ、恍惚とした表情で夜空に叫ぶ。漆黒のゴシックドレスを宙にはためかせ、月光を黄金の髪の毛に反射させながら。


「私を救うことが出来たのは秋様のみ!! 故に私は秋様の望むままに、我が身の全てを振るいましょう!! この命尽きるまで!!!!!」


 高らかな宣言が響き渡る。空也の言葉は欠片も届いていなかった。少女の想いを伝えることは叶わなかった。


 黄菜は秋に心酔していた。二人がどういう風に出会い、ふたりの間に何があったかわからないが、空也の言葉程度では揺らぐことすらない、確固たる想いが黄菜にはあるようだった。


「でかい声でなに言ってんだよ。まぁ、それでこそ俺の刀だけどな。――納刀」


 秋の隣に、黄金に煌く美しい女性が降り立つ。納刀され、人の身となった黄菜は秋に寄り添う。


 秋は黄菜を体の前まで引き寄せると、刀を持っていない左の手で黄菜乳房を荒々しく揉む。たわわに実った果実が隠微に歪む。


「あん、あっ! んぅ、し、秋様、お戯れ、を…んっ!」


 空也の目の前で行われる情事。黒亜がこの男の『脇差』になれば、この行為の対象が黒亜に及ぶ可能性は十分に考えられる。虫唾が走る話だと空也は思った。


「うん。やはり胸はいいな! ロマンだよ!」


 秋はひとしきり黄菜の胸を楽しむと、馬鹿げたことを言いながら再び抜刀し、刀の切っ先を空也に向けた。パリパリと雷光が刀を走り始める。


「さて…。冗談はそろそろ終わりだ」


 一歩、また一歩と距離を縮めてくる秋。どうにかしてこの場を切り抜ける方法を考えるが、空也の頭には全くいい案が浮かんでこない。


「そこをどく気もないみたいだし、じゃ、死になよ!」


「…う、うわああああああ!!!」


 やけくそだった。駄目でもともと。上手くいくなんて微塵も思っていなかった。むしろ、焼け石に水。逆鱗に触れる行為だとも思った。だがその行動が活路を開いた。


 全身のばねを使って、立ち上がりざま秋の顎めがけて右拳を振りぬいたのだ。しかも、あろうことかその一撃が秋の顎を捉えていた。


「っが!!!」


「秋様!!」


 ごんっと骨同士がぶつかる鈍い音がしたかと思うと、秋の顔が天を仰いでいた。


 ろくに体勢も立て直さずに放った一撃だったせいか、意識を奪うまでの威力ではなかった。しかし、


「っ、クソが!!! ふざけてんじゃ…!?!?!」


 脳を揺らすことは出来たようだ。秋の足元は明らかにおぼつかない状況だ。目の焦点もいまいち合っていないようだ。この隙を空也は見逃さなかった。黒亜を抱えて、全速力でブランコの奥の茂みを目指す。戦うことはしない。この場は余計なことは考えずに逃げる。


「なめてんじゃねぇぇぇぇえぇぇええ!!!」


 秋は怒号を響き渡らせると、あたり構わず雷撃を放ち始めた。


 黄金の雷光が走る。公園にある鉄棒を、滑り台を貫き、その熱で溶かしていく。そのうちの一筋が空也の背に迫るが、間一髪、近くにあったブランコが避雷針代わりをしたのだろうか、雷撃はブランコを直撃、融解させるものの空也に襲い掛かることはなかった。


 茂みに到達すると、空也は黒亜を抱えたまま迷わず飛び込む。枝が折れる音がすると同時に、頬に、手に、首筋に、体中に微かな痛みが走る。折れた枝や生い茂った草木が無数の切り傷を空也に刻む。それでも空也は黒亜を固く抱えたまま茂みを突っ切る。黒亜を傷つけないように両腕で包み込むように抱えて。


「く、っそ!! 痛ぇ!!」


 どこへ行くかなど決まっていないし、そもそも行く当てなど無い。無我夢中で茂みの中を走り続け、眼前に広がる木々の小枝で服が破れても構いなどしない。


 茂みを抜けると今度はアスファルトを蹴り続ける。後ろなど気にしていられない。追いつかれたら殺される。その恐怖心が空也を前へと突き動かした。住宅街を抜け、スーパーの前を通り過ぎ、往来を行く人々に奇異の視線を浴びせられても脇目も振らずにただひたすらに走った。




◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆




 随分と走り続け、ついに足が悲鳴を上げた。硬く冷たいアスファルトに両膝を着く。脹脛の筋肉が痙攣している。周りは背の高いビルに囲まれた狭い路地だった。ビル群に正方形に切り取られた夜空から月が覗いている。ゆっくりと地面に黒亜を寝かせると、空也もその横にうつ伏せに崩れ落ちた。体は軋み、両足には力が入らない。両腕も一寸も動かせない上に軽い痺れを感じる。いかに華奢な少女とはいえ、人一人を抱えて長距離を走ったのだ。体に相当な負担がかかるのも無理はない。


「っはぁはぁっ、も、もう動けねぇ…」


 横に倒れている少女は、まだ目を覚ます気配が無い。微かに胸が上下しているところを見ると息はあるようだ。しかし、焼け焦げた髪が、ところどころ破けた着物が、火傷を負った手足が痛々しい。


 空也は目を逸らさずにはいられなかった。


 今の少女の惨状が、自分にも責任の一端があると思った。少女からの懇願にすぐにでも応じていれば、『黒滅』の力を使っていれば、少女がこんなに傷つくことも無かったのではないか。今更悔いても後の祭りだが、それでも後悔の念は次から次へと湧いて出て、とどまる所をしらない。


 ただ無慈悲なアスファルトの冷たさだけが空也の頬を包む。


 闇雲に街を走り続けたせいだろうか、今のところ秋が追ってくる気配は無い。多少の時間稼ぎは出来たようだ。だが、今の空也達には秋達に対抗する手段がない。いや、正確にはあるが空也は躊躇っていた。命が掛かっているというのに、それでも踏ん切りをつけられずにいた。


「…なんで、俺はこんなに頑張ってるんだ」


 いっそ少女を見捨てて、またいつもの無気力な日常に戻ってしまおうか。ふとそんな考えが頭をよぎる。


 命を失うくらいなら、もう関わらなければいいじゃないか。そんな卑怯な自分がいることを痛感して、

涙が溢れそうになった。


 無気力、無関心――それくらいは自分でも認識していたが、瀕死の人間を見捨てるほどに自分が腐っているとは思わなかった。認めたくなかった。



 どれくらい横になっていただろうか。ようやく体を起こせるぐらいにはだるさが取れてきたが、空也には動く気力が無かった。ぼんやりとアスファルトとその先にある、路地から見える大通りを見つめる。ネオンがシャボンのように輝いて、昨日まで何の変哲もなかった自分の街が、まるで別世界のように見えた。酷く遠いところまで来てしまったような錯覚がした。


「…うっ」


 街の喧騒にまぎれて、わずかにうめき声が聞こえた。


「黒羽さん!!」


 空也は軋む体を両手で支えながら起き上がると、黒亜の方を向く。見ると少女はうっすらと目を開けていた。


「こ、こ、は…。私は一体…? あぐっ!!!」


 体を動かそうとすると、黒亜は苦悶の表情を浮かべる。ピクリとも体が動かないようだった。


「黒羽さん!! 気がついたのか!?」


「村…上…さ、ん?」


 黒亜の目は焦点が合っていないのか、虚空をぼんやりと見つめている。そんな黒亜の手を、両の手で硬く握り締める。


「黒羽さん!! 俺だ! 村上だよ! ちゃんと近くに、ここにいる!!」


 空也は叫ぶ。己の煮え切らなさで傷つけてしまった少女が今にも消えてなくなってしまいそうで、ただ恐怖心に駆られていた。少女の手をきつく包みながら離さないように、失ってしまわないように夢中で叫んでいた。


 黒亜は空いているもう片方の手を、残された力を振り絞ってゆっくりと空也の頬に触れさせる。少女の手からかすかなぬくもりが、空也の頬に伝わる。


「…む、ら…か…みさ、ん…」


 黒亜の口からはもはや聞き取れるか否かという程度にしか、声が発せられていない。それでも空也は、一言一句たりとも聞き漏らすまいと、耳を黒亜の口元に近づける。


 そうして聞き取れた言葉に、空也は胸を鷲づかみにされた。


「だ…い……じょっ……ぶ、です…か……?」


 空也と黒亜。傷がどちらが深いのかなどというのは端から見ても明白である。それでもなお、少女は、体が動かなくなっても、満足に声が出せなくなっても、自分ではなく共にいる少年の身を案じていた。


「なんっで……どうっ、じ、で…」


 空也の目からはとめどなく涙があふれ、黒亜の頬に零れ落ちる。鼻水も垂れてきて、嗚咽とあいまってうまく話せない。夜の街に響く喧騒は、ただの雑音にしか聞こえない。


「な、んで…泣い、て……いる…んで、す…か? ど、こか…痛、む…んです……か?…ごほっ」


 黒亜の口から赤黒い血が吐き出される。それでもどうにか体を起こそうとするが、力が入らないのかわずかに空也に向けて手を伸ばすだけに留まる。


 空也は黒亜の手を取った。


「ぢが、う!、ぢがうんだ…ぞうじゃないんだよっ!」


 口をつくのは否定の言葉。その言葉の通り、空也の涙の意味はまったく違うもの。痛みから来るものではない。むしろ、痛みよりもある種つらいものであるかもしれない。それは――


「なんで…ぎ、みは、ごんなになって、まで他人の心配なんだ…!」


 己の弱さを突きつけられた苦しみ。情けなさからくる涙。ついさっきまで自分のことしか考えられず、いっそ少女すら見捨てようかとも考えた卑劣な自分。それとは対照的に、きっと、少女はずっと他人を、少年のことを考えていただろう。雷に打ち抜かれて、意識を刈り取られるその直前まで。


「どこまでいっても、俺は屑だったんだな…」


 空也は決意する。自分の矮小さを知った。卑劣さも、弱さも知った。それは酷く辛くて逃げ出したいことだった。けれど変わりたい、変えなければならないと思った。


 ここからだ。まだ弱い自分をすぐには変えられないかもしれない。それでも今日みたいな想いは二度と御免だった。自分の弱さは涙に乗せて。己を奮い立たせるために死への恐怖は胸に灯る炎で包んで。


 涙をぬぐい、鼻水をすすって、今、他の誰でもない自分の意思で自分のために、進むことを決める。


 昨日までの無気力な自分とは決別する。


 強く握った少女の両手は、儚く、弱弱しかった。それでもかすかに握り返してくるその手からは、仄かに包むような暖かさが、強さが伝わってきた。


 空也は息を吸う。肺を、夏の夜の湿った空気が満たす。そして、叫ぶ。


「――抜刀!!」


 濃く、深い闇が、二人を優しく包んだ。

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