黒刃刀姫と黄金雷刀 XIII

 夜空には満天の星。虫達の合唱が耳を打つ。初夏の夜の空気は、少し湿っていて、温い。


 黒亜から懇願されたあと、空也は部屋の外に居た。考える時間、頭の中を整理する時間が欲しかったからだ。


「ああは言ったけど、どれもこれも突然過ぎて、やっぱり実感がわかないな……」


 部屋の前にある手すりにもたれながら、外をぼんやり眺める空也。瞳に映る星々は我関せずと瞬いている。黒亜の話を聞いて大筋は理解した。だが、理解はできても納得は出来ていない。


 当然だ。今起きていることが超常的過ぎるのだ。ついさっきまで普通の学生だった空也には受け入れ難い事実。


「帯刀者、か……」


 ぼそりと呟いた言葉は、夜の静かな空気にまぎれて消える。帯刀者として、刀人である黒亜のパートナーとなる。美しい少女が、これから一緒に居てくれるかもしれない、というのは悪い気分はしない。むしろ、そういう下心が多少なりともある。しかし、もしそうなってしまったとしたら、これから先、一体何が起きるのか見当もつかない。雷撃を操る男のような敵と戦う羽目になるかもしれない。それは冗談抜きで、死の危険と隣り合わせだということだ。死ぬのは怖い。誰だってそうだ。そちらの不安のほうが遥かに大きい。


「助けに入ったときは、そんなことなかったんだけどな…あの時は無我夢中だったから、か……」


 黒亜を助ける、助けたい、と一度は胸に抱いた思いが、今また揺らいでいる。死と直面した場面を冷静に見つめ直す時間の中で、決意が揺らいでしまうのは仕方の無いことなのかもしれない。まして帯刀者であると言われたとはいえ、空也はただの高校生である。自分の命が左右される選択に直面したことなどない人間にとって、迷うなというほうが、土台無理な話だ。しかし、そうこうしているうちに時間は無常にも流れていく。黒亜はしばらくは大丈夫だと言ったが、いつ何時、雷撃の男が現れるともしれない。悠長にしている時間はなかった。


「俺はどうすれば……」


 頭上に浮かぶ月は、そ知らぬ顔で淡い光を空也に当てる。悩み続けるが、どうしても一歩が踏み出せない。今まで無気力・無関心で生きてきた空也にとって、何かを決めるということは酷くエネルギーを消費する行動だった。


「少し、歩きませんか?」


 後ろからドアが開く音と共に、澄んだ心地のいい声が聞こえてきた。


 後ろを振り向くと、自分の都合に空也を巻き込んでしまったことへの罪悪感を感じているのか、黒亜が少しばつの悪そうな顔でドアから覗き込むような姿勢で立っていた。


 その流れるような黒髪に月光を浴びる黒亜の姿も、儚げで美しい。


「……気分転換に、なるかもしれませんよ?」


 黒亜はおずおずと言う。


「え? あ、あぁ。でも外なんて歩いててあいつらに見つからないのか?」


「しばらくは大丈夫だと思います。それに見つかってしまった場合、このアパートを巻き込むわけにもいかないですから、外に居たほうが都合がいいんですよ」


 黒亜は寂しげに微笑む。その笑顔の裏には、誰かに頼りたくとも頼れない、それでいて自分より他人を優先する不器用で優しい少女の強がりが見え隠れしているようだった。


「……ごめん。気を使わせたな。少し歩こう」


 空也は視線を足元に落とし、告げた。



 カン、カン、カンと鉄の板を打つ音が聞こえる。空也と黒亜がアパートの階段を下りる音だ。空也は少し俯きがちに、黒亜はそんな空也を心配そうに見守るように後について階段を降りて行く。


 二人とも沈黙を破ろうとはしない。空也は未だ決断できないまま、そんな自分に十分嫌気が差すが、それでも踏み出せずに居るがための沈黙。


 黒亜は空也が十分に苦悩していることを察し、急かすことはせずに、どんな結論がでようとも受け入れると決め、ただ見守っているがための沈黙。


 階段を降りきると、二人はアパート前の路地を進む。目的地は特に無い。ただ気分を紛らわすための散歩。路地を挟むように並ぶ家々には柔らかい明かりが灯っている。静かだが寂しいわけではなく、落ち着くようなそんな静けさだった。


 からんころんと黒亜の下駄の音だけが響き、月光と街灯の光が路地と二人を照らしている。


 しばらく進むと、小さな公園が見えてきた。


「……すこし、座るか」


 沈黙を破ったのは空也。とはいえ、現状から一歩を踏み出すような言葉ではなく、ただの提案。


「そうですね」


 黒亜は頷く。決して答えを急かす様な言葉は口にしない。それは黒亜の優しさだった。だが、それは空也を追い詰める。自分での決断を余儀なくされるからだ。


 空也は自己嫌悪に陥りながら、公園の入り口を背に、奥に置かれたベンチに座り、黒亜はベンチの右手にあるブランコに腰掛ける。他にも滑り台、鉄棒、ジャングルジムが、ブランコの奥には茂みが見える。様々な遊具が百メートル四方程度の大きさの公園に設置されていた。


「ふふ。なんだか子供のころを思い出します」


 黒亜はくすりと笑うと、ゆっくりとブランコをこぎ始めた。錆付いたブランコが黒亜の動きに合わせて

キィキィと甲高く鳴いている。


 空也はそんな光景をじっと見つめていた。


 まだ答えはでない。いや、出ているのかも知れないが一歩を踏み出せない。少女を助けたいと思う気持ちと、死への恐怖がない交ぜになってどうしたらいいのかわからなくなっていた。空を見上げても、星々がしれっと輝いているだけ。 


「そういえば、黒羽さんはなんでこの街に来たんだ?」


 堂々巡りな思考の中で、ただの時間稼ぎのための言葉が、ふと空也の口をついていた。少女がこの街に来た理由。今まで、刀人だ帯刀者だと様々な現実離れしたことに直面していたせいか、肝心の少女がそこまでして帯刀者を求める理由を、空也は聞いていなかった。


「この街に来た理由、ですか……」


 黒亜はブランコをこぐのをやめ、視線を足元に落とす。そして、数瞬ののち、答える。


「それは……友を止め、そして全てを奪って居なくなった姉を探すためです」


「友? 全てを奪った姉?」


「はい」


 黒亜は空を仰ぎながら、ぽつりぽつりと語った。


「私の家は山奥にあり、古くから続く旧家なんです。そこでは異常と思えることが当たり前のように行われていたんです」


「異常なこと?」


「身寄りのない子を引き取って面倒を見ていたんです。面倒を見る、といえば聞こえはいいですが、実際は奴隷同然にあつかっていたんです」


「ど、奴隷って……」


「驚くのも無理は無いと思います。そんなことをしているなんて、私も気分が悪くなりますから」


 黒亜は自嘲気味な笑みを空也に向ける。


「その家で引き取られた子の一人が、先ほどの黄金の髪の女性、黄菜――私の友です。もっともそう思っているのは私だけかもしれませんが」


 黒亜を襲っていた男と共にいた黄金の女性が、黒亜の友だという。しかも奴隷として使われていたと

も。


「さっきの……な、なんで襲われてたんだ?」


「私を『脇差』にしたいという主の命に従った結果だと思います。そこには躊躇いも容赦も無かった。もはや友だと思っているのは私だけかも知れませんね……」


「いや、その黄菜って人もあの男に屈服させられてそれで従ってる可能性は?」


「無いとは言い切れませんが、分かりません……」


 黒亜は肩を落とす。


「彼女とは、幼い頃からの付き合いだったんです。年は離れていましたが私と黄菜は二人で遊んでいました」


 黒亜は空に浮かぶ黄金の月を眺めながら、静かに語る。月の輝きに友の姿を重ねているのかも知れない。


「幼い頃は黄菜のような子の事情なんて分かりませんから、ただ家に居る遊び相手と無邪気に遊びまわって、黄菜が襤褸を纏っているのも、なんでいつもそんな服なんだろうくらいにしか思っていませんでした。ただ黄菜と遊んだ日は決まって母様から叱られましたね。それ以降は隠れて遊ぶようになりましたけど」


 懐かしむような声色。その瞳に映るのは黄金の月と、かつて友と遊んだ幼い頃の記憶だろうか。


「ただ、成長するにつれ、だんだんと自分の家で何が行われているのか、黄菜がどういう存在なのか理解出来てきたんです。遊んでる最中、父様がよく黄菜を連れて行くことがあって、最初は仕事だという父様の言葉を信じていましたが、物心つく頃には黄菜が父様の慰み者にされたり、さんざんにこき使われていることくらいはわかるようになりましたね。きっと、父様だけでなく、屋敷の他の男達にも嬲られていたと思います」


「そんな子供に手を出すって……」


「私と黄菜は四つ歳が離れてますから、私が物心つく頃には、黄菜は立派に男性の相手を出来る体にはなっていましたよ」


「そうは言ってもな……」


 現代では考えられないことだ。戦国時代ならばいざしらず、十代前半から半ばの少女が大人の男達の慰み者など、聞いていて胸糞悪くなる話だった。


「私はそれを止めることも、黄菜を助けることも出来ませんでした。だからせめて、私は変わらず友であり続けようと思い、接していたのですが、母様や屋敷の人間から厳重に注意され、黄菜もどこか別の場所に隔離されてしまったようで、徐々に会う回数も減っていったんです」


 黒亜の口調は暗く、重い。幼い頃からの友が実の父を初めとした男達に汚されていた。そしてそれを救うことが出来ず、結果として見捨ててしまった。黒亜を苛んでいるのは罪悪感か自責の念か。


「その後は、結局ろくに会うこともままならず、新しく奴隷を見つけた父様は黄菜を捨てたと、そう聞いています」


「……」


 キィッとブランコが軽く軋む音がしたかと思うと、黒亜はふわりと地面に降り立つ。一陣のぬるい風が公園を吹きぬけた。葉がざわめく音しか聞こえない。空也は口を開けずに居た。あまりにも価値観が違いすぎる世界の話を聞いて、言葉が見つからなかった。


 今の自分が居る世界がいかに平和で、満ち足りているのか思い知るには十分だった。


「捨てたと聞かされたときは呆然としましたね。生きて会えることはもう無いだろうと、そう思いました。その日の夜は泣くことも出来ずに、ただただ部屋でうずくまっている、だけ……でした」


 鼻をすする音がした。黒亜の両目に浮かぶのは真珠のように輝く涙。友が居なくなったときのことを思い出して感情があふれたのだろう。着物の袖で目元を拭う。


「だから、この街に刀人の力を私利私欲で振るっている人間が居るらしいと聞いたときは、すがるような思いでした。その刀人が黄菜かもしれない。そうであるならば止めなければいけないと思ったんです」


 涙を拭い終えた黒亜の瞳は、真っ直ぐに空也を見つめていた。その眼には力強い意思を感じるが、一抹の迷いも感じられた。


「ただ、黄菜が帯刀者と共に居るのであれば、私も帯刀者を探さなければなりませんでした。帯刀者が居なければ刀人はただの人間と変わりませんから、黄菜を止める為にもどうしても力が必要だったんです。私のしていることも、結局は自分の欲のために力を振るっていることと変わりないことですけれど……」


「そんなことはない!」


 空也は声を荒げた。


「えっ?」


「そんなことはない。黒羽さんは自分の欲望のためだけに力を使おうとなんかしていない。そんなこと出来るような人じゃない。俺はそう思う」


「そうでしょうか。結局は友を口実に力を求めているだけなんではないかと、そう思うときがあるんです」


「それは違う。黒羽さんは、欲にまみれた友を止めたいとそう思っているんだろ? だったらそれは自分のためだけじゃないはずだ。それに、さっきピンチだったときも、自分の心配よりも俺のことを心配してくれた。そんなこと、自分のことしか考えられない人間には出来るはず無い!」


 つい最近会ったばかりの男が、この健気な少女の一体何を語ろうというのか。数時間しか一緒に過ごしてない上に、一度は面倒だからと関係すら持とうとしなかった。そんな男が何を見て何を語っているのか。空也は内心、自分自身に呆れ返っていた。


 それでも、たった数時間しか過ごしていなくても、この少女が欲望に負けたりするような人柄でないことぐらいは、十分すぎる程にわかっているつもりだった。だからこそ、自分らしくもなく声を張り上げたのだろう。


 少女は目を丸くしてぽかんとしている。


 それを見て空也は、我に返る。


「ごめん……びっくりしたよな。熱くなった。忘れて……」


 最後まで言葉を発する前に、今度は少女力強く言った。


「忘れませんよ」


 見ると、少女ははにかみながら微笑んでいた。


「絶対、忘れません。だって嬉しかったですから! 村上さんのおかげで自信を取り戻せそうです!」


 黒亜は空也から少し離れたところで、くるりと空也に振り向きながら告げる。少女の後を追って、艶やかな黒髪が宙を舞った。月光と夜空にちりばめられた星々の下で笑う少女は、とても神秘的で、幻想的だった。


「村上さんは、私に初めてをたくさんくれます。村上さんとなら黄菜を、そしてお姉ちゃんを……」 


 黒亜が微笑みながら話しているときだった。


 それは一瞬の出来事。眩い雷光が辺りを包んだかと思うと、空也の目の前で耳を劈くような轟音と共に、大地が弾けた。

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