黒刃刀姫と黄金雷刀 XI

「な、何故こんな状況に?」


 空也はベッドに腰掛けて頭を抱えていた。耳には、細かな水が勢いよくタイルを打つ音が聞こえる。空也の部屋の浴室には、先ほど再会した黒麗の少女がいた。


「お、落ち着け俺。昨日出逢ったばかりの女の子が変な男に殺されかけて、ボロボロになったからどこか休めるところに案内しようとしたら、俺の部屋でシャワーを浴びている。な、なんなんだこの青春イベントは……お、俺は何を言っているんだ?」


 論理的思考能力が著しく低下しているらしい。空也の口からは支離滅裂な言葉しか出てきていない。


 今から数時間前。二人は少女を襲った男のことや帯刀者のことについて詳しく話をするため、どこか落ち着ける場所を探していた。とは言ってもどこかうってつけの場所がるわけでもなく、しかも少女の身なりは先の戦闘でぼろぼろ。そんな状態の女の子をいたずらに連れまわすわけにも行かなかった。諸々の条件を満たす場所を、苦悩の末導き出した結果。それが空也の部屋だった。


 思い浮かんだ当初はいい案だと、空也は思っていた。が、部屋について冷静になってみると、それは非常にマズイことであると理解してしまった。


 夜も更けて、辺りは静寂に包まれている。そんな時分に、女の子と自室で二人きり。意識するな、というほうが無理だ。おまけにシャワーの音が否が応にも耳に入ってくる。年頃の男子学生ならば生きた心地がしない状況だろう。挙句、部屋に入るなり少女は『男の人の部屋って、初めて入ります!』などとさらに意識するような言葉を発していたことを思い出してしまい、空也はどうしていいかわからなかった。


「だ、だめだ。冷静になれ俺! そうだ!正志に電話するか!」


 そんな考えに至る時点で冷静さなど皆無である。プルルル、プルルル、プルルルと呼び出し音が虚しく鳴り響くだけで、相手は一向に出る気配が無い。


「あいつ、出ねぇ。また女と乳繰り合ってるな」


 空也は携帯をベッドに投げつける。正志相手に理不尽な怒りを抱いているが、夜遅くに女の子を部屋に連れ込んでいる時点で端からみたら空也自身の状況も大差はない。


 そんな一人漫才を繰り広げているうちに、立て付けの悪い浴室のドアが軋みながら開く音がして、しばらく軽い衣擦れの音が続いた後、ぺたぺたと廊下を進む足音が空也のいる部屋に近づいてくる。空也の目の前のドアが開き、


「ありがとうございました。いい湯浴みが出来ました」


 少女が満面の笑みで姿を現す。


 まだ湿り気の残る黒髪は蛍光灯の光でさえ美しく反射して、艶やかに輝く。少女の頬は薄紅色に上気し、肌は瑞々しい。

 その身を包む白い襦袢と、上に羽織っている空色の着物が少女の清廉さと可憐さを引き立てており、ごくり、と空也は思わず咽を鳴らしてしまった。


「どうかしましたか?」


 少女は怪訝そうに尋ねる。


「い、いや、なんでもない。とりあえず立ってないで座ったら?」


「では、お言葉に甘えて……」


 少女はカーペットの敷いてある床に音を立てず流れるように座る。そんな何気ない所作にも、少女の育ちの良さが伺える。空也はそんな少女に見とれていると、少女はおもむろに少し後方に下がる。その後の少女の行動に、空也はぎょっとした。


 少女は深々と床に頭をつけていた。


「今日は本当にありがとうございました」


 頭を下げながら少女は言う。


「あなたに助けられていなかったら、私はあそこで死んでいました。我が帯刀者として、主として、これから刀人たる私を存分に……」


「ちょ、ちょっと待ってくれ!」


 空也は声を荒げた。少女が何を言っているのか分からない。帯刀者だとか刀人だとか、単語は今までも聞いたが理解はしていなかった。する暇さえなかった。


「あなたは私の帯刀者です。刀人たる私がお仕えするべきお人です」


 少女は平然と告げた。空也はしどろもどろに叫ぶ。


「だ、だからその帯刀者? とか刀人? とかいろいろ分けのわからないことが多すぎる! そもそも俺はあんたの名前すらわからないんだ! 順を追って説明してくれ!」


 少女を助けたのは、空也がそうしたかったからであり、そこに帯刀者だの刀人だのそんな事情はまったく入る余地は無かった。というより空也自身その単語を知らないのだから元から入ろうとしても入らないのだが。


「そう、ですね……私もいつの間にか気が急いていたみたいです。名も名乗らずに失礼いたしました。私は黒羽 黒亜くろばね くろあと申します」


「ああ、よろしく。俺は村上 空也だ」


「では、詳しくお話しましょう」


 少女は小さく咳払いして語り始める。帯刀者と刀人、雷撃の男と金色の女性、そして空也と少女の置かれた状況を。


「それでは……まず刀人ですが、刀人というのは人であると同時に刀でもある者のことをいいます」


「人であると同時に刀でもある?」


「そうです」


 話が始まったばかりだというのに、空也は黒亜が言っていることが全く理解できない。それも当然だ。人は刀ではないし、もちろん刀も人ではない。だが、黒亜はそれらを同列に扱っている。


「村上さんが刀人の存在を知らないのも無理はないと思います。見た目は普通の人と変わりませんから。とは言え私も父様から言い伝えられたことばかりですが…。それでも父様は刀人の存在について確信めいた何かを知っているようでしたけど…。国の機関で刀人を研究するものがあるとも聞いたことはありますが、真偽のほどは定かではないですね」


 淡々と話す黒亜は普通の女の子そのもので、違いなど空也には全く分からなかった。


「やっぱり、言っていることがよくわからないんだが刀人が刀であるというのはどういうことなんだ?」


「文字通りの意味です。厳密には刀としての形態とそれぞれの力を秘めているというのが正しいかもしれません」


「刀としての形態と力? 刀に変身できて、なにか特殊能力があるっていうことか?」


「概ねそんな感じで捉えていただければと思います。ただ、自由にいつでも刀になれるわけではないですが」


「なにか制限があるのか?」


「そうです。そこで帯刀者が出てくるのです。村上さん、右手の甲を見せていただいてもいいですか?」


「あ、ああ。構わないけど?」


 空也は右手の甲を黒亜に見せる。そこには雲形の黒い痣が刻まれている。


 黒亜も自身の左手の甲をテーブルの上に置き、空也に見せる。黒亜の左手にも同じく黒い痣がある。


「その痣と帯刀者とかいうのとどう関係があるんだ?」


 今まで忌み嫌ってきた右手の痣。空也にとっては邪魔な存在でしかなかった。


「この痣と同じ痣を持つ者が帯刀者たる者の証であり、帯刀者が居て初めて刀人は刀としての力を発揮できるのです」


 その痣が、刀人の力を引き出すために必要な存在の証だった。俄かには信じがたい話だ。そもそも空也は刀人とはなんの関係もないし、両親だってあんな親だが刀人ではないはずだ。それなのに生まれつきあった痣が帯刀者の証だと言われても、いまいち納得できない。


「この痣は生まれつきのもので、黒羽さん達刀人とはなんの関係も無いのに、そんな人間が帯刀者だなんてことがあるのか?」


「黒亜で結構ですよ。それは……正直、帯刀者の証が誰に刻まれるのか、分かっていないんです」


「わかっていない?」


「はい。それこそ生まれつきそうであるとしか言いようがないのかもしれません」


「なんというか、適当だな。まぁ、その、帯刀者とか刀人ってのはなんとなくわかったけど、やっぱりすぐには信じられないな」


「先の戦いを見てもですか?」


「それを言われると痛いんだけど……」


 稲妻型の刀を持った男と金色の女性との戦い。確かに、人間が雷撃を操ることは不可能だ。しかも空也はその雷撃から黒亜を救った。帯刀者としての力を無意識のうちに発動させて、だ。事実として起きたことは空也も認識している。だが、起きた事象が現実離れし過ぎて実感がわかず、すぐに信じられないのもまた事実だった。


「すぐには信じられませんか……。では、実際に私を振るってみますか?そうすれば信じていただけると思いますけど」


「え?」


 空也はつい聞き返していた。自分が黒亜を刀として振るう。黒亜の話では可能なのかもしれないが、何もかもが信じられない状況ではただ困惑しかできない。


「あなたは私の帯刀者です。私の手を取り、一言『抜刀』と言えばそれでいいのです」


 少女は淡々と告げる。さも準備は出来ていると言わんばかりに。その吸い込まれそうな澄んだ漆黒の瞳で、真っ直ぐ空也を見つめている。


 空也の頭の中は未だ整理がついていない。しかし、ここで躊躇っていては話が進まないことも分かっている。空也は意を決して聞く。


「……い、いいのか?」


 即座に、


「はい」


 と迷い無く答えと、華奢な左手が差し出された。


「じ、じゃあ……」


 空也は右手で恭しく差し出された黒亜の左手を恐る恐る握る。とても暖かくて、柔らかい手だった。いつまでも握っていたいと思えるほどに、黒亜の手の感触は心地良いものだった。


 黒亜は少しむずかゆそうに左手をもそもそ動かすが、空也の手の中でちょうど良い位置を見つけたのか、動きを止めて告げる。


「ん……では『抜刀』とおっしゃってください」


「あ、ああ……」


 空也は覚悟を決める。深く息を吸い、肺の中の空気を全て吐き出す。準備は出来た。そして一言――


「……抜刀!」


 空也は暗黒に包まれた。何も無い無音の闇。前後不覚に陥り、自分がどこに居るのかもわからない。だが、不思議と不安は無かった。体の内側からとてつもない力の奔流が溢れてくるのがわかる。その流れは右手に収束していく。とても長い時間のようでもあり一瞬のようでもある時間が過ぎると、空也は闇に包まれる前と同じようにベッドに腰掛けていた。


 だが、目の前に居たはずの黒亜はいない。その代わりに右手の中には違和感がある。布のようなものが手に触れている。目を向けると、それは刀の柄であり、柄糸が手の平に触れている感触だった。右手から先に目を走らせると、柄の先には桜の花弁をかたどった鍔が、そしてその先には刃渡り七十センチほどの漆黒の刀身があった。深い黒い刃であるにも関わらず、光の加減で美しい波紋が陽炎のように揺らめく。


 目を奪われるほどの美しい漆黒の刀。今まで竹刀は持ったことのある空也だったが、真剣を持つのは初めてだった。それでもその刀は初めから空也に合わせて作られたかのように、空也の手に自然に収まっていた。

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