黒刃刀姫と黄金雷刀 Ⅹ

 男達が去った後の路地裏。闇だけがそこにはあり、光さえも届いていなかった。街灯の光、ネオンの光さえも。


 そして、なんの前触れもなくその闇の一部が溶けて崩れ落ち、中から少年と少女が現れる。


 空也と黒麗の少女だった。


「お、俺達は一体?」


「わ、私は……それに、今のは黒滅の……?」


 空也は呆けた表情で、少女は何かを深く考え込むように呟く。


 空也は考える。確かに、男が放った雷撃が自分達を直撃したはずだ。だが、今自分達はこうして生きている。一体何があったのだろうか。あの雷撃を防ぐ手段など、何も持ち合わせていなかったというのに。


「な、なぁ。大丈夫か?」


 空也は、少女に向き直って尋ねる。声を掛けられた少女は、はっとして振り返り空也の顔を見ると、自身の身体の傷など気にすることなくいきなり大声を上げた。


「っ!! あなたは何をしているんですか?!! 一般人が帯刀者の前に立つなんて、自殺行為もいいところです!! 死んだらどうするんですか?! 無謀すぎます!! あぐっ!?」


「い、いや、なんか体が勝手に動いて……って、おい大丈夫か!?」


「あっくっ…私のことはいいんです!! 体が勝手に動くわけないじゃないですか?! 馬鹿なんですか?! 死ぬんですか?!」


「い、いや、その………」


 少女の勢いにしどろもどろになる空也。少女はひとしきりまくし立てると、今度はしゅんとなって俯き、消え入りそうな声で、


「でも、無事で本当によかっ、た……本、当に」


 と告げるとふらりと身体から力を抜き、その場に倒れそうになる。


「お、おい!」


 空也は咄嗟に手を出し、ぼろぼろの少女を支える。その身体は羽のように軽かった。抱きかかえた少女の顔を覗き込むと、頬を一筋の雫が伝っていた。。少女の涙を見て空也は、


「……ごめん」


 としか言えなかった。勢い込んで男の前に立ったはいいが、結局自分は何も出来ず、ただ少女に心配を掛けただけだった。


 それでも、そんな空也に対して、少女は頬を仄かに赤らめて言う。


「いえ、でも……その、嬉しかったです。もうだめだと思ったところに、あなたが飛び出してきて、立ちはだかってくれて、本当に嬉しかった……」


 志半ばにして倒れるかもしれない状況下において、一人ではなかったことがとてもうれしかったのだと。


「え、えぇと、その……」


 少女が少し気恥ずかしそうに、目を逸らす様を見て、空也もなんとなく気恥ずかしくなって明後日の方向に視線を送る。


 しばし無言の時間が流れる。


 辺りは闇に包まれ、二人を照らすのは淡い月光のみ。建物から零れる明かりすらない。先ほどの男が放った雷撃で、いまだ街は麻痺していた。


 そんな状況で、先に口を開いたのは空也だった。


「――と、ところで、身体、大丈夫なのか? さっき凄い電撃喰らってただろ……」


 そう言って空也は失敗した、と思う。無事でないことくらい見れば分かる。言葉で心配するよりも手当てが先ではないのかと。だが、そんな空也の想いをよそに、少女は空也に寄りかかりながらあっけらかんと答える。


「まだ少し痺れますけど、思ったよりは大丈夫そうです。しばらくすれば動けると思います」


「そ、そうなのか? ま、まぁ、それならいいんだけど。それにしてもさっきの奴は一体……電撃を操るなんて、漫画の世界じゃないんだぞ……」


 空也は張り詰めていた気が抜けたのか、少女に負担にならないようにゆっくりと地面に腰を下ろしてつぶやく。


 空也の呟きを聞いた少女が応える様に静かに口を開いた。


「先ほどの方、あの方が昨日お話した帯刀者です」


「え? じゃあ、あいつがあんたの探してる人間なのか?」


 空也は驚く。昨日少女は確かに帯刀者を探していると言った。それならば何故少女は先ほどの男と対立していたのか。探していた目当ての人物ならば、対立する必要などどこにも無いというのに。


 少女は首を横に振って答える。


「確かにあの方も帯刀者ではありますが、私の探している方とは違います。私の探している方は、この痣と同じものを持つ方ですから」


 少女は自身の左手の甲をさすっていた。


 真白な少女の肌には不釣合いな、黒い、雲形の痣。空也が右手に持つものと同じもの。


「そ、そうだったな……」


 空也の胸が痛んだ。それは昨日、少女に嘘をついたときと同じ痛み。あの時、少女に本当のことを話していれば、もしかしたら今回の事態は避けられたかも知れない。少女は傷つくことは無く、目的を達成できていたのかもしれない。もちろんそれが希望的観測だと言うことは、重々承知している。それでも、何かが変わっていたのではないかと、空也はそう考えずにはいられなかった。


 再び舞い降りる沈黙。


 空也は嘘をついていた事の気まずさと、本当のことを話すべきなのではないかという葛藤から、口を開くことが出来なかった。


「よい、っしょっと……」


 少女が不意に空也の腕の中から立ち上がる。着物や下駄はぼろぼろだが、立ち上がる際にどこかを庇ったりするような動きはしていない。まだ少しよろよろしているが、体に大きな異常はないようだ。


「っと、ありがとうございました。私は行きますね。ご迷惑をお掛けしました。助けに入ってくれて、本当にうれしかったです」


 少女は微笑んだ。


 人を疑うことを知らない、澄んだ瞳と綺麗な笑顔だった。その笑顔を残して、よろよろと少女は空也の前から立ち去ろうとする。


「あ、おい!」


「はい? なにか?」


 空也は少女を呼び止めていた。


 まだ、葛藤はある。今更言うぐらいなら、何故最初に会ったときに言ってくれないのかと糾弾されるかもしれない。少女は自分のことを見損なうだろう。それが怖かった。だが、空也にとって、自分が見て見ぬふりをして少女がまた傷つくような事態に陥ることの方が、もっと怖かった。


 だから、空也は言う。自分勝手だとわかっていても。


「えっと、その……実は謝らないといけないことがあるんだよ……」


 背中を冷や汗が伝う。それでも打ち明けると決めたことだ。後戻りはしない。


「謝る? どういうことですか?」


「まず、コレを見てくれないか?」


 少女の前に差し出すのは、グローブをした右手。手首のボタンをパチン、パチンと外し、グローブから手を抜く。夜の空気がひんやりと右手を撫でた。


 右手の甲には漆黒の痣が刻まれている。


 それは、少女が長らく捜し求めていたもの。


「………っ!!」


 少女は絶句していた。


「……その、面倒ごとに巻き込まれるんじゃないかとか、いろいろ考えたら、あの場はとりあえずやり過ごそうって思って、それで……本当にごめん!!」


 空也は腰から体を曲げ、謝罪する。


 どんな罵声が浴びせられるだろうか。きっと少女はがっかりしただろう。軽蔑しただろう。ずっと、長い間探し続けていた人間が、こんな小さな男だったのだ、落胆しないほうがおかしい。少女の夢を、理想を打ち砕いてしまった。自己満足のために取った行動とはいえ、少女をがっかりさせてしまうのは、とても心苦しいことだった。


 だが、待てど暮らせど一向に少女が何かを言う気配がない。


「あの、どうし……うぇえっ!?」


 空也は驚いた。それはもう、予測していた事態とはかけ離れた事態が起きていた。


 少女が両手で鼻から下を覆い、はらはらと泣いていたのだ。


「お、おい、そんな?! いや、嘘ついてたし、へたれ根性丸出しだったと思っているけど!!」


「い、いえ違うんです。その、凄く、嬉しくって……」


「え?」


「やっと探してた人に会えて、しかも、それが私を助けてくれた人だったから……見ず知らずの私を、見捨てることも出来たのに、死ぬかもしれなかったのに、それでも一緒に居てくれるような人が私の帯刀者で本当に良かった……」


 少女はそう言って涙を拭うと、空也に笑顔を向けた。拭いきれず目じりに溜まった涙が月明かりに照らされ、宝石のようにきらきらと輝いていた。


 空也はなんと言っていいのかわからず、


「そ、そっか……あ、ありがとう」


 頬をぽりぽりと掻きながらそんなことを呟いた。


 少女は笑顔で空也を見つめていた。


 何度目だろうか。沈黙が二人の空間を支配するのは。だが今の沈黙は重苦くも気まずくものなく、気恥ずかしさから来る、ある種心地よいものだと、空也は感じていた。


 しかし、いつまでも路地裏で話しているわけにはいかなかった。いつ何時、あの男が引き返してくるとも知れない。


「あ、あのさ、場所を変えないか? またあいつが来るかもしれないし、それにそんなぼろぼろの格好のままじゃ……」


 そこまで口にして、空也ははたと少女の状態に気付く。


 少女の足元に広がる水溜り。先の戦闘で少女が電撃を受けたときに出来たものだ。


 それはつまり――


「っっっ!!!」


 空也は思わず息を飲んでしまった。


「どうかされましたか?」


 少女はそんな空也の挙動を不思議に思い、尋ねる。


「あ、えと、い、いやなんでもない」


 だが空也の返答は的を射ない。


 ――少女は考える。この人はどうして急に慌て出したのだろうかと。自分の足元を見て、様子がおかしくなった。足元に何かあるのだろうか。


 そこまで考えて、はっと気付き足元に視線を向ける。広がる水溜り。濡れた下半身の着物。


 少女の顔は見る見るうちに真っ赤になり――


「い、いやああぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーー」


 次の瞬間には少女の絶叫と、パァンという何かを叩く小気味よい音が路地裏に響き渡る。


 少女に電撃の後遺症の心配はないのだった。

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