黒刃刀姫と黄金雷刀 Ⅸ

 どれくらい本屋にいただろうか。ふとガラス張りの窓から外を眺めると、既に日が傾き、西の方から茜色とも薄紫ともとれない、どこか薄気味悪いヴェールが空を徐々に覆い始めていた。


「ん? もうそんな時間か。本屋は時間を忘れるな。それがいいところでもあるんだけど」


 空也はそう独りごちて、手に持っていた文庫を本棚に戻す。


「そろそろ帰るか」


 空也は、軽く伸びをすると本棚の間を潜り抜け、再び自動ドアの唸りを聞きながら書店から出た。


 西日が空也の目を差す。目の奥が暑くなるような軽い圧迫感を感じて、空也は目を細める。


 日の光に目が慣れた頃、空也の目に書店の向かいの路地が飛び込んできた。


 路地があること自体は知っていたが、普段は特に気にも留めなかった。それが、今日はいつになく存在感を放っている。


 周りが茜色なのに、そこだけぽっかりと穴が開いたように真っ黒だ。


 なぜか、そんな様が今日に限って空也の興味を惹いた


「どうせ、やることないしな……」


 空也は路地に向けて歩き出す。


 路地は狭かった。人が一人、歩けるかどうかといったところだろうか。コンビニ弁当のゴミが散らかっていたり、ペットボトルが散乱したりしている。


 空也は路地を進む。


 途中、脇に置いてあったゴミ箱の後ろから猫が飛び出てきたり、落ちていた腐ったパンを踏んだりしたが、引き返そうとは思わなかった。むしろ、この奥に何があるのか、気になって仕方がなかった。


 ただの路地裏。何もあるはすはないとわかっていても、子供の頃に草むらや林を探検したときの冒険心がぶり返してきたのか、空也は微かな胸の高鳴りと供に奥に進む。


 すると、十メートル四方ぐらいの、少し開けた場所に出た。周りはフェンスで囲まれている。日はもうほとんど沈み、辺りは薄紫色になっている。


「なんだ、ここ? なんも……」


 ない、という言葉を空也が呟くとともに、何かが高速で右から左に目の前を横切り、フェンスにぶち当たった。


 金属が擦れる、甲高い軋む音が当たりに響く。空也は驚いて、辺りを見回す。


 フェンスには、一人の少女がめり込んでいた。


 見覚えのある黒い、さらさらの美しい長髪、白糸で花びらの刺繍があしらわれた、桜色の着物。


 昨日、帰り際に出逢った黒麗の少女だった。


 しかし、今やその美しい着物の白糸の刺繍はほつれ、鮮やかだった桜色は、少女の血だろうか、ところどころどす黒く染まり見る影もない。


 後ろでまとめていた髪は解け、無秩序な状態になっている。


「えっ!? は?」


 空也は事態が飲み込めない。


 目の前を何かが飛んでいったと思ったら、昨日出逢った少女がフェンスにめり込んでいた。もはや何が起きているのか頭がついていかない。


 そんな空也の耳に、男の声が入ってくる。


「さて、どうだい? これでもまだ僕の『脇差』になってくれないのかな?」


 この場に似つかわしくない、酷く落ち着いた、何か不快感を催す声。


 一人の男が、少女がふっ飛んできた、右手奥の路地から姿を現した。左手には稲妻状の刀身を持つ黄金の刀を握っている。


「っ!!! ……かはっ! だ、誰があなたの、『脇差』に、など……」


 フェンスに叩きつけられた衝撃のせいか、少女は上手く声が出せない。少女はフェンスからすり落ち、地面に蹲っても、尚、肺に残った空気を搾り出すように、息も絶え絶えながら男の提案を拒否した。


「そうか……なら、僕は、君が言うことを聞いてくれるまで……続けるだけさ!」


 男は醜悪な笑みを浮かべ、叫ぶと、刀を水平に振り払う。


 一筋の雷が空也の目の前を横切り、よろよろと立ち上がっていた少女に直撃した。


「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!」


 少女の悲鳴が路地を包む。電撃は少女の体を走り、全身に激痛を引き起こす。


「くくく……電圧は高めだが、電流は低くしてあるから簡単に死にはしないよ」


 男はとても愉快そうに笑う。


 少女は、気を失うかどうかという激痛に苛まれながら、ただ耐えるしかない。


「うあ……あぁ………あぁ」


 電撃による攻撃が終わったあとの少女は、無残な姿だった。


 フェンスに背を預け、うな垂れながら、地べたに座り込む。口は上手く閉まらず涎が零れ、目の焦点は合っていない。全身は思うようには動かず、四肢は痙攣を起こしている。力が込められないせいか、失禁による水溜りが広がっていた。


「惨めね、黒亜。秋様の言うことを聞いていれば、そんなことにならずに済んだのに」


 聞こえてきたのは、澄んだ女性の声。空也の耳には声が届いているのに、持ち主は見当たらない。と思った矢先、少女から数メートル離れて立っている男の脇の空間に、突如、淡い金色の光に包まれた女性が降臨する。薄汚い路地裏には不釣合いな、美しい女性だった。煌びやかな黄金の髪とは対照的な、暗く、黒いゴシックドレスに身を包んでいる。が、体は透けており、今にも消えてしまいそうな不安定さを持っていた。


「た、例え、どんな辱めを、う、受けようとも、あなた達の言うとおりになど…なりません!」


 少女はぼろぼろになりながらも、精一杯、声を張り上げ、よろよろと立ち上がろうとする。膝は笑い、腕には力が入っていない。それでもフェンスを支えにしながら、少女は男達と向き合っていた。


 空也はそんな光景を目の当たりにし、一歩も動けずに居た。


 いま繰り広げられている光景は一体なんなのだろうか。昨日の少女が、男に痛めつけられている。男が刀を振りぬくと雷が少女を襲った。雷撃を放つ刀。そんなものが存在するのだろうか。それに、あの浮いている女性は何者なのだろうか。などとぐるぐると思考が纏まらず、空也の頭の中はぐちゃぐちゃになっていく。そもそも何故少女は狙われているのか、男と金色の女は何が目的なのか、全くわからない。


 分からない事だらけで、思ったとおりに体が動いてくれない。


「まだそんなに頑張るのか。もう諦めれば楽になれるのに」


 そんな言葉と供に、男は刀を振り上げる。振り上げられた刀が、バチバチと放電し始めた。


 少女はよろめきながらも、男を真っ直ぐに見据える


「わ、私は……諦めないっ!!!」


「そうか。なら今度は少し電圧上げてみようか?」


 男がそう言うと、刀の放電が激しさを増す。先ほどの電撃を優に超えている強さだということは、一目瞭然だった。


 ―――駄目だ!


 空也はそう思う。先ほどの電撃で、少女は満身創痍の状態になるまで追い詰められていた。その電撃を超える威力の電撃を受けたらどうなるかなど、火を見るより明らかだった。


 昨日出逢ったばかりの、名も知らぬ少女。見捨てることも出来る。だがそうしてしまうと一生後悔してしまいそうな、そんな気がして、空也はわけが分からない状況の中に飛び込んでいく決意をする。


 自分の中に、命を掛けるような行動を起こさせる熱いものがまだあったことに驚く。


 昨日は、面倒ごとに巻き込まれるのは嫌だからと見捨てておきながら、今日は自分の気がすまないという理由で少女を助けようとする。随分と身勝手で虫のいい話だと、空也は自分で自分を笑いたくなる。


 それでも空也は少女を見捨てられなかった。


 だから空也は近くにあった鉄パイプを握り、硬いアスファルトを勢いよく蹴りだして、少女の元へ駆ける。


 自分ひとりが割って入ったところで何が変わるわけでもないだろう。むしろ、男に殺される可能性のほうが高いだろう。


 けれど、何かが変わる可能性だって、ある。


「う、うわああああああああ!!」


 空也はそう信じて、男めがけて鉄パイプを振りかざす。


「んな!?!?」


 男は、突然の乱入者に驚き、刀の構えを解くと、すぐさまバックステップで距離をとる。


 ガァンと鉄パイプがアスファルトを打つ。


 空也の手に軽い痺れが広がった。痺れを振り払いつつ、空也は鉄パイプを握りなおし、少女を庇うように男に対峙する。


「あ、あなたは! ど、どうしてここに!?」


 少女は突然の来訪者に驚き、そしてそれが昨日会った少年だと知るとさらに驚いた。


「ちょっと、通りすがっただけだ」


「と、通りすがっただけって! 早く逃げて! でないと死んでしまいます!!」


 少女はぼろぼろな姿で、よろめきながらも空也の袖を掴んで必死に叫ぶ。


 その姿を見て空也は思う。この娘を助けなければ、と。散々痛めつけられても助けを請うことをしない気高さと、自分よりも他人を優先する優しさを兼ね備えた少女。彼女がこれ以上痛めつけられるのを見たくなかった。


 だから、恐怖で震えていることを悟られないように、手に、足に力を込めて、空也は少女に言う。


「だ、大丈夫だ。そもそもあいつは逃がす気なんて毛頭なさそうだけど?」


「で、でも、あなたを巻き込むわけには……」


 空也は少女の声には耳を貸さず、正面を見据える。


 そこには今の恐怖の権化たる存在がいた。日はとっくに沈み、街灯の仄暗い明かりが不気味に男を照らしている。


 態勢を立て直した男は、不機嫌そうに眉をしかめ、口を開く。


「ちっ。……君は誰だ? くだらないヒーロー気取りか? 返答如何では地獄を見るよ?」


 口調はあくまで平静そのもの。だが、男の内心を映しているのか、刀の放電は尋常ではないほどに激しい。


「と、通りすがりの学生だ。ち、ちょっと、この娘を助けようと思ってな」


 空也は、我ながら適当で気障ったらしい台詞を吐いたものだと思った。


 何の変哲もない、ただの鉄パイプで、自分の刀に立ち向かってくる空也に苛立ちを覚えたのか、


「どうやら、地獄を見たいようだね」


 男は不快そうに呟くと、刀を握り締める。周囲の建物に雷撃がバチバチと当たっては弾ける。


 空也は唾を飲んだ。咽がカラカラに渇いている。


 雷撃を放つ刀。対抗策なんてあるはずがない。鉄パイプを握ったまま、じりじりと後ずさりする。


「なんだい? まさか、なんの策も講じずに僕の前に立ったのかい?」


 空也の様子がおかしいことに気付いたのか、男が嘲るように言い放った。


「き、聞かれて言うやつがどこに居るんだよ? もう少し考えたらどうだ?」


「ふん。まあいいさ。なら、手始めにその粗末な武器を使い物にならなくしてあげるよ!!」


 言うが早いか、男は刀を水平に振りぬく。


 金色の輝きが走ったかと思うと、次の瞬間には鉄パイプはガラガラと地面に転がっていた。空也の手には鈍い痺れが残り、まともに手を握れない状態だった。


「マジかよ……」


 雷撃の威力を、身をもって実感し、空也は全身から一気に冷や汗が噴出すのを感じた。


「今ので驚くなんて、本当に何も考えずに出て来たようだね? そこの娘なんて、今の何倍もの威力の雷撃を食らってたんだけどね……。まぁいいか。どうせ次の一撃で死ぬんだから」


 またも刀が放電し始める。それも鉄パイプを弾いたときのものとは比べものにならない。それどころか、少女が食らったときのものよりも激しいかもしれない。


「いよいよもってやばいな……」


 空也は呟く。


 足は震えて上手く動かない。痺れる手は握ることさえままならない。汗で張り付くシャツが気持ち悪い。目の前で放電の勢いが増すと、それだけで全身の毛が逆立ち、恐怖で吐き気がしてくる。そんな状況でも、空也はその場から逃げる気にはならなかった。


 横にはぼろぼろになった黒麗の少女が居る。今ここで空也が逃げ出せば、少女は酷い目にあう。それだけはどうしても避けたかった。


 空也の袖を掴む少女をちらりと見ると、少女と目が合った。


「お願いだから、早く逃げて!」


 少女の目はとても悲しそうな、切なそうな複雑な色をしていた。自分のせいで他の誰かが傷ついていることが耐えられない、そんな思いがひしひしと伝わってくるような、そんな目だった。


 空也は思う。少女を悲しませてしまったのは自分なのだと。なんの力もないくせに出しゃばって、少女を助けた気でいながら、その実、少女を傷つけていた。


 ――ああ、やっぱりらしくないことなんてするんじゃなかった。


 普段の空也ならそう思っていたはずだ。だが、何故か今日、この場では違った。


 ――この娘にこんな顔は二度とさせたくない。強くなりたい!

 

 空也はそう思った。どうしてもこの娘を助けたかった。無力であるが故にこの娘を悲しませた。そんなことは二度とご免だった。ただ強く、目の前の男を退けられるくらいの強さが、力が欲しいと、そう願った。


「じゃあ、いい加減死ねよ!!!!!」


 立ちはだかる男が刀を振り下ろす。


 刀は金色の輝きを残しつつ、真っ直ぐに空間を断ち切る。


 さっきとは比にならない強さの電撃が空也達を襲った。


「きゃっ!!」


 空也は、無意識のうちに隣にいた少女の左手を強く手に取り、少女を引き寄せ庇うように抱きかかえていた。


 轟く爆音と眩い雷光。


 圧倒的な力は少年と少女をいともたやすく飲み込み、街一つの光さえも奪いつくしていった。弱い街頭の光さえ失われ、街は闇の底に沈んでいた。淡い月光だけが闇の中に浮かんでいる。


「威力を上げすぎたか……跡形もないな」


 今にも消えそうな月光の中、男は残念そうに呟いた。見据える先は只の闇。数秒前まで少年と少女が居た場所。人影はなかった。


「黄菜! 二人の生体反応はあんのか?」


 男の隣に浮遊している女性は両手を左右に広げ手のひらを前方に向ける。パリパリッと乾いた軽い音がしたかと思うと、美女は周囲の空間に微かな電気を走らせた。


「……私が感知する限りでは、現時点で二人の生体反応はありません。秋様」


「そうか。遠方に移動するような力を持ってるわけでもないんだろう?」


「はい。黒亜の『黒滅こくめつ』はそのような力ではありません」


「まぁ、仮にあったとしても、帯刀者がいないから意味ねぇけど、な!」


 男は左手の刀を軽く振り払うと、刀は光の粒となって霧散した。それと同時に浮遊していた女性を包む光が収まり、今にも掻き消えてしまいそうな不安定さが消え、透けていた体は今や実体を取り戻している。


 とん、と女性は男の隣に軽い足音とともに降り立つ。ゴシックドレスがふわりと空気を含む。


「脇差を手に入れる機会でしたが、残念でございましたね」


「まぁな。憂さ晴らしに、中学のときの連中を殺しにいくか」


「仰せのままに」


 男と女性は、ビルとビルの間の闇に吸い込まれるように消えていった。

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