黒刃刀姫と黄金雷刀 Ⅶ

 秋が考えを纏められず、何を言うべきか迷っていると、その思考を中断させるような、不快な声が背後から響いた。


「あっれー、お前、雷鎚じゃねぇ?」

「雷鎚って、あのひきこもりの?」

「マジ? おわ! 雷鎚がいんぜ!」


 秋の心臓が跳ね上がる。


 振り返ると、三人の若者の姿があった。何れも、小・中と秋を苛めていた連中だった。三人とも髪を茶だの金だの赤だのに染めて、ピアスをして、へらへらした緩い笑いを浮かべている。まさに、『チャラい』を体現したかのような出で立ち。知性の欠片も感じられなかった。


 よりによって、こんなときに見つかりたくない相手に見つかった。小学校、中学校の嫌な思い出が、秋の脳に一気にフラッシュバックする。一刻も早くこの場から立ち去りたかった。


「お前、今、引きこもってるってマジなの?ニートとか、ありえなくね?」

「マジ? キモッ!」

「ギャハハハハ!」


 三人とも舐めきった態度で、秋に絡んできて、揶揄しては下品な笑い声を上げたりしている。


 液晶画面の前でなら、これだから低脳はとか、馬鹿は救いようがねぇなとか好き勝手言っている秋だったが、実際絡まれると、何とか平静を装って愛想笑いを浮かべるのが精一杯だった。


 そうこうしていると、茶髪の男が、秋が抱えている女性に気付き、驚嘆の声を上げる。


「……おいお前、それ誰だよ!? 超美人じゃん!」

「え? うっわ! やっべー美人!」

「ひょー、どんだけだよ!」


 三人ともが口々に女性を称える。


 男達は絶世の美女を前にして、盛りのついた動物のように女性を口説き始めた。こうなると秋のことなど眼中に入らない。


「ねぇねぇ、そんなキモイ奴と一緒にいないで、俺らと遊ぼうぜ?」

「金もあるしさ、悪いようにはしないよ~」

「連れてって欲しいとことかある? 車なら出すからさ」


 口からは湯水の如く口説き文句が溢れてくる三人だったが、女性が見下し、侮蔑している視線を送っていることに気付いていなかった。


「髪とか超キレーじゃね? めっちゃさらさらして……」


 赤髪の男が、女性の髪に触れようとしたときだった


「触るな!」


 パァン、と乾いた音が鳴り響いた。女性が男の手を叩き払っていた。


「ってーー。何すんだ! この女……」


 手を振り払われた赤髪の男が、女性を睨み付けている。


 女性はその視線に臆することなく、睨み返すと秋の腕の中から、未だおぼつかない足取りで地面に降り立ち、凛と告げる。


「私に触れていいのは主様のみ! 貴様らのような下衆は失せよ!」


 一瞬、男達は何を言われたのか分からないような表情をしていたが、言葉の意味を理解し始めると、徐々に怒りの色が顔に現れてきた。


「ハァ!? 俺らが下衆とか、わけわかんねぇし! ちょっと美人だからって調子乗ってんじゃねぇよ!」


 赤髪の男が女性の胸倉を掴むと、女性が着ていた襤褸切れがそれにつられて破れ、女性のふくよかな白い双丘が少し露わになる。


 しかし、女性は自身の身なりなどには露ほども関心を見せず、胸倉を掴まれながらも無言で男を睨み続ける。


「マジでこの女生意気だな! 胸見えてんのになんの反応もねぇし、頭どうにかなってんじゃねぇの?」

「実は真性の露出狂だったりしてな」

「いわゆるクソビッチってやつ?」


 男達は次々に知性の欠片も感じられない言葉で女性をこき下ろす。


 そんなやり取りを聞いていて、秋は胸が少しざわつくのを感じた。女性の悪口を聞くたびに、少しずつ怒りが胸に募ってくる。


 他の誰かのことに対して怒りを覚えたのは初めてだった。秋は、自分以外の誰かを想う気持ちがまだ自分に残っていたことに、驚きを禁じえなかった。


 そのことに気付くと、自然と声を出していた。引きこもりの自分は、心の中でやめろ、そんなことをすればどうなるかわかったもんじゃない、と叫んでいたが、それでも女性を罵倒する三人が許せないという気持ちの方が強かった。


「お、おい!」


 秋が声を上げると、茶髪の男が眉根に皴を寄せて、ありきたりな仕草ですごむ。


「ああ!? お前、今なんか言ったかよ?」


 声を聞くだけでも恐怖が体を包んだ。秋の体は条件反射的にカタカタと震えだし、咽もカラカラになってきていた。しかし、秋はめげなかった。女性がいなければこんな無謀な真似はしなかっただろう。


 秋はこんな自分らしくないことをしてでも、女性を助けたいと思った。


 自分に残った一握りの勇気を振り絞って、必死に声を出す。


「そ、その手を、は、離せ、よ……」


「は? お前、なに正義の味方気取ってんだよ!」


 茶髪男の言葉は、秋の耳に最後まで入って来なかった。


 その代わりに、ごん、という鈍い音が脳内に響き、重い衝撃が秋の頬を襲っていた。


 一瞬、何が起きたのか分からなかった。


 それが、殴られたのだと気付く頃には、秋は地面に這い蹲り、口の中は血の味で一杯だった。どうやら口の中が切れているらしい。


「主様!」


 女性が血相を変えて叫び、胸倉を掴む赤髪の男の手を全力で振り払う。襤褸はさらに破れ、いよいよ服の様相を成さないほどになった。


 女性は構わず、秋に駆け寄る。


「主様! ご無事ですか?! しっかりなさって下さい!」


 女性は秋に縋って必死で叫ぶ。だが、そんな声も、秋の耳には入ってこない。


 秋の身体を支配する恐怖は最高潮に達し、振り絞ったほんのわずかな勇気も、霧散していた。


 地面を見つめながら、秋は震えていた。


 なんで自分がこんな目に。やっぱり引きこもりが出張ってはいけなかった。静かに事が収まるのを待っていればよかったのだ。そうすればこんな痛い思いをすることも無かった。そう考える自分が嫌で、たった一人の女性を救うことさえも出来ない弱い自分が情けなくて、涙が零れた。


「おい、こいつ泣いてんぜ!」

「マジかよ! ダッセー! ダハハハ!」

「もっとボコろうぜ!」


 男達の嘲笑を聞く度、秋はさらに自分が情けなくなっていく。


 そのとき、秋の左手にそっと暖かいものが触れた。


 女性の小さい、けれど大きく包み込んでくれる優しさが伝わってくる、冷え切った、けれどとても暖かい手だった。


「主様。今こそ力を使いましょう」


「……力?」


「はい。帯刀者としての力です」


 女性は言っていた。秋には類稀な力があると。真実かどうかなどわからない。全ては女性の妄想で、秋は結局、ただの引きこもりなのかもしれない。


「なになに? 何か凄いことが出来るの? 引きこもりのクセに?」

「厨二病とか言うやつじゃねぇの?」

「漫画読みすぎだろ。キモっ! マジでボコろうぜ!」


 男達の言うとおりだ。


 自分に秘められた力が眠っているなんて、漫画や小説の世界の中だけの話だ。現実はそんなに都合よく出来ていないし甘くもない。弱いものは強いものに虐げられ、搾取されるしかない。それは今までの人生で十分に学んできた。


 それでも、秋は自分に力があると思いたかった。それが夢想だったとしても、わずかな希望に縋りたかった。この男達を見返してやりたかった。そして、黄金に煌く美しい女性を自分の手で救いたかった。


 だから、秋は女性の言葉に全てを委ねる。


「私の手を取って、ただ『抜刀』と叫んでください」


 秋は、女性の左手を握ると、力の限り叫んだ。


「抜刀!」


 瞬間、黄金の光が秋と女性を包んだ。


 それからのことは、秋はあまり覚えていない。唯一つ明らかなのは、光に包まれたあと、自分の内側から膨大な何かが込み上げてきて弾けるのを感じたこと。


 気付くと秋は変わらず河原に佇んでいた。


 太陽は相変わらず鬱陶しいし、風は腹が立つほど清々しい。


 変わっていたのはさっきまでいた男達が居なくなっていたこと。代わりに男達が居た場所には人の形をした炭らしき塊が三つ、転がっていた。塊からは卵が腐ったような異臭が漂っていた。


 女性も忽然と姿を消していた。


 そして、秋の左手には稲妻状の刀身を持つ、刃渡り七十センチほどの金色の美しい刀が握られていた。


「お、俺は……い、一体何を……」


 秋は呟く。と同時に、頭の中にいくつかの光景が断片的にフラッシュバックしてきた。


 映像の中で、自分は左手に握る刀を振るっていた。刀を一振りするたび、稲妻が走り、男達を瞬く間に炭へと変えていった。


「え? う、うああ、あ……あああ……あああああ、ああああああああああああ、あぁぁぁぁぁっぁぁあああぁっぁぁぁっぁっぁああぁあぁぁぁぁああああああ!」


 秋は喉が潰れるほどに叫びながら、その場から逃げ出した。


 三つの塊と、自分がしでかした事実を置き去りにするために。


 どこをどう走っているのかなんてわからない。途中幾度か足がもつれて転び、道行く人にもぶつかった気がする。


 だが、そんなことは気にしていられなかった。


 ただ怖くて、恐ろしくて。自分がしたことの重さを受け止めきれなくて、必死で逃げた。走れなくなるまで逃げ続けた。


 そうして、どこだかわからない狭い路地にたどり着き、その場にへたり込んだ。


「っはぁ、はあはあっ、おぇぇ、うっ!」


 心臓は早鐘のように鼓動し、呼吸は陸に打ち上げられた魚のように不自然だ。酸欠のせいか目の前がブラックアウトしそうになる。昼間食べたものが腸の中でめまぐるしく蠢き、逆流してきているのがわかる。


「大丈夫ですか!? 主様!?」


 そんなとき、黄金の女性の声が響いてきた。しかし、辺りに女性の姿はない。秋はふと左手に視線を落とす。


 握られているのは一振りの黄金の刀。走っている最中、不思議と投げ出すことをせず、むしろ唯一の依り代のように固く握って放さなかったものだ。


「あ、あんた、っど、どこにいるんだ?」


 くらくらする頭を必死に働かせながら、秋は言葉を絞り出す。


「私は、常に主様のお傍におります」


 その言葉とともに、柔らかな金の淡い輝きが、秋のとなりに舞い降りてきた。


 その輝きは徐々に人の形をなし、最終的に半透明の女性の姿をとった。


「あ、あんた、い、一体何者なんだよ!? お、俺に何をさせたんだ!?」


 少し呼吸が落ち着いてきた秋は、わけがわからないまま叫んだ。叫ばずにはいられなかった。


 力が欲しい――確かにそう願った。自分を馬鹿にする存在を見返してやりたいと、そして、一人の女性を守るだけの力が欲しいと。


 だが、願った結果、秋はとてつもないことをしでかしてしまった。その責任を負いたくなくて、誰かのせいにしたくて、そうしないと壊れてしまいそうだったから。だから、叫び、問い詰めた。


 対する金色の女性は、落ち着いた声で静かに答える。


「主様、先ほどもお話しましたが、私は刀人。そして、主様は帯刀者です」


「そ、そういうことじゃない! そうじゃなくて! こ、この刀は!? あ、あの稲妻は!?」


「その刀は、私のもう一つの姿です。稲妻は刀の力、名を雷崩らいほうと言います」


「こ、これがあんただっていうのか? それを信じろって? 刀から稲妻が出ることを信じろって?」


 人が刀になって、しかもその刀から雷が出る。漫画の世界じゃあるまいし、そんなファンタジーがあるはずがない。秋は到底信じられなかった。だが、女性は決定的な次の言葉を紡ぐ。


「主様は先ほどそれを目にしておられるはずです。ただ、私も刀人の伝承が真実であるか、確証はありませんでしたけれど」


 そう、秋は断片的な記憶しかないとはいえ、実際に人が消えて刀が現れ、雷を発しているところを目の当たりにしていた。


 「っ! でも!」


 それでも、秋は信じられない。信じてしまうと、ある事実から目を背けることが出来なくなってしまう。


 そんな秋の胸中を知ってか知らずか、金色の女性は一つの提案をする。


「では主様、今度は納刀とおっしゃって頂けますか?」


「? そ、それを言うと、な、なにかあるのか?」


「それで、今度こそ信じていただけるはずです」


 女性は言い切った。


 『納刀』という言葉を言うだけで刀人と帯刀者を信じざるを得なくなると。


 秋は口にすることを躊躇った。その言葉を口にすると、もう二度と日常には戻れないと思った。人の世界からの逸脱は恐怖だった。だが、実際のところ秋は言うしかなかった。左手に刀が握られている以上、女性の言うことは恐らく真実であるし、自分も帯刀者とやらなのだろう。問題は、いままでのことが事実かどうかであることよりも、自分の心の安定のために、今まで起きたことを信じたくないということだった。


「……っ」


「……」


 金色の女性は急かしもせず、ただじっと待っている。ある種の余裕から来るものなのか、主の邪魔をしないためなのか定かではないが、恐らく後者だろう。


 秋は一つ深呼吸をすると、小さく、


「納刀」


と呟いた。その瞬間左手の刀が金色の光と供に霧散し、代わりに、秋の傍で浮いていた金色の女性が、実体を持って秋の目の前に現れた。


 女性は地に足を着くが、自重を支えられないのかふらりと倒れそうになった。


 秋は慌てて女性を受け止める。


「お、おい! だ、大丈夫か?!」


 秋の手の中に女性の重みが広がる。その重さは、女性がこの場に居て、実体を持っていることの、まぎれもない証明だった。


「大丈夫です。少々力を使いすぎてしまったようですが。……信じて、頂けましたか?」


「……」


 秋は無言だった。だが、信じるしかなかった。信じたくなくとも、もう逃れることは出来なかった。


 秋は帯刀者で、金色の女性は刀人。言葉一つで人が刀へ、刀が人へと変わる。しかも女性の体中にあった傷さえも跡形も無く消えている。信じざるを得ない。


 荒唐無稽な、夢のような現実。そして、もう一つ、秋が目を逸らし続けていたかった重過ぎる事実があった。


「い、今までのことは、げ、現実なんだな……か、雷で、あいつらを殺してしまった、ことも?」


 嘘であって欲しいと願いながら、秋は女性に問うた。


 秋の脳裏に浮かぶのは三つの、人らしき炭の塊。川原に転がる黒々とした塊。忘れることなんて二度と出来ないであろう惨状。その元凶が、自分であることの恐怖を認めたくないという一縷の望み。だがそれはいともたやすく打ち砕かれる。


「あのときの主様は猛々しく素敵でした……雷崩を自在に操り、瞬時に下衆共を屠っていったのですから!」


 女性は爛々と目を輝かせて、秋の服のそでを弱々しくも力の限り掴み、嬉々として語った。無邪気な子供のように。


「な、なんとも思わないのか!? ひ、人を殺したんだぞ!」


 秋は堪らず声を張り上げていた。人が死んでいるにも関わらず、はしゃぐ女性の姿があまりに異様で、不気味だったから。


「? 何を激昂されておられるのですか? 主様? あのような下衆は死んで当然です」


 女性は平然と、一切の疑いもなく言い放った。女性にとって重要なのは主である秋ただ一人。それ以外の人間は、どうなろうと知ったことではない、瑣末な存在。


「主様。これからは私の力、思うがままに振るってください。何をされますか? 手始めにそこな女性を嬲り、いたぶり、屠りますか? それとも辺りを闊歩する、目障りな下衆を雷で焼き尽くしますか?」


 女性は路地から大通りを歩く人々を見て言った。


 女性は壊れていた。長い奴隷生活。精神はとっくに崩壊し、善悪の感覚など麻痺していた。唯一の拠り所であった帯刀者の存在だけが全てで、それ以外は些事だった。いうなれば帯刀者が善、帯刀者に仇成す者は悪といったところか。


 秋はふと考えた。


 自分も狂ってしまえば、楽になるのではないか、と。


「……っくく。っははは!」


「主様?」


 くだらない日常、先の見えない将来、自分を理解してくれない家族、受け入れてくれない世間、つまらな過ぎる世界、人を殺めてしまったという重すぎる罪悪感。


「あはははははははははははははははは!」


 何もかもが面倒で、鬱陶しくて、


「……なぁ。お前、名前、なんつーんだ?」


 何もかもから逃げるために、


「名、ですか? 黄菜きいな……です」


 秋は、


「黄菜、か」


 黄菜という名の女性と供に、


「お前が必要だ。この糞にまみれた街を、国を、世界を、俺と……この雷鎚 秋いかづち しゅうと供に壊そう」


 壊れることに、壊すことにした。


「まずは、俺を苦しめ、踏みにじりそれを愉しんでおきながら、平然と生きているクソ共からだ! 炭にしてやる! 一人残らず!」


 一度、箍が外れてしまえばあとは楽だった。苦しみから解放され、全てのことから目を逸らすだけ。面倒なものは壊せばいい。既に三人殺めている。数が増えようがさしたる違いではない。坂道を転がり落ちる石ころのように、秋は壊れ始めた。


「仰せのままに――秋様」


 黄菜は恭しく、恍惚とした表情で頷いた。

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