黒刃刀姫と黄金雷刀 Ⅲ

 空也は少女の切り替えの早さに舌を巻きつつも、冷静に話を進める。


「俺に何か用か? 面倒ごとはご免だぞ」


 元々何に対しても努力する気の無い空也は、初対面であるにも関わらず、不躾な一言を付け加えて少女の用件を聞く。少女は空也とは対照的に、その力のこもった黒麗の瞳で真っ直ぐ空也を射抜き、はきはきと答えた。


「あなたにお聞きしたいことがあるんです」


「…………聞きたいこと?」


 空也は目を細めて訝しげに少女を見つめる。


 この少女と自分とでは、恐らく育った環境が違いすぎる。着物の着こなしにしても、仕草にしても、少女はどこと無く気品に溢れており、上流階級の育ちであることは明白。少々特殊だが普通の一般家庭で育った空也とは、根本から違うであろうことは用意に察しがついた。


 そんな少女が自分に聞きたいことがある、と話しかけてきた。空也にしてみれば、少女が必要としている情報を自分が持っているとは到底思えなかった。


 だが、少女は空也の疑念など素知らぬまま、話を進めていく。


「私、ある方を探していて……」


「ある方?」


「はい」


 次の瞬間、空也は信じられないものを目にする。


「体に、こんな黒い雲のような痣のある方を探しているんです」


 そう言うと、少女は自分の左手を顔の前に持ってきて、手の甲を空也に見せる。


 そこにあるのは、黒い雲のようなもやもやした痣。空也の右手にあるものと全く同じ痣が、少女の左手の甲に刻まれていた。


「――っ!」


 空也は心臓を鷲摑みにされたような感覚を覚えた。


 何故、この娘の手に自分の手にあるものと同じ痣が?どうして?痣のある人間など、探せばごまんといるだろうが、それにしても全く同じ形の痣なんてあり得るのだろうか?


 突然現れた少女が、突然左手を見せ、そこに自分と同じ痣がある。何もかもが突然過ぎた。


 空也の頭には、何故、どうして、なんで、という言葉が浮かんでは消え、また浮かんでは消える。正常な思考をするだけの余裕を、空也は完全に失っていた。


「どうかしましたか?」


 自分が掲げた左手を見て呆けている空也を見かねたのか、少女が桜色の瑞々しい唇を開いた。


「あ、あぁ、なんでもない……」


 空也は少女の言葉で弾かれたように我に返った。


 右手は、少女から見えないように、自然と学生ズボンのポケットに滑り込ませていた。


 少女は左手を着物の袖の中に戻しながら、空也に問う。


 空也の仕草の意味に気づかずに。


「それで、ご存知ありませんか?」


 空也は一瞬迷った。自分がそうであると、告げるか否か。迷ったが、すぐに誤魔化すことに決めた。そもそも、この少女が求めている人物が空也ではなく、自分と同じように痣を持った別の人物の可能性だって有り得る。


 何より、空也は面倒ごとに巻き込まれるのが嫌だった。見ず知らずの人間が自分と全く同じ痣を持っていて、それと同じ痣を持つ人間を探している。冷静に考えてみれば、そんな話は怪しいに決まっている。そんな橋は渡りたくない。


 それに、自分でなくとも他の誰かがこの少女を助けるだろう。そう考えて、空也は嘘を吐くことにした。


「いや、悪いけど知らないな」


 空也の胸がちくりと痛んだ。


「そう、ですか……」


 少女は肩を落とし、うな垂れる。黒麗の瞳に宿っていた力はふっと抜け、地面にその視線を落としていた。その姿を見て、空也の胸の痛みは更に強くなった。


 少女は期待していたのだろう。今まで何人に同じことを聞いてきたのか見当もつかない。それこそ、ごまんと聞いてきたのかもしれないし、最初の一人だったのかもしれない。どちらにしても、探し人が見つかるかもしれないという期待を込めて、自分に聞いてきた。


 それを、裏切った。それは自分かもしれないという決定的な証拠を持ちながら。


 そんな自責の念が、空也の胸中にどろどろと渦巻いた。


 黒い感情に耐え切れなかった空也は、どうにかこの空気を振り払おうと、何の気なしに疑問に思ったことを口にする。


「その、黒い痣を持ってる奴を見つけてどうするんだ?」


 聞かれた少女は視線を空也に戻し、少し考え込むような仕草をとる。


 空也は聞いてから、しまったと思った。


 これでは、自分が黒い痣を持つ人間について、何か心当たりがあることを悟られてしまうかもしれない。罪悪感に塗れながらも、折角避けた面倒ごとがまた転がり込んでくる。それに、初対面の相手に私的なことをべらべら話す人間がどこにいる。そう、空也は思っていた。


 しかし、それは空也の杞憂に過ぎなかった。


「見つけて、ですか? そうですね……この痣と同じ痣を持つ方は、私の帯刀者となるべき方なんです」


 少女は黒い痣の刻まれた左手を天に掲げ、目を細めながら、さらさらと風が草原を駆けるような軽い口調で答えた。


「たいとう、しゃ?」


 空也は首を傾げて聞き返す。『たいとうしゃ』などという言葉は、生まれてこの方耳にしたことがなかった。


「はい。帯びる刀の者、で帯刀者です」


 少女は空也に向き直ると、力強くはっきりと答えた。


 空也はぽかんとして、少女を見つめる。


 空也は、一刻も早くこの場を離れたい衝動に駆られた。平和な現代においては、コレクターか剣術の道場でもない限り持っていることなどあり得ない品物の名が、少女の口から飛び出した。物騒極まりない。そんなものと縁のある人物などとは、早急に別れたいところだった。


 しかし、自分から話題を振ってしまった手前、不自然に話を切り上げることなどできず、


「えーと、その帯刀者、だっけ? それはなんなんだ? 恋人とかそういうのなのか?」


 なんとか適当に話を続け、隙有らば退散しようと目論む空也であった。


 が、空也の発した一言は意外にも、少女を動揺させるに足る、十分な威力を持っていた。


「こ、恋、人!?」


「そう。恋人」


「――――っ!」


 恋人という言葉を聞いた瞬間、少女の頬は辺りを紅に包む夕陽の如く赤く染まり、それを隠すように両手を頬に当てて、あぅあぅ言っている。


 恋人という言葉だけでここまで恥ずかしがるあたり、相当に初心な少女である。


 空也はそれを見て、やっぱり可愛いな、などと思ってしまう。しかし、今の空也の使命は、一刻も早くこの面倒な場から立ち去り、今日の夕飯であるカレーを作ること。そのためには、折角見つけた絶好の機会を逃すわけにはいかなかった。頭をぶんぶんと軽く振り、脳内に浮かんだピンク色の考えを払拭する。


 ここから、空也の怒涛の口撃が始まった。


「違うのか?先刻なんか『私の帯刀者となるべきお方なんです』って、凄いうっとりした顔で言ってた気がしけど?」


「そ、そんなこっ……」


 少女の否定の言葉を待たずに、空也は二の句を告げる。


「いやいや、君みたいな可愛い娘に恋人になってくれなんて言われる奴は幸せ者だな。一緒にデートしたり、手つないだり、食事したり……」


「か、可愛い!? デート!? 手をつなぐ!? 食事!?」


 少女は空也の言葉を反芻する度に、赤くなった頬を更に赤らめていく。


 そして、空也はこれで止めとばかりに親密な関係にある男女が行うであろう行為を、機関銃を乱射するほどのスピードで口にしようと、息を吸い込み、その瞳に少女を捉えて――――


 口にするのをやめた。というより、口にするまでもなかった。


「あぅ、あぅ……はぅぅぅ……ひぅぅ……」


 少女は思惑通り、いや、思惑以上に熱暴走を起こし、今にも頭から煙を出してしまいそうな状態になっていた。両手で真紅に染まる顔を挟み、視線は宙を彷徨っている。桜色の唇はぱくぱくとしているだけで、言葉を紡ぐことなど到底できる状態ではなかった。


 空也は内心、これほどまでに効果があるとは思っていなかった。というかこの少女、どこまで初心なのだろうか。


「お~い、大丈夫か?」


 少女の目の前で、ひらひらと手を振ってみる空也。


「あぅぅぅぅぅぅ……」


 少女に、空也の呼びかけに応ずる余裕は無いようである。


 少女が夢の国へ旅立っていることを確認した空也は、軽く屈伸運動をしつつ、走る準備をする。


「聞こえてるか分からないけど、俺は君が求めているような人間は知らない。それじゃあな」


 そう言葉を残した空也は右手をびっと顔の横に挙げると、少女に背を向け、脱兎のごとく走り出した。


「あぅぅぅ…… あ! ちょっ! ちょっと待っ!」


 ようやく夢の国から帰ってきた少女が、何かを言っているのが聞こえたが、猛スピードで走り抜ける空也は、それを無視して足を動かし続けた。


 やがて、声は聞こえなくなり、自分の足がアスファルトを打つ音だけが辺りに響くようになった。


 空也はやっと面倒ごとを振り切れた開放感と、黒麗の少女に嘘をついた罪悪感、そして、可愛い女の子と過ごせたほんの少しの幸福感と共に、家路についた。


 夕陽は少年の影を、無機質な灰色のアスファルトに、黒く、細長く映していた。


「今回も駄目だったな……」


 黒麗の少女は、今はもう、豆粒ほどの大きさにしか見えなくなった少年の背中を眺めながら、小さく呟いた。今から走っても、下駄ではとても追いつける距離ではない。


 少女は桜色の着物の袖から覗く、己が左手の甲に目を落とす。そこには、漆黒の雲のような痣が刻まれている。それは産まれた時からそこにあった。その痣を見る度、何故自分が帯刀者を求めているのか思い知らされる。凶行に走ってしまった友――相手は自分のことを友と思っているかどうかは定かではないが――その人物を思い出す少女。嘗ての友を止めるために力を求め、全てを奪った姉を探すため、帯刀者を求めた。育った地を後にして、平穏な生活を捨て、帯刀者を探し続けた。しかし、未だそれは見つかっていない。


 ――そんな折、一人の少年に出会った。


 少年は、ちょうどスーパーから出てきたところだった。少年を目にした瞬間、全身に電流が走るような感覚に襲われた。この人だ――少女はそう直感した。


 根拠なんて知らない。私の中の何かがそう訴えている。今まで求めた人にやっと出会えた。帯刀者に、今度こそ巡り会った。その想いを胸に、少女は少年に声を掛けた。あぁ、これでやっと始められる。やっとスタート地点に立てるのだと、そう思った。




 しかし、その想いが叶うことはなかった。




 心が折れそうになる少女。だが、それでも、嘗ての友が受けた仕打ち、友の言い様のない苦しみを想うと、こんなところでは立ち止まれない。道を違えた友を止めるまで、そして全てを奪った姉を見つけ出しその真意を聞くまでは下を向くわけにはいかなかった。それが、自分の果たす責任だと、そう思ったから。


 少女は左手を固く握り締め、頭を振り、鋭く前を見据える。


 黒麗の瞳には、やはり決意が満ちていた。


「……私は、諦めない」


 それは誰に聞かせるでもない、自分に言い聞かせるためだけの、決意の言葉。


 少女は少年が走り去った方向とは逆の方へと、一歩一歩地面を確かに踏みしめながら、歩き出す。


「今度は、人の多そうな駅の方でも行こうかな」


 からん、ころん、と下駄が夏の風情を奏で、漆黒の髪は少女の背でさらさらと涼しげに揺れた。


「でも、恋人かぁ。…………っと、いけないいけない」


 少年との会話を思い出し、わずかな余韻に浸ろうとして少女は頭を振る。夕陽は正面から少女を照らし、白雪を思わせる肌を、橙色に眩しく染め上げる。


 だが少女の頬だけは橙ではなく、仄かな紅色に染まっているのだった。

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