激情
コンビニで調達した絆創膏とテーピングで左腕の傷をふさぐ。ハサミ自体が小さいものだからそう深く傷がついたわけでもなく、出血が止まるとただの引っかき傷くらいに思えた。
董子の様子はあっという間に回復した。多少は後を引くものなのかと思っていたが、そういうものでもなく、血さえ身体に入れることが出来たらすっかり落ちつくものらしい。御門が異食症という精神疾患と捉えているのもこのような経過をたどっていることも一因かもしれない。
「帰ったら御門先生に報告をしておくぞ」
「……一体なんと報告するおつもりですか?」
董子の口調は栞を責めるような棘を持っていた。
「私が発作を起こしたから、教師の本分として血を提供したと?」
嘲るような物言いだった。
「燕城寺、今回の件は完全に私のミスだ。竣工式が終わったら真っ直ぐ帰るべきだった。責任は私にある」
「前に、それは私の望むものではない。気持ちを踏みにじるものですらあると言いましたよね?」
「燕城寺、少しは話を――」
「――聞きたくありません!」
車の中に董子の怒り混じりの声が響く。いつも穏やかな表情を保ち、柔らかな物腰の彼女が今この瞬間に激しい怒りで口調を尖らせていた。
「なぜですか!? どうして……先生ならわかってくださると思ったのに……っ!」
両の目が潤む。唇をぎゅっと噛みしめ、いつ涙をこぼしてもおかしくないように見える。
それは、どれだけ彼女が栞を想っているかの証であり、教師と生徒などというありふれた関係に落とし込みたくないという想いの表れだった。
だからこそ栞の身体は自然と動いていた。
「んっ――!?」
身体を伸ばして一息に董子の唇を奪う。
咄嗟に逃げようとした彼女の頭を抱き、ついばむように何度も口づける。
驚きからか最初は戸惑ったような動きをした董子だったが、少しするとぎこちない仕草で唇を合わせてきた。
狭く薄暗い車内で互いに唇をついばむ音が響く。それはこれ以上ないくらいに淫靡な雰囲気を周囲に醸し出していた。
「………………」
唇を離し、栞がこつんと董子とおでこを合わせる。
「お姉さんとは、こういうことをしていたのか?」
「……はい」
「セックスは?」
問いかけに董子がゆっくりとかぶりを振る。
ああ、なんて純粋で穢れのない……一点の汚れも許さないような無垢な関係だったんだろうかと栞は感じた。肉欲から起こるものではなく、互いを感じ合うために交わされる純粋な接吻。董子と彼女の姉が結んでいた関係は、まさに世間に二つとない純白な関係だったに違いない。
そう思うとたまらない想いが臓腑の奥底から湧き上がってくるのを感じた。目の前の、幼いなくとも美しい……刺々しい外殻を持ちながら、誰も踏み入れたことのない新雪が降り積もっているかのような中身を持つ彼女に栞は間違いなく惹かれていた。
いや、そんな言葉では生ぬるいかもしれない。目の前の彼女を誰にも渡したくない。永遠の鳥カゴに捕まえてしまいたい。そんな想いがわき上がってくる。
「あっ……」
首筋に流れる柔らかい髪をかきわけ唇を落とす。暑さで浮いた汗か、僅かに感じる塩気を味わいながら栞は告げた。
「三千万なんて対価は必要ない。姉だと思いたいのなら好きにしろ。ただ、お前が何を望んでいるかは知らないし、叶えてやれるかもわからない。私は私のやり方でお前のことを想う。だから、お前もお前の思うままにやってみろ」
その言葉に董子はゆっくりと栞の背に手をまわした。
「それでは、最初に一つ、お願いがあります」
「なんだ?」
「抱きしめてください。強く……もう二度と離れることのないように、強く。私を壊してしまうのではないかと思えるほどに」
董子の身体は驚くほど細く、本気で抱きしめると本当に壊れてしまうのではないかと思うほどだった。
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