生徒と教師
廊下の窓からそっと部屋の中を見やる。
中では董子がまだ幼い孤児たちを相手に絵本の読み聞かせをしていた。園長と話をした後、董子自ら、何か自分にお手伝い出来ることがあれば、と積極的に子供たちの遊び相手を買って出たのだった。
「………………」
最初は栞も外遊びに付き合っていたが、子供の疲れ知らずの元気さについていけず途中で音をあげてしまった。もう三十路が近い。随分と体力が落ちたと実感する。
本を読み聞かせる董子の姿は驚くくらい様になっていた。いつもとはまた違った優しい表情。子供は本能的に彼女が自分たちのことを理解してくれる味方だとわかるのかもしれない。彼女の周囲にはたくさんの子供が集まっていた。
「大切に想っているのね」
気がつくと、園長が栞に並んで部屋の中を眺めていた。
「彼女……燕城寺董子ちゃん、といったかしら?」
「四月になる少し前に出会ったばかりなんですけど、彼女は両親を亡くしているんです。そういう意味で、少し私情が入ってしまっているかもしれません」
「あら、随分とお真面目さんな言い訳をするのね」
「言い訳、ですか?」
「彼女が貴女を見る目もそうなのだけれど、貴女が彼女を見てる目も、なんだか教師と生徒以上の何かを感じさせるもの」
「………………」
胸が痛んだ。
六月に彼女に姉になって欲しいと言われてからというもの、この二ヶ月ほどは驚くくらいに濃密な日々が続いていたように思う。それは董子が栞に対して積極的に関わろうとするようになったことももちろんだが、同じくらい栞も董子という存在に惹かれていたからだろう。
「誰かを想うというのは大変なことね。大変なことで、とても素晴らしいこと」
「生徒を想うのは大切なことだと思いますが、誰か一人を贔屓してしまうのは教員としては少し不適格なものかと自覚しています」
「そう最初から線引きをしてしまうものではないわ」
そっと横目でうかがうが、園長は変わらず部屋の中に視線をやったままだった。
「貴女があの子の先生でいるのはたったの三年間……いいえ、今二年生ということだから、あと二年もないわね」
「それを過ぎたら、私は彼女にとって恩師という立場になるのではないですか?」
「そうなる人も多いけれど、それが全てというわけでもない。私の知り合いに、高校を卒業すると同時に教え子と籍を入れた人がいたわ」
もう昔のことだけどね、と園長が笑ってつけたした。それに栞は前に関係を結んでいた少女のことを思い出していた。
正直、本気だったかと聞かれると素直にそうだったとは言えない。もちろんある程度可愛く想っていたし、好いてもいただろう。けれど、栞にとっては一つの日常を彩るスパイスでしかなかった。
そして、少女にとってはそれ以上に栞とのコトなどお遊びの一つだった。
彼女は外見的には子供だったが、中身は随分とすれていた。栞が触れる以前に彼女の身体はもうすっかり大人のそれだったし、財布の中には常にコンドームが入っていた。事実、栞と付き合っている時だって遊ぶことを止めず、何人かそういった遊ぶ男がいることも栞は知っていた。栞はそれを別に咎めるつもりもなかったし、むしろその方が気楽で良いと思ったくらいで、付き合っていたという言葉が正しいのかどうかわからないと言った方が良いのかもしれない。
迫ってきたのは向こうだったが、そんなお遊びに飽きたのも向こうが早かった。面倒だったのは相手が女子中学生という立場をフルに使って別れる際に栞から金をせびろうとしたことだった。結局、相手のオツムの出来があまり良くなかったおかげで大事にはならなかったが、それでも栞は中学校を辞めざるを得なくなってしまった。
あの少女と董子を比べて、同じ女子中学生と呼べるだろうか?
考えるまでもなく栞は首を横に振っただろう。
それこそ構成する存在の一つひとつが根本から違っていると言っても良かったかもしれない。
「少なくとも、自分のことを知って欲しかったから、彼女をここに連れてきたのでしょう?」
「……そうかもしれません」
最低限の肯定の言葉を口にした栞に、「優しいけれど、やっぱり栞ちゃんは臆病なのね。昔と全然変わらないわ」と園長は笑った。
「だけど、自分の心に嘘はつかないように。後悔のない道を選びなさい。私からはそう言うことしか出来ないわ」
彼女はそれだけを言うと、栞を残してその場から去っていった。栞は一人、部屋の中の董子を見やっていた。
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