付き添い
夏休みの職員室は櫻ノ宮の中でも人口密度が高い時かもしれない。普段なら生徒の相手をしている先生方が一様に、学期中には手をつけられなかった自分の事務仕事のために集まってきている。
もちろん全国で教員を相手に行われる講習会に出席している人もいるし、簡単な事務仕事は下請けに全部乱暴に振ってしまって、午前中だけでさっさと帰ってしまう人もいたが、それでもいつもより人が多い。
「結局、燕城寺さんは何がしたかったんでしょう?」
栞がコーヒーを入れるために給湯室に行くと、タイミング悪く董子の担任である桑田とはち合わせた。そこでUターンして帰るわけにもいかず、なるべく触れてくれるなよと願いながら栞は自分のマグカップを用意したのだが、結局は声をかけられてしまった。
きっちりとパーマがかけられた髪は染色しているのかやけに黒々していて、おまけに黒縁フレームの眼鏡ときている。中年より少し年を食った桑田は気位が高く、『いかにも』なベテランの女性教師だった。気品や指導する技術はあるのかもしれないが、正直なところ生徒の間での評判はかんばしくない。率直に言えば栞も苦手とするタイプだった。
「国語は追試だったとは言え、合計の点数で言えば学年トップクラスの点数。まるで私たちをからかっているようじゃありません?」
たぶんこういう人には董子の考え方は一生わからないに違いないと思いながら、栞は「はぁ……」と曖昧に相槌を打った。
「本当に加賀美先生にも何も話さなかったのですか?」
それみろ、矛先がこちらに向いてきた。
栞は内心苦々しく思いながらも表情は普段のそれを保つ。
「ええ、特には何も。でも、あのくらいの年代の子は何を考えているかわからないところがありますから。思春期、と言えば良いのか……」
「それにしたって教師をバカにするような態度は櫻ノ宮の生徒に相応しくありません。加賀美先生、貴女にも少し責任があるのではないですか? 日頃から随分と燕城寺さんと親しくしているという話がありますよ。教師たるもの、生徒相手に友達感覚でいるのはよろしいものとは言えません」
「それは……」
このノリで彼女は董子の謹慎を職員会議でも意見したのだが、実際結果だけ見たら本試験で赤点を取った生徒が追試で合格点を取ったというだけである。謹慎なんて処分が出せるわけもなく、彼女はそれも腹立たしいに違いない。もちろん、栞のあまり櫻ノ宮の教師らしからぬ普段の態度も桑田は元々嫌っているのは確かだった。
この調子で説教とも愚痴ともなんとも言えないものをしばし聞かされるのかと心配した矢先だった。
「ああ、こちらにいましたか、加賀美先生」
給湯室に顔を出したのは学年主任の佐藤だった。
「少し話があるのですが、よろしいですか?」
佐藤もどちらかと言えばお固い中年の男性教師だが、桑田にねちねちと言われるよりかははるかにマシである。栞は沸かしかけていたお湯を止めると、「それでは」と頭を下げて逃げるように給湯室を後にした。
クラス担任を持っていない栞が佐藤に呼ばれることはまずないと言って良い。なのに、こうして呼びだされたと言うことは考えられることは多くない。佐藤の席に戻り、彼の口から出たのは案の定「燕城寺についてなんだが……」という言葉だった。
「今度の燕城寺グループの新会社の竣工式に、燕城寺董子を呼んでくれないかと先方から打診があった」
「燕城寺を、今更? 今となっては彼女は燕城寺という名前だけで、実質的な関わりはないはずでは?」
「それは重々承知のようだが、自分たちが正当なグループの後継であることを印象付けたいんだろう。二年経ったが、いまだグループ会社の中での主導権争いがあるらしい」
それに燕城寺を利用するというわけか、と栞は心の中で息を吐いた。どこもかしこも大人の社会だ。
「それで、燕城寺自身はなんと?」
「加賀美先生が付き添いなら構わない、と。他の教員が付き添いなら行かないとまで言っていた」
佐藤はどこかいぶかしむような様子だった。それまでどの先生にも気を許さなかった優等生の董子が新任の栞にだけ異様に懐いているのが疑問なのだろう。栞が慌てて言葉を挟む。
「彼女の身体のことを考えると御門先生が一番ではないかと考えます」
「私もそう言った。だが、聞くところによると加賀美先生も燕城寺の身体についてそれなりに知っているというじゃないか」
そこでようやく栞は「そうか」と気がついた。燕城寺の血を欲しがる『病気』は教員にも隠されているのだろう。御門だけがお付きの医者として把握していた。栞は、ある意味初めて全く関係のない人間として董子の病気について知った人間だったのかもしれない。
それに、あの一件から予防薬を薬効の強いものに見直したという話を栞は御門から聞いていた。普段使いには少し負担が大きいと思っていて避けていたそうだが、だからと言って頻繁に発作を起こしてしまっていては元も子もない。日頃から身体のだるさや倦怠感は出てきてしまうだろうが、本格的な発作が起こる確率はぐっと低くなるらしい。
「御門先生も、加賀美先生なら大丈夫だろう、と。燕城寺のグループには大きく寄付をしてもらった過去がある。無下に断るわけにはいかない」
「……そういうことであれば、わかりました」
こうなっては栞にはどうすることも出来ない。
「竣工式には燕城寺に同伴させていただきます」
栞は佐藤に悟られないようにそっとため息を吐いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます