発作

 一通り董子の様子を診終わると、御門は椅子に座ってポツリと言葉をもらした。


「最近はこういう発作が起こるのは少なくなっていたんだけどね」


 用意された丸椅子に栞も腰をかける。董子の様子は落ち着きつつあるようで、カーテンで仕切られたベッドからは微かに規則正しい呼吸の音が聞こえてくる。


「やっぱり病気の発作なんですか?」


 この後は御門の仕事で自分は積極的に関与するべきじゃない。今までの通りのスタンスを取るならさっさと保健室を辞するべきだろう。栞はそう思いつつも口を開かずにはおれなかった。


「そうとも言えるし、違うとも言える」

「どういうことですか?」


 曖昧な返答に目を細めた。


「最初に起こったのはもちろん発作なんだけど、実際彼女がこうして倒れたのは発作のせいじゃないの。はっきりと言えばその時飲んだ薬のせい。発作を抑えるための薬が身体に負担をかけてしまって、身体の方が根を上げちゃった、っていう感じ」

「それは……良いことなんですか?」


 発作を抑えるためと言っても、それでいちいち気を失ってしまっていては正直良いことのようには思えない。


「良いも悪いも、対処法がそれしかないのよ。背に腹は代えられないって言うか……」

「毒を以て毒を制する……みたいな?」

「そう」


 栞の口からこぼれた言葉を御門は拾った。


「流石国語科の教員ね。それが言い得て妙だわ」

「つまり、発作を抑える薬は、薬じゃなくて毒に近いものだと?」

「非合法の成分は使ってないけど、正直褒められるものじゃないわ。普通の医者が見たら驚くでしょうね。効果が強力な分、副作用も強い。それに、彼女の場合は心臓が弱いから。私もいざという時以外には飲むのを控えるように言ってるんだけど……」


 聞いているとますますそれが薬なのかどうか栞には怪しく思えた。発作を抑えるのだから一利くらいはあるようだけれど、その分百害ありそうな物のように感じられる。


「正直、毎日飲んでくれているやつで発作が起こらなければ一番なの。たぶん、この前加賀美先生に気休めのサプリメントって言ったやつ」

「白い錠剤の?」

「そう、それ。あれが予防薬みたいなもので、今回飲んだ黄色のやつが頓服薬」


 参ったわね、とでも言うかのように御門は左のこめかみ辺りをかいた。


「本当を言うなら、あの薬は彼女には強すぎる。心臓にかかる負担が大きすぎるのよね。前の血液検査でも少し気になる数字も出てきちゃってるし、特に今年の彼女は例年に比べてこの夏場に大きく体力を落としちゃってる。今までは薬を飲んでも気を失うことなんてほとんどなかったんだけど……やっぱり近い内になんとかしないといけないわね……」

「それでもなお飲まないといけない薬……なんですか?」

「………………」

「発作を抑えると言っても、そこまでして抑えなければいけない発作があるとは正直思えません」

「ごもっとも。でも、それだけじゃすまない事情っていうのもあるのよ」


 独り言のようにそう御門が言う。


「でも、それならそれで――」


 言ってから栞はしまったと口を閉じた。しかし、吐き出した言葉が戻ってきてくれるわけもない。出過ぎた言葉だが、御門は栞をちらりと見やって続きを促した。


「……それならそれで、燕城寺を大きな病院に診せるのが普通なんじゃないですか? 必要であれば入院も出来るし、詳しい検査も治療も出来るはずです。ここがいくら櫻ノ宮だと言ったって、大学病院のような設備があるわけでもないですし」

「当然の意見だと思うわ。私だって第三者で今の状況を見ればそう言うに決まってる」


 御門はズボンのポケットから煙草の箱を手癖のように取り出したが、すぐにここがどこかを思い出したようで仕舞いこんだ。一つ大きく息を吐いてから言葉を続ける。


「御門の家は代々医者の家系でね。どこまで遡れるかはわからないけれど、少なくとも明治の時にはすでにお医者さまだった」


 いきなりの話に栞は僅かに眉根を寄せた。しかし、ここで無意味な話をするわけもないだろう。


「だから、両親も当たり前のように医者だったわ。そして、燕城寺のお母さん……祐未さんを看取ったのは私の父だった」


 思わず栞は目を開いた。董子の母親が亡くなっているのは承知のことだったが、それを看取ったのが御門先生の父親というのは初耳で、偶然と言うには少し出来過ぎたもののように思えた。

 そういった考えが表情に思わず出ていたのだろう。


「わかりやすく言うなら、御門の家は華族や財閥の専属医だったの。今ではすっかり廃れちゃったものも多いけれど……どうしてかしらね、燕城寺と御門の縁は続いていた。だから、彼女が天涯孤独の身になってこの櫻ノ宮に入ると決まった時に私もここの保健医になったっていうわけ。普通の病院に勤務しながら折を見て彼女を診ることも出来なくはなかったんだけど、彼女を一人で暮らさせるのにはあまりにも不安が大きかったから」

「でも、それにしたって……もっと外部の力を借りられるんじゃないんですか? いくらなんでも御門先生の負担が大きすぎるように感じます」

「それも出来ないのよ、残念ながら……」


 先ほどから聞いていれば出来ないことだらけではないか、と肩をすくめそうになった。

 御門が董子のことをないがしろにしているとは到底思えないし、十分以上のことをやっているとも思う。けれど、子供でも思いつくだろう合理的な手段は取っていない。ちぐはぐな感じは否めなかった。


「あまり御門先生を責めるようなことは言わないでください、加賀美先生」


 鈴が鳴るようなその声はカーテンの向こうから聞こえてきた。

 いつの間に起きたのだろうか?

 シュルリとカーテンが開かれる。董子は軽くしわの寄った制服を直しているところだった。


「もう大丈夫、董子ちゃん?」

「ええ。少し頭痛があるくらいで、他には何も。ご迷惑をおかけしました」

「それが私の仕事だからね」


 御門が腰を上げる。董子の額に手をやって、手首で脈を診る。「少し早い、ってくらいか」と独りごちたが、それ以外には何の異常もないようだ。安堵の色が彼女の顔に浮かんでいた。


「ちょうど良かった。加賀美先生、少しの間ここを任せられる? 煙草を吸いに行きたいのよ。今日はまだ一本も吸ってなくてね」


 それは御門の希望と言うより、董子の気持ちを汲んだ言葉のように思えた。少なくとも何かしらを董子が言おうとしているのは栞にも感じられた。「わかりました」と言葉を返す以外に栞に選択肢はなく、董子はその返事を聞いてベッドから一人掛けのソファに移った。

 御門が部屋を出た後に在室中の札を外出中にひっくり返すのが聞こえた。邪魔者が入る隙間をなくしてくれたらしかった。

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