吸血鬼

「加賀美先生はいつ頃から先生になろうとお考えになられていたのですか?」


 その質問は、栞が生徒の書いた短編の小説の論評――と呼べるほど大したものではなかったが、なぜか栞の感想は生徒たちの受けが良いのが大抵だった――を終え、下校時間まであと少しになった時だった。

 お前たちが期待しているような話じゃないぞ、とは言ったものの、文芸部に所属する六人のお嬢さまたちの目は好奇心をそのまま形にしたように輝いている。適当にはぐらかしたらはぐらかしたで変なうわさが立ちそうだし、どうあっても隠さなければいけないような理由もない。

 栞は息を小さく吐いてから口を開いた。


「はっきりと教師になろう……と言うより、教員免許を取ろうと思ったのは大学の一年の時だな」

「大学生になってからですか?」

「なんだ? 小さい時から先生になるのが夢だったんだ、というような言葉が出てきて欲しかったか?」


 軽くおどけて見せると、生徒たちはくすくすと堪え切れないように笑いを漏らす。このくらいの年頃の女の子は、董子のような変な成熟をしていなければ箸が転げてもおかしく思える年頃だ。笑いが収まって続きを促すような雰囲気に言葉を続ける。


「とにかく、私が教師になろうと思ったのは単なる気まぐれに近いもんだ。念を押すが、劇的なドラマがあるわけでもないし、教職を天職にしようと考えているわけでもない」

「そうなんですか?」

「ああ。私の父親は会社をやっていてな」

「まぁ、先生のお家も会社を経営されていらっしゃるんですの?」

「初耳です。なんというお名前の企業なんでしょう?」


 共通点を見つけたと言わんばかりに生徒たちから声が上がる。ここでは平のサラリーマンの家族より、会社の重役や社長、CEOである家族の方が親近感がわくのだから、一般人からすればとんでもない世界である。

 沸いた生徒たちを、興奮した馬を落ちつけるように栞はどうどうとジェスチャーでいなした。


「早とちりするな。お前たちや知り合いがやっているような立派な会社じゃない。社員が三人しかいない、吹けば飛ぶような小さなもんだ」


 生徒たちが互いに顔を見合わせる。会社経営ということは身近なものでも、小さな会社というものには縁が遠い。知っているような知らないような複雑な気持ちなのだろう。


「私は一人娘なんだ。特にこれといった才能もなかったし、格別やりたいこともなかった。高校生になる頃にはぼんやりと自分が父親の後を継ぐような気持ちになって、父親もそれを良しとした。ただ、せめて大学ぐらいは出ておいた方が良いだろうと進学したは良いが、大学ってのは何もしなければ案外暇なもんでな。なんとなく教員免許でも取ってみようかと思ったんだ」

「でも、ここに来る以前にも学校に勤めていらっしゃったんですよね?」

「ああ、私立の中学に三年くらいな。ただ、校長派と教頭派の馬鹿げた権力闘争に嫌気が差してさっさと辞めた。それ以降は父親の会社を手伝っていて……この櫻ノ宮で教師に戻ったのも、大学の時にお世話になった先生から頼まれたからだ。特にこれといった理由があるわけじゃない」


 話を終える。周囲は水を打ったように静かで、生徒たちは好奇心に満ちた目を点にしていた。まるで今ので話が終わったなどとは思ってもいなかったような感じだ。少しバツの悪さを感じながら栞は息を吐いた。


「な? 期待するような話じゃないと言っただろう?」


 その言葉に生徒たちが再び顔を見合わせる。こそこそと話すような視線のやり取りが少し続いたかと思うと、「それでは」と一人の生徒が言葉を発した。


「それでは、燕城寺さんとも何の関係もないんですか?」

「燕城寺?」


 栞は怪訝そうに顔をしかめた。


「どうして燕城寺の名前が出てくるんだ?」


 少し口調が強くなってしまったからか、生徒が取りつくろうように言葉を続ける。


「いえ、燕城寺さんは特別加賀美先生に親しみを感じていらっしゃるようなので、何か関係があるのかとばかり……例えば、この学校に来る以前からの知り合いだとか……」

「何の関係もないな。燕城寺と初めて出会ったのもこの春だ。春休み中だったから、お前たちに会うよりかは少し早かったが」

「そうなのですか……」


 あっという間に不思議な空気がそこには漂った。これが初めてのことではないが、董子の名前が出てくると生徒たちは大体このような空気になる。触れてはいけない危険物……簡単に言うなら腫れ物に触るかのような扱いと言えば良いだろうか?

 董子の性格は紛れもなくお嬢さまのそれだったが、どこかそれが自分たちとは違うのだと彼女たちもわかっているのだろう。よそよそしさが出てしまうのは仕方がないことなのかもしれない。


「お前たちからしたら燕城寺はどんな奴なんだ?」


 単なる興味……と言うよりかは、先ほど御門と話したことが大きかったかもしれない。栞は、普段ならそのまま放っておいただろう空気の中でそんなことを生徒たちに問いかけた。

 ざわりと少しだけ部屋がざわつく。何を言うべきものなのか誰もわからない、というような状況に見えた。


「私たちも、出来れば燕城寺さんと仲良くしたいと考えているんです」


 そんな中、董子と同じクラスの箱崎が代表するように言った。


「ですが、燕城寺さんはそんなことをしてもしょうがないと言うばかりで……」

「しょうがない?」

「はい。私たちが一年生の時に、お友達になりましょう、と積極的に誘った方もいるんです。けれどその方は、お友達なんて必要ないわ、と一蹴されてしまったとか」


 この年頃で真正面にそんな返答が出来るのは凄いものだと変に感心する。

 中学生という年頃からくる強がりや空威張りで同じ言葉を言う子はいるだろう。一匹狼を気取り、まるで孤独が自分に似合っていると吹聴するのはこの子くらいの年齢の子にはそう珍しいことでもない。が、董子の場合はそんなある意味真っ当な成長とは程遠いから来るような言葉のように思えた。


「私も何度かお話をしようとしたことがあるんです。けれど、出来るだけ私には近づかない方が良い、とおっしゃられて……」

「近づかない方が良いとはまた極端だな」

「ええ。なんでも、私は吸血鬼なのだから、とか……」


 いきなり出てくるにしては何ともファンタジーな言葉に栞は少しだけ呆気に取られた。

 しかし、なるほど……確かに董子の人となりはどこかそういった神秘的なものがあるようにも感じられないこともない。


「たぶん燕城寺さんなりの冗談だったんだと思います。けれど、咄嗟にどういう風に反応すれば良いのかわからなくて……それから言葉を交わす機会もなくて……」


 箱崎はまるで自分の対応が失敗だったかのように言葉をすぼめてしまった。

 重たくはびころうとした空気だったが、丁度のタイミングでチャイムが鳴る。それに安堵の雰囲気が見られたのは他の生徒も董子に対して同じような……あえて言葉にするのなら一種の怖さを感じていたからだろう。


「おしゃべりはここまでだな」


 これ以上空気を重たくするのもあれだ。栞は語調を明るいものにして立ち上がると、パンパンと小さく二度手を叩いた。


「戸締りは私がやっておくから、お前たちは早いところ寮に帰れ。夏休み前だからってまだ浮かれるなよ。肝心の期末試験も残ってるんだ。寮規則の違反があったら、私も御門先生も厳しく取り締まっていくからな。くれぐれも私のような俗物に仏心を期待するなよ」


 そんな栞の茶々のおかげか、さっきまでの空気はあっという間に霧散した。一人二人と生徒が荷物をまとめ、お嬢さまよろしく「それでは先生、ごきげんよう」と部室を後にしていく。

 ただ、そんな中で箱崎は荷物の準備が出来ても去ろうとせず、まだ少し表情を曇らせたままだった。みんなそんな彼女を気にかけてはいるのだが、これといった言葉もかけられずにいるようだった。

 他の生徒が全員部室を去り、栞が窓の施錠を確認し終わったところで箱崎は声をかけてきた。


「あの、先生……」


 カーテンを引くと部屋は薄暗いものに変わる。夏の兆しの熱気が少しだけこもっているように思えた。

 栞はいつもより幾分も柔らかい表情を心がけて箱崎の方を向いた。


「私、何か燕城寺さんの気に障るようなことをしてしまったんでしょうか?」

「別にそういうわけじゃないだろう」


 小さく微笑んでから言葉を続ける。


「こういう言い方はあれかもしれないが、元々燕城寺は変わり者だ。特別お前の対応が不味かったというわけじゃない。相手が誰だって彼女は同じようにやったに違いない」

「そう、でしょうか……?」

「少なくとも私はそう思う。それより私の方こそ悪かったな。急に変なことを聞いて」

「い、いえ、そんなことありません。先生が生徒のことを気にするのは当然のことだと思います。すみません、何もお力になれなくて」

「大人ぶった口をきかなくて良い」


 子供なりの気遣いに内心苦笑しながら、栞は彼女の頭に手をやった。


「ほら、お前も早いところ寮に戻れ」


 そう促すと、ようやく彼女は「はい」と僅かに笑い、部室を先に出た級友たちに追いつこうというような様子で出ていった。


「………………」


 吸血鬼。

 一人になった部屋で栞の頭にはどうしてかその言葉だけが妙に残っていた。

 病的なまでに白い肌に鋭い視線。牙が生えていたら吸血鬼と言われても違和感はないかもしれない。彼女の肌に、真紅のような鮮血はさぞかし似合うものだろう。

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