3
一年前のあの日、ボクは、何をしていたんだったけ。記憶の中を、ボクは探し回った。
ああ。そうだった。あの日もまた、ボクは探し回っていた。
何処に行っても見つけられなかった。
一体、どこに色気づいた景色があるのだろう。
正確には一年と二十二日前。ボクは目を覚ましていた。今日と何が違うかと言われれば、殆ど変わらない。
強いて挙げれば、雪がうっすらと積もっていたくらいか。
網膜に薄く焼きつく風景は、その日もモノクロだった。何気なく映るすべての景色が、鉛筆で描かれたように、濃淡だけで秩序が保たれていた。
ボクの腕が、病弱な白色である保証は、どこにもなかった。
窓から見える、大樹の桜が、白色である確証はどこにもなかった。
綾香の目の色だって、髪の色だって、黒ではないのかもしれない。明るい色合いではないことくらいは、ボクにだって分かる。
けれど、彼女が茶髪に染めていたとして、ボクはそれを指摘することはできないだろう。
今だってそう。
信号機と教わったそれは、殆ど変り映えのない光を、わざわざ三つのレンズから放っているし、あそこのカフェの窓ガラスは、目を凝らさないと、良く見えない。背の高いビルディングから伸びた影は、アスファルトを大きく歪ませていた。
色が消えている。
この世界はなんだか、味気ないや。
世界のどこにも色は無い。青林檎と林檎の区別は、並べてみないと分からない。チューリップだってそう。
昔、ボクが思いがけず開いた国語の教科書の片隅。『日本の色』というページ。あれは、ボクには分からない領域の話だった。
萌木色とか、藤色、藍色や、紫紺。鼠色など、日本人の感性豊かな色彩表現が饒舌に、皮肉めいて書かれていた。
日本人は、些細な色の変化を細かく気づき、素敵な名前を付けていたみたいだ。
やめてくれ。
ボクがまるで、ガサツで繊細さに欠ける人間みたいじゃないか。
小学校の図画工作の時間が嫌いだった。
先生は決まってこう言った。
「暁君。なかなか、面白い色の選び方をするわね」
絵の具を混ぜ合わせる作業は、濃淡の調整でしかなかった。色の濃さが一致した時が、ボクの知る色となった時なのだ。それが、何であったかは、知る由もない。
ボクの中に、絶対的な色は存在しない。白と黒でさえ、比べる物が無ければ、迷ってしまうほどに。
ボクの生きる世界は比べる事でしか、再現できない世界だった。
相対でのみ表される景色は、少しの衝撃で滲んでしまいそうな、脆弱な世界だ。
ほら。ひとたび涙が瞳を湛えれば、世界が暗く濁り始める。思わず、目頭を押さえた。
こめかみをキリキリと、痛みがのたうちまわる。目についた、公園のベンチに駆け寄って座った。少し落ち着いて、ボクは目を閉じる。頭を垂れ、瞑目した。
このまま、ずっと項垂れていたかった。顔を上げれば世界がボクに主張する。それがたまらなく嫌で、目を開けることが億劫になっていた。
そして、意識は微睡みの奥へと、深く、深く、落ちてゆく―――。
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