第27話 自信

――沖縄から北海道♪瀬戸内から太平洋♪』


 日章旗は翻る。高らかに堂々と。


『平時から有事までいつ何時でも♪』


 我らは掲げん日の丸を高らかと。


『これぞ内務省歌♪立て報国に♪』


「『平穏と秩序、福祉、衛生の為に』」


「『常に備えあり。我らの名誉』」


「『祖国の為、そして、国民の為に!』」



 ベルトに装着した無線機が、骨伝導イヤホンを通して内務省歌『内務省歌』の一番を以て頭蓋を震わせる。

 聞き慣れた、アップテンポな行進曲。

 分間120歩、歩幅75cmで歩きながら何回も歌ったこの歌は、条件反射的に私を奮い立たせた。


 そして、ある男にとっては小さいが組織にとっては大きな反逆を、この頃から企図し始めた。



****



「おはようございます」


 定時――0600より前に起床するように訓練プログラムドされた私の身体は、今この瞬間も、十全なるパフォーマンスを担保すべく心拍と思考とが完全に活動している。

 それはほぼ徹夜で警護に当たっても、狙撃されて死にかけても、それは別のモノとして勘定すべきモノであって、能力に影響を及ぼしてはいけない。

 という警備部員的な精神によるものも多分にあったが、今、目の前で無防備に薄目を開けるマル対、警護対象者たる五十川明を死んでも守らねばならぬという義務と願いにも由来する。


 『ストーカー行為等の規制に関する法律』は脳内に入っているし、幸いにして私は彼女を守る事が義務であり、また個人的な目標でもある。


 彼女を守るだけでは無く、幸せにもなって欲しい。


「こちら、美味しくないかもしれませんが朝食です」


 国民標準食。


 一口含む度に口内の全ての水分を奪うが、三食食べればヒトが生きるのに十二分な栄養はある。

 本来なら温食が用意される予定だったが、どうも配送が頓挫した為に備蓄のコレが配給されたみたいだ。

 味わうモノでは無い。三十秒で口内に収め、十秒で水と共に嚥下する。

 うん、まずい。


 彼女の方を見ると、国民標準食を前にして固まっている。

 喫食方法が分からないという事は無いだろう。

 単純に不味いのだ。


 予想通り喫食に難儀している彼女への哀れみと、警大の休日、弁食として配られる国民標準食を食いたくないが為に外出してインスタント食品を買い溜めしたり飲食店をハシゴしていた思い出を胸に、何か別なものを探す。


「しばらくしたら美味しいモノが食べられると思いますから」


 空っぽの冷蔵庫とストレージに何もない自動調理システムを見分した後、諦めてそんなセリフを吐きつつ、茶棚の中にあったインスタントココアを作る。

 茶色い粉をお湯に溶いて揺すると、甘い香りが湯気と共に立ち昇る。


「すみません、今はコレしか無くて」


 白いタンブラーにココアを満たし、彼女の国民標準食に添える。


「……ありがとうございます」


 さっきまで命の危機に晒されていた彼女にいきなり糞不味いコレを食えと言うのも酷だ。

 彼女は我々のように、日常的に命の危機に晒されている訳では無いのだから。


「我々があなたを守る理由をまだ具体的にお示ししていませんでしたね」


 ちびちびとココアを飲み始めた彼女に、いつかと同じようにタブレットを見せる。


「説明があったと思いますが、あなたは現在、生命の危険に晒されています」


 研修ではココで大きな動揺が予測されるという節だったが、彼女は尚冷静であった。


「我々は、あなたの加害者に法に基づく正当な裁きを下そうと考えています。その為には、あなたの協力がどうしても必要なのです」

「具体的には、裁判で証言をして頂きたい。お辛いでしょうが、我々は各種のケアを提供する事が出来ますし、ご要望には出来得る限り応えます」

「しかしながら、それに際してあなたの証言を妨害しようとする勢力が現れる事が考えられます。これからあなたを防護するのが、私の任務です」


 この電子化、合理化、先進化の時代にあって、尚も裁判では伝統的な証人と証言、そしてヒトによる判断が重視されている。

 前時代的で非人道的な、被害者を呼び出して公衆の面前で自らが受けた被害を本人の口から述べさせるという行為――しかも複数回に渡る――は、被害者に辛い体験を何度も強いる。


 実のところ、私が警備上ここに居る必要はあまり無い。

 核攻撃にも耐えられるこのフロアーから出なければ、テロリストの毒牙に彼女が掛かる事は無いだろう。これは警備の専門家として自信を持って言える。


 だが、資料を見る限り本省のセキュリティAI「いきいき安心社会実現情報生成補助装置®」は、警備担当者の配置計画で『私が』担当で無ければ彼女が死ぬと予測したらしい。(ふざけた名前だが六角電機の人間と本省の官僚が8.11後予算が降りて調子に乗ったのだろう。馬鹿かな?)

 何故私だったのかは当該AIの性質上不明だったが、上は被害規模を正確に予測したコレを信じた。

 私がココに居る意味は、皮肉にも彼女と出会ったあの時と同じなのだ。


「いっ、いつまでココに居られるんですか……?」


 国民標準食を半パック程食べた彼女は、やや不安そうにこちらを見つめた。

 緊張した目と、強張った声が不安を訴える。


「裁判の都合があるので……ただ、相当長期になる覚悟はして頂きたいです」


 死刑とは何か。

 我々に与えられている法執行権とは根本的に違うモノであると、警大で習った。

 我々に与えられている法執行権は、飽くまで自然権に由来する。即ち、自らないし第三者への急迫不正の侵害を、最低限度のラインで排除させるというモノだ。決して殺害が目的では無い。

 警告ないしその他の手段で当該行為が中止されたら、若しくは中断させる事が出来たならば、それで良い、火の粉を払い落とす事が出来れば、それで良いのだ。


 しかし、死刑は違う。

 社会にとって邪魔な構成員を永久に排除する事が目的であり、そこに急迫不正の侵害があるか無いかは全く問題では無い。

 国が人を、理性的な決断を以て殺す。

 しかも記録が残り、後世からの批判を受ける事を前提として、である。


 だから彼女が苦しむ意義はある。と言うことは出来ないが、上はそう考えているのだ。

 ……完全に合理的な存在として我々が生存できる日は遠いのかもしれない。


 彼女が飽くまで健やかに生きる事を願う身としては、『正義』を執行する機械の潤滑油として、彼女の人生が消費される事に疑問と、少しの無力感と苛立ちと悲しみが混じった感情を抱いたが、法的合理性がそれを伏せた。


「そうだ、これもお渡ししなくては」


 白いパッケージに包まれたモノを、殆ど服が掛かっていないクローゼットから持ち上げて、『PSWI-7Civ』と書かれたパッケージを開ける。


 携帯制圧波照射器だ。



****



 えへへ。

 自分の脳裏に響く声が落ち着いてきたのが分かる。


 彼が近くに居てくれるだけで、私は『通常』で居られると、誰に教えられるまでも無く理解した。

 言うなれば極寒の中で薄着を羽織るだけだったのが、防寒具を纏ってカイロを背中に貼っているような状態になるという事だ。


 心地よくて温かい。


 これが私のモノでは無い事に恐怖を感じたが、私は生まれて初めて自己効力感に満ちていた。


 私は成長するのだ。

 そしてこの温もりが私のモノであると、自信を以て言える存在へと変わるのだ。


 非力で、嘆いて、寒くて、寂しくて、暗くて、痛かった。消えて無くなりたかったのでは無かった、ただ苦痛から逃げたかった。


 誰かが助けてくれるという、心の底で思っていた願望は現実となったが、それを繋ぎ止めたいのだ。輸入された輪郭で型どられた、あの未来の為に。


 彼が差し出した白い箱に刻まれた、『今日を磨き、明日を紡ぐ』という、使い古されたメーカーのキャッチコピーにさえ背中を押される。


 そのパッケージの中身は、白く輝く武器だった。

 手慣れた手付きで初期設定と点検を済ませた彼は、私にビデオを見せた。


『強くなりたいですよね?』


 という、キャラクターから発せられた問いに、今の私は。


「もちろん」


 と答える。

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