第12話 嫉妬


「敬礼!」


 誰かが発した――というより叫んだ号令に、勝手に体が反応する。


 着帽の者は挙手の礼を、無帽の者は15°の礼を、手に警棒を把持する者は眼前で警棒を垂直に立てる礼を。

 皆それぞれが教範通りの適切な方法で敬礼していた。


 ――浦江君、今すぐその警棒を縮めて警棒吊りに納めなさい。縮め方は分かるね?そう、頭を回しながら押し込むんだ。よーし、いい子だ。


「オーナーと話を付けてくる。後登学生、付いてきてくれるかな」


 表面上は紳士的かつ柔らかい口調だが、その奥に何かしらの得体のしれないものが流れているを確かに感じる。


 彼が立ち去り、再び流れた静寂。


 胸の奥に沸き起こるモノがあった。

 これは何だ?


 経歴と能力で負けたのは仕方がない。

 でも、自分が成し得なかった、この場を沈静化する能力。我々が実習で鍛え上げた筈の能力。

 それで彼に負けたのだ。

 私がした事と言えば、いたずらに状況を悪化させただけだ。


 悔しい?否、違う。


 ああそうか、これが嫉妬か。


 暫くして帰って来た彼を落ち着いて観察すると、モデルですと紹介されても違和感が無い程の素晴らしい風貌と雰囲気を纏っていた。


「話は付いたから防大生は解散して結構、警大生には……迷惑かけましたね。申し訳ない」


 圧倒的な余裕。

 私の語彙ではそう表現するしか無い彼の立ち振舞いに、私は只、いえいえと言うしか無かった。



****



「安保庁ってあんな人ばっかなの?」


 帰りの道中、古川が呻くように呟いた。


「いやぁ……?」


 幾ら国の安全保障情報関連業務を一手に担う機関だとしても、あんな怪物がだゴロゴロしているとは思いたくない。


「無義体無電脳イギリス出身公安系政府高官。キャラを盛り過ぎなんだよ反省しろ神様。お前二物を与えないんじゃ無かったのかクソ」


 慣れていないと聞き取れない早口、内容もちょっと何言ってるのか良く分からないが、古川が彼を表現するとそうなるらしい。

 というかお前唯物論者じゃ無かったのか。


「たまに居るのよね……ああいう何でも出来る神に愛された化け物」


 所謂『名門校』出身の浦江がぼやく。


「「世界は広いなぁ……」」


 今までその様な経験をした事が無い我々は、ただそう呻き、傷を舐め合うしか無かった。



****



「あっ」


 義兄に呼び出された道中。

 あの警察官を見かけた。


 義兄に何をされるか分からない――そんな緊張感と恐怖が一瞬和らいだ様な気がしたが、直ぐに別の感情に置き換わった。


 女。


 彼女が彼の友人か同僚かどうかは分からないが、彼と楽しそうに談笑していた。


 私が――もし、もし生まれ変われるなら。

 彼女みたいに談笑したい。

 『普通』に生きてみたい。


 罪悪感に苛まれず、殴られず、友人が居て、同僚が居て、そして家族が居て。


 そんな人生を歩んでみたい。


 頭では分かっていた。彼が私に優しくしてくれたのは、『先生』と同じ様に、そういうマニュアルがあって、その通りにしているだけだと。

 彼個人が自分の意志で来たのでは無く、ただ、ただ、命令されて来ただけだと。

 彼にとって私はありふれた『業務』の一つだけなんだと。


 そんな事を考えながらぼうっと見ていると、更に悪いことに気付いてしまった。

 医療テープ。

 この間は巻かれていなかった――私にとっては見慣れたソレが、彼の右手に巻かれていた。

 つまり右手を怪我したという事だ。

 その面積から相当広い範囲を怪我したのだという事を察する。


 ああ、まただ。

 また私に関わった人に迷惑かけちゃった。


 私はそれ以上彼を直視出来ず、逃げるようにバス停へと向かった。


「うぅ……」


 バス停に着いた後でさえも思考がどんどんと悪い方向に行くのを感じて、ポーチから薬を取り出し、お茶を煽る。


 暫くしてバスが来る。

 休日というだけあって空いているが、少ないながらも乗客が居た。


 幼い娘と母。

 買い物帰りだろうか、母は大きな袋を片手に提げていた。

 微笑ましいやり取りを咎める者は無く、会話が続く。


 いいなぁ。


 羨望とも憧れとも言い難い、再び形容し難い感情が渦巻き、もやもやしたものが胸の中で降り積もる。

 もっとも、薬が効いてきたのか先程よりは穏やかであったが。



****



 新丘区の端から端まで移動して、義兄が住むマンションに辿り着く。


「失礼します……」


 セキュリティーを通り抜け、部屋まで向かう。

 フカフカの絨毯が敷かれ、空調が効いた廊下を進み、783号室まで辿り着く。


 何されるか分からない。

 また殴られるかもしれない。


『お前のせいだ!この疫病神!』


 義兄の怒鳴り声がフラッシュバックする。

 そんな恐怖で上がった心拍を抑えつつ、呼び鈴を鳴らす。


「おお来たか!」


 いつもの不機嫌そうな顔とは打って変わって、暖かく歓迎された。

 違和感を感じて部屋を見回すと、以前部屋には無かったポスターや置物が大量に置いてあった。

 そのどれも、吸い込まれそうな複雑な模様が刻まれていた。


「先生、これが義妹です」


 そして、白いゆったりとした服を着た、『先生』と義兄が呼んだ若い男性が座っていた。

 そういえば、商店街とかでたまに見かける様な格好だ。


「統一セラフ極聖神座天國教の津辺と申します。あかりさんですね」

「こ、こんにちは」


 彼とその服から発せられる異様な雰囲気に圧倒されつつ、一応の挨拶を返す。


「我々についてご存知ですか?」


「……」


 商店街に良く居る感じの人ですよねと返す訳にもいかず、思わず押し黙ってしまった。


「大丈夫です、説明致します」


 そう言うと、鞄からタブレットを取り出して説明を始めた。


 ――この出会いが私の人生に及ぼす影響を、私はまだ知らなかった。

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