即興演劇のノベライズ

@makoto_amano

ゾンビー侍

 穏やかな木漏れ日が射し込み、深緑の薫り煙る風が吹き抜ける森はしかし、その平穏な様相とは裏腹に魔王の手中にあった。

よく観察してみれば夏も盛りであるというのに鳥の声は少なく、誰しもどことなく不穏なものを感じることだろう。


 そんな森に敷かれた細い街道を行くは、一組の男女。

そのうちの一方、ゆったりとした歩調で草履を滑らせる男は、腰に佩いだ刀を撫でながら静かに問うた。


「して、件の村は遠いのか」


 隣を歩く歩幅の小さな少女は、少し考えた様子を見せた後、首を横に振りつつ答える。


「いえ、もう半刻ほどで着きます!」


「そうか。ならば警戒しておくとしよう。

 拙者から離れるでないぞ」


「はい!」


 ――この二人が出逢ったのは、つい数日前の事であった。



 男、通り名をゾンビー侍という流離いの義賊たる彼は、防腐剤を必要としていた。

とある事情により死の縁から舞い戻った男の肉体は、魂が一度剥離したせいで放っておくと腐り落ちてしまうのである。

故にいつものように街へ赴いて防腐剤を得ようとしていた折、街道に架かる一本橋の上で少女と鉢合わせた。


「あ、ゾンビー侍だ!!」


 男は少女に覚えなどなかったが、少女の方はどうやらそうではないらしい。

まぁ体が腐りかけている旅の侍とくれば相当に物珍しく、他と見間違えようもないのだから、風の噂から知られていることはそう不思議なことではない。


 少女は狭い吊り橋の上を器用に駆けて男の目前まで来ると、出し抜けにこんなことを口走った。


「おうえんしてます!さいんください!」


 それは全くもって男の予想していなかった言葉ではあったが、しかし慕われるというのはそう悪くない気分でもあった。

どこに書けば良いのだと聞けば、せなかに!と答えるので、男は懐から象牙の筆なんぞ取り出して少女の着物の背に一筆したためてやることにした。


「あ、キメ台詞の『腐っておるのはお主の根性でござる!成敗!!』もお願いします!」


「なんと」


 思いの外、ふてぶてしい娘である。

 いや、この年頃の娘などそういうものか。

 そもそも、拙者はそんな気取った口上を述べたことがあっただろうか?

 大方、救ってやった者の誰かが話に尾ひれをつけて、それを語り部なんぞが大袈裟に吹聴して回ったのであろう。


「ふむ……これでよかろう」


「ありがとう!!」


 まぁ話の経緯はどうあれ、こう書いてくれと頼まれたならばその通りに書いてやるのが筋というもの。

生前に修めた筆使いで見事書き上げてやると、小さく飛び跳ねつつ嬉しそうにはしゃいで見せるものだから、思わず男もつられて柄にもなく笑みなぞ浮かべてしまった。


 しかし、いつまでも悠長にしてはいられない。

ここのところ右目の具合が悪く、早いところ防腐剤を処方しなければいつ腐り落ちてしまうともしれぬ。


「ところで拙者、そろそろ防腐剤が切れそうでござる故、

 この橋を急いで渡らねばならぬのでござる。

 ちょいと道を譲ってくれはせぬか?」


「なんと!!」


「もう右目とかヤバいでござる」


「道理で若干においが……」


「うむ……」


 すれ違うことも出来ないほど狭い一本橋であるが故、男は少女にどいてくれるよう頼んだ。

自分を慕うこの少女のことだから、きっと快く応じてくれるだろう。

そう思っていたのだが、しかし少女は男の期待に反して困ったような表情を浮かべると、これまた予期せぬことを男に告げた。


「けど残念ながらこの先の街では防腐剤を切らしているのです」


「なんと」


 男は目を見開いて驚き、ついでどこか情けない声を漏らした。


「森で拾った薬草などで誤魔化すのも限界でござるというのに……」


 ゾンビーである男の体は、防腐剤を処方せねばたちまち腐り落ちてしまう。

殺菌作用のある薬草で幾らか腐敗を遅らせているとはいえ、そろそろきちんとした処置をせねば手遅れになってしまいかねない。


 一体なぜ街から防腐剤が切れるようなことになっているのかと目で問えば、少女は続けてこう話した。


「なぜなら、おトイレがなくなってしまい、

 においを抑えるために大量の防腐剤が……」


「あぁ……」


 その話ならば、男も旅の道すがら聞いたことがある。


「最近やたらと話題になっておる、

 トイレの魔王でござるな……」


 その者は自らを魔王と称し、何の恨みがあるのか手当たり次第に厠を破壊していくのだという。

強大な力を持っている上に、抵抗すれば危害を加えられるため、その魔王が現れた村や街からは根こそぎ厠が失われてしまうそうな。


 そうなると厠を失った者はその辺に穴でも掘って用を足すしかないが、街中の人々がそんなことをすれば疫病が流行ることは間違いない。

そこで、殺菌作用のある防腐剤を撒いて防疫に励んでいるということなのだろう。

なんともはた迷惑な話である。


「あちしのお父さんも、

 『これはもう我慢ならん!』と森に駆け込んでから行方不明に……」


 果たして我慢ならなかったのは魔王の所業に対してか、それとも自らの腹の具合か、という思いが浮かんだものの、男は強靭な精神力で以て言葉を飲み込んだ。


「なんと、それは一大事」


 代わりに神妙な表情を浮かべてどうにかそう口にすると、娘もまた神妙な顔でこう続けた。


「そしてあちしは仇討ちのために旅に出るところなのです」


 その言葉にまたしても男は驚かされた。 


「ふむ……その小さな体で仇討ちとは」


 見れば確かに小脇に荷物のようなものを抱え、草履ではなく旅に適した足袋を履いている。

それにしたところで長旅に耐えられるような装いには見えず、そもそも小娘が一人で渡れるほどこの世は甘くはない。

が、なればこそ男は感銘を受けた。


「誠、義に篤き者よ」


 昨今は親を敬わない子がのさばっているなどとしたり顔で言う者もいるが、とんでもない。

目の前にいる娘のなんと親想いなことか。

仇討ちをせんと立つ姿のなんと凛々しいことか。


「よかろう、どうせ街に行っても防腐剤がないのであれば。

 拙者、このゾンビー侍。

 手を貸すことに吝かではない」


「ほんとでございますか!!」


 男は大きく頷いてみせた。

親のために命をかけて旅立とうとする娘を放っておくなど、人の道にもとる振る舞いであろう。

侍の誇りにかけて、これを捨て置くことなどできはせぬ。

それが自分を慕っている娘となれば尚更だ。


「おっと、右目が……」


 男が何度も頷くものだから、その拍子に右目がこぼれ落ちそうになってしまった。

慌てて手で抑えて元の位置に嵌め直す。

やはり腐敗が酷くなってきているなと男が考えていると、不意にカラカラと愉快気な笑い声が耳に入った。


「ふふ、これからあちしが右目になり申す!」


 果たしてこれは今日に入って何度目の驚きか。

目が腐り落ちそうになっている男を見て、気味悪がるどころか、その目の代わりになることを申し出るとは!

親を想う心といい、たった一人で仇討ちに臨まんとする意気といい、この娘には見所がある。


「それは心強い……!」


 思わず出た言葉は、全くの本心からのものだった。

形は小さいが、中々どうして立派なものだ。

この娘が右目の代わりになってくれるのならば、きっとよりよく世界を見渡せよう。


「さぁ、まいりましょう!!」


「では、参ろう」



 ――斯くして、ゾンビー侍と少女は魔王を征伐すべく森へと踏み入った次第である。


 それから幾日か共に旅し、幾つかの山と谷を越え、二人は漸く魔王の一派が暴れまわっているという山へと辿り着いた。


 奇しくもこの山は少女にとっての生まれ故郷らしい。

小さな頃に暮らしていただけですぐに街へと引っ越してしまったらしく詳細な地形までは覚えていないようだが、山道というのは早々形を変えるようなものではない。

少女が通ったことのある道を行けば村に着くはずだから、道案内としては十分といえる。


「お父さんがあちしに旨いごはんを食わせたいって、

 一緒に街へ出たんです!」


「それは立派な父君だな。

 村から街へ出るのは並大抵のことではなかろう」


「お父さんは剣の達人なんです!

 よーじんぼー?をしてました!」


「なるほどなるほど。

 きっと名のある剣士だったのだろうな」


 山を登っていると郷愁が湧いたのか、娘は頻りに身の上話をしたがった。

村での暮らし、街での暮らし。

男手一つで自分を育て上げてくれた父、朧げに記憶に残る母。


 楽しげに語る娘の邪魔をする気は毛頭なく、どの話にもゾンビー侍は鷹揚に相槌を打った。


 そんな時間が数刻ほど続いた後、はっとしたように少女が声を上げた。


「村はこの上り坂の先です!」


「そうか。ならば拙者のすぐ右後ろについておれ。

 庇えなくなる故、決して離れてはならんぞ」


「はい!!」


 男は少女がしっかりと頷いたことを確認すると、左手を腰の鞘に添え、ゆっくりと坂を登り始めた。

魔王の手の者たちの拠点がすぐ先にあるとなれば、ここからはどこに魔王の配下が潜んでいるとも知れぬ。

かつて幾度となく潜り抜けてきた修羅場と同様のチリチリとした緊張感が男の五感を鋭敏に研ぎ澄ませていった。


 ゆったりと警戒しつつ歩み、やがて坂の頂上に近づいてくると、その向こうに板張りの屋根が見えてくる。

あれが件の村かと男が目を眇めつつそれを検めた時、不意にがさりという木の葉の擦れる音が頭上から聞こえてきた。


「ハイヤァーッ!」


 魔王の手の者!

刀を大上段に振りかぶりつつ落下してくる刺客に、対するゾンビー侍の反応は早かった。

左手親指で鯉口を切るや否や、目にも止まらぬ速度で右腕が一閃される。


「グ……ガァ……っ」


 神速とも形容できる一太刀は振り下ろされる刺客の両腕を肘から切り飛ばし、同時に喉をも深々と切り裂いた。

そして抜刀と同じように目にも止まらぬ速さで刀を鞘に納めると、右腕を大きく広げ、遅れて飛び散ってきた鮮血から背後に控える少女を庇う。


「すごい……」


 思わずといった様子で娘の唇から呟きが漏れる。

目の前で行われた人斬りという凄惨な行為よりも、冴え渡る男の剣技の美しさこそが少女の目を奪っていた。


「……追撃はなし、か」


 呆けてしまった少女の様子を顧みることもなく、暫くの間、ゾンビー侍は周囲に目を光らせていた。

先程の刺客の声によってこちらの侵入には気づかれてしまっているはずだが、取り囲まれるような様子も無ければ新手の気配すらもない。


「ふむ……入ってこいということか。

 元より正面から斬り込むつもりだったが、

 招待してくれるというなら遠慮なく上がらせてもらうとしよう」


 ゾンビー侍は追撃がないことをそう解釈すると、依然として目を丸くしている少女に「行くぞ」と声をかけ、再び坂を登り出す。

少女もまたようやく我に返ると、慌ててその背を追った。


 間もなく坂を登り切ると、そこには凡そ20世帯ほどが暮らしているのであろう村があった。

畑などは幾らか荒らされているが、建屋はそれほど傷んでいるようには見えない。

恐らく、魔王の手の者はこの村の家々をねぐらとして利用しているのだろう。


 村の中へと踏み入れば、村の中央にある開けた場所に10人からなる部下たちを従えた筋骨隆々とした男が待ち構えていた。

薄紫色の肌を持つ魔族と思わしきその男は、ゾンビー侍が姿を見せるとニヤリと頬を吊り上げる。


「これはこれは、ゾンビー侍じゃないか。

 噂はここら一帯にも届いておるよ」


「そうか。ならば年貢の納時だということも伝わっていような?」


「あっはっは!

 魔族から年貢を取ろうなどとは面白いことを言う」


 ゾンビー侍が鋭い眼光で睨みつけるが、魔族の男はそれを意にも介さず嘲笑ってみせた。


「我らが主は魔王様のみ!

 矮小な人間に納める税など米一粒とて持ち合わせておらぬわ!」


 魔族の男は腕を振り上げるとゾンビー侍に向けて振り下ろし、声高々に宣言する。


「お前を魔王様への供物にしてくれる!

 者共!かかれェッ!!」


 号令に合わせて部下たちが刀を抜き、一斉にゾンビー侍へと殺到した。


「なるほど、然り」


 それをゾンビー侍は悠然と待ち構える。


「ならば、取り立ては地獄の沙汰に任すとしよう」


 一閃。


 鳥より速く、魚より滑らかに鞘走った銀の軌跡と共に、まず真っ先に駆けてきた二人の男が倒れた。


「拙者から離れるでないぞ」


「はい!!」


 返す刃でさらに左側面から斬りかかってきた男を袈裟がけに撫でると、その体が斜めに分かたれ地に落ちる。


 背に庇う少女の身が竦んでいないことをチラと目をやって確認すれば、続けて正面から挑んできた男が刀を振り下ろす間もなく心臓を一突きにし、ゾンビー侍はニヤリと笑みを浮かべた。


「この修羅場で恐れを抱かぬとは、

 やはり見所のある娘だ」


 一方、慄いたのは魔王の手の者たちであった。

瞬く間に4人の男が斬り捨てられ、平静でいられようはずもない。


「何をしている!

 囲め!同時に斬りかかるのだ!

 軟弱にもそこで立ち尽くすつもりならば、

 この俺がその背を叩っ斬ってくれようぞ!」


 魔族の男が腰の刀を抜いてそう檄を飛ばせば、ようやく男たちは気を取り直してゾンビー侍を囲むように動き出す。


「ふむ。娘よ、拙者の背にしがみつけ」


 対して、ゾンビー侍は腰を屈めると後ろの少女に背に乗るよう促した。

背後にまで回られては庇いきれぬと判断してのことだ。


 娘が迷いなく飛びついてがっしりとしがみつくと、ゾンビー侍は改めて立ち上がる。

しかしその時には既に、四方を完全に取り囲まれてしまっていた。


「ははは!とんだお荷物を抱えているな、ゾンビー侍よ!

 今だ一斉にかかれェッ!」


 再度の号令によって正面左右、そして背後から同時に白刃が襲いかかってきた。

どこか一方を防ごうとも残り三方が必ず仕留める盤石な布陣。

さすがの娘もこれには絶体絶命と思ったのか、ゾンビー侍の着物をぎゅっと握り締めた。


「なぁに、自分の身体の一部を荷物とは言うまいよ」


 それは自分の右目になってみせると言った娘の心意気を汲んでの言葉だったが、娘の覚悟を知らぬ魔族にはとんと意味が理解出来なかったらしい。

何の妄言だとばかりに眉を顰めている。


 そして囲まれてなお、ゾンビー侍の余裕が崩れることはなかった。

彼の選択は至って簡潔。


 一閃。


「ぐあぁっ!」


 真正面にいた不運な男を一刀の下に斬り伏せると、そのまま全力で駆け出した。

左右と背後にいた男たちは離れてゆくゾンビー侍の背を追うような形となり、包囲は一瞬のうちに喰い破られる。

そしてその駆ける先にいるのは、この集団の頭だ。


「くっ……!人間風情が魔族に勝てると思うなァッ!」


 抜き身のまま携えていた刀をゾンビー侍に向けて構え直す魔族の男。

その堂に入った立ち姿は、なるほど長に相応しいだけの風格を備えていた。


 だが、腕に覚えがあるのはこちらも同じ。


 ゾンビー侍は最後の一足を踏み込み、刀を構え――。


「ゾンビー侍!弓矢が!」


 ――左へと大きく跳躍した。


 ビュウと風切り音を立てて飛来した矢が地面に突き刺さり、魔族の男が鋭く舌打ちをする。


 ずざざ、と砂利の上を幾らか滑ったゾンビー侍が目に捉えたのは遠く木の上に身を隠していた弓手の姿。


「流石は拙者の右目、良くぞ気づいた!」


「運のいい奴め……!

 何をしている貴様ら!さっさと仕留めろ!」


 次いで、追いかけてきていた魔族の部下たちが姿勢を崩したゾンビー侍に斬りかかってくる。


 しかし彼らの攻撃が追いついた順に行われるような散発的なものになってしまったのは、指揮官の命令不備であろう。


 地面を這うようにして振るわれるゾンビー侍の刀によって一人目の男の足首が斬り落とされ、堪らず転んだその男に躓いた二人目の男は首を刈り取られた。

旗色が悪くなったことを悟り足を止めてしまった三人目の男は、その間にしっかりと両の足で立ち直したゾンビー侍とまともに向かい合うことになってしまい、破れかぶれに斬りかかるも敢え無く脳天から股下まで一刀両断にされた。


「ひ……ひぃっ……!」


 忽ちのうちに勝機を失った残り3人の男たちは、返り血を全身に浴びて鬼気迫る表情を見せるゾンビー侍に恐れをなし、その場に刀を放り捨てて森の中へと逃げ去っていった。

いつの間にか気配が消えていることからして、弓手も恐らくは逃げたのだろう。


「ふむ……。ここは追うまい」


 ゾンビー侍は鋭く刀を一振りして血脂を払うと、刀を鞘に戻してから背負っていた娘を地に下ろした。

そして少し離れているように言いつけると、ゆったりとした動きで魔族の男と向かい合う。


「まず、お前の相手をせねばならぬ故な」


「調子に乗りおって、腐りかけの人間風情が!

 この俺が直々に引導を渡してくれるわ!」


 魔族の男は気炎を上げて刀を上段に構えた。

魔族らしい、一撃で相手を斬り捨てるという心が表れた攻撃的な構えだ。


「なるほど確かに拙者はゾンビーにござる」


 対するゾンビー侍は鞘に刀を納めたままの、居合い抜きの構え。

こちらもまた一撃で全てを終わらせるという決意の表れである。


「しかし、腐っておるのはお主の根性でござる!成敗!!」


 一閃。


 交錯は一瞬のことだった。

片や魔族の人間離れした膂力によって。

片や生前から鍛え続けた類稀な技量によって。

その立会いは尋常の者では目に捉えることすら出来ない刹那の勝負であった。


 近くで見ていた娘にとってもまたそれは同じ。

剣筋を見ること叶わず、刀を振るい終えた両者を食い入るようにただ見つめていた。


「ぐっ……無念……ッ」


 ――やがて膝を地に着けたのは、魔族の男であった。


「ゾンビー侍!!」


 すっくと立ち上がったゾンビー侍の腹に向かって、少女が頭から突っ込んでいった。

ぐふぅと呻くゾンビー侍の腹にそのまま頭をぐりぐりと押し付けて、目尻に涙なぞ浮かべながら歓喜の声を上げる。


「この俺が……敗れるとは……」


 その後ろで、切り開かれた胸から夥しい量の血液を垂れ流しながら、魔族の男が仰向けに崩れ落ちた。

明らかな致命傷だが、それでも喋れるのはやはり魔族の生命力がなせる技か。


 ゾンビー侍は娘の頭を撫ぜて落ち着かせると、忌野の際にある魔族の男に向かって問いかけた。


「最後にひとつ、聞いておきたいことがある」


「……なん、だ」


「この娘の父親が魔王に挑まんと出立し、帰らぬ人となった。

 お主、心当たりはないか」


「頭に白い鉢巻きを締めた、二刀流の剣士だ!」


 娘が補足を入れると、魔族の男は血を口からもごぼりと溢しながら、唇の端を吊り上げてみせた。


「そいつ……なら……俺が、斬って、やったぜ……」


「……っ!」


「魔王……様に……挑む、価値もない……

 弱い……男……だっ………た………」


「あちしのお父さんは弱くなんかないッ!!」


 娘はだっと駆け出すと、懐に隠し持っていた短刀を抜き放ち、尚も何か言わんとする魔族の喉元を刃で貫いた。


「かっ………は…………ぁ……」


「お父さんは剣の腕だけで街に招かれたんだ……!

 弱いなんてこと、あるもんか……っ!」


 魔族は最後まで意地の悪い笑みを浮かべ唇を動かしていたが、やがてついに力尽きる。

胸と喉元から溢れた血液が広く地面を塗らし、もはや命の全てがその身から零れ落ちてしまったことを如実に物語っていた。


「お父さんは……っ!あちしのお父さんは……っ!」


「もうよい」


 尚もその喉元を抉らんと短刀を握り締める娘の肩に、ゾンビー侍がぽんと手を置いた。


「そやつはもう死んでおる。

 仇は討たれたのだ。お前の手によってな」


「う……うぅ……」


 怒りに身を震わせる娘だったが、ゾンビー侍の言葉によってその怒りを向けるべき相手がもうこの世にはいないのだと悟ると、行き場を失った感情は慟哭となって細い喉を震わせた。


「あ゛あ゛ああああぁぁぁ……っ!」


 憎むべき相手を失った娘の胸中を埋め尽くしたのは悲しみだった。

実は父は帰って来ないだけで、本当はまだどこかで生きているのではないかと淡い期待を抱いていたのだ。

その願いが届かなかったことを知った娘は、今この瞬間、本当の意味で父を喪ってしまった。


「存分に泣くがよい。

 父想いの娘を持ったことを、父もまた泣いて喜ばれよう。

 そして誇るがよい。

 見事に仇を討った娘を、父もまた誇るであろう」


「ああ゛ぁ゛ぁぁぁっ!ぅあ゛あああぁぁ……っ」


 山裾に沈み行く夕日がとっぷりとその身を沈め、月が穏やかな光を射し込ませる迄、少女の慟哭は長く尾を引いて山間に響き渡った。



 □



「拙者もそれなりに顔が効く身である故、

 人手を寄越せないか街で相談してみるとしよう」


「お侍様、何から何まで有難う御座います」


「なんの、礼ならば仇討ちを果たしたあの娘に言うが良い。

 拙者はそれをただ手伝ったに過ぎぬ」


 魔族を討った後、月が空高く昇り娘が漸く落ち着いてきた頃。

娘は村外れに建てられた父の墓へと赴き、ゾンビー侍は生き残っていた村人たちから懇ろに感謝を申し述べられていた。


 村人のうち血気の盛んな若い男たちはみな魔族に逆らって殺されてしまったものの、幾らかの女と老人たちは魔族の世話をさせるために生かされていたようだ。

その扱いは過酷なもので、非人道的な扱いを受けたことによる後遺症から未だ心に正気を取り戻せずにいる者もいたが、どうにか耐え抜いた者たちは一様にゾンビー侍へと頭を下げた。


「碌なお礼も差し上げられず、誠に心苦しいばかりです」


「よい。これがあっただけでも儲けものよ」


 ニカリと笑ってみせたゾンビー侍の手にあるのは、魔族たちが持っていた防腐剤だ。

魔王が厠を憎んでいる手前、魔族たちも厠を使うことができず、防腐剤を用いて用を足していたのである。

それを見つけたゾンビー侍はこれ幸いと自らの腐りかけの肉体に防腐剤を擦り込み、余った分も手柄の分け前として村人から譲り受けることと相成ったのだ。


 しかし、残念ながら特に状態の悪かった右目は既に手遅れとなっており、完全に光を失ってしまった。

どうせ見えぬならと腐った右目は刳り貫いて、今は村人が用意してくれた布の眼帯で右目を覆ってしまっている。

出来れば義眼も拵えたかったが、それは街へ行ってからとなるだろう。


「では、あの娘のことは頼んだぞ」


「えぇ、それはもう。あの子にも大きな恩がありますから。

 ……ですが、本当に宜しいのですか?

 随分とお侍様に懷かれているご様子」


 ゾンビー侍は村の女にそう問われると、暫し目を瞑って考えた後、ゆっくりと首を横に振った。


「年頃の娘だ。血腥い道に付き合わせることなどできぬでござるよ。

 平穏に暮らせるならば、それが一番良い」


「そうですか……」


 娘は散々に泣き喚いた後、ずっと父の墓の前で物思いに耽っているようだった。

ゾンビー侍はその小さな後ろ姿に目を向けると、優しげな笑みを浮かべた。


「あれは中々に見どころのある娘よ。

 きっと父のように立派な者となろう。

 ……では、これにて御免」


 ゾンビー侍は村の女にそう告げると、踵を返して夜の森へと歩み去る。


 数日とはいえ共に旅したあの娘に情のような物が湧かなかったと言えば嘘になるが、しかし自分のような風来人にしてやれることなど何もない。

自分に出来ることと言えば、人を斬ることくらい。

そんな血塗られた、おまけに腐っておる手で人の娘を育てることなど出来ようはずもない。


 幸いにも、村人達は快く娘を迎え入れてくれそうな様子であった。

ここで平穏に育ってくれるならば、それが一番であろう。


 拙者は流離いの義賊、人呼んで――。


「ゾンビー侍!!」


「……なぬ?」


 振り返れば、そこにいるのは何の見間違いか。

村にいるはずの娘ではないか。


「なぜ、ここに?」


「なぜじゃない!!」


 戸惑うゾンビー侍に、娘は向こうの山まで届きそうな剣幕で怒鳴った。


「なんであちしを置いてったの!!」


「それは……村で平穏な暮らしをするほうがお前の為になると思って……」


「誰がそんなこと頼んだの!!」


 言い繕おうとするゾンビー侍を鋭く一喝すると、娘はずんずんと詰め寄ってきた。

それは先程まで泣き喚いていた娘と同一人物とは思えないほどに堂々とした姿だったが、しかしゾンビー侍も言われっ放しではいられない。

胆に力を込め、娘を追い返さんと言葉を放つ。


「どちらにせよ、小娘を連れて旅など出来ぬ。

 拙者と来れば否が応でも戦いに巻き込まれるのだぞ。

 お前のような童なんぞお荷物でしか――」


 そこまで言いかけて、ゾンビー侍はぴたりと言葉を止めた。

失策を悟ると同時に、目の前まで来た娘がニヤリを笑みを浮かべる。


「自分の身体の一部を荷物とは言わないんじゃなかった?」


「むぅ……」


 それは魔族との戦いの最中、確かにゾンビー侍が口にした言葉であった。

自らの右目となると言ってみせた娘への信頼の証のつもりだったが、こんなところで裏目に出てしまうとは。


「しかしそれは言葉の綾というもの……。

 実際問題、非力なお前では……」


「流石は拙者の右目」


「むむぅ……!」


 それもまた、ゾンビー侍が口にした言葉だった。

戦いの最中、死角から不意打ちで放たれた弓矢に娘が気づかなければ、恐らく屍を晒していたのは魔族ではなくゾンビー侍となっていたことだろう。

右目が光を失ってしまった今、どうしても右側からの攻撃は殆どが死角となってしまうのだ。


「あちし、お役に立ったでしょう?」


「むむむぅ……」


 否と言えようはずもない。

この娘はゾンビー侍の右目になると言い、そして見事にそれを果たして見せたのだ。

期待以上の働きであることを認めざるを得まい。


 ゾンビー侍は暫しの間、唸ったり首を捻ったりしてみたものの、この娘を追い返すための言葉が見つからない。

やがて一つ大きな溜め息をつくと、ついに「あい、分かった」と観念した。


「確かに、拙者には右目が必要でござる。

 しかし苦難の道となるぞ。

 本当に、覚悟は出来ているのでござるな?」


「もちろん!!

 これからも、あちしが右目になり申す!」


「そうか……拙者の右目ならば、村に置いていくわけにはゆかぬな」


 ゾンビー侍がそう告げれば、娘は喜色を顔に浮かべて男の右側に並んで立った。


「あぁ、そうそう」


 そこで不意に思い出したように男が言った。


「お前の父だがな、立派な最期だったそうだぞ」


「……え?」


 その言葉が意外だったのか、きょとんとした表情で娘が問い返す。


「村の女に聞いたのだがな。

 何でも村人たちを庇い、多勢に無勢を物ともせず勇ましく戦い抜いたそうだ。

 その奮戦によって20人もの魔王の手の者を斬り殺したが、最後には背後から弓を射掛けられ……」


 20人というのは尋常な数ではない。

先程の戦いにおいてゾンビー侍も12人と戦い7人を斬ったが、つまりはじめはこの村に32人もの魔王の手の者がいたことになる。

それだけの数を相手に三分の二に及ぶ数の相手を斬り殺すとは、まさに鬼神の如き戦いぶり。


「矢が腹に刺さりながらも、最後の最後まで刀を振るい続けたそうだ。

 誠、武人の中の武人よ」


「……そっか」


 呆けたようにゾンビー侍の話に聞き入っていた娘だったが、話を理解するにつれてその頬が緩み始めた。


「そっか!やっぱりあちしのお父さんは強かったんだ!」


 弾むような声音で言った娘の頭を、優しげな手付きでくしゃりと男の手が撫ぜる。


「誇るが良い。お前の父は立派だった」


「うん!!」


 娘ははにかみながら、夜空に向けて胸を張った。

これでもう心置きは何もない。


「さぁ、まいりましょう!!」


「では、参ろう」


 そして二人は歩みだす。

まだ暗い夜道を、しっかりとした足取りで。


 世は未だ戦乱の中にあり、先行きは暗い。

しかし月明かりが夜道を照らすように、いつの世にも闇を斬り裂く刃がある。

ここにある一対の刃もまた然り。


 ――流離いの義賊ゾンビー侍の噂には、いつしか常に傍らにある美しい右目の逸話が加えられたという。

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