第22話 恩返し

 一度家に帰り、原稿データを持ってきた後。俺はすぐに会社に戻って、シナリオ執筆にとりかかった。


 天崎代理は他の仕事をするために、今は社外に出かけている。だからこの社長室には、今は俺ただ一人だけ。大きな社長用の机と椅子を、我が物のように独占している。

 しかし、それを楽しむ余裕はなかった。


「う……おえっ……!」


 原稿データを画面に表示し、最初から読み直し始めた直後。いきなり吐き気に襲われた。文字が頭に入ってくる度、今まで封印していた記憶が――原稿を罵倒され続けた記憶が少しずつ思い出されていく。


「はぁ……はぁ……! うっ……くそっ!」


 どうやら、黒歴史と戦うことは思った以上に難しいらしい。


 深呼吸をし、何とか吐き気を押さえつける。そして必死な思いで視線を画面に固定する。

 しかし、すぐに再び吐き気がこみあげ、呼吸も段々荒くなっていく。

 あの散々罵倒されたシナリオを読み返していくだけで、すでに心が折れそうだ。精神的なストレスが、如実に体調に現れている。


 でも、こんなことじゃダメなのだ。

 俺はこれから、この未完成のシナリオを完成させなければならない。天崎代理が考えたゲームのコンセプトに合うように、既存部分を微調整しながら続きを書くのが俺の仕事だ。幸い、俺の書いた物語は今回のゲームのコンセプトと近い。調整が必要になる部分は、最低限で済むだろう。


 問題は……未だ手つかずの続き部分を、俺がちゃんと書けるかどうかだ。


「はあっ……はあっ……。とりあえず、内容は思い出したぞ……!」


 この作品は、ネットに上げるまでは一番自信のあった原稿だ。懸命に内容を考えてから書いた作品だけあって、流し読みをすれば思い出せる。


 そして俺は白紙のページを表示して、次の文章を考える。今まで放置し続けた、黒歴史の続きを紡ごうとする。


「おええっ……!」


 やはり、強烈な吐き気に襲われた。


『この展開って、普通に考えておかしいですよねww』

『ヒロイン、マジでちょろすぎる。こんなのさすがに気持ち悪い』


 かつて投げかけられた言葉が、脳内でフラッシュバックする。その度に吐き気が強くなり、画面を見つめていられなくなる。


「う……ぐぅ……っ!」


 耐えられなくなり、俺は思わず机から離れた。そして来客用のソファーに倒れ、逃げるように突っ伏した。


 やっぱり……無理だ。俺に続きなんて書けっこない……。


 文章を考えようとすれば、否応なく昔のことを思い出してしまう。作品を散々批評され、心ない言葉の暴力で傷つけられたことを思い出す。

 続きを書いてもきっとまた、あんな思いをするだけだ。苦労して作品を書いていっても、どうせ罵倒されるだけなんだ。そう思うと、やる気が死んでいく。


 もう……やめてしまおうか。


 と、そう思った時だった。


 俺のスマホから「ピコン」と軽やかな通知音が鳴る。


「…………?」


 こんな時に、何だろう……? 不思議に思い、俺はポケットに入れていたスマホを見る。

 すると……。天崎代理からだった。


『優斗君。お疲れ様』


「代理……?」


 まるで図ったかのようなタイミングに、俺は一瞬面食らう。

 すると、またメッセージが送られてくる。


『大変な思いをさせてゴメンね? きっと今も、苦労してるよね?』


『でも、これだけは知っておいて。もし落ち込むことがあったとしても』


『君の味方は、ずっとすぐ側にいるからね?』


「…………っ」


 軽快な音を鳴らしながら、矢継ぎ早に送られてくるメッセージ。

 俺はスマホに見入っていた。


『少しでも、君の力になれますように』


『私はいつも、君を応援しているよ』


「真冬……さん……!」


 不意に、俺の頬を熱い雫が伝った。

 見つめていたスマホの画面が――代理の言葉がぼんやりと滲む。


 そうだ――俺にはたった一人、応援してくれる人がいる。俺の全てを肯定し、頼りにしてくれる人がいる。


 なのに俺は、いったい何をしているんだ? あんな簡単にトラウマに負けて、やるべきことから逃げていじけて……。


 天崎代理は他の仕事で忙しい中でも、俺のことを気にしてメッセージを送ってくれた。それなのに俺がこんなことじゃ、あの人に合わせる顔がない。


 考えてみれば、俺は今まで天崎代理に、お世話になってばかりだった。彼女はどん底まで沈んでいた俺を、笑顔で救い出してくれた。そしていつも俺を甘やかしてくれて、優しく包み込んでくれた。


 ここでその恩を返さなきゃ、彼女の側にいる資格なんて――ない。


「…………っ!」


 ギリッと唇を強く噛む。血が出そうなほど、強く噛む。


「側にいるだけでいいんだよ~」と、彼女は普段俺に言う。でも、それだけじゃダメなんだ。困ったときに代理の力になれないで、社長秘書が務まるわけがない。


 俺は甘やかされるだけでなく、本当の意味で天崎代理の役に立ちたい。俺自身の手で、彼女のために何かしたい。そして今までの恩返しをしたい。到底返しきれるものではないけど、少しでも彼女の力になりたい。


 そのためにも今は、トラウマを乗り越えなくちゃいけない!


 俺はソファーから立ち上がり、再びパソコンの前に座る。

 そして頭の中で思いついた単語を、ひたすら画面に打ち込み始めた。


「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」


 トラウマに負けないよう、大声で気合いを入れながら執筆。キーボードを叩きつけるようにして、思い付きを全て書き込んでいく。


 それは、とても文章と言えるものではない代物。少しの推敲もしていない、単語の羅列のようなもの。


 でも、確実に。ページは確実に進んでいる。


『こんな小説、何で書いたの?』

『オリジナリティが欠如している』


 うるさい。うるさい! 読者の声がなんだっていうんだ。俺にとって読者は、天崎真冬さんただ一人だ。真冬さんが満足してくれるなら、素敵と言ってくれるなら、それだけで俺は続きが書ける! あの人のためなら、いくらでも書ける!


 天崎代理の応援のおかげか、今度はフラッシュバックにも負けない。


 俺は必ず、今度こそ原稿を完成させる。そして、真冬さんの役に立つ!


 そんな決意を胸に抱いて、俺はひたすらに原稿を進めた。

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