第18話 天崎代理、慰める


「これ……ひょっとして、優斗君が書いた小説なの……?」


 本棚から落ちた紙束を拾い、真冬さんが聞いてくる。


「え、ええ……。まあ、そうですね……」


 答えると、真冬さんが興味の色を瞳に宿した。そして、落ちた原稿を拾い上げる。


「すごいすごい! 優斗君の小説だ~! ねぇねぇ、見せてもらってもいい?」

「だ、ダメです!」


 俺は思わず、ひったくるようにして彼女の手から原稿を奪った。


「ひゃっ……!」

「あ……! すみません……」


 驚いて声を上げる彼女に、俺は力なく頭を下げる。


「ううん、大丈夫。でも、どうしたの……? いきなりそんな大声を出して……」

「いや、その……。大したことじゃないんですけど……」


 歯切れ悪くそう言う俺を、真冬さんがじっと見つめてくる。

 これは……ちょっと誤魔化せそうもないな……。


「実はこの作品……。俺が最後に書いた作品なんです」


 就職活動を始める前、俺は作家を目指していた。その時に書き上げた最後の話が、この原稿に書かれたものだ。

 いや、正確には書き上げられてはいないのだが……。


「それで……この原稿は俺にとって、ちょっとしたトラウマなんですよ」

「トラウマ……?」

「はい。この原稿……簡単に言えば、青春ラブコメものなんですけど……。俺はこの作品にすごく自信があったんです」


 この作品のアイデアを思いついた時、俺は思わず「これだ!」と叫んだ。

 このアイデアを書きあげれば、デビューできること間違いなし! それどころか、書籍化された際には大ヒットを叩き出すだろう。そんな確固たる自信があった。あの時感じた高揚感は、今でもはっきりと覚えている。


「それで俺は、作品への意欲が消えないうちに、すぐに執筆を始めました。自信がある作品でしたから執筆は途中まで滞りなく進み、少しずつ形になっていきました。でも俺は、途中で我慢できなくなったんです」

「我慢……?」


 小首をかしげる真冬さん。


 小説は、一作書き上げるのに時間がかかる。その分達成感が得られにくく、執筆のモチベーションを維持することは難しい。早く書き上げて、作品を評価してもらいたい。そんな気持ちばかりが急いて、精神的に疲れてしまう。


「俺は少しでも達成感を得るために、書きかけの小説をネットに投稿したんです。この作品なら、ネットでも皆が認めてくれる。それを励みに残りの執筆を頑張ろう、と思って」


 今思えば、それが夢を捨てる直接の原因になってしまった。


「でも、そんなことはありませんでした。小説を投稿した結果、待っていたのは誹謗中傷の言葉ばかり。作品に対する悪口が毎日のように書きこまれて、俺は自信を失いました」


 あの時読者から受けた言葉は、今も忘れることができない。小説の続きを書こうとすると、未だにそれらの悪口が頭の中に浮かんできて、何度も吐きそうになってしまう。実際に吐いたことすらある。

 そして俺は、続きを書けなくなってしまった。夢を追う気力を失ってしまった。


「それから俺は、完全に夢を諦めて就職する道を選びました。どのみち、その程度で挫折するような奴に作家が務まるとも思えませんし。……そんな思い出があるせいで、この作品にはいい感情がないんですよ。一応魂を込めた作品だから捨てるのは忍びないんですけど、もう一度目にするのもいやで……。それで、本棚の奥に隠してたんです」

「優斗君……」


 気が付けば、真冬さんがとても心配そうに俺を見ていた。


「だから、真冬さんにも読んでほしくないんです。この作品のせいで、あなたにまで失望されたくないから……」

「……うん。分かったよ、優斗君」


 真冬さんは、言葉に重みを込めて言った。


「ゴメンね? 優斗君の気持ちも知らずに、気軽に読みたいなんて言って……」

「い、いえ……。真冬さんは、何にも悪くないですから……」

「ううん。原稿が隠してあった意味を、ちゃんと考えるべきだった。私、ダメな上司だね。優斗君のこと、ちゃんとわかってあげられなくて……。でも、一つだけ。これだけは言わせて?」


 真冬さんが俺の側へと寄ってくる。そして、ギュッと優しく抱きしめてきた。


「ま、真冬さん……!?」

「もし私がその原稿を読んでも、失望することは絶対にないよ。だから、そんなことで怖がらないで?」


 俺の頭を温かい手で撫でながら、真冬さんが耳元で囁く。


「私はいつでも、何があっても、ずっと優斗君の味方だからね?」

「……っ!」


 その言葉に、不意に胸がキュッと縮むようになった。目頭がじわりと熱くなり、思わず雪音さんの体をギュッと抱きしめ返してしまう。


 そしてしばらくそうやって抱き合ったのち、真冬さんがさっきまでの笑顔を向けた。


「さあっ! もうこのことは忘れるねっ! 楽しいデートに戻ろっか!」

「は、はい……。ありがとうございます……」

「それじゃあ、とりあえず本を戻そう! どんな配置だったっけ?」

「そうですね! えっと、確か漫画は一番上で――」


 暗い空気を払拭しようと、真冬さんが努めて明るく振る舞ってくれる。俺もそれに乗っかって、できるだけ明るい声を出した。


 と、その時。扉をノックする音が聞こえる。

 直後、マコが顔をのぞかせてきた。


「兄や~ん。そろそろお風呂沸くと思うよ~?」

「え……? お前が沸かしてくれたのか?」

「あったりまえじゃん? 妹はいつでもそれくらいしますぜ?」


 なにやらニヤニヤしながら言う我が妹。

 いや、お前……普段は俺がいくら言っても、手伝い一つしないだろ。


「分かった、ありがとう。すぐに入るよ」

「あ、それと兄やん」


 マコがさらにニヤニヤを加速させる。


「どうせなら……社長さんと一緒に入りなよ」

「          」


 突然のセリフに、頭の中が真っ白になった。

 その隙にマコが部屋へと踏み入る。そして真冬さんに何かを渡した。


「これ、まだ使ってないパンツとブラです。よかったら使ってやってくださいっ!」

「え……? マコちゃん……?」

「と言うわけで、後はごゆっくり~!」


 言うだけ言って、去っていくマコ。

 俺と真冬さんはしばしの間ポカンとし、数秒後ハッと我に返った。


「す、すみません! ウチの馬鹿な妹が! あんな迷惑で失礼なコトを……!」

「う、ううん! 全然迷惑なんかじゃないよ! むしろ、ナイスフォローというか……。その発想はなかったというか……」

「え……?」


 助かったって……。今のどこに助けられた要素が……?

 そう疑問を抱いていると、真冬さんがいたずらな笑顔を向けてきた。


「なんでもないよ~。それより、早くお風呂に入っておいで~」

「え? でもそうしたら家デートは……」

「大丈夫大丈夫! 私は適当に待ってるから♪」


 そう言い、真冬さんが俺を部屋の外へ追いやる。

 なんだか釈然としないながらも、俺は仕方なく風呂に入った。

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