第9話 甘やかされるだけのお仕事

 今日から俺は、いよいよ社長代理秘書として働くことになったのだった。


 出勤と同時に天崎代理のいる社長室へと直行し、彼女の仕事をサポートするため、全力を尽くして俺にできることをする。

 そして俺が今、実際に何をしているのかと言うと……。


 カタカタカタカタカタカタカタカタ――

「…………………………」


 天崎代理が仕事をする姿を、黙ってじっと見続けていた。


 え、何で? 俺マジで何やってんの? 今日出勤してから延々と、天崎代理がパソコンを打つのを眺めているだけなんだけど。

 確かに以前、俺は代理に言われたよ?『業務内容は、私の側でニコニコ微笑んでくれること』って。でも、まさか本当にその通りになるとは……。


 ふと、天崎代理がチラッと俺の顔を見た。


「(にこーーーっ!)」


 そしてプレゼントをもらった子供のように無邪気な笑みを見せてくる。それは他の社員たちには、決して見せることのない笑顔。


 この人、ホントに俺が好きなんだな……。前に『プラトーン』で聞いた話は、どうやら嘘じゃないらしい。


『私……君のコト、すごく好きだから……』


 あの夜、『プラトーン』で言われた彼女の言葉が頭の中で再生される。

 

 い、いや待て! 調子に乗っちゃダメなんだ! 

 好きといっても、きっとそれは『人として好き』とかそんな意味だろう。間違って

も『異性として好き』って意味じゃない。そこだけは勘違いしちゃいけない。


「あ、あの……。俺、マジで何もしなくてもいいんですか?」


 何だかいてもたってもいられなくなり、天崎代理に聞いてみる。


「うん、もちろん! 岸辺君はそこに存在しているだけでいいんだよ? それだけで私、元気が出るから!」


 俺のことを全力で肯定してくる天崎代理。


 いや、正直嬉しいけど……。そういう訳にはいかなかった。

 今の俺は社畜として鍛えられてきたせいで、退屈に耐えられなくなっている。働き過ぎはもちろん嫌だが、あまり仕事から遠ざけられても禁断症状が出てしまう。なんだか今も手が震えてるし。あぁ……完全にコレ病気だな。

 それに何より、いくら彼女が傍にいるだけでいいと言っても、それだけで給料をもらうことはできない。


 しょうがない……。ここは俺にできることを、俺なりにこなしていくしかないな。

 とりあえずは、お茶でも出しておくか。ちょうど休憩するのにいい時間だし。

 代理が集中している隙に一旦社長室から抜け出し、給湯室でお茶と和菓子を用意して戻る。そして、彼女に差し出した。


「あの、天崎代理。お茶をお持ちいたしました」

「えっ……?」


 俺の方を振り向き、代理が口をポカンと開ける。


「こ、これ……岸辺君が? 私に……?」

「あ、はい。そうですけど……」


 頷いた瞬間、なぜか代理の笑顔が弾けた。


「すっ、すごいすごい! ありがとうーーー! 私、とっても嬉しいよーーーっ!」


 ただお茶を持ってきただけなのに、異常なほど喜ぶ天崎代理。その目にはあまりの嬉しさでじんわり涙が浮かんでいた。……え、そんなに?


「岸辺君、本当にありがとう! ご褒美に、たっぷりボーナスあげちゃうねっ!」

「いや、いりませんから! この程度のことで!」


 この人やっぱり絶対おかしい! 俺に対するご褒美のハードル低すぎじゃねえか! 孫に甘いおばあちゃんでもここまで判定緩くはないぞ!


「それじゃあ、特別休暇はどうかな? あ、でも岸辺君がいなくなったら私がお仕事できなくなるかも……」

「いや、ボーナスも休暇もいりませんから……。俺、秘書の仕事をしただけですし」

「それじゃあ、おっぱい見せてあげようか?」

「うわああああ! すぐに服を脱がないでください!」


 慌てて、シャツのボタンを外そうとする代理を止める。この人、何で俺の前で脱ぐことに少しも躊躇が無いんだよ……!?


「ってか、本当に他に仕事は無いんですか……? 秘書なら、もっと色々やるべきことがあるはずですけど……。スケジュールの管理をしたり、代わりに事務的作業をしたり」

「あはは。気を遣わなくても大丈夫だよ? 岸辺君はここにいてくれるだけでいいの。あ、そうだ! 退屈なら、ゲームしててもいいよ? ウチのソシャゲ、面白いって評判なんだ~」


 業務中の秘書にゲームを進める社長がいた……。


「いや、そうじゃなくて……。俺はもっと、天崎代理のためになることをしたいと思ってるんですが……」


 せっかく社長代理秘書をするなら、それなりのことをして役に立ちたい。そんな思いを訴える。

 すると――


「そ、そう……? それじゃあ、一つだけやってほしいお仕事があるかな……」

「ホントですか!? なんでも俺に任せて下さい!」


 彼女の口から出た『仕事』と言う単語に、社畜魂が反応する。

 その元気な返事に、天崎代理も俺を頼ることに決めたようだ。少し遠慮しながらも、その内容を口にする。


「えっとね……。私のこと、ギュッてしてもらってもいいかな?」

「……は?」


 え、何それ? どういうこと?

 この人今、可愛い顔してなんて言った?


「私……岸辺君がギュッとしてくれたら、もっと頑張れそうな気がするなぁ~……」


 チラッ、チラッと俺の顔を見て、ねだるような顔をする代理。

 えーっと……ギュッとするというのは……抱きしめろってことですか……?

 

 いやいやいやいや! 無理無理無理無理!

 よりにもよってなんだその要求!? いきなり何を言い出すんだよ!?


「あ、あの……。できれば他の仕事がいいんですけど……」

「えー!? なんでっ!? やっぱり私と抱きつくの、いや……?」


 うっ……! そんな悲しそうな顔しないでください……。


「そうだよね……。やっぱり抱きつくなら、年下の可愛い子の方がいいよね……? 私となんて嫌だよね……?」

「い、いや! そういうワケじゃないですから! 俺、年上の方が好きですし!」

「それじゃあ、なんで断るの……?」

「そ、それは……」


 俺は無意識に天崎代理から目を逸らす。


「あ……。ひょっとして、照れてるとか……?」

「…………」

「え、そうなの? わーー! 岸辺君可愛いーーー! お顔真っ赤になっちゃってるー!」


 ぐっ……! だってしょうがないだろ!? 

 俺はこれまでの人生で、妹以外の女子とはまともに話したことすらないんだから!


「恥ずかしがらなくてもいいんだよ? ハグくらい、外国だったら挨拶だもん」

「そ、そんなこと言われても……。やっぱり俺には難しいかと……」

「う~ん、それじゃあ……これは上司命令です!」

「あぐっ……!?」


 じょ、上司命令だって……!?


「だって、これは私が仕事でやる気を出すために絶対に必要なことだから。私のことをギュッとするのも、代理秘書の立派な業務です! だから、ハッキリ命令します!」


 天崎代理が俺を指さし、ビシッとその言葉を告げる。


「上司命令! 岸辺君は、今すぐ私とギューッてすること!」


 うぐぐぐぐ……! そう言われたら断れない……!

 俺たち社畜にとってみれば、上司の命令は絶対だ。上司から命じられた以上、どんなに無理のある仕事でも、どんなに危険な仕事でも、黙ってこなすしか道はない。


 ひょっとしたら天崎さんも、俺がそう思っていることを理解しているのかもしれない。いや、確実に理解している。だってそうじゃなきゃ、こんな言い方はしないだろう。


「分かりました……。やらせて頂きます……」


 結局俺は、命令を受け入れてそう言った。

 途端、天崎代理が飛び掛かるように俺の体に抱きついた。


「うお……っ!?」

「えへへ~~! 岸辺君、岸辺君~~♪」


 腕を回し、ぎゅ~っと力を込める彼女。

「はあぁ……やっぱり癒されるよぉ……! 岸辺君の体、あったかい……!」

「あ、あの……。そんなに抱きついたら、胸が……!」


 さっきから彼女のパツンパツンなお胸様が、俺の腹部に当たっている。こ、コレはダメだ……! 理性を失う……!

 しかし俺の忠告を受け流し、天崎代理は抱きつき続ける。


「岸辺君……。ずっと私の側にいてね? 転職なんて、しちゃだめだよ?」


 そう言い、さらに抱きつく力を強める彼女。

 その後、代理は三十分以上の時間が経つまで、俺を離そうとしなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る