第8話 代理が俺を可愛がるワケ

「お疲れ様ー! かんぱーーいっ!」

「か、かんぱーい……」


 残業を終えた後、俺たちは行きつけのファミレス『プラトーン』でささやかな飲み会を開いていた。「一緒にご飯食べてこ~」「私が奢ってあげるから♪」と、彼女に強く誘われたのだ。


 天崎代理と乾杯し、仲良くビールグラスを傾ける。


「くふぁ……! おいし~! お仕事の後は特別お酒が美味しいね~!」

「は、はい……。そうですね……」


 外食がよほど楽しいのか、テンション高めで俺に話かける天崎さん。

 だが俺は何を言われても、イマイチ浮かない顔をしていた。

 それは一つ、どうしても気になることがあったからで……。


「どうしたの? 岸辺君。ちょっと元気がないみたいだけど……」

「あ……」


 やっぱり、天崎代理も俺の様子に気づいたようだ。心配そうにこちらの顔を覗き込む。


「ひょっとして、残業したから疲れてる……? ゴメンね、岸辺君! やっぱり私がお仕事全部やればよかったね……?」

「いや、違います! そういうことじゃありませんから!」


 この人、ホントどんだけ俺に甘いんだ……? 明らかに社長代理が部下にとるような態度じゃないだろ。実際この人、俺以外の会社の人間には、かなり厳しい態度をとるし……。


 でも、そうやって優しくされればされるだけ、俺の疑問は募っていく。

 ……よし。この際、思いきってみよう。こういう時しか、いい機会なんてないだろうし。


「あ、あの……。天崎代理」

「どうしたの? そんなに真面目な顔しちゃって……」

「実は、その……。以前からずっと聞きたいことがあったんですが……」


 俺は少しだけ勇気を出して、疑問だったことを口にした。


「天崎代理は、どうして俺に優しくしてくれるんですか?」

「え……?」

「だって、どう考えてもすごく不思議で……。天崎代理がほとんど初対面の俺に、すごく親切にしてくれることが……」


 天崎代理とは、たまたまこの店で声をかけた程度の縁だ。本来ならば俺なんて、ここまで面倒を見てもらえる程の立場じゃないはず。


「そもそも、本当に俺なんかを入社させて良かったんですか? 俺なんか、ライターとしても大して役に立ちませんし、他の仕事だってできません。資格だって何もないですし、俺を入れるメリットはないでしょう……?」


 もしも俺が面接官なら、俺のような男は確実に追い返しているだろう。


「それに天崎さん、必要以上に俺を甘やかしてくれますよね? 今日もわざわざ仕事を手伝ってくれましたし、社長代理補佐のお話だって……」


 天崎代理の側にいて、ただ微笑んでいるだけの仕事なんて、普通だったらあり得ない。

 その上……さっきみたいにいきなり胸を見せることもおかしい。

 とにかく彼女は明らかに、俺を贔屓しまくっている。役に立たないこの俺を特別扱いしまくっている。


「こんな俺に手をかけたって、あなたにとっても会社にとっても、決して利益にはならないはずです。天崎さんなら、それくらいすぐに分かるでしょう? なのにどうして、あんなによくしてくれるのかなって……。俺みたいなやつ、普通だったら誰にも手を差し伸べてもらえないでしょうし……」


 自分で言って傷つきながらも、以前からの疑問をぶつける。

 改めて口にしてみると、彼女の行動が本当に不思議に思えてくる。まさか彼女、俺みたいな弱者に手を差し伸べるのが趣味なのだろうか? そうでも思わないと説明がつかない。


 俺は天崎代理の回答が気になり、彼女の綺麗な瞳を見据える。その透き通るように美しい瞳を。


 すると……。


「そんなこと、ないよ」


 天崎さんが、静かに言った。


「君は、十分報われる資格があるもの」

「報われる、資格……?」


 思わずそのまま聞き返す。


「だって岸辺君、今までずっと頑張ってきたでしょ? 最初に会ったときも言ったけど、私、ずっと見てたんだよ? 君がこのお店で一生懸命、就職するために頑張ってたのを。誰よりも真面目に頑張っていたのを」


 そう言えば、あの時彼女は言っていた。『私は君が誰よりも頑張っていたのを知ってる』と。


「君はいつも、その時に受ける企業のことを丸一日かけて調べてたよね? その企業の理念とか業務内容はもちろんのこと、創業者の書いた自叙伝とか会社の歴史まで掘り下げて……。普通の人がするよりも、ずっと誠実に相手の会社に向き合っていた」


 そういえば、確かにそこまでやってたっけ……。果たしてそれが意味のあることか、今となっては分からないが……。


「そんなに真面目に自分の会社を調べてくれたら、私ならすごく嬉しいもん。君の頑張りは絶対に、報われる価値のあるものだよ。見てきた私が、それを保証する」


 おそらく彼女は、俺がこの店で就活をする姿を見て、好感を持ってくれたのだろう。それは十分に伝わった。


 でもだからって、天崎さんが俺にそこまで尽くす理由には――


「それに私ね……。あの時、君に救われたの」

「あの時……?」

「うん。君が私を心配して、話しかけてくれたあの時」


 俺は、あの時のことを思い出してみる。天崎さんと初めて出会った日のことを。

 そういえば、彼女はちょうどあの時も今と同じ席に座っていた。


「あの時私、泣いてたでしょう? それって、仕事のことで疲れてたからなの」


 彼女もあの日のことを思い出しているのだろう。自分が座る席を撫でる。


「私、一応まだ二十代なのに、社長代理なんてやってるでしょ?」

「あ、はい……」


 以前、会社の人から話の流れで聞いたことがある。天崎さんの年齢は、確か二十八だったはず。俺と三つしか違わないのに、社長代理を務めている。


「それはね、私のお爺ちゃんが今の社長だからなの。お爺ちゃんは今は入院中で、私を『社長代理』として会社経営を任せてる……」


 ビールを一口含んでから、喉を潤わせつつ話す彼女。


「お爺ちゃんは私のことを、『社長になるべき存在だ』ってすごく評価してくれていて……。今の内から私に社長業務を経験させて、後を継がせたいと思ってるみたい。実際、普段の仕事は大変だけど、何とかこなすことはできてる」


 それは、すごいな……。もし俺が社長業務なんて任されたら、三日で会社を駄目にしそうだ。


「でもね、この年で社長代理になると、色々と変な苦労が多くて……。主に、人間関係の」

「あ……」


 それは、なんとなく察しがついた。


「会社の多くの人たちにとっては、私なんて自分より若い小娘でしかないと思うの。でも私は社長代理として、若いからとか女だからとかで、下に見られるわけにはいかない。だから社内ではあんな風に、皆に厳しく接してる」


 確かにそれも不思議だった。なぜ彼女はあそこまで、俺と他の社員に対して接し方に差をつけるのか。普段の彼女はもっと優しい人なのに。

 それも、今の話を聞いて納得だ。彼女は社長として、あえて厳しく振る舞っていたのだ。


「でも結局、『あんな若い女にこき使われてたまるか』って、一部から顰蹙を買っちゃって……。そうじゃない部下からも怯えられるし、そのせいで私は社内に一人も味方がいなくなっちゃったの……。でも一度このやり方にした以上、引っ込みもつかなくなっちゃって……」


 確かに彼女を恨んでる人もいるかもしれない……。俺を入社させてくれた時も、人事の人無理やり黙らせてたし……。

 それでも皆が天崎さんに従うのは、彼女の祖父である社長の怒りを買うのが怖いからだろう。彼女を慕っているわけじゃない。


「頑張っても誰にも理解されなくて、肩ひじ張るのにも疲れちゃって……。あの時の私は、間違いなく心が折れかかってた。もう社長代理なんて辞めちゃおうかと、本気でそう思いかけていた」


 ま、マジか……。あの日彼女は、そんな重い悩みを抱えていたのか……。


「でもあの時、私は岸辺君に救われたの」

「お、俺に……?」


 突然俺の名前が出て、ビビる。


「あの時、泣いてる私にあなたが話しかけてくれて、『あぁ……。こんな風に優しくしてくれる人もいるんだ』って思ったの。敵だらけで疲れた私の心を、あなたが優しく癒してくれた」

「そ、そんな大げさな……」

「ううん。大げさなんかじゃないよ。見ず知らずの人にあんなに優しくされるなん

て、私思ってもみなかった……。あなたがあの時手を差し伸べてくれたから、仕事を頑張る力が出た。それは紛れもない事実なの」


 そう語る彼女の表情は、いたって真剣なものだった。俺があのとき声をかけたことを、すごく感謝しているようだった。


「それで私は、君が欲しいと思ったの」

「え?」

「私は、あなたに側にいて欲しいと思った。能力とか学歴なんて関係ない。私が欲しい人材は、誰よりも真面目で、優しい人。そして、私を側で癒してくれる人だったから……」


 そうか……。この人には誰か味方が必要だったんだ。会社内で心から信用することのできる誰かが。


「だから私は君のことを採用したの。君の努力を認めてあげたいと思ったから。そしてなにより、君のことが欲しくなったから」

「天崎代理……」

「だから、そんなに自分を卑下しないで? 私にとって、あなたは大事な存在なの。私が仕事を頑張るためには、あなたにいてもらわないとだめなの」


 まさか、天崎代理がここまで俺を必要としてくれていたなんて……。

 や、ヤバイ。なんか、すごく嬉しいぞ……!?


「ゴメンね……? なんだか、君のことを利用してるみたいで……」

「いえ! そんなことはありません! むしろ、すごく嬉しいです。俺にも存在価値があったみたいで……」


 今まで、ずっと気がかりだった。俺みたいなやつが、どうして彼女にここまで大事にされるんだろうと。俺なんか天崎代理の側にいる資格はないのにと。

 でも俺にも役割があるならば、自信をもって彼女の側にいることができる。


「そういえば、岸辺君。私あの時、君からハンカチ借りたよね?」

「あ、はい。確かにそうですね」


 なんだ? いきなり何の話だろう?


「私、それまだ返していないでしょ? その理由、なんでか分かるかな?」

「え……?」


 そういえば、まだ貸したままだっけ……? ほとんど上げたつもりだったから、それは別にいいのだが……。返さない特別な理由があるのか……?


「実はね……。もったいなくなっちゃったんだ。あのハンカチを返すのが」

「もったいないって……? アレ、別に特別なものじゃないですよ?」


 しかし彼女は、首を横に振る。


「特別だよ? だって君がくれたものだもん」


 言いながら机に手をついて、こちらに身を乗り出す天崎代理。

 そして彼女は、俺の耳元で囁いた。


「私……君のコト、すごく好きだから……」

「っ……!」


 ほんの少し酔っているのか。それとも、別の理由なのか。

 彼女の頬は、綺麗に赤く色づいていた。

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