第6話 天崎さんの甘やかし(序盤)

 天崎さんの計らいにより、俺は無事『ノベルスタジオ』への入社が決まった。

 そして入社してからしばらくの間、俺はシナリオライティングを行う部署で、試用期間中の見習いとして働くことになったのだった。


 が……それが地獄の始まりだった。


 この会社、正直くっそ忙しい。就活の終わりを喜んで、入社に幸せを感じたのも束の間。メッチャ社畜としてしごかれた。


 日々の業務は、いつも最初にミーティング。進行途中のプロジェクトについて進捗状況や流れを確認。その後はひたすら指定されたシナリオを執筆し、適宜ディレクターやプランナーたちと問題がないか作品をチェック。修正依頼が入った場合は、その都度対応しないといけない。


 幸い俺はこれまで作家を目指していたため、最低限の仕事はこなせた。とはいえ、デビューできなかった敗北者の時点でその実力はお察しの通り。何とか形にすることはできても、そのクオリティーは高くない。よって上司に怒られながら、何度も修正する必要がある。


 加えて俺は社会人になったばかりなのだ。数々のルールやマナーを学び、雑務も率先してこなさないといけない。やるべきことは山ほどある。


 結果、毎日退社できるのは終電間際。納期までにきっちりシナリオを上げなければいけないために、休日出勤も当たり前。当然、残業代などは一切出ない。しかもせっかくシナリオを完成させても、ディレクターから理不尽なレベルの修正依頼がやってきて死ぬ。


 そんな日々を繰り返し、約半年にも渡る試用期間が終わる頃。

 俺はすっかり立派な社畜になっていた。


「はぁ……。今回の納期もギリギリか……」


 朝のミーティングが終わり、今後の予定表を確認しながらため息をつく。

 でも、これくらいならまだマシだ。毎日終電まで粘り続ければ、日曜くらいは休めそうだ……。


 なんて無理やり前向きに考えていた時……。


「天崎代理、お疲れ様ですっ!」


 オフィスにそんな声が響いた。

 見ると、「お疲れ様」と返事をしながら、ウチの課にやってくる天崎代理の姿があった。


 そういえば、彼女を見るのは久しぶりだ。入社した後、お礼に一度電話をかけさせてもらったが、それ以降一度も話していない。天崎さんも社長代理として忙しいだろうし、俺も社畜として鍛えられていたから、会う暇なんてなかったのだ。


 でも、なんで天崎代理がここに……? 今まで彼女がこの部署に直接来たことはなかったのに――


「岸辺君。ちょっと社長室まで来てくれる?」


 と思っていたら呼び出された。


「え……? お、俺ですか……?」

「ええ、そうよ。何度も言わせないでくれる?」


 冷たい目で俺を睨む彼女。その視線に、出会ったときのような優しさは微塵も感じられなかった。


 な、何で……? 何で俺、こんな怖い目で天崎代理に直接呼出し喰らってるんだ……?俺、何かしましたか……?


 いや、そういえば聞いたことがある。天崎代理は仕事のできない部下を見つけては、直接説教するのが趣味だと。


 あの優しい彼女に限ってそんなことはないと思っていたが、まさか本当だったのか……? その証拠に、周りの人たちもシ~ンと俺を見ているし。あ、合掌している人もいる。


「待っているから、早く来なさい。遅れたら承知しないから」

「は、はい……」


 去っていく彼女の背中を見ながら、かすれた声で絞りだす。周囲からは「ご愁傷様~」「大変だね~」などの憐れむ声が聞こえていた。


               ※


 初めて見る社長室は、思ったよりも広かった。部屋の中央に高そうな机と来客用のソファがあり、その奥には社長用と思われる大きなデスクと椅子が置いてある。デスクの後ろにある壁はガラス張りになっており、都会の街並みを見下ろせる。


 そして天崎代理は社長用の椅子に座って、俺のことを待っていた。


「し、失礼します。天崎代理……」


 緊張に声を震わせながら、社長室の中に一歩踏み込む。

 天崎代理が、鋭い瞳で俺を見据えた。なんだか、すさまじい剣幕だ。


「……ようやく来たわね、岸辺君」

「は、はい……」


 一体何を言われるのだろうか。心臓が強く拍動し、膝が震えるのが分かる。

 俺は必死の思いでデスクの前まで歩いていく。すると代理も席を立ち、俺の前へと歩いて来る。そして……。


 一気に表情をほころばせた。


「よく来たね~~~~~~! 岸辺く~~~~んっ!」

「ぬああああっ!?」


 天崎代理がいきなり雰囲気を和らげて、俺の体に腕を回す。


「よかったぁ~! ずっと会いたかったよ岸辺く~~~~~んっ!」

「ちょっ、あの……!? あ、天崎代理……!?」


 ぜ、全然怒られなかったぁーーーー! むしろすごい抱き着かれたぁーーーー!

 ってか、何で? どうして俺は抱き着かれてんの!? 怒られると思ってたんだけど!


「ゴメンね? 岸辺君。研修大変だったよね? よしよし。頑張った、頑張った」


 怒るどころか、俺を優しく抱きながら頭まで撫でてくる彼女。

 なんかこの人、俺にだけ超絶甘いんですけど!? メッチャ褒めてくるんですけど!

 他の人の前にいる時とは、まるで別人なほど違う!


「たくさん大変な思いをさせて、今まで本当にごめんなさい。でも、研修は全社員必須なの……。その代わり、これからはずっと私と一緒にいられるからね?」

「あ、天崎代理と一緒……?」


 なんだそれ? マジで状況が分からないぞ。


「あ、あの……! これって、どういうことですか?」


 俺は一度彼女から距離を取り、浮かんだ疑問を口にする。


「俺、何のために社長室まで呼ばれたんですか……? 怒られるのかと思ったんですけど……」

「え? そんなことしないよ~。岸辺君を怒るわけないじゃない」


 彼女は最初に会ったときのような、とても優しい笑顔を向ける。


「今日岸辺君を呼んだのは、大事なお話があるからだよ」

「大事な、お話し……?」


 天崎課長が、一枚の封筒を俺に手渡す。俺は促されるままにそれを開いて、中の紙を取り出した。

 それは、一枚の辞令だった。


 ――本日をもって、岸辺優斗を社長代理補佐に任命する。


 社長代理…………補佐?


「えっと……何なんですか、コレ?」

「見ての通りだよ、岸辺君。これからは私と一緒に楽しくお仕事しましょうね?」


 いや、いやいやいや。意味が分からん。まるで意味が分からない。


「あ、あの……。これ、なんの冗談ですか?」

「冗談なんか言わないよ? これは正式な辞令ですっ!」


 そう答え、胸を張る彼女。その巨乳がさらに強調された。


「いや、それは絶対おかしいですよ。だって自分、まだ研修期間を終えたばかりですよ? それなのに社長代理の補佐なんて……」


 大体、社長代理補佐ってなんだよ。そんな役職が存在するのか?


「ちっともおかしくなんかないよ? だってこれは、岸辺君にしか任せられない仕事だもん」

「お、俺にしか任せられない仕事……?」


 そ、そんなものが存在するのか……? まさか俺は、自分では気づけてないだけで特別な才能があるのか? ドキドキ……。


「ちなみに業務内容は、私の側でニコニコ微笑んでくれることです!」

「はあっ!?」


 社長代理相手に、思わずそんな声が漏れる。

 いや、なんなんだよそのふざけた仕事は! しかもそんなの、確実に誰でもできるじゃねーか!


 そんな俺の心情が伝わったのか、天崎代理が首を横に振る。


「ううん。これは正真正銘、岸辺君にしかできないことだよ? 私には、本当にあなたが必要だから……」

「え……?」


 そのどこか憂いを帯びた顔に、俺は一瞬戸惑ってしまう。

 だが、すぐに彼女は笑顔に戻った。


「それに! 私には義務があるからね! 君の努力に報いる義務が!」

「ど、努力……?」

「君が今まで頑張ってきた分、私がたくさん甘やかせてあげるねっ!」


 そう言って、天崎代理は再び俺に抱き着いた。

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