18話 魚釣島の清明 8/16

 メイシアは船に乗っていた。


 といっても、あの不思議な透明な空飛ぶ船ではない。

 手漕ぎの小さな木造の船。メイシアが昨晩寝ていたあの船だ。


 「森榮しんえい! もっと頑張チバれー!」


 船尾に設置されたを漕いで船は前進するのだが、それを自分が漕ぐと朝から息まいていた森榮が、序盤でバテ始めていた。


 「アギジャビヨー! こんなに大変デージだなんて思わなかったさぁ!」

 ぶるぶる汗をかきながら、森榮が櫓杵ろづく櫓柄ろがらを握り、前へ後ろへ漕いでいる。


 「なに、弱音をぃうんさぁ。メイシアにいいところ見しゆんさぁ?」

 「アッゲ!ネーネー、何ぃうん……!」


 「あのぉー……私が交代しようか?」

 「あーー、大丈夫。コイツが、いつも海に出るのを嫌がって手伝わないのが悪いのワッサンドー。」


 そういうと、ナギィは一つため息をついて、

 「……アッシェ、仕方ないさぁ。森榮、ネーネーと代わって。」

 それを聞いた森榮が待ってましたと言わんばかりに、開放感から大きな声をあげながらその場に倒れ込んだ。


 「ほら、邪魔。あっち行って」

 ナギィに足での前から追い出され、四つん這いでメイシアの横に来た。


 「汗びしょだね、お疲れさま。」

 メイシアに声をかけられて、焦った森榮は「こんなん、何でもないさぁ」と傍でも聞き取れないくらいの小声でつぶやき、ぷいっと海の方を向いた。


 「こら、森榮。こっち見て!いい機会バーだから、ちゃんと船の漕ぎ方を見ておくんだよ。」

 「ったく、ネーネーは人使いが荒いさぁ……アガッ!」

 もちろん、森榮の坊主頭にナギィのゲンコツが落ちた。


 「は?なんか言った?まだヤーは何にもしていないでしょ?」

 「つーーーー。凶暴 イナグ…… 」

 「……もう一発行こうか?」

 ナギィが拳を握った。


 「あはははははは!」

 突然、こらえきれずにメイシアがお腹を抱えて笑い出した。


 面食らった二人がメイシアを不思議そうに眺めた。


 「ああ、ごめん。本当仲がいいんだなぁと思って。」

 「メイシア、こんなのは仲がいいって言わないさぁ。ほんと、森榮は悪ガキヤナワラバーで手を焼いて…… 」


 「ネーネーは、手が早いのがいけない。そんなだから男女イキガイナグって言われるさぁ!アガッ!」

 「あはは、ほら、仲がいい。」


 「「だーかーらぁーーー」」


 「あはははは……。いいのいいの。私、二人みたいな姉妹……じゃないけど、姉妹みたいな二人を知っているよ。二人も全く同じことを言っていたなぁ。私は姉弟がいないからそういうの、うらやましい。」


 「……メイシア、なんか、辛い事思い出させた?」

 「違うの。大丈夫。本当に面白かったし、うらやましいと思ったんだよ。」

 「……それならイーヤシガ……なんか、言いたいことがあったら、ちゃんと言ってね。」

 「うん。ありがとう。」


 「……ワンも、ごめん、」

 森榮がまた、何を言っているかわからないくらいの小さな声で、ぼそっとつぶやいた。

 「ん?」

 「何でもない!」


 「森榮、ちゃんとこっち見て。フニは体全体で漕ぐの。ヤーは腕だけで漕ごうとするから、すぐにバテてしまう。ほら、こうするさぁ!」

 ナギィが櫓を持ち、漕ぎ始めた。


 腕はほとんど固定したままで、伸び縮みはするものの、それは身体全体の重心を前後に動かす時のバネのように見えた。

 「島の人たちはサバニを使うけど、私達ワッターは乗る時一人だし、力も弱いからコレを覚えないといけないよ。」


 ナギィが漕ぐと、森榮の時よりも櫓が奏でるギィという音のストロークが長く、ゆったりと一定で、聞いていて心地が良かった。

 島を見据えたナギィがニッと笑った。


 「それからウリカラ、歌えばもっと島が近くなる。」

 そういうと、ナギィが櫓の軋む音に合わせて、いい声で歌いだした。


  「サー安里屋あさどやぬークヤーマに ヨー

   サー ユイユイ

   あんちゅらさ りばしヨー

   マタハーリヌ チンダラ カヌシャーマーヨー


   サー目差主みざしぃしゅゆだらヨー

   サー ユイユイ

   たりょぬ ぬずぅむたヨー

   マタハーリヌ チンダラ カヌシャーマーヨー


   サー目差主みざしぃしゅ私否ばなんばヨー

   サー ユイユイ

   たりょや りゃゆむヨー

   マタハーリヌ チンダラ カヌシャーマーヨー……」


 愁いを帯びたメロディーを、櫓の音と波の音が優しく慰めているような響きだった。

 さっきまでの姉弟のドタバタの空気が、ナギィの歌声で一転。

 ただ藍(あお)い世界に、船がポツンと揺られている。

 ただそれだけ。


 不思議な世界。

 藍の空間を、浮いた船は歌に合わせて揺られ、進んでいく。


 「……ナギィの声って不思議。それに、ナギィにかかったら、何でも楽器になってしまうのね。」


 メイシアが今まで聞いたことが無い不思議なこぶし。

 聞いたことのない不思議な言葉。今までただの音だと思っていた櫓の音も、櫂が水を掻く音すら伴奏になる不思議。


 でも、それだけじゃない。

 確かにナギィの声には不思議な魅力があった。


 一瞬にして、周りの空気の粒を整列させるような、空間そのものを一番正しい状態へ戻してしまうような。そんな声だった。

 メイシアの心も、ナギィの声と十六夜いざよいの海の音に整えられるようだった。


 船は引き波の裾を広げながら、まっすぐ魚釣島ユイチャージマに向かって進んで行った。




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