3話 十六夜の島 3/10

 そこは四辺の壁が格子で作られた粗末な茅葺の小屋だった。


 守衛らしい存在が二名、小屋を取り囲む垣根の外に居るらしいことは、守衛が持っている明かりによって浮かび上がった影が告げていた。


 ここは牢獄なのだ。

 中に明かりは無い。

 小屋の大きさの割に大きく縁取られた茅葺屋根の端にぶら下がった丸い月が小屋の中に明かりを落としていた。

 先ほどまで月の姿は見えなかったから、もうそろそろ夜明け間近なのだろう。


 床は木造で使い古された茣蓙ゴザが敷いてあるだけ。

 小屋とは言うが、壁は全面格子状なので見た目は鳥かごのそれだ。


 高床なので床はある程度ひんやりとしているものの、外からムンとした熱を持った空気が入ってくる……というよりは、格子の壁なので外気そのままだ。

 夜とは言え気温は高い。


 聞こえてくるのは、風が周囲の葉っぱを揺らす音と、時折垣根の周囲を歩く足音と守衛の交代の声。

 あと泣き疲れて寝てしまったチャルカの寝息だった。



 足音が遠くで聞こえた。


 二人だろうか。交代では無いのか、守衛の引き締まった挨拶の後、足音がこちらへ近づいていくる。大きなシルエットが垣根より、こちら側へ向かってくるのが見えた。

 そして、その大きなシルエットを追い越して駆け寄る細い影。


 「ウッジ!チャルカ!大丈夫?!」


 その声を聴いた途端、安堵からウッジは涙が零れ落ちそうになった。声の主はストローだ。

 駆け寄ったストローが、薄暗い中の様子をうかがおうと格子壁に顔を近づけた。


 「ウッジ!大丈夫なの?ごめん、遅くなって。迎えに来たよ!」

 「ストロー、遅いよぉ」


 「ごめんって。こっちも大変だったんだから。何もされなかった?! ……チャルカとメリーは?」


 「ここにいるよ。……チャルカとメリーは寝ちゃってる。ウチらはここにずっと入っていただけ。」

 そこまで聞くと、ストローはほっとしたのか、崩れるように地面に膝をついた。



 「ウッジ殿、遅くなって申し訳なかった。今、牢を開ける。」

 ストローより先にシルエットを確認していた大柄な男性が、ストローの後ろからそう話しかけると、守衛に鍵を開けさせた。


 「ウッジ、出られる?」

 ストローが扉から顔をのぞかせる。


 不潔なわけではなさそうだが、何とも窮屈で蒸し暑い内部。

 ウッジ達の姿がはっきりと見えた。


 こんなに蒸し暑いのに、床に座り込んだウッジの膝枕で、おでこに汗をかいたチャルカが寝ている。

 そして、その傍にメリーも丸くなって寝ていた。


 「ストローちょっと手伝って。チャルカが寝てて起きないの。」

 慌ててストローが小屋の中に入ろうとすると、ストローと一緒にやって来た大柄な男性が、ストローの動きを軽く腕を上げて制し「自分が。」と小屋へ入った。



 小屋に入った男性は、片膝を立ててうやうやしく頭を下げた。


 「お初にお目にかかる。自分はスイ親軍オヤイクサ司官しかんをしている海榮かいえいと申す。」


 ウッジは自分の置かれていた状況より、体格のがっしりとした見るからに頑丈そうな……、しかも、暗がりでもわかるほど身なりが立派な、そんな男性が、こんな小さな小屋の中で身を屈めている事になんだか居たたまれない気持ちで、慌てて頭を下げて「よろしくお願いします!」なんて、よくわからない挨拶をした。


 「こちらこそ。ようこそ、十六夜いざよいの島、赤星島あかぶしじまへ。御殿の中に部屋を用意した。そちらへ移って、今宵は休まれると良い。その小さな動物もご一緒に。」

 海榮はそういうと、ウッジの膝から、チャルカを抱きあげると、器用に小さな扉から外に出た。


 ウッジは、寝こけているメリーを手のひらで抱えると海榮の後を追って小屋から外に出た。

 外も十分蒸し暑いのだが、小屋の中に比べると風が自由に通る分だけ涼しく感じた。


 それから、一行は海榮によって御殿の中に通された。

 先ほどの言葉通り、海榮は一行に部屋を用意し、不自由が無いように部屋付きにチルーという名の女性を一人呼び寄せると御殿の奥へと消えて行った。



 「皆さま、お休みになられますか?汗をお流しになられますか?浴室もお使いいただけますよ。」


 ウッジが長椅子に寝かされているチャルカを見た。

 じっとしていても汗が流れるような蒸し暑い気候の中、体温の高い子供がずっと膝で寝ていたのだ。

 体中汗でベトベト。

 今すぐお風呂に入りたいのだが……やっと寝心地の良い場所に落ち着いたのか、幸せそうな顔をして寝ているチャルカの顔を見ると無理矢理起こすわけにもいかず、知らない場所で一人でチャルカをお風呂にやるわけにもいかないだろうと肩を落とした。


 「……入りたい、けど…ウチはチャルカが起きてから一緒に入ろうかな。」

 そういうと、ウッジは蔓状の植物で編まれた椅子に雪崩れこむように、重たい体を放り投げた。


 「では蒸した手拭いなどお持ちしましよう。それで拭くと少しはすっきりされるでしょう。」

 チルーはそういいながら、ウッジに冷たい飲み物の入ったコップを渡した。


 「ありがとう、助かるよ。」

 「いいえ。ストローさまはどうなさいますか?」

 そういいながら、まだ立っているストローに飲み物の入った器を渡した。


 「オラは、疲れてこのまま寝たいけど……、やっぱり入ろうかな。その方が疲れが取れそうだもんね。」


 このまま寝床に倒れ込んだら瞬間的に朝まで寝られる自信はあったが、自分の洋服から微かに異臭がする気もするので、睡魔を押し殺すように受け取った飲み物をグビッと飲んだ。

 柑橘系のさわやかな酸味で、少しは疲れが和らぐようだった。


 「ではウッジさまには、とりあえず蒸した手拭いと寝間着をお持ちいたしますね。チャルカさまは……よくお休みのようですので、そのままの方がいいですよね。ストローさまはこちらに。浴室までご案内いたします。」


 チルーが部屋を出るのについてストローも廊下へ出た。

 屋敷内は履物を脱いで上がるのだと聞いて、今は裸足だった。

 廊下は磨き上げられた板張りで、ひんやりとした感触が気持ちよかった。


 突き当りは中庭だった。

 そこを右に折れるとチルーが足を止め案内をする。


 「浴室は、このまままっすぐに行った、渡り廊下を渡った右側でございます。お帰りはお一人でも大丈夫ですか?」

 「あ、あぁ。たぶん、大丈夫だと思う。」


 「湯上りとお着替えは、脱衣場にお持ちしますね。」

 「うん、ありがとう。」

 チルーは、にっこりしてしてからお辞儀をすると浴室だと案内した逆方向へ行こうと一歩踏み出した。


 「あ、チルーさん、」

 「はい。チルーで結構ですよ。」


 「じゃ、チルー、こんな朝方にいろいろ面倒なことをごめんね。」

 「いいえぇー。わたくしどもは朝廷に仕える身分ですので、お気になさらず。ゆっくりお風呂にお入りくださいね。」


 お風呂はチルーの案内通り、渡り廊下を渡った離れにあった。

 引き戸を開けると脱衣所だった。

 御殿に訪れた客が使うのだろうか。装飾も華美ではなくさっぱりとしたそれほど広くない部屋だった。


 ストローは棚に用意されていた籠を引き出し、蔓で編まれた椅子に上に乗せると、この気候には適さないフエルト生地の上着を脱いでカゴの中にそれを放り込んだ。


 開放感から、自然とフゥーと息が漏れる。


 この母親が作ってくれた兄のお下がりのコルトは気に入って大切に着ているが、こう蒸し暑くては具合が悪い。

 フエルト生地とトナカイの皮で出来ている分厚いズボンも脱ぎながら、何気なく周りを見渡した。


 こじんまりとした脱衣所は、建具が竹で出来ていて、外よりも一、二度は涼しく感じた。

 椅子や籠は植物の蔓でてきていて、それも触るとひんやりと冷たく、涼しさを演出している。


 全て着ていたものを脱ぎ終わると、奥の引き戸を開けて浴室へ。


 浴室は浴槽の手前にたたきの床に簀子すのこが置かれた広いスペースがあり、そこに桶や石鹸がおいてあった。


 「至れり尽くせり。」


 湯船に体を預ける。

 また、大きくフゥゥーと息が漏れる。


 オズでも用意された家でお風呂に入っていた。

 それはほんの昨日のはずなのに、何だかずいぶん長い間湯船に浸かったりしていないようなそんな気分だった。



 あの朝、雪蘭シュエランに送られ、気が付いたら船に乗っていた。


 いつ乗ったのかもわからない。

 記憶にあるのは、船の一室で寝かされていたところからだ。


 同じように近くで寝ていたメイシアの首にかかっている達成の鍵が強い光を放って、その眩しさに目を覚ました時まで、どうやって船に乗り込んだのか記憶が途切れている。


 もう一度、フゥゥーと息を漏らすと湯気で白くかすんだ天井を見上げた。


 あの時の事を順を追って思い出す。



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