4話 十六夜の島 4/10

 船で眩しさに目覚めたストローは、まだ動きの鈍い頭にどうにか鞭打って状況を把握しようと周りを見渡した。


 達成の鍵が光を放っている事にも目を見張ったが、それよりも驚いたのは、この大きな船が帆から柱から何から何までガラスのような透明な建材で作られているという事だった。

 周りはもやに包まれてはいたが目を凝らすと、透けた壁の向こうに靄の薄くなったところを縫って柱や帆だと思われるものがユラユラと見えていた。


 四人と一匹は船室というのだろうか。壁も天井も透明なので、室内という感覚が狂ってしまうのだが、透明な何かに囲われたその部屋の中に寝かされていた。

 外はまるで雲の中を進んでいるように濃霧に包まれている。少し薄くなったり濃くなったり、霧がうねっているようだった。


 状況を整理してまとめるには頭の回転が鈍く、ぼんやりしている。朦朧とした意識を認識してからどれくらいの時間がたったのだろう。ぼやりと誰に声をかける事もなく空がうねるのを見ていた。

 鈍い意識の横で空気が動く気配がした。動いていない時間が急に追いついたようだった。

首だけ動かして横をみる。


 動いているのはメイシアだった。メイシアは静かに立ち上がり、光り続ける達成の鍵を首に下げたまま甲板へと出て行ってしまった。


 慌ててかすれた声で「……メイシアどこに行くの?」と声をかけたものの、聞こえている様子がなく、メイシアは室外へと出て行ってしまった。


 フワフワとした不安定な足取りに、放っておくことも出来ず、追いかけて外に出た。

 もちろん、床も透明。


 床はあるのだと分かっていても、宙に足を進める恐怖が無いわけではない。

 透明なドアを開け、外に出ると吹き荒む強い風が恐怖をあおる。次の一歩にはちゃんと甲板の上に着地するのだろうかと。

 そんな恐怖と戦いながら、ストローはメイシアを追いかけた。


 メイシアは何の躊躇もなくふわふわと進んでいく。風が強くメイシアを呼ぶ声も、すぐに遠くへ飛ばされてしまう様だった。



 やっと追いついて、メイシアの肩に手をかけた。

 そこまで来てストローはゾッとした。今メイシアが立っている場所が甲板の際である事分かったらだ。メイシアの太もものあたりで透明な鎖が揺れて、そこが甲板の行き止まりだと告げている。


 「メイシア、どうしたの?」

 メイシアは振り向きもせず、何かに触れようと腕を前に出して宙を掻いた。


 「ぁ……ぁ……、」

 「メイシア? 寝ぼけているの?……起きて!メイシア、危ないよ!」

 メイシアにこちらを向かせようと、肩に置いた手をぐいっと引き寄せるのだが、ふわふわした足取りのメイシアだが簡単にはいかない。何かに意識を支配されているように、こちらの声は届いていないようだった。


 ストローは、透明な固い甲板から下を見下ろして、息をのんだ。

 ここは、空に浮いている船の上。雲の中で視界はほとんどないが、あの雲を抜ければただの空中なのだ。


 どれだけ高い場所を飛んでいるかはわからないが、落ちればただでは済まないだろう。

 早急にメイシアを安全な室内まで連れていかなければ。



 そのまま力任せに後ろへ下がらせようともう一方の肩にも手をかけようとしたその時だった。

 メイシアがフワフワとすり抜けるような足取りで一歩前へ踏み出した。


 とたん、鎖に足を引っかけたような形になったメイシアは、体勢を崩し前のめりになりストローの手からスルリと抜けてしまった。


 一瞬だった。


 どうにかメイシアを捕まえようと前へ踏み出したが、その一歩出したストローの足も宙に落ち、その場に座り込んでしまった。

 間一髪、ストローは甲板に尻餅をついて落下は免れたが、メイシアの体を捕まえることは出来なかった。


 メイシアの姿が生き物の群れのように蠢(うごめ)く雲に隠され見えなくなるにはあっという間だった。


 「メイシアーーーーーーーーーーーーー!」


 船が風を切る音が轟轟ごうごうとストローの声をかき消した。


 ほんの少し、少しだけ早くメイシアを止められていたら。

 どうして肩に手を置くのではなく、初めから羽交い絞めにしなかったのか。

 後悔ばかりするが、ストローに残ったのは、この手にさっきまで確かに触れていたメイシアの服の感触と咽かえりそうなほど纏わりついてくる雲の流れだけだった。



 「ストロー!ストローってば!起きて、ストロー!」

 身体を揺さぶられている事にストローは気が付いた。


 その瞬間、頭の中の霧が一気に晴れたかのように、ぼんやりと奥で聞いていたその声が間近で響く。

 バチッと目を開けると、ウッジとチャルカが覗き込んでいた。


 空は青空。昼間だった。夢の中というのか、記憶の中にある残り香のような感覚が夜だったので、一瞬記憶が混乱する。


 「おはよう、ストロー。」

 そう聞いた後も、混乱からぼんやりと空を眺めた。ずいっと、より一層ウッジとチャルカがストローの顔を覗き込んできた。


 二人の顔をぼんやりと眺め(……あれ、メイシアは?)と思った瞬間、ストローの脳裏に一気に船の出来事がよみがえり、バネのようにと上半身を起こした。

 あまりに勢いが良かったため、覗き込んでいた二人は頭突きを食らいそうになったが、ギリギリの反射神経でかわした。


 「わ! ストロー!危ないじゃない!」

 ストローは起き上がった流れで、あたりを見回すが探し物は見つからない。


 「メイシアは?メイシアはどこ?」

 「あぁ…どこだろう。ウチらも今さっき目が覚めたんだけど、いないんだよね、」

 「メリーちゃんはここにいるよ。」

 『きゃりっ』

 チャルカの肩に乗った小さなメリーがのん気な声をあげた。



 「メイシアを……メイシアを探して!」

 大声で叫んだ。


 「どうしたの、ストロー。顔が真っ青だよ?ちょっと落ち着いてよ。メイシアがどうしたの?」

 「お願いだから、メイシアを探して!オラ……オラ……」

 ストローが、顔を両手で覆った。


 ウッジはいつもの様子と違うストローに困惑したが、何かを飲み込んだように落ち着いた声で何があったのかを訪ねた。


 「メイシアが、落ちて……、捕まえられなくて、落ちてしまって……、捕まえられたはずなのに……!」

 取り乱したストローの説明に、ウッジとチャルカにも事の重大さが伝わったようで、とりあえず三人と一羽で周りにを探し回った。



 三人と一羽が目を覚ましたのは、今いる城の城壁の中だった。

 思えば、見たこともない様な優美な曲線に仕立てられた白い石垣の城壁。

 その敷地内には大きな平屋建てのお屋敷が見えたのに、メイシアの事で気が動転していた事もあって、そこまで気が回っていなかった。


 ペンタクルの町を思わせる暑さの中、メイシアの名前を呼びながら探し回り、案の定、気が付いた時には、大勢の鎧を着た兵に囲まれ、牢へとり込まれていたのだった。


 それからストローが夕方くらいまで、怪しいものじゃない、あと一人仲間がいるので探させてほしいと喚(わめ)き続けて、やっと事情を聴いてくれることになり、城内に代表者としてストロー一人が呼ばれ、海榮に事情を説明し今に至るのだ。



 ストローが「ふぅー……」と息を吐いた。

 浴室の中は白い湯気で充満している。

 意識のスイッチが切りかわる。


 どこまで自分の話を信用してもらえたのかはわからない。

 しかし、一応は牢に閉じ込めなくてもいい存在だと認識はしてもらえた。


 牢から出られて一安心はしたのだが、まだメイシアは見つかってはいない。

 焦る気持ちがふつふつと込み上げて胸の中をかき乱した。


 それを抑え込むように、湯船に潜る。

 焦る気持ちはそれでも心の奥底に沈めることができずに、体内の酸素を急速に使い果たし、まるで海溝まで潜って来たかのように水面から顔を出した。



 「ストローさま」

 戸を挟んだ脱衣所からチルーの声がした。


 「はい!」

 ストローはなんだか悪い事をした気持ちになって、潜っていたことを悟られまいと慌てて返事をした。


 「あぁ、良かった。おのぼせになられて居たらどうしようかと思っておりました。」

 チルーは何回かストローの名前を呼んでいたようだった。


 「あはは、ごめん。疲れてウトウトしていたんだ。……どうしたの?」

 「はい。湯上りとお着替えをカゴの中にご用意いたしました。着ていらっしゃった御召し物は、洗濯にお預かりさせていただいてもよろしいでしょうか?」


 「え、洗濯!それは悪いよ。オラが自分でするから、置いといてもらえるかな?」

 「しかし……、ウッジさまとチャルカさまのお召し物もお預かりいたしましたし、ここの風土はとても蒸すのでしばらくご滞在されるのであれば、私どものご用意いたしました着物が過ごしやすいかと……。それに、あの……、」

 と、チルーが口を濁したところで、ストローは察した。


 急速に居たたまれない気持ちになり、「あぁ、すみません。よろしくお願いいたします……」と温まって血行の良くなった顔をより一層赤くした。

 コルトから、異臭がしていたのだろう。


 「お任せください。では、お預かりいたしますね。お部屋にお飲み物をご用意しておりますので、お召し上がりください。」

 というとチルーは、失礼いたしますと挨拶をして脱衣所から出て行った。

 ストローは脱衣所の戸が閉まる音がすると、湯船から上がりがむしゃらに体を隅々までゴシゴシ洗った。

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