第一章 蠍の炎

1話 十六夜の島 1/10

 疼く。

 ドクンドクンと疼いているそれを、止めることができるのだろうか。


 炎のように真っ赤に燃える。


 どこにだってある想い。誰にだってある想い。

 しかし、それに向き合い、持続させる事の難しさよ。


 持続させると、自分まで焼き尽くしてしまう。

 これを止めるには、凍らせるしかないのだろうか。


 そうすると、運命の輪はきっと止まる。

 何も動かない海の底に身を落として、一人朽ちていく……そんな終わり方もあるのだろうか。



 かつて、遠い記憶。

 暖かい日の光が恋しい。

 あんな日だってあったのに。


 本当に、命というものは……





 霧の中、汽笛が響く。

 メイシアは、まだ夢なのかうつつの中、おぼつかない意識でその音を聞いていた。


 心地の良い浮遊感。


 室内のなのか外なのかもよくわからない。

 目を開けているのか、開けているつもりで瞑って夢を見ているのか……そんなことを考えるともなく、成すがままというよりは従順に微睡みに身をゆだねていた。


 

 無意識にこの長く感じる短い旅が走馬灯のようによぎる。

 そして、もうこの旅に出てから色んな事があり過ぎて、記憶の底に仕舞っていた村での思い出が、沸き立つように浮かんでくる。


 それはまるで、懐かしい自室のベットの上で微睡んでいるかのように。

 メイシアはその心地のいい夢に、心を寄り添わせた。


 小鳥のさえずりが聞こえ朝日が差し込むと、そろそろ起きる時間なのだ。

 そこで、すんなり目覚めないと、母の起床の声が聞こえてくるのだ。呆れたような…でも、ちゃんと愛を感じる声。

 メイシアは懐かしさに我慢できず、夢に委ねた体から意識を少しだけ離脱させて口元を緩めた。



 すると、ふと懐かしい匂いがした。

 母の匂いだ。

 幻のような夢に預けていた身体を、覚醒を優しく妨害する何かに抗って動かした。


 横たわった状態から、上半身を腕で支えて持ち上げる。

 思考と視界の焦点が定まらずに、しばしその状態で考える。


 白い視界にメイシアが、まだ夢の中なのかと自問自答する。

 しかし掌からは木の床の感触。嗅覚も汐の匂い。それらが覚醒は完了していると教える。


 メイシアは、もう少し体を起こし座り込んだ。

 そこは船の甲板だった。濃霧が立ち込めて伸ばした指の先がやっと見える程度の視界だった。


 メイシアの目をこじ開けた母の匂は、まだあたりに漂っていた。

 メイシアは、まだ感覚の鈍る体を動かして周囲を確認した。


 立ち上がり歩き始める。

 甲板は木で出来ているはずなのにフワフワとしていて足取りが重たい。


 「お母さん……お母さん、いるんでしょ?」

 そう口に出したつもりだが、意志とは裏腹に口も重たくて動かない。声帯にも息が通らない。


 後ろで、けたたましく霧笛がなった。

 周囲の船に自分はここにいると知らせているのだ。


 メイシアが、船の叫び声に振り向いた。

 真っ白な霧の中に、懐かしいシルエットが浮かんでいるのが一瞬見えた。

 しかしそのシルエットは、メイシアのフワフワで重たい体とは違い、スッと霧の向こうへと移動してしまう。


 必至で手を伸ばすが、届かない。


 「私の脚!お願いだから動いて!」

 メイシアの想いは届かず、まるで霧が生きているかのようにメイシアの体をがっちりと抱え込んで離そうとはしなかった。


 しかし、メイシアもここで諦めては、手がかりが無くなってしまうと、必死で脚を前進させ、腕で宙を掻き分けるようにもがいた。


 絡んだ霧が今度はメイシアの体を押し戻すように向かってくる。

 それでも一歩、また一歩とメイシアは体を前進させた。



 一瞬、自由が利かなかった体が嘘のように解放された。


 霧にさえ体を委ねていれば感じられていた浮遊感が一転。

 密集していた霧から体がすり抜けて落下する感覚に変わったのだ。


 声もあげられず、どこまでも落ちていく感覚に吸い取られるように、メイシアの意識はまた夢の中に消えていった。






 どこからか、音楽が聞こえてくる。


 音楽といっても、とてもシンプルな旋律。と歌声。

 弦楽器だと思われる音だった。声は女性。

 シンプルなのに、響く音。


 聞いたことない音色なのに、何か懐かしいように思うのはどうしてなのだろうか。

 心地のいい音だった。強く張った弦を弾いて生み出された音。

 波の音も聞こえる。


 メイシアは思った。それもそのはずだと。なぜなら、船に乗っているのだから。

 そして、さっきまでのアレは夢だったのだろうと。


 心地よく揺れる船。波の音と弦楽器の音。なんて素晴らしい夜なんだろう。


 「ネーネー!こっち来て!むぬが寝ているさぁ!」

 男の子の声が聞こえた。


 すると、さっきまで心地の良かった音色が止まり、足音と木の板がこすれてきしむ音が聞こえた。

 「わ、ほんとねぇ。森榮しんえいはあっちに行っときなさい。……お嬢さん、こんなところでどうしたんですか?」


 投げかけられた言葉が、実体を持った何かのように体の上に降って来て、夢心地だった意識を完全に覚醒させる。

 メイシアは今度こそ、本当に目覚めた。

 目を開けるとあんなに濃かった霧は跡形もなく、満点の星空が視界に飛び込んで来た。


 ──── 夜だ……


 「こんなところで、どうしたさぁ?気分でも悪いの?大丈夫?」

 メイシアを起こした声が、もう一度、メイシアに向かって降り注いだ。


 ぼんやりした意識に鞭打って、正しい重力を確かに感じながら体を起こした。


 「ここは……どこですか?」


 「どこって、赤星島あかぶしじまだけど……あなたは、どうしてこんなところで眠っていたの?」

 質問の主は、女性だった。


 ハキハキとした声が物言いにも表れていてた。


 「私たちは……オズから……」といったところで、周りにストローたちがいないことに気が付いて、一気血の気が引いていくのを感じた。

 「どうしたの?やっぱり気分でも悪いの?とりあえず、こっちに来るさぁ。こんなところにミヤラビ一人ほっとけないから。」


 一人という言葉がメイシアに突き刺さった。

 やっぱり、この周りにみんなはいないんだと、思考が回転する。



 女性が手を出した。


 メイシアはどうやら、桟橋に停泊された簡素な木造の船の上で寝ていたのだった。

 まだこれが夢なのかどうなのか、というよりも、夢であってほしい気持ち過多で、フラフラした足を縺れさせながらも、どうにか立ち上がり、女性の手を取ろうと腕を伸ばした。


 だが、少し届かない。

 もう一歩。


 前のめりになり船の縁に足を乗せ、どうにか女性の手をとり、質素な造りの木造の桟橋に移ろうとした。


 その瞬間、縄で桟橋に括り付けられていただけの船だったので、船がグラグラと動き、バランスを崩したメイシアは、短い悲鳴を上げて夜の海へ落ちた。


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