第3話

青春時代・米国留学 航空会社 パリ遊学




神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となさる。(ローマ人への手紙、8章28節)




青春とは若い時代、人生の春に例えられる時期。希望や夢を持ち理想に憧れ、異性を求め始める時期。とある。試練の何たるかを知らない、責任を伴わない独身の特別な時期を、青春時代と呼ぶならば、彼女のそれは自由に飛び回った贅沢なエポックで16歳から26歳の10年間だろうか?




まず、わたし、私、自分が大事な凜子・10年の放蕩生活


要求の多い凜子・主のご計画どおり・・・




先ず己ありき!の若い頃。自分が大切で、私は何をしたいかを再優先。わがままで自己主張が強い。


彼女は、既に自分が確立しており、人に言われて気がつくとか、行動に移すタイプではなかった。集団行動をとらない、取れない、協調性のない、個人主義。自分は他と違うと強く意識していた。凛子は純粋で素直だが忍耐心や受容心や寛大さに欠落していた。持続させることよりチャレンジや開拓だった。自由気ままな放蕩生活、冒険し続けた10年も、最終的に何を求めていたか、明確な解答も出せず、わからずに青春の幕を閉じた。結婚した。凛子人生の経験体験の全てが、クリスチャンとして神さまへの最後のご奉公に、今後どれほど役に立つか、導き手の主に栄光を帰すことができるか、などなど、その頃は知る由もなかった。しかし、全て、主のご計画通りだったのかもしれない!


加えて、要求の多すぎる彼女に対して、理想とする異性に巡り会えなかったことが、後年、彼女の情熱や能力を、自分以外のものへ向けた。これが大きな実りをもたらすとは、予期しないことだった。




彼女は運命論者ではない。運命とは切り開くモノ、彼女は自助努力型、精進する方だが、完全に意図された何か、全治全能で完全完璧に美しく、見事に創造する何かが確実に存在する、ある!と感じる。運不運もそのうちだ。人生の明暗を分けるのも、何かが働くのだ。生まれた年月日、何処に何時、どんな環境の下に、誰の元に、宇宙のどの星の影響を受けて、生まれたか、などなど、とても不思議な世界で、自分で選べるとは到底思えないが、わかっておられる方がいらっしゃるのだろう…と想像する。


凛子の魂は、昭和21年11月1日に東京で、あの戦後の混乱期に、あの両親の下に生まれることを選んだ。彼女は九紫火星でさそり座、中国の算命学によれば、石門星を三つ持つ。占いは信じないが、統計学上から言えば、これらが今の凛子の性格、性質、傾向、目指すものを、実に言い当てているので驚く。彼女は途中紆余曲折ありながらも、常に上昇気流に乗り、スパイラル式に目標に近づき、魂の学びと、世に生まれた目的を達成しつつ、最終的に理想を手中に収め、現実の仕事に反映させ、夢を手にする女性らしい!で、あるならば、理想と現実の狭間で生きながらも、夢をカタチにする凛子は青春真っ最中だろう。人生の最終章で今、理想と大きな夢を現実化していく72歳の凛子。


本当に美しく、心惹かれるのは、真理と共にあるものだけよ!と平然と宣う、凛子!


強運な凛子は、我が主のみを乗せる主の天馬か、神に仕える女忍者か、凛子は一体何者か…!


大人に成りきれぬ、ただの純真無垢な子供の女性か….何と形容しようか、この凛子…!








理想の男性は・・・どこ


わがままで気性の激しいスカーレット・似ている凜子




異性を追い求める時期に、強烈な映画を観た!その映画の主人公に、多感な10代の娘は、決定的な男性観を植え付けられた!彼こそ理想の男性。永遠の男性像だった!凛子は食欲もなくなるほど、その主人公に恋し強烈に惹かれた。友人と帰路を共にせず一人別行動を取った。雲の上を歩いている気分だった。凛子未だ高校生。異性を知らぬ無垢な少女が、完璧な男に出会い、夢と理想を重ね、潜在意識の中で、そんな人を追い求めた。理想と現実の狭間で生きていく凛子がすでにこの時いた。


その映画は「風と共に去りぬ」強烈な男女が、スカーレットオハラとレッドバトラー。女性ならレッドに誰も憧れるだろうが、凛子の場合はかなり重症だった。それがずっと尾を引いたのだから…。凛子の性格はスカーレットに似ていた。わがままで情熱的で気性が激しい。恵まれた環境にあった女性が、過酷な人生に立ち向かっていく・・・。彼女の気丈さと、プライドに裏打ちされた毅然とした態度。勇気ある行動は、自信に溢れながらも、危うさを持ち、強烈に周囲を照らす特別なオーラを放っていた。優柔不断な男に、一途に恋い焦がれて、目が覚めた時には、愛する人を失い、慟哭し後悔し絶望する。それでも、明日に望みを託し、光に向かって歩もうとする、強いスカーレットに、大共感する。スカーレット・オハラ、彼女に計り知れない魅力を感じる凛子。スカーレット続編がさらによかった。




凜子チャレンジ・見ず知らずの校長先生に手紙を書く凜子


田舎町アイロントンと日本の珍客




凛子の大冒険は16歳で始まった!米国の高校生活を綴る一冊の本が凛子を触発。異国へと、米国へと駆り立てた。1960年代の米国は自由とアメリカンドリームを享受。みんな憧れの大国だった。この一冊が動機でアメリカ留学を決めた凜子。ベトナム戦争が泥沼化する以前の米国は、中間層の厚い所謂リッチな国で、国民は大らかで寛容。懐の大きな国だった。1ドル360円!留学は難しく、留学ビザは簡単に降りなかった時代。彼女は日本の高校半ばで、米国の州立高校の見知らぬ校長宛に、何十通もラブレターを書いて送ったのだ。写真と夢と想いを入れて!これが発端で凛子は16歳で米国へ行った!秘密裏に進めたこの大計画、ワクワクどきどきの連続で、日々興奮状態!校長先生が凜子の手紙を生徒に託し、シャロンガイブルが地方新聞に凜子を写真入りで載せた。そこから、この少女・珍客の夢を実現させようと、オファーが殺到!米国から手紙が届く。毎日のように。彼女は同世代のいるエアハート家をホストファミリーに選び、1964年6月に羽田から飛行機で米国へ発った。東京オリンピックが開催された年だった。父親はどんな想いで娘を手放したか…愛娘を手放す気持ちは、どんなだろうか…?若い凛子は、一切気にせず、自分の想いのみ先行し、夢が実現するプロセスをおもいっきり楽しんだ。普通の親なら先ず、反対!行かせはしないだろう。凛子の父親は特別な人だった。彼は娘の資質を見抜いていた、自分の頭で考え、行動し実行する娘を、内心あっぱれ!と評価し、その芽を親の一存で潰したくなかった。娘が選んだホームステイの相手先は十分に信頼できる判事の家だった。父親は多くを語らなかったが、二つ返事で承諾して見せたことが、彼らしかった!彼は、祈るような気持ちで凛子を手放したのだろう…! そして、彼の祈りは確実に聞き届けられた。


渡米後の彼女は連日のように父親に詳細をイロイロ報告した。手紙書きを日課にした凜子。ポストをのぞき、手紙を楽しみにする父親。父と娘はいつも繋がっていた。父が待っていると思うと、書かずには居られなかった。彼は、凜子のほとんどすべてを掌握していた。だから、彼は娘を旅出させることができた。祈りながらも、娘を信じていた。






厳格な判事エアーハート家・英語が話せない凜子




凛子は、子沢山の厳格な判事の家、ドイツ系移民エアハート家で最初の一年を過ごした。自由なアメリカ、楽しいアメリカのはずが、彼女の期待に反して、少々窮屈な日常生活だった。円形の大きなマホガニーの食卓に毎回椅子を引かれて座る!パパがママの椅子を引いて、ママは恭しく座る。ジョンやラルフが凛子やマーサの椅子を引いて、私たちも恭しく?座る。養子の幼児マークも居た。食事はマナーに則り、にこやかに始まる…! エアハート家にはいつも彼らの儀式があった。やり方があった。これがいささか窮屈。で、かなり、戸惑った。教会でも別格な扱いようで、威風堂々とした判事は、決して名前で呼ばれず、いつもジャッジ・エアハートだった。あゝみなさんに尊敬されているんだな…と感じた。彼らは凛子に対しても、公平で平等であり愛情深く接してくれた。でも、やはり、毎日の規則と規律は、少々窮屈だった。凜子のアメリカのイメージは、そうではなかったから・・・。




学校は楽しかった。クラスメート達は言葉が話せない凜子にも明るく親切。校内を闊歩する日本人は凛子一人、東洋人はどこにもいなかった。先生たちにも可愛がられた。彼女は珍客、始終声をかけられていた。ゲーリーのオープンカーコルベットでジョンとラルフ、マーサと凜子は5人で学校へ行った。週末には誰かに何かをいつも誘われた。凛子一緒に行こう!と声をかけてもらえた。ちっとも、寂しくなかった。学校でミスコンテストがあり、ミス火星にも選ばれた。十代のアメリカ娘はみんな可愛い!なんで、わたしが、と思うが、とにかく、クラス代表に選ばれ、可愛いアメリカ娘3人と凜子は、あの地方紙アイロントントリビューンに乗った。デートもした。相手は、ドラムメイジャー!フットボールのゲーム前に、マジョレットと踊ってみせるバトンボーイだ。彼は、後に小児科医になった。ジャック ローズベリーは、現在オハイオ州州都コロンバスで開業中。1年楽しく過ごした米国。高校生活を満喫した凜子。これで十分だった。日本が恋しくなり、高校を卒業したら、帰国するつもりだった。




アイロントンからポーツマスへ


特上のアメリカ生活・夢のデイラー家と凜子


凜子人生に強い影響を与えた女性・ポリーデイラー




隣町のビジネスカレッジの校長先生、ミスターブラックバーンが凛子を彼のカレッジに入れたがった。その気の無い凛子に猛烈なラブコール!是非、ポーツマスに来て欲しい!最高のホストファミリーを紹介するから、もう一年アメリカに居て欲しい!...と彼は熱心に勧めた。で、父親に相談した。これこれしかじか…どうしようか。すると、帰っておいでどころか、凛子の父は、やんわりと言った。もう少し、居てみたらどうだい? イヤになったら、いつでも、帰ってこられるよ!彼の上手な智もありアイロントン高校を卒業した凛子は隣町のポーツマスへ拠点を移した。ブラックバーン校長の言う通り、デイラーは、最高のホストファミリーだった!凛子が夢に描いた特上の米国の家だった。リッチで自由なデイラー家は実業家、銀行家、弁護士、医者からなる名門一族だった。気取らないポーツマスのエリート達は、ティンマリンの丘の上に住み、デイラー夫婦は凛子をリラックスさせ、可愛がった。とりわけポリーデイラーのママから、宝のような思い出と生涯の影響を受けた。彼女は、人柄、雰囲気、話し方、歩き方、人との接し方、全て手本としたくなる、 オシャレで素敵な女性だった。






ポリーは自分のラジオ番組を持つ、町の人気者だった!大股で歩くポリー。誰とでもフレンドリーに話すポリー。好奇心旺盛なポリーは誰にでも話しかけた。家で大パーティーを催すポリー。つばの広い帽子をかぶるポリー。背筋を伸ばして闊歩するポリー。かっこいいポリー。優しいポリー。包容力のあるポリー。この人の側にいれば安心!と凛子は直感的に感じた!もう、大丈夫!何も心配いらない!そんな印象を与えるポリー。人はポリーにイロイロ期待していた!それに応えた女性がポリーデイラーだった。彼女はホワイトハウスの大統領主催の朝食会にオハイオ州選出で2回招かれた。女性初のアメリカ大統領になれると期待されるほどの人だった。デイラー夫婦は日本から来た小さな客人、凛子を我が子のように可愛がり、自慢気に紹介した。あなたがどうやってアメリカへ来たのか皆さんに話してあげて!に始まり、凛子の武勇伝は聞く価値ありだったらしく、彼らの社交の場へ連れて行かれた。質問攻めにあいながら日本を紹介した凛子。今の彼女なら、しっかり日本文化や歴史も説明できるのだが、当時は本当にお粗末な日本代表だった。欧米人の女性を多く知る凛子だが、ポリーほどの度量を持つスケールの大きい人を知らない。米国滞在中、凛子はプライベートでよく旅行した。高校のシニアトリップ、卒業旅行はNYだった。WDCの姉宅を数回訪ねた。ボストン、ニューハンプシャー、フロリダ州のマイアミビーチ、フォートラダデール、風と共に去りぬの、あのアトランタ、フィラデルフィア、ナイアガラの滝、グランドキャニオン、ミシガン州のアノーバー、シカゴ、サンフランシスコ、ロスアンジェルス、ラスベガス、…たった2年間の滞在でこれほど多くを回ったとは!デイラー夫妻に案内もされたが、凛子の親戚も居たり、日本から次姉が訪ねてきたりで、旅行する機会に恵まれた。こうして、凛子の青春の芽は、晴れた陽光の下で、うっすらと膨らみ始めていた。




帰国した凛子・免許取得・事故と違反ばかり・約束破りの凛子




米国から帰国した凛子が真っ先にしたことは、運転免許の取得だった。教習所に通い、免許を取ると早速、父親にベレットという車を買ってもらった。1ヶ月は自宅のある成城から外へ出ない!と言う約束の下で…しかし、早々に約束破りする凛子!成城は出る、自由が丘へ行く、運転して大学へも行っちゃう、第三京浜は先頭切って突っ走る、茅ヶ崎の湘南海岸へもしょっ中ドライブ…!


高速道路でスピード違反、路上で駐車違反、進入禁止を逆方向から入る、違反ばかり!チケットはきられるは、事故は起こすは、で大変だった!ダンプと接触、対向車線にはみ出て玉電と危うく正面衝突、首都高速のカーブを曲がりきれず起こした事故…でも、いつも、誰かが助けてくれた!いすゞのトップセールスマン、ナベちゃんが、凛子の車の事故処理係だった!警察に顔の効く彼は違反キップのもみ消しもしてくれた…! スピード違反を立て続けに3回したことがあった!もみ消しの始末書と誓約書(もうしません)を3回続けて書く前代未聞さ!全く反省なしの困ったさん、凛子…。




上智大学国際学部へ




凛子は、上智大学の国際学部へ通った。比較文化部の前身が国際学部で、帰国子女はいないが、凛子と似た境遇の留学組が数名いた。4人はいつも一緒だった。互いの家も近くて、大学へ車で通学した凛子は、彼らを家まで送った。国際感覚のある4名の共通の話題は、将来の話、ボーイフレンドの話、日本人の欠点の話、秀才タイプの一人を除いて、たわいのない話にキャッキャ騒いでいた。


大学でフランス語を専攻したがフランス文学を目指すわけではない。目的も定まらず勉強する自分自身も嫌で大学に魅力がなくなった。凛子には勉強以上に、短期間にやりたいことがあった!!






思えば、凛子の資質や性格から言って、政治経済を学び、外交官、政治家を目指しても良かった…


しかし、そんな環境になかった。誰からも影響を受けることがなかった。凛子は大学を飛び出し、航空会社で飛ぶことを選んだ。凛子が先ず先頭を切ったが、他の3人も凛子に続くかのようにスチュワーデスになった。一人はルフトハンザへ、また一人はBOACへ、最後の一人もルフトハンザだった。




航空会社 インド航空




凛子はインド航空に入った。インド航空で2年間飛んだ。因みに、この4名で今も現役で仕事するのは凛子だけ!ルフトのキャプテンと結婚した彼女は息子二人持つ未亡人、BOACの友人は2度結婚し2度とも離婚、最後にルフト入りした友人は未だ独身… みなさん、派手に恋愛し結婚もしてました。




インダス川流域、インダス文明の発祥地インド、不思議な国、たくましい国、インド!シュメール神話とインダス文明、イナンナの統治したインダス地域 不思議なアヌンナキ。ハラッパーにモヘンジョダロの遺跡、ガラスの街はオーパーツ?核戦争が古代にあった?拝火教、アユルヴェーダー、バラモン教、ヒンズー教、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、仏教、お釈迦様(仏陀)の生誕地、疑い深いトマスの宣教、チェンナイのサントメ聖堂、古代インドの16大国、マガダ国、仏教に帰依したアショカ王、デリーの今も錆びない1500年前の鉄柱、アーリア人の作ったインドカースト制度、イギリス東インド会社にへポイの乱、大英帝国に300年も統治されたインドの歴史、マハトマ・ガンジー、人種差別、東京裁判のパール判事、ダライ・ラマの亡命先、半海洋国家インドと海洋国家日本の今後の関係、




あなたはこれらに関心ありますか?


今の凛子にはどれも関心のあることばかり。


世界が平和へなるには無関心でいられないことばかりです!


日本が出来ること、日本人だから出来ること、たくさんあるのです…和の国ですから!


凛子には、神秘的な国、日出づる国の民が、世界を平和へ動かす…鍵を握ると思えるのです!




凛子は数あるエアラインの中で、特にインド航空を選択したわけではなかったが、上記の内容に関わることで、インドには古から、何か深い縁があったのだろう!と思う。縁とはそんなものだ!抗えない何かが引き起こす縁!そこで果たす何か役割があるのが縁!




10年も前のこと、話に花が咲き、ある人に凛子の摩訶不思議体験を話していた。すると彼女は、凛子をある霊能者に引き合わせたい!と言った。凛子は霊能者もピンキリだろうから、あんまり関心がない!と言うと、自分が信頼する人だから、是非と言われた。そこで、凛子に関する情報を一切何も提供せず!名前も言わない!を条件で霊能者に会った。約束の日、凛子はちょっとワクワクしながら霊能者に会った。すると、彼女は凛子を一目見るなり、あゝ、何故だかわかりました。と言った!今日お会いする方が特別な人だと、霊が私に教えていたんです。と言った。彼女は凛子に会う日が近づくにつれ、体調不調になり、耳が半分聞こえなくなった…云々を言い出した。そして、いきなり、あなたはインドにいましたね、エジプトにも、メソポタミア中東にもいました…と言った。




凛子はハイ、私はあなたのおっしゃる地域は全部行きましたよ!昔、インド航空に勤めていましたし、エジプトや中近東はしょっちゅうフライトで飛んでいましたよ!...






さて、インド航空、ボンベイが拠点だった。貧富の差がこれほど激しい国はなかろう。マハラジャと下層民は天国と地獄ほど違う。しかしホテル周辺をうろつく乞食はたくましい。同情の余地がないほど、したたか。マハラジャの開くパーティーにも呼ばれた。そこに集まる上流社会の人々、大英帝国が統治した名残を感じさせる建造物、競技場、社交場、虐げられた人が未だ崇拝するイギリス…ファストクラスの機内サービス、マナーは全てイギリス式、インド航空で出会った人々、ダライ・ラマ猊下をお乗せしたフライト、インドに居たから会えた人たち、そこで過ごした時間と空間、占い師から超一流のビジネスマン、スチュワードから優秀なパイロットまで…機種はボーイング707、格安航空券のない時代、満席など有り得ず、いつもガラガラ!いく先々で、次のフライトまで、たっぷり時間あり。始めは物見遊山で観光気分。ナイル川のほとりエジプトカイロへも度々飛んだ。巨大なピラミッドもスフィンクスも見て来た。ピラミッドの不思議は未だ解明されていない。あのパワーは一体何…!どこからくるの?ピラミッドを見守る巨大なスフィンクスも本当は一体誰?真相は神話を究明しなければ、考古学だけではわからない!と思う。現代人の科学や知識、常識を超越した何かがあると思う。広大な自然サファリパークへの玄関口 ナイロビ ケニアはフライトコースだった。ベイルートは中東のパリと言われるほどオシャレで美しい街だった。パーレビ国王の統治していたイラン、テヘランは安全で西洋風でイスラム教色は濃くなかった。イギリスが清国とのアヘン戦争で奪取した香港もフライトコース、美味しい中華の食べ歩きにお買い物。ポルトガルの植民地だったマカオも美しい街だった。2年も飛べば、スチュワーデスの仕事もやはり魅力的ではなくなった。飛ぶルートは決まっていた。ボンベイステイも同じことの繰り返し、何ら目新しくない、だんだん仕事にも嫌気がさして来た。ホテルでブランチ、プールサイドでおしゃべり、誰かのパーティーにお呼ばれ、今日はどこで何する..仲間同士でスチュワーデスの仕事を酷評していた。私たちは体のいいウェイトレス、高級ウェイトレスだわネ!しかも、重労働!肉体労働者ヨ!技能者ではないし…!それでも、辞める人はいなかった。しかし、凛子は違った!彼女を引き止めるものはもう何もなかった。それで、凛子は2年で辞めた!さっさと辞めてしまった凛子。




凛子・勉強し直すことに・ソルボンヌ大を選んでパリへ 




彼女は大学に戻り、勉強し直すことに決めた。パリ、ソルボンヌ大学を選んだ。彼女は語学から入ろうと、ソルボンヌ大学の夏期特別講座の入学手続きを取った。デザインの勉強も愉しそう、国連の通訳目指すのもいいかも….! そんな調子だった。アメリカの次はヨーロッパだった!それも、パリ! ロンドンではなく、パリが良かった!フランスのパリへ行くのが目的となった!勉強は後からついて来る!行けば何とかなるだろう…単純な動機、大さっぱな発想と、大胆な行動、それが当時の凛子だった!


父親には国連の通訳になりたい!それでパリへ行く。そして、1969年6月、羽田からパリへ行った。




フランスの思い出・パリ男・フィリップと凛子・パリ16区 




パリに着いた!憧れのパリへ来た!凛子はシャワーを浴びて、さっぱりすると、早速、散歩へ出た。目が輝いていたのだろう…! 見るもの全てが良かった!調和のとれた街並みと石畳は歴史を感じさせた。それは見事な景観、美しかった!そこへ、坂の上からスポーツカーが下ってきた。絵になる光景!思わず見惚れていたかもしれない!そのシルバーメタリックの車体の低い車が、凛子の横でピタリと止まった! あら、どうしよう!止まっちゃった!話しかけて来る男性…無視しながら気になる凛子!






この人、一体誰?どこの誰?何もの?相手も同じように感じたのだろう。しきりに関心示す、パリ男!


凛子の歩幅に合わせて、動く車…一角曲がり、また、曲がり、ホテルの周りをぐるりとほぼ一周、


相手は完璧な英語を話す、何やらデートに誘う、それでも、戸惑う凛子。出会いはそんな風だった。


全く予期せぬ、突然の出来事!1分遅れても、すれ違っていただろう、この二人…!何で、しかも、パリ到着の初日に…!凛子の到着を待ち受けていたものが、これだったとは!28歳、旅行会社アジア館 MASON DE L’ASIA の経営者、Mr. Phillip D’Andreは、生粋のパリジャン、正真正銘のスノブな貴族!凛子はこの男性と付き合った。一流思考の凛子に彼の好みが一致していた。二人は惹かれあった。凛子にしてみれば、何故、パリで、私は勉強しに来たはずなのに... . 。フィリップは、凛子を絶賛した。貴女みたいな日本女性に出会ったことがない! と言った。凛子は、はっきり、物言うタイプ、物怖じしない、謙遜もしなければ、自分自身が明確な女性…それは日本人らしからぬだろう…。フィリップは彼女にパリを案内した!庶民から特上の生活まで、旅行者が行かない所、行かれない所へ連れて行った。蚤の市へ行った、そこで、アフリカの工芸品を二人で値引き交渉、買う気もないくせに...朝市では花束を買って部屋に飾り、半ぎりのメロンに赤ワイン入れて食べる、これ、フランス式だよ!と説明されながら... 。人気のクスクスを始めて食べたのも、下町のパリ!フォンテンブローへ行ったのも彼と、ダンドレ家の北の別荘ドービルへも連れて行かれた。凛子の下宿先は16区のヴィクトリューゴ、高級住宅街の一角、Rue de Sontay, 彼の実家がその真裏。毎朝、真っ赤なバラの花が一輪、凛子の下宿に届けられた!下宿先のおばさん、びっくり! バラの花が、また、届きましたよ!凛子もびっくり! 学校が終わると、迎えに来てくれた。ラテン地区にある、ソルボン大学の夏期講習には欧米の学生が集まった。日本人は殆どいなかった。先生はノン、ノン、ノンオングレ(英語)全てフランス語で説明、生徒は3ヶ月もすると耳が慣れ、彼女の説明も理解するようになる。流石、ベテラン教師!日本人はたむろしてアリアンフランセに通っていた。フィリップは勉強も手伝ってくれたが、凛子のフランス語は遅々として一向に上達しない!フランス語はリエゾンを聞き取るのが難しかった。フランス上流社会の人達の暮らしぶりは彼を通して知った。彼らはパリのマンションの最上階を独占して住み、専用エレベーターを使い、お城を地方に持ち、バカンスは地中海で… 確実に階級社会の中で暮らしている!そして、夏が過ぎると、一緒に暮らしたい!毎日一緒に居よう!と言い出したフィリップ。凛子がインテリアデザイナーになるのが夢!と言うと、このマンションを好きに模様替えしていいから一緒に住もう!と言い出した。相手は恋愛も自由なフランス男、一方、凛子は母親に厳しく言われて育った?出立間際まで、凛子、操は大事にしなさい…と!凛子は自由奔放でいながら、どこかで、ブレーキがかかる、この矛盾!二人は、一緒に住もう、住まない!住めない!とすったもんだ….!!大人になれない凛子とそれを求めるフィリップは、ギクシャクし出した。そして、最終的に別れた!パリの冬は陰鬱だ!日は短く、太陽が照らず、どんより…そんなこんなに、耐えられなり、凛子は1年足らずで、帰国した。凛子の青春の花は甘くほろ苦くパリで咲いた。パリは凛子の特別な思い出がある街!多分、パリは人に恋させる街なのだろう!いつか凛子の孫たちが年頃になり、これを読んで、おばあちゃまの青春に思いを馳せるかもしれない…! こんな人だったのネ、と祖母を偲ぶかもしれない。




アリタリア・イタリア航空・チャオ・アンデイアーモ




インテリアデザインも通訳の仕事もパリへ行く口実だった…! 凛子は仮の夢もまた捨ててしまうと、


やはり、飛ぶことにした。彼女は次にアリタリア航空を受けた。凛子がパリに居たと聞くと、即、






インタビューはフランス語に切り替わった。当時はフランス語が話せた。凛子独特のキャラと彼女の経


験豊富さは、相手と距離を生まないのだろう…面接でも同様だった。イタリア人支店長とは、共通の友人も発覚したりで、会話が盛り上がり、そのまま合格。さて、アリタリア航空、紺とグリーンの斬新的な制服だった。イタリア人のシャープなセンスを感じさせた制服は着るのも楽しかった。イタリア人は抜群にオシャレだった。彼らの拘りは、見事!だった背広のポケットに何も入れない。ポーチを持って歩く。背広の型崩れを防ぐために入れないそうだ。女性に声かけるのはエチケットとウソっぽい、気軽にチャオ、と声かけてくる!全くいやになる…イタリア人のフルコースに付き合ったら、胃がもたない… 兎に角、よく食べる!よくしゃべる!フェラーリ、ランボルギーニー、マセラッティ、彼らのスーパーカーは、超かっこいい!コックピットにもかっこいいパイロットが数名いた…イタリア北部と南部は気性も違う、北は真面目、南は楽天的で異人種…東京とローマ間を北ルートと南ルートで飛んだ。香港、バンコック、ボンベイ、アテネを経て、ローマへ入り、北ルートはアンカレッジ、北欧からローマへ入った。今は、給油する必要もない、大型ジャンボ機が、給油なしで、どこへでも行く。クルーは気の毒なほど、労働時間が長い、ステイが短い..凛子が飛んだ時代は、入るのは難関だが入ったら、地上では楽、まるで天国。機上の重労働を覚悟すれば。日本人スチュワーデスはショッピングが大好き!みなさん、靴にハンドバッグ、手袋に洋服…なんでこんなに、夢中になるの?って思うほど、殆ど全員が、目を輝かせてショッピングしていた。凛子はブランド志向でも無く、買い物はホドホドだった。




買い物はほどほどに・なんでもしたがる・あそびまわる凛子




いつも、どこへ遊びに行こうか…何をしようか考えていた。ショッピングはいつでもできる!と思っていた。で、この次のフライトはスキーへ行こう、ローマ郊外へ出て太陽道路を走ろう… そんな計画ばかり立てていた。そんな調子だから、太陽道路をフィアットのスポーツカーで突っ走り、冬はダボスへスキーに行き、トリノからもスキーへ、アンカレジではクルーたちとアリエスカへスキー、バンコクでは友人誘って、パタヤで水上スキーにアクアラングにオートバイ借りて走った。みんな遊ぶことばかり、実によく遊んだ!!物を買うより、もっとワクワクするものが欲しかった凛子。スリリングな経験実体験が欲しかった。行ってみたい、やってみたい、行動に移さずにはいられない凛子の性格だった。




パンアメリカン航空




当たり前にイタリア語を話すイタリア人、IATAという航空協定があり、EEC加盟国のスチュワーデスと一緒に日本人は飛んでいた。ところが、他のヨーロッパ人クルーとチェンジする場所が違い、日本人は何故か長く飛んだ。英語で話さないクルー。不平等に扱われた日本人クルー。この二つの理由から、会社を辞めよう!と決め、しばらくして、パンアメリカン航空を受けた。パンアメリカンは、当時、世界の翼と呼ばれ、本格的に長く飛ぶには、理想に近い転職先だった。入社テストは合理的だった!時間と手間の短縮!まず、電話インタビューで合否即決、受かればば筆記試験に呼ばれ、それも受かれば午後に面接、そのあと、健康診断に呼び出され、それで決まる。面倒な書類選考は一切ない!驚くほど早い手順で進む!合理主義の米国らしい選考の仕方だった!パンアメリカンに受かり、アリタリアに辞表を出した。しかし、そこで、大問題が生じた! 父の待った!!が入った。










父の許可が得れない凛子・初めてのノー・困惑する凛子




全てを黙認し、許していたはずの父が、もう、これ以上、飛んではいけません!あなたは日本に居て、


地に足のついた生活をしなさい!と、言った。それこそ、晴天の霹靂! 凛子は父の庇護の下で色々


なこと、さまざまな冒険をしてきた。それが、初めて、ノーと言われた。彼の言葉は重かった!.....


自由奔放で破天荒な凛子の上を行く、凛子を制することができる、上質でパーフェクトな男性に出逢ったことがない凛子。あのフィリップ、Mr.Phillip D’Andre は唯一例外だったかもしれない。ボーイフレンドは普通に居た。レーサー、俳優の弟、パイロット…でも、誰一人、彼女を夢中にさせなかった。凛子の男性観は厳しく、自己主張の強い彼女は、相手にも多くを望んだ。そして、何事にも妥協できないのが凛子だった。凛子にはこの人は違う!この人も違う!...としか思えなかった。特別な感情は湧いてこなかった… 凛子の欲する相手ではなかった。あのレッドバトラーにたどり着くには、凛子自身が幼稚で、何事も学べていない、成長段階にあるのか、出会いはなかった!そこへ、父親の意味深い、重い言葉があった。凛子の戸惑いはどんなだったか…しかし、父は、最もまともなことを言っていた。地に足をつけた生活…凛子の10年を危うい…と思ったのだろう。ハラハラしてみていたのだろう。もう、十分と思ったのだろうか...パンアメリカンで飛ばれる前に、なんとかせねば、と思ったのだろう。彼は、断固、凛子を日本に止め、彼の身近に置いておく気だった。凛子にとって、父親は絶対的存在だった、故に、父の言葉はまともに堪えた。彼の反対を押し切り、自分流を押し切るのが、とても怖くなった!彼女は自分の人生を真剣に考えられず、自分の未来に期待が持てなくなっていた。青春の10年間をあまり好き勝手に生きた凛子は、その先に何があるのか、何が待ち受けているのか、わからなくなっていた。冒険は、どうでもよくなっていた。やりたいことをすべてやった、そんな感があった凛子は、理想の男性など、いないのだ… そんな男性はいなかった…と思い始めていた。それで、凛子は言われるままに見合いをした。相手は、ビル持ち、土地持ち、資産持ち、金持ちの歯医者一家の次男坊だった。凛子の青春10年を概要で綴り男性観や個人的夢も記しました。アナタの青春は如何でしたか?世界を駆け巡り、好きなように、好きなだけ、好きに、過ごした凛子の青春10年。




凛子結婚へ




この後「凛子結婚」へ続きます。後半の凛子は幾多の試練を乗り越え、一回りもふた回りも大きく、成長して行きます。自由奔放な女性が結婚という制約の中で、どう生きたか? 新しい環境の下で、凛子は持てる才能と能力を生かし、社会と引き続き関わりを持ちます。そして、さらに驚くことに、自分勝手で個人主義だった凛子が、なんと、奪うのではなく、与える側に回るのです。人の持つ能力や才能を引き出すことに、喜びを感じるようになります。それによって、凛子自身が成長していきます。やり甲斐のある仕事として、育児、子育てがあり、さらに英語を教え始めます。英語教師として、生徒と接し、彼らの持てる能力を引き出すことに熱中します。また、歯科医と結婚した凛子は、夫のサポート役で歯科医院に入ります。そこでは、サポートどころか、経営者として凛子の本領を発揮することになります。こうして、凛子は青春時代と全く異なるステージへ進みます。凛子の本質は変わらずとも、生き方が変わっていきます。そんなことにもアナタ、関心ありますか? アナタ、そんな凛子に惹かれますか? 


車戸凛子 2019年8月28日


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