中秋の名月とハーメルンの笛の音

登場人物

ぼく…主人公

ハーメルン…笛吹の青年

家神様…少女


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 ふと、窓の外からフルートの音色が聞こえた。

 季節は九月、丁度中秋の名月の見える頃。ぼくがこの街に引っ越して来てから三年と少し経った。

 フルートの音色は、とある青年の所から響いていた。

 そうか、今日は彼がお隣さんだったか。

 窓を開けてベランダに顔を出す。すっかり秋模様になった、少しひんやりとした風が頬を掠めて、部屋の中に吹き込んだ。

 隣の部屋の窓枠に腰掛けて、青年はフルートを吹いていた。


「みんなは俺の事、ハーメルンって呼ぶんですよ、笛吹だから」


 ぼくは人の名前を覚えるのが苦手だから、彼の本名は忘れてしまったけれど、彼がハーメルンと呼ばれていることは、随分印象に残っていた。

 こんばんは、ハーメルン。

 そう、声をかけた。彼は笛を吹きながらに、こちらを一瞥して、ぱちりとウインクをした。

 ぼくはべつに音楽に詳しいわけではないから、どこがどう上手かったのかなんてのは分からないけれど、しかし彼のフルートの腕前はとても素晴らしいものだと保証できる。

 彼のフルートの音色は、季節をのせるのだ。

 この街の季節の一端を担っていると言っても過言ではないだろう。


「いえいえ、さすがに過言ですよ、俺の笛の音はそんなに大それたものじゃないですから」


 いつの間にやら笛を吹く手を、或いは口を止めてぼくの方を向いているハーメルンくん。


「いいえ、家主様の言う通り、あなたの笛の音はとても素晴らしいものです、家主様と同じくらいに素晴らしい方ですよ、ハーメルンさんは」


 ぼくの右側からひょっこりと顔を出すのは家神様。ぼくはそこまで凄い人間だったろうか、と首を捻るが、ハーメルンくんが素晴らしい人だというのには同意見だった。


「俺はただの笛吹ですから、これしか出来ないから、これをやって生きているんです」


 自分にとって、これ、というものがあるのは、ぼくにとってはとても羨ましいことだけれど。何も無いぼくには。


「何も無いなんてことはないですよ、あなたの作る料理はとっても美味しいですし。良ければまたご馳走してください」


 プロには遠く及ばないだろうけれど、それでも褒められるというのは悪い気がしない。

 でもまぁ、それで言うなら、ハーメルンくんだって、やっぱり素晴らしい人なのだと思う。

 なんてったって、そんなに上手に笛を吹くのだから、ぼくよりもよっぽど凄いだろう。

 少なくともぼくは、ハーメルンくんよりも上手に笛を吹く人を見たことがない。


「あのぅ…へへ……なんというか、照れますね」


 にへぇっと笑うハーメルンくん。青年、というより、少年か少女のような可愛らしい表情だった。

 素敵な笛を聴かせてくれたお礼をしようと、ぼくは(自分で言うのもなんだが)手際よくホットココアを入れた。少し冷え始めるこの時期には、やっぱりこれが一番合うと思ったから。


「わぁ……ありがとうございます、いただきます」


 言いつつ、口をつけてココアを飲む。ぼくと家神様もそれにならった。

 ふうっ……と息をついて、カップをソーサーに戻した。ソーサーの底には、ほんの少し溶け残ったココアパウダーがどろっとして、小さく湯気をたてていた。


「ごちそうさまでした、美味しかったです」


 ハーメルンくんからカップとソーサーを受け取って、いっぺんに流し台に置いた。片付けは家神様がやってくれた。いつもぼくがやると言うのだけれど、家主様に奉仕することこそが生き甲斐だと言って譲らないので、食後の片付けだけを任せている。

 今度は夕食を作って招待するよ。

 そう言ったら、ハーメルンくんは嬉しそうに笑った。


「もうじきに秋、ですね……」


 真ん丸い月を眺めながらハーメルンくんは言った。ここにススキがあれば、とても良く映えるのだろうなと、なんとなく思った。ぼくもハーメルンくんと同じように上を眺める。

 十三番街に来る前には見たことのなかった、これ以上ない程美しい月と、満天の星空だった。

 ぼくらは随分夜が更けるまで夜空を眺めていたと思う。

 それは、とても贅沢な時間だったし、きっと十三番街でなくちゃ味わえない時間だろう。

 ハーメルンくんのフルートの笛の音は、ぼくの思ったとおり、やっぱり季節をのせる。

 秋の風は、割にさっぱりとした空気で、ぼくらを包んでいった。

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