雨のせいで客が来ない!

 梅雨。

 年間で、最も俺が憂鬱な時期だ。

 中途半端に暑く、雨ばかり降り、洗濯物も乾かない。

 出かけるにも雨が鬱陶しく、外に出る気にもならない。


 それは俺以外の人たちにも適用されるようで、おかげさまでバイト先で俺は、暇を持て余していた。

 店長は倉庫の方へ在庫確認へ行っている。

「せんぱーい、コーヒーおかわり欲しいです」

 客は0、洗い物もない、掃除するところもないとくればただ突っ立っているだけであり、

「せんぱーい?」

 今日の上がりまであと3時間、どうやって時間を潰そうかと、頭を悩ませ……

「先輩! コーヒーおかわりください!!」

 ………………。


「先輩! 可愛い可愛い恋人の私♡ がコーヒー飲みたいって言ってますよー!」

「はぁ……」


 店内に響き渡る、湿気を吹き飛ばすかのような爽やかで少し甘さのある声。

 もうお分かりいただけたであろう、天音 二菜である。

 今日は土曜で休日、しかも雨が降って出かけるには最悪のコンディションだというのになぜ来たのか、これが分からない。

 暇なら暇で、家でごろごろしていればいいのに。


「お待たせいたしました、珈琲のおかわりです」

「くふふ、ありがとうございます店員さん!」

「それでは、ごゆっくりどうぞ……」

「あ! 店員さん、今日のバイトのあと、デートしませんか?」

「ごゆっくりどうぞ!」

「くふふ、照れちゃってもう~♡」


 くそ、今日は店内に誰もいないからって調子に乗って……!

 さっさと帰ればいいのに、いつまでいる気なんだ。



 さて、バイト終わりまであと……2時間半! 全然時間経ってない!

 どうしようかなぁ、何してればいいんだろう。


「それにしても、今日は珍しく暇そうですね」

「まぁ、こんだけ雨降ってればな」

「私が出たとき、ちょっと小雨になってたんですけどね」


 そう天音が言いつつ、外に目を向ける。

 釣られて俺も外へと目を向けると、そこは酷い土砂降り状態だった。

 そりゃ、こんなに雨が降ってたら外なんて出たくないよなぁ。


 俺だって、バイトでもなければ絶対に外に出ないだろう。

 ただし天音は除く。


「うわー……これ、帰るまでにやみますかねー?」

「こんな日に外なんて出てくるからだぞ、バカ」

「でも、今日はどうしても先輩に会いたかったんです……♡」

「毎日見てるだろうに」

「ウェイター先輩はバイト中しか見れない、ウルトラレア先輩ですからね!」

「さよか」


 人をソシャゲのキャラみたいに言うのはやめろ。


 静かに流れるジャズを聴きながら、雨の街並みを天音と眺める。


「なんだか、雨を見てるとあの時を思い出しますね」

「あの時?」

「ほら、二人して雨降ってる! って昇降口で……」

「あー、せっかく傘貸してやったのに、お前が風邪ひいたあの」

「えへへ、あの時はご迷惑を……」


 そういえばあの時も、今くらいの雨が降っていた気がする。

 春先にこの土砂降りだと、風邪の一つもひいてもおかしくはないのかもしれない。

 今日も天音にはあまり濡れないよう、気をつけて帰ってもらいたいものだが……。


「酷いですよね、私、相合傘して帰りたかったのに、一人で走って行っちゃうんですもん」

「やだよお前と相合傘とか、誰かに見られたら、後から何言われるか……」

「むー、いいじゃないですか! もう私との仲を見せ付けてやりましょうよ!」

「またの機会がございましたら、ぜひよろしくお願いいたします」

「もー! 来ないから言ってるんじゃないですかー!!」


 ほっぺたをぷくっ、と膨らませた天音が、上目遣いで睨んでくる。

 そんな顔をしても全く怖くないのに、自分で自分がどんな表情をしているのか、わかっていないんだろうか?

 ほっぺたを突いてやると、さらに不満そうな表情になるが、やっぱりまったく怖くない。


 ……しかしなんてあざとい表情だ、これが俺でなければ、あっさり絆されていただろう。

 こんな表情でも可愛く見えるんだから、美人ってのはお得なもんだなぁ。


「でも、きっと今の先輩なら私と相合傘してくれますよねー!」

「え、なんで?」

「くふふ、それはー、春先から比べると、先輩がかなり私を好きになってるからです!」


 ふむ。

 何を言ってるんだこいつは。


「先輩! 私もあの頃とは比べ物にならないくらい先輩が好きです! 愛が溢れてます! お付き合いしてください!!」

「申し訳ありません、当店はそういった店ではございませんので、ご遠慮ください」

「もー! なんでですかー!!」



「藤代君」


 そんな風に天音と過ごしていると、店長に声を掛けられた。

 やばっ! いくら暇だからって、ぼーっとしすぎた!


「あ、店長! すいません、すぐ仕事に戻ります!」

「いや、いいんだ。どうせ今日はもう、お客さんも来ないだろうからね」

「それは……」


 確かに……。

 この雨の中、お客さんが来るとは考えづらい。

 朝から来たのも、天音を含めても数組だったし。


「だから、今日はもう早いけど、閉めようと思うんだ。藤代君も上がってくれていいよ」

「わかりました、すいません、それでは今日は上がらせてもらいます」

「ちゃんと彼女をエスコートして帰るんだよ?」

「か、彼女じゃありません!」

「ははは、若いねぇ」


 それだけを言うと、店長が店を閉める準備を始める。

 俺も天音に声を掛け、帰宅の準備を始めるのだった。


 * * *



「ちょっと小雨になってよかったですね、先輩!」

「だなぁ、あの土砂降りのままだと、いくらなんでも帰るの億劫だったもんな」


 少し雨脚が弱まったのを見た俺たちは、そのまま店を出てきた。

 今では傘さえ差していれば、そうそう濡れることはないだろう程度まで雨脚も落ち着いていたので、急いで出てきた次第である。

 雨脚が弱まったと言っても、どこかに寄るような天候ではないので、早々に帰りたいのだが……。


「で、先輩……今ちょっと時間早いじゃないですか……」

「そうだな、また土砂降りになる前に、さっさと帰らないとな」

「えー! デートしましょうよぉ先輩! 私……先輩と行きたいところがあるんです♡」

「こんな雨の中でもイルカの絵は売っているのか、大変だな……」

「もー! 先輩はすぐそうやってー!」


 俺と行きたいところ、なんて言われて、俺が行くわけがないだろう。


 諦めず、くいくい、と袖口を引いてくるが無視だ無視。

 俺は早く帰って、楽しくアイドルとシャンシャンするゲームで遊びたいんだよ!

 雨の中、遊びに行きたい……なんて思う子供じゃないの!

 それでもなお言いすがる天音に思わず溜息……を零そうとしたところで、前から大型のトラックが走ってくるのが見えた。


 そして俺たちの近くには、大きな水溜り。

 これはもうどう考えても水しぶきフラグである。

 俺はとっさに天音の腕を掴み、自分の腕の中で庇うような体勢になり。


「うわ、つめたっ!」

「……っ!」


 背中に、ばしゃっと大量の水がかかったのを感じた。

 くそ、あのトラックめ……俺たちが歩いてるの見えてるだろうに、ちょっとは気にして走れよな!

 雨脚も弱まってるし大丈夫かと思ったら、結局濡れ鼠じゃないか……会社名覚えたからな! 密告してやるからな!


「天音、濡れてないか?」

「え、あ、はい……ありがとうございます……」

「そか。……あーあ、傘、壊れてやんの」


 思わず手放した時に、風圧に煽られて骨が折れてしまったようだ。

 まぁ、なんとか使えるからよしとするか。


「……っもう! もうっ! なんで急にそんなかっこいいことするんですか私を殺すつもりですか!」

「うわっ、なんだよ急に」

「女の子は、急に好きな男の子に抱きしめられたらドキドキして死にそうになるんです!」

「あまりにも理不尽すぎる……」


 せっかく庇ってやったのにこれである。

 まぁ、天音が濡れてないならそれでいいや……。

 と思っていると、天音が自分の傘を差し出し、中にいれてきた。

 なんだ?


「はい、先輩」

「ん、なんだこの傘……俺は自分のがあるぞ?」

「その傘、壊れてるじゃないですか」

「まぁ、大丈夫だろ、帰るまでの間だし。骨が折れてるだけだなんともないぜ!」


 そう言って広げるも影響は大きく、形がぶ格好になってしまっていた。

 この傘を使うのは、地味に恥かしいかもしれない……。

 となると、隣を歩く天音も恥かしいのだろうか? うーん。


「そんな壊れてる傘さしてると、へんな風に見られますよ?」

「だからってお前も濡れるだろ、せっかく庇ってやったのに……」

「大丈夫です、今日の傘は大き目の傘ですし、二人入れますよ!」


 確かに、今日の傘はいつもより大きめに見える。

 まさかこういった状況も視野に入れていたのだろうか?

 天音……先読みの才能まである恐ろしい女だ……!


「……まぁ、家もすぐそこだし、いいか。ほら、傘貸せよ」

「……っ! くふふふふ! ありがとうございます! ……えいっ!」

「あっ、こらお前!」


 俺に傘を渡すやいなや、腕に抱きつくように絡んでくる。

 ば、ばかやめろ! ああっ、柔らかいものが腕に! 腕に!!


「こうすれば、私たち二人とも、絶対に濡れませんよねっ♪」


 一言文句でも言ってやろうか、そう天音を見下ろすと、耳まで真っ赤にしているのが見えた。

 全く、恥かしいなら最初からやらなきゃいいのに……。


「そうだな」

「くふふ、今の私たち、絶対恋人に見えてますよねっ!」

「見えてもせいぜい兄と妹ってとこだな、お前豆粒みたいにちっちゃいし」

「もー! なんでですかー!!」


 この時ばかりは、天音がちっちゃくて本当に助かったと思った。

 真っ赤になった俺の顔を、見られずにすんだからだ。


 そうして俺たちは二人で寄り添うように、家に帰ったのだった。


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