正義のミカタ【パラレルワールド】~ネットアイドル誘拐事件~

 それは、深夜のテレビ番組が録画されたビデオだった。

 スタジオには椅子が二つ、斜めに向かい合うように並んでいる。

 一つには男性の司会者が座っており、もう一つには人が座る代わりに、一台のノートパソコンが開いた状態で置かれていた。

『――さあ、今夜もはじまりました《ニューアイドル発掘TV》! 今回のゲストは、今! 電脳世界で最もホットなネットアイドル、源重之(みなもと しげゆき)君です!』

 『こんばんは、ウェブカメラから失礼します』

 椅子の上のパソコンがアップで映し出され、画面に少年の姿が映った。テロップに『源重之』と白い字が浮かぶ。

 少年が画面に現れた途端に、カメラの外からキャー、と黄色い悲鳴が上がった。それは無理もないことで、少年はとても端正な顔立ちをしていたからだ。

 銀色の短髪に、紅い瞳。年は中学生くらいだろうか。表情はやんちゃそうな、悪戯っぽい笑みを浮かべている。

 パソコンの画面には、少年――重之君の胸から上が映されている。そのため、服装は上半身しかわからない。ファー付きの革ジャケットの下に、ドクロのイラストが描かれた紫色のTシャツを着ている。髪の色や服装から、いわゆるチョイ悪な印象を与えていた。

 『今回、スタジオに来れなかった重之君ですが、やっぱりネットアイドルは現実世界に出てこないみたいな、そういうこだわりなのかな?』

 番組の司会者が、おどけた口調で重之君に尋ねた。

 『あはは、すいません。ちょっと家の都合で、番組には出してもらえないんです』

 重之君は苦笑しながら司会者に答えた。

 『おや、家の都合ってことは、もしかしてお家の人に内緒でこの番組に出てるとか?』

 『そういうわけじゃないですけど……なかなか家から出してもらえないんですよね』

 『え、ちょっと過保護じゃない?』

 重之くーん、とスタジオで観覧している客(声から察するに女性だろう)から声がかかった。重之君がニコッと笑って手を振ると、キャー、とまた悲鳴が上がる。本当に人気なのだろう。

 『それでは、《ゲストにアンケートコーナー》いってみよー! と、ここで一旦CMです』

 そこまでで、ビデオは一時停止された。

 「――つーことで、このビデオに映っている源重之、十四歳が何者かに誘拐されたという通報が入った、らしい」

 リモコンをいじりながら面倒くさそうに喋っているのは、捜査一課の警部、日暮針生(ひぐらし はりお)――通称、『おやっさん』。

 「通報者は確認されているんですか?」

 おやっさんの部下であるぼく、月下氷人(つきした ひょうと)はメモを片手に、おやっさんに質問する。

 「なんでも、源の保護者の助手らしいが」

 「保護者の助手……」

 らしいらしいと、どうにも事件の全貌がつかめない。

 「今、亀追(かめおい)が調べてる。――どうした、崇皇(すのう)」

 おやっさんが、自分をじっと見つめている女性の警部補、崇皇深雪(すのう みゆき)先輩に気づいた。

 「――え、あ、いえ……」

 崇皇先輩は、ハッと我に返ったように答えを返した。

 「なんだ、言え。小さいことでも、何か引っかかることがあれば、手がかりになる可能性がある」

 「い、いえ、あの……!」

 先輩は、慌てて顔の前で手を振るが、おやっさんに目を合わせられて、観念したようだった。心なしか、顔が赤みを帯びている。

 「……ちょっと、番組の続きが気になるなあ、と……すいません」

 「……」

 おやっさんは、無表情のまま、眉間にシワを寄せた。

 「……そうだな、番組の中に手がかりあるんじゃねえか? よくわからんが」

 おやっさんは、いかにもテキトーそうに言うと、持っていたリモコンの再生ボタンを押した。先ほどまで止まっていた映像が再び動き出す。

 捜査一課の刑事たちの目が全員テレビに向けられたのを確認して、崇皇先輩はふう、と静かにため息をついた。それはどうやら安堵からのものらしい。

 ぼくの横に立っていた少女が、崇皇先輩に身体を傾けた。

 先輩の耳元で、そっと囁く。

 「崇皇さん、本当はおやっさんに見とれてたでしょ」

 「ッ! ……り、六花(りか)ちゃん……!」

 六花と呼ばれたその少女――ぼくは、『お嬢』と呼んでいる――の声に、ビクッと体を震わせる崇皇先輩。また顔が赤い。お嬢はクスクス笑っていた。二人のひそひそ声は、すぐ近くにいるぼくにだけ、かろうじて聞こえるようだ。全く、お嬢ったら……。

 おっと、説明が遅れてしまったようだ。何故、コワモテの屈強な男たちが揃う天下の警視庁捜査一課に、まるで正反対な(まあ、崇皇先輩もそうなんだけど)、華奢な体つきのセーラー服姿の少女がいるのかというと――

 「ん? なにか気になるモンでも見つけたか、六花ちゃん」

 ひそひそ話をしているお嬢と崇皇先輩に目ざとく気づいたおやっさんが、声をかけてきた。

 「んーん、何でもないよ」

 お嬢は慌てることもなく、にっこり笑って答えた。

 「――ふん、映像の検分中にお喋りとは、随分余裕だねえ」

 突然、ぼくらの後ろから男性の声がした。振り返ると、ぼくの苦手な人がドアにもたれかかっている。

 「おう、亀追、帰ったか」

 「ただいま帰りました」

 ぼくの苦手な人間であり、先輩でもある男――亀追飛雄矢(かめおい ひゅうや)さんは、短くそう言って、軽く会釈した。

 「まあ、精々頑張ってくれたまえ。警視総監殿のご自慢のお嬢さん」

 皮肉たっぷりの笑み、棘がびっしりの台詞を、亀追さんは包み隠すことなくお嬢に浴びせかけた。

 ぼくはムッとして、反論しようとすると、おやっさんの方が早かった。

 「おいおい、そんなに邪険にすんなよ、亀追。六花ちゃん、『正義のミカタ』の実力、期待してるからな」

 おやっさんは亀追さんを軽く睨んでから、お嬢にニッと笑いかけた。

 「うん、精々頑張らせてもらうよ」

 無邪気な笑みを浮かべて、お嬢は答えた。この少女には皮肉は通用しない。

 『正義のミカタ』。

 この少女――角柱寺六花(かくちゅうじ りか)の、もう一つの名前である。

 警察は、組織で動くものだから、どうしてもその網の目を抜けてしまう犯罪者が存在する。『正義のミカタ』は、そういう組織の力では取り締まれない『悪』を単独で取り締まる、ともすれば自分の身が危ない肩書きである。このセーラー服姿の少女が、そんなあだ名を持った人間なのだから、お嬢の凄さが少しは分かっていただけると思う。

 なに、まだ納得がいかなくても、これから分かることだ。

 まだ事件は、始まったばかりなのだから。

 「どれ、私も映像の検分に参加させていただこうか」

 亀追さんはそう言うと、ちゃっかり崇皇先輩の隣に座った。

 「それより亀追さん、事件の詳細について教えて下さいよ」

 ぼくはとうとう亀追さんにムカムカしてきた。少し言い方に棘があるのが向こうにも伝わるように言葉を飛ばす。亀追さんは冷たい視線をぼくに向ける。

 「ああ、そのためにお前に行かせたんだからな。少しは何か分かったんだろ? この事件は何かおかしい」

 おやっさんの目が、鋭く亀追さんを捉えている。

 「……ええ、確かにおかしいですね」

 亀追さんがおやっさんに投げかける視線は幾分か柔らかい。

 「誘拐事件の通報が入ったというのに、この捜査一課にほとんど情報が入らないんですから」

 そう。普通、人が誘拐された事件は、ぼくたち捜査一課が担当する。

 にも関わらず、この重之君が誘拐された事件は、まだ一課に全貌すら伝わっていない。

 「まず、一課に今回の事件の通報が入らなかった件についてですが」

 亀追さんは口を開いて報告を始めた。

 「では、通報はどこにつながったのか。――情報によると、警視総監に直接通報が入ったそうです。こんなことは異例です」

 一課の面々が、顔を見合わせてざわざわと小さく騒ぎ出した。

 「え、お嬢、知ってた?」

 「んーん、初耳」

 ぼくとお嬢も小声で話した。

 「正確に言うならば、通報ではなく、相談だったようですね。――まあ、それにしても、前代未聞の話ですが」

 確かに、警視総監に事件の相談を持ちかけるなんて、前代未聞だ。

 「しかし、この相談に上層部が騒ぎ出して、上だけで会議している最中です。それで、未だに我々に担当が回ってきていないようです。もちろん、他の課にも」

 「おいおい……その源重之ってのはそんなに偉い奴だったのか?」

 おやっさんは呆れた様子で亀追に言った。

 「番組を見ると、一般人ではないとはいっても、ただのネットアイドルに過ぎなかったみたいだけど……身分を隠してアイドルになったってこと?」

 崇皇先輩はあごに手を置きながら言う。

 「あるいは……重之君の保護者が偉い人なのかもしれないね」

 お嬢が、静かな声で言った。ざわざわと騒がしい部屋の中に、凛とした声が響いた。

 「……ほう、なかなか良い指摘だ。さすが正義のミカタといったところか」

 亀追さんは、お嬢を見て口角を上げた。

 「確かに、警視総監に直接電話をかけて相談を持ちかけることが出来たことから、源重之本人というよりも、むしろ彼の保護者がそれなりの権力なり地位なりを持っているのだろう。……しかし、一体いかなる人物なのか――」

 「あ、それ、僕が答えよっか」

 突然、部屋の後ろから声が聞こえた。

 全員が、一斉に後ろを振り返る。

 「……け、警視総監!?」

 「あ、父上だ」

 お嬢は何でもなさそうに(まあ、父親なんだから当たり前なんだろうけど)、ぽつりと呟いた。

 「やっほ、六花に月下ちゃん。やー、やっと会議終わってさあ。なんかみんな大げさに騒いじゃってごめんねー」

 場の雰囲気を一気にぶち壊す威力を持った軽いノリ。これが、我ら警察の偉大なるトップ、角柱寺凍牙(かくちゅうじ とうが)警視総監である。

 「凍牙、こいつァ一体どうなってやがんだ」

 おやっさんが無謀なほどぶっきらぼうに警視総監に話しかける。

 「やー、ごめんね針ちゃん。僕の電話を近くで聞いてた部下が勝手に大騒ぎしちゃってさ。なんか僕もよくわからないうちに大ゴトになっちゃったのよ」

 警視総監もおやっさんに気楽に返す。

 おっと、言い忘れていた。

 警視総監とおやっさんは大学時代からの親友で、お互い『凍牙』と『針ちゃん』で呼び合う仲だという。

 「いいから事件について話せ」

 おやっさんは無造作に言い放つ。……おやっさん以外の人間がやったら問題になるから、決して真似してはいけない。

 「えーっとね、シゲちゃん……源重之が誘拐されたのは知ってるよね? その子の保護者が僕の関係者――僕の娘なワケ。あ、六花じゃないよ? 六花の姉ね」

 「姉上が父上に通報――もとい、相談したってことかい?」

 「そゆこと! よくできたね、六花ー」

 「はいはい」

 父親が娘にデレデレしているのとは対照的に、お嬢はあくまでドライに対応している。

 「……要するに、子供が親に児童相談を持ちかけただけの話か。なんて人騒がせな……」

 亀追さんは、呆れかえった様子で、大げさにため息をついた。

 「まーまー、そう言わないでよ」

 警視総監はニコニコ笑いながら言った。

 「事件の発覚はアレだったけど、れっきとした事件であることは間違いないのよ。実際、シゲちゃんいなくなってるし」

 「……どうせ家出か何かでしょう。彼は見たところ、不良っぽいと言いますか、あまり良い人間には見えませんしねえ」

 亀追さんは強気で発言する。……一体、何が彼をそこまで駆り立てるんだろうか……。

 ぼくはそう思いながら、お嬢と並んで二人の様子を眺める。

 「んー、家出はしてないと思うなあ。シゲちゃん、家から出ないって娘が言ってたし」

 「家から出ない……?」

 確か、さっきの深夜番組のビデオでも重之君がそんなことを言ってたな。

 「ひきこもりか何かだったんじゃない? 家から出られるはずがないって言ってたけど。……んー、でも娘の話、なんか要領を得ないんだよねえ。何かを隠してるっぽいっていうか」

 何かを隠してる……?

 「――父上。ボクと月下君で、姉上に話、聞かせてもらっていいかな?」

 今まで黙っていたお嬢が、不意に口を開いた。

 「うん、いいよ。っていうかソレを頼みにここに来たし。六花になら話してくれると思うんだよね。取調室に待たせてあるからさ」

 警視総監はニコニコと微笑みながらお嬢を見た。

 「よし、六花ちゃんと月下、行ってこい。何か分かったら報告してくれ」

 「あいあいさー」

 おやっさんがぼくとお嬢に指令を下し、お嬢が敬礼を返した。

 「ちょっと待ってください」

 亀追さんがストップをかけた。

 「何故、月下君が行くんですか? 私も直接話を伺いたいのですが」

 「あ? なんでって、月下が『正義のミカタ』の相方なのはお前も知ってるだろ」

 おやっさんが、いぶかしげに亀追さんに言った。

 そう、ぼくは『正義のミカタ』であるお嬢の相方。いわばお世話係として行動を共にすることが多い。

 「この件が事件か、それとも君が言うようにただの家出なのか、『正義のミカタ』に判断してもらいたいんだ」

 警視総監は微笑んだまま、そう答えた。

 「仲間内でだけ、ですか」

 亀追さんの台詞に、警視総監の眉間が、ピク、と動いた。

 「……君さあ、よく突っかかってくるよねえ」

 警視総監の口は弧を描いたまま、細い目がゆっくりと開く。

 威圧感のある瞳が、亀追さんを捉える。相手を石にしてしまいそうな、見ているこちらが凍りつく恐ろしさだ。

「そろそろ僕、怒っちゃうよ……?」

亀追さんの肩が、ビクッと引きつったのが分かった。

「――凍牙、やめろ。亀追も」

おやっさんが、警視総監の肩に手を置いて、二人をなだめた。

「わりいな、二人共。そんじゃ、行ってきてくれ」

「は、はい……」

ぼくは呆気にとられながらも、お嬢と一緒に一課の部屋を出た。

「あ、その間さー、僕らヒマになっちゃうよね? トランプ持ってきたから、みんなでやろうよ」

「アホ、俺らは普通に仕事あるっつーの」

警視総監とおやっさんの会話が最後に聞こえてきた。

 「……はあ、びっくりした……」

 ぼくは廊下を歩きながら、やっと安堵のため息をついた。

 「今日は亀井さん、機嫌悪いね」

 「お嬢、亀井さんじゃなくて亀追さんね。……でも、本当に機嫌悪かったなあ。まさか、警視総監に食ってかかるなんて」

 亀追さんのようなキャリア組ならば、上司に突っかかるなんて、普通ありえないことだ。上司に逆らえば昇進への道が閉ざされることもある。特に、警察組織のような上下関係が厳格なところは。

 「まあ、あの人、父上のこと嫌いだしねー」

 「え、そうなんだ」

 「なんか、『あんな頭が悪そうなのが警察のトップなんて納得いかない!』……って」

 「……人を見る目なさすぎだろ、あの人」

 警視総監は、先ほどの亀追さんとの対決で分かる通り、怒らせたらヤバいタイプのやり手だ。口調や性格はとても警察のトップとは思えないが、それは表向きの話。決して頭が悪い人間ではない。

 メデューサの瞳を笑顔の仮面で隠している、恐ろしい人間だ。

 「――で、『君のお父上を失脚させて、私がトップになったら君と結婚してやってもいい』……とか言ってた気がする」

 ――……ん?

 「お嬢……それ、いつどこで誰から聞いたの?」

 「先週の金曜日、某高級レストランで夕食をおごってもらったときに本人から」

 「……あの野郎……」

 崇皇先輩だけでなく、お嬢にも目をつけてやがった。

 だいたい、お嬢はまだ未成年だぞ。ロリコンか。結婚ってお前。

 「まあ、ボクは冗談だと思って、軽くはっ倒しておいたけど」

 「冗談だと思うなら、なんではっ倒したの」

 お嬢に殴られたら、相当痛そうだ……。

 「……ね、嫉妬した?」

 「は? しっと?」

 ぼくは言われたことが上手く理解できずに聞き返した。

 「男の人は女の人が他の男の人と晩御飯を食べに行くと焼きもちを焼くんだよ」

 お嬢はきれいな目でぼくを見上げた。

 これは、うろたえざるを得ない。

 「え……えー……? い、いや、あのね? ぼくとお嬢はそういう関係じゃないから、別に嫉妬も何も……」

 やばい、変な汗出てきた。

 廊下で何を言い出すんだ、この子は。

 「じゃあ、ボクらはどんな関係?」

 「え……? ……さあ、どんな関係だろうね」

 歩きながら、ぼくは考える。

 「……仕事上のパートナー、じゃない?」

 「つまらない男だねー、月下君は」

 ぼくが一所懸命に考えた答えに、お嬢は不満げに頬を膨らませる。

 「目の前にピチピチのおにゃのこがいるというのに、据え膳食わぬは男の恥だよ!」

 なに言ってんの、この子。

 「んなこと言われてもね……君の父親から、君に手を出さないように釘刺されてるし、ぼくが好きな人は崇皇先輩だし、だいたいぼくにロリコンのケはないからね」

 お嬢とぼくは七歳ほど離れている。ちなみに亀追さんとお嬢の年の差は九歳。……やっぱり、亀追さんはロリコンだ。

 「ボクは月下君一筋だというのに……全く、罪作りだね月下君は。それでも好き! ねえ結婚してよー専業主夫でいいからさーボクが働くからさー」

 「あ、取調室に着いたよ。早く話を聞かなきゃ」

 ぼくは全身全霊をかけてスルーした。本当に他人のフリをしたい。

 ぼくはこんな風に、お嬢に異常に好かれ……もとい、気に入られている。

 愛情表現がストレートというか、若いなあ、と思う。

 多分、警視総監の娘という特殊な環境のせいで、年代の近い男友達とかできなかったんだろうな。それでぼくのことを何か勘違いしている、と信じたい。

 ぼくには未成年に手を出す気も、ましてや警視総監のご令嬢に恋愛感情を抱く勇気もない。

 頭の中の色々な思考を振り払い、ぼくは取調室のドアをノックする。

 「失礼します」

 「姉上、おひさだね!」

 挨拶をしながらドアを開け、中に入る。

 椅子に座ってうつむいていた女性が、顔を上げてぼく達を見た。

 「ああ……六花。久しぶりね」

 褐色の肌。黒い長髪は、後頭部でポニーテールになっている。

 さすが姉妹というべきか、顔はお嬢とよく似ていて、違うのはお嬢より大人びた顔つきをしていることだ。

 「はじめまして、妹さんの助手をしている月下です」

 ぼくはお辞儀をした。

 「はじめまして。六花の姉の猫詩谷千枝(ねこしや ちえ)と申します。月下さんの話は父から聞いております」

 猫詩谷さんは力なく微笑みながらお辞儀を返した。名字が違うのは、おそらく既婚者なのだろう。……ん? でも……

 「姉上、いつの間に息子が? しかも、名字が違うけど」

 お嬢は、ぼくが疑問に思ったところを的確に質問した。

 『猫詩谷』と『源』。

 名字が全く違う。

 猫詩谷さんは旧姓が『角柱寺』なのだから、どう考えても『源』という名字は血縁関係ではありえない。

 「ああ、……養子なのよ」

 猫詩谷さんはポツ、と短く呟くように説明した。

 彼女はどこか、心ここにあらず、という言葉が似合う状態だった。

 なにか考え事をしながら答えているかのような。

 「警視総監に通報……相談したと伺ったのですが、電話は貴女が?」

 ぼくはメモとシャープペンシルを出して、事情を聞き出すことにした。

 「いえ……私の助手が勝手に連絡をとってしまって、こんな大ごとに……」

 「助手、というのは……?」

 「あ、言い忘れてましたね……。私、科学者と言いますか、研究職に就いていまして」

 「ああ、なるほど……」

 さすがに今は白衣は着ていないが、なんとなく似合う気がした。

 「それで、助手の方が重之君の不在に気づき、警視総監に連絡した、と」

 「そうですね。私が警視総監の娘であることは、周囲は皆知っていましたから」

 「そうですか……」

 ぼくは聞いた話をメモに書いていく。

 「誘拐されたということですが、犯行声明などは送られていませんか?」

 「いえ、来てません。……多分、身代金が目的ではないですから」

 「身代金が目的じゃない……」

 ぼくは嫌な予感がした。

 誘拐というのは、だいたいが身代金目的だ。金が目的でない場合は、誘拐された人間そのものが犯人の目的であることが多い。

 あまり想像したくないが、重之君を恨んで殺すことが目的かもしれない。

 「姉上」

 お嬢が猫詩谷さんに話しかけた。

 「どうして身代金が目的じゃないって分かるんだい?」

 「……あの子は、身代金を要求してお金を手に入れるよりも、もっと有用性がある。あの子を悪用すれば、いくらでもお金は稼げるから」

 悪用……?

 ネットアイドルとしてこき使う、ということだろうか。

 「――ありがとうございました。また事情を聴くことがあると思いますので、よろしくお願いします」

 ぼくは来た時と同じように会釈すると、お嬢と一緒に取調室を出た。

 「うーん……確かに何か要領を得ないね、猫詩谷さんの話。誘拐事件のだいたいは分かったけど、大事なところがぼかされてるというか……」

 「明らかに何か隠してるね。……むう、妹にも話せないなんて……」

 お嬢は眉間にシワを寄せて、難しそうな顔をした。

 「とりあえず、一課に報告、だね」

 ぼくらは、一度来た道を戻って一課に帰った。

 「あら、お帰り」

 一課に戻ると、崇皇先輩が笑顔で迎えてくれた。

 「ただいま帰りました。お疲れ様です」

 ぼくは挨拶を返して、おやっさんのデスクに向かう。

 警視総監は自分の職務に帰ったようだ。

 「おやっさん、聴取ひとまず終わりました」

 「おう、こっちも面白い情報が入った」

 ちっとも面白くなさそうな無表情で、おやっさんは言った。

 「亀追、報告」

 「はい」

 亀追さんはおやっさんのデスクの横に立って、情報を報告してくれた。

 亀追さんはキャリア組故か、広い人脈と情報網を持っていて、なんだかんだ言っても捜査一課で頼りになる人だ。……性格は悪いから、あんまり認めたくないけど。

 「猫詩谷千枝さんの自宅兼研究所の近所に住む人間からのタレコミだが……誰ひとりとして源重之が外出しているのを見たことがないそうだ」

 「見たことが……ない?」

 「余程のひきこもりか分からないが、昼も夜も、一度も外の世界で出くわさないのは、少々異常だ。猫詩谷さんが彼を監禁している、などという噂までたっている」

 監禁。

 そう言われると、なんとなくつじつまが合うような気がしてくる。

 異なる名字。にごされた言葉。要領を得ない説明。警察に通報することを望んでいなかったような態度。

 もしかしたら、源重之を誘拐したのは、もともとは猫詩谷さんなのかもしれない。

 その少年を、彼の本当の肉親などが取り返したとすれば――?

 「馬鹿なこと言わないでほしいな」

 少女の声が静かに、しかし凛と響く。

 お嬢の眼が、まっすぐに亀追さんを見据えている。

 「別に、私が言ったわけではないよ、お嬢さん。しかし、今のところつじつまが合う答えの一つだ。ひきこもりか、監禁されていたのか、あるいは別の可能性か」

 「――月下君、もう一度、姉上に話を聞いてみよう」

 お嬢は鋭い目つきのまま、ぼくの手を引いて歩き出した。

 「ボクは姉上が重之君を監禁していたなんて信じられない。かといって、重之君はひきこもるような性格とは思えない」

 廊下を歩きながら、お嬢は言った。

 「つまり、『別の可能性』を考えてるんだね、お嬢?」

 ぼくは手を引かれながらお嬢に話しかける。

 「うん。なんとなく見当はついてるんだ」

 お嬢とぼくは、再び取調室に立った。

 ちょうど、猫詩谷さんが帰り支度を始めていたところだった。

 「あら、また来たのね、六花に月下さん」

 「やあ、改めて話を聞かせてもらいに来たよ」

 「あら……思ったより早いわね」

 お嬢は猫詩谷さんに目線を合わせた。

 「――姉上さ」

 鋭い目が、猫詩谷さんの目と合う。

 「さっきから何か隠してるよね」

 「……なんのことかしら」

 猫詩谷さんはお嬢の瞳を見据えて言った。

 「父上に通報したことを迷惑がっている態度。息子が誘拐されたにも関わらず警察に言わない。犯人からの犯行声明が届いたわけでも、警察への口止めをされているわけでもないのに。さらに、家から外出したところを一度も目撃されたことのない重之君。そして、さっき姉上が言ってた『悪用』って言葉。――普通、人間に対して『悪用』なんて言葉は使われない」

 お嬢と猫詩谷さんは、お互い目を逸らさない。

 「――もしかして、重之君は、人間ではないんじゃないかな」

 お嬢の言葉に、ぼくは理解能力が追い付かず、呆然とした。

 ……え、この子、今なんて?

 「お、お嬢? どういうこと?」

 「あの深夜番組の映像を思い出してほしいんだけど、重之君はパソコンから出演していたよね。そしてこう言っていた。『家の人の許可はもらっているけど、番組に直接出ることは出来ない』。それは、パソコンの中から出てこれないから、ってことじゃないのかな」

 「パソコンの中から……って、どういうことだい、お嬢?」

 「そのままの意味さ。パソコンの中で生まれた人間……『擬似人格プログラム』だ」

 「ぎ、ぎじ……?」

 耳慣れない言葉に、ぼくの頭は混乱してきた。

 「つまり、人間に似せて創られた、人間のように思考能力や感情を持ったプログラムだよ。でも、擬似人格プログラムが完成しているなんて、多分世界初だろうね」

 お嬢の話は続く。

 「それなら、警察に通報しないのも分かる。人気のアイドルが人間じゃないと知れればファンはどんな反応をするか分からない。家から外出しているところを目撃されていないのは当たり前だ。パソコンの中の人なんだから」

 「……やれやれ。六花には隠し事ができないわ」

 猫詩谷はため息をつきながら、そう呟いた。

 「姉上は隠し事が苦手だからね」

 お嬢はクスクス笑いながら言った。

 「今度こそ、ちゃんと話してくれるよね?」

 「……いいわ。どのみちこれ以上隠しきれないし……」

 猫詩谷さんは、やっと本当のことを話してくれそうだ。

 「私の研究所のパソコンが一台、なくなってたの。今朝のことよ」

 「パソコン……ですか」

 「その中に重之を保管してたんだけど、ノートパソコンだから、やろうと思えば盗み出すのは簡単よ。まさか盗まれるなんて思ってなかったし」

 ――いや、世界初なんだから、もうちょっと警戒しましょうよ。

 ぼくは内心、そう思った。

 「犯人は多分、姉上の助手だろうね」

 お嬢はあごに手を置いて、考えながら言った。

 「重之君の正体を知っている人間は、姉上とその助手くらいしかいないだろうし」

 「……そうね」

 猫詩谷さんは悲しそうな目をしていた。

 「あの番組に重之君が出演したときは、ノートパソコンをスタジオに持って行ったんですか?」

 ぼくは猫詩谷さんに尋ねた。

 「いいえ、あのときは確か、ネットを通じて重之を送ったんです。ネットを使わないと、重之は『外出』できないから……」

 「ということは、今はネットがつながってない環境に『監禁』されている可能性が高いね」

 お嬢はそう言って、

 「よし、月下君、一課に戻ろう。みんなでとっちめてやろうね!」

 「う、うん」

 またもやお嬢に手を引かれ、引きずられていくぼく。

 お嬢はドアに手をかけると、

 「じゃあ、姉上、行ってくるね! 絶対、重之君を取り返してみせるから!」

 ニコッと笑った。

 「お願いね。――私の、大事な息子なの。助けてあげて」

 猫詩谷さんはそう言って、深くお辞儀をした。

 「――猫詩谷さん、重之君に愛着がわいちゃったんだな」

 引きずられながら、ぼくは呟いた。

 「人間じゃない、さわれもしないモノに愛情を抱くなんてこと、あるんだな」

 「犬や猫にだって人間以上に愛情を注ぐ人間がいるんだから、ましてや人間によく似たものに愛着がわくのは、ある意味当然のことじゃないかな」

 お嬢は、ぼくを引きずりながら答えを返した。

 「……さて、いよいよ『正義のミカタ』の出番だね。頑張ろうね、月下君」

 お嬢に引きずられたまま、ぼくは一課の部屋に向かったのだった。

 「……なんか、思った以上にすごいことになってるな」

 おやっさんは、白髪頭をボリボリ引っ掻きながらそう言った。

 「まさか、重之君が人間じゃなかったなんて……」

 崇皇先輩は目を丸くしている。

 「それで、容疑者を突き止めるまでには至ったんですが、決定的な証拠がないんですよね……」

 ぼくも、頭をかきながら申し訳なさそうに言った。

 そう、証拠だ。

 誘拐犯を捕らえ、監禁場所を捜索して重之君を救出するには、令状が必要で、令状を発行するには、それだけの力を持った証拠が必要なのだ。

 「待ちたまえ、月下君」

 「……なんですか、亀追さん」

 亀追さんが声をかけてきた。ふと、この人がお嬢を夕食に誘ったことを思い出し、返事が遅れた。

 ――……?

 なんで急に事件と関係のないことを思い出したんだろう。

 そう思っていると、亀追さんの話が始まっていた。

 「そもそも、盗まれたのが人間ではないならば、この事件は『誘拐』ではなく『窃盗』扱いになる。窃盗事件の担当は三課だ。我々の手からは離れることになる」

 「あー、まあ確かにそうなるな」

 おやっさんもうなずいた。

 「そ、そんな……!」

 ぼくは目をむいた。

 ここまできて、他の課に後を任せるなんて……!

 「……というわけで、我々捜査一課は事件の担当から外れる。……捜査一課は、な」

 「……?」

 ぼくは、亀追さんの発言の真意が分からなくて首をかしげる。

 「わからないか? 君たち『正義のミカタ』は好きにすればいい、ということだ。……こういうときのために、君たちがいるんだろう?」

 亀追さんは唇の端を上げて言った。

 「亀追さん……」

 なんだ、この人、案外いい人じゃないか……

 「あら、亀追君、かっこいいじゃない」

 崇皇先輩が笑って言った。

 「ふふっ、惚れてもいいですよ崇皇さん」

 「いや、それはないけど」

 …………。

 前言撤回。やっぱりムカつく、この人。

 まあ、それはともかく、ぼくとお嬢のたった二人で行動することになってしまった。

 「これからどうしようか……」

 「とりあえず、容疑者について調べないとね」

 ぼくとお嬢は警視庁を後にした。

 猫詩谷さんによると、彼女の研究所に助手は二人いて、そのうちの一人が彼女の許可なしに警視総監に相談したという。

 犯人が自分で通報するなど考えにくいので、ぼくらはもう一人の助手の住所を聞き出し、家の近くのファーストフード店で食事をしながら張り込みすることにした。

 「……しかし、どうする? 家の中に重之君がいるとしても、証拠がないと家宅捜索できないから助けようがないよ」

 「んー、せめて重之君だけでも救出したいよね。かといって、まさか正義のミカタが住居不法侵入するワケにもいかないし」

 ぼくとお嬢は、手出しが出来ない状態だった。

 お嬢はふと、ぼくの分のバーガーが乗ったトレイを見た。

 「な、なに、お嬢? あげないよ? 自分のがあるでしょ?」

 「人を勝手に食いしん坊にしないでくれるかな」

 お嬢はぼくを軽く睨むと、ぼくのトレイに敷いてあるチラシを抜き取った。

 チラシには、子供向けのキャンペーンの紹介などが書いてある。

 「『無線LANを利用したゲーム配信キャンペーン』……」

 お嬢は呟くように読み上げた。

 「無線LANってなんだい、お嬢?」

 「簡単に言うと、普通のインターネット回線に必要なLANケーブルが必要ないネットワークのことだよ。……いいこと、思いついたかも」

 「本当かい?」

 お嬢の言葉に、ぼくは顔を上げた。

 「まあ、これには、重之君の判断力も必要だけどね……上手くいくかは彼次第だ」

 お嬢は、ニッと笑った。

 「助手の兄ちゃん、俺を自宅に招いてどうするつもりなんだ?」

 重之はノートパソコンの画面の中から、男を睨んだ。

 男は、重之の生みの親の助手だ。

 男は重之をなだめすかすように微笑んでいる。ただ、その笑みは物欲にまみれて汚く見えた。

 「重之君、君はネットアイドルだの芸能界だの下らないことをするような小さい存在なんかじゃない。君はもっと高尚なことに役立つべきだ」

 「下らないだあ? ふざけんな! 芸能界は俺様の夢だったんだ! もう少しで夢が叶うってのに、お前なんかに付き合ってられっか! さっさと家に帰せ!」

 重之は怒鳴るが、男はニヤニヤ笑ったまま、可笑しそうに重之を眺めているだけだった。

 「ククッ、生意気盛りだねえ重之君は。猫詩谷さん、中学生の人格を再現したんだなあ。見事だ……素晴らしいよ重之君!」

 「ケッ、気色ワリイ。帰せっつってんだからさっさと帰せっての!」

 重之の罵倒も、男はさして気にしていない。むしろ怒れば怒るほど、男は愉快そうに笑うのだ。重之は気味が悪くなってきていた。

 「ふふふ、帰りたければ帰ればいい。できるものなら、ね……」

 (クソッ、できたらとっくにやってるっての……!)

 重之は眉間にシワを寄せた。

 このノートパソコンは、LANケーブルがつながれていない。そのため、インターネットにつないで逃げることができない。無線LANには対応しているが、周囲にアクセスポイントがない。このノートパソコンは今の重之にとって逃げ場のない鳥かごなのだ。

 「君を猫詩谷さんの代りに学会に発表するんだ……僕は第一人者になれる。君はそれだけの完成度を持っているんだ。君は凄い存在なんだよ重之君! あはは……」

 男は高らかに笑った。重之がげんなりしてきた、その時。

 「……?」

 重之は、自分のいるパソコンがネットワークに接続されたのを感じた。

 何故かはわからない。しかし、行くなら今しかない。

 「なんだかわかんねえが、しめた! トンズラ!」

 重之はネットの海へ脱出した。

 「は……は……!? 馬鹿な、何故……!?」

 男は呆気にとられていた。

 急いでパソコンをいじるが、もう手遅れだった。

 「うあああああ! 畜生!」

 男は両手を机に叩きつけた。


 重之君は、助手の家の近くに止めておいた警察車両のパソコンに逃げ込んだ。

警察車両にアクセスポイントを積んだのだ。

 「うお? なんだここ? とりあえず近くのパソコンに逃げ込んでみたが……」

 「重之君! 良かった、逃げてこられたんだね!」

 ぼくは喜んで重之君に声をかけた。

 「ん? 兄ちゃん、俺のこと知ってんのか? アンタら誰だ?」

 「はじめましてなんだね! ボクは猫詩谷千枝の妹なんだよ!」

 「千枝ねえちゃんの?」

 「猫詩谷さん、警視庁で待ってるからさ。一緒に行こう」

 ぼくらを乗せた車両は本庁へ向けて走り出した。

 「それにしても、逮捕しなくて良かったのかな」

 「逮捕するばかりが正義のミカタじゃないよ月下君。少なくとも今回の件でアイツはクビになるだろうしね」

 「いやー、助かったぜ! ホント、ありがとな!」

 重之君はすっきりした顔で笑った。――本当に、人間みたいだ。

 「お嬢。――お疲れ様」

 「お疲れなんだね!」

 ぼくとお嬢は、拳をコツっと合わせて、労をねぎらいあったのであった。

〈了〉

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