正義のミカタ・03話~はじまりの想い出~

 東京、警視庁。

 警視総監室の前の廊下で、ぼく――月下氷人(つきした ひょうと)はじっと立っていた。

 警視庁のトップの御部屋には、現在部屋の主とその御令嬢――角柱寺六花(かくちゅうじ りか)の二人が入って、話をしている。

 先日、北海道に旅行に行ったお嬢とぼくは、殺人未遂事件に出くわし、お嬢は不注意で、犯人により負傷した。お嬢はしばらく現地の病院で療養し、つい最近、ぼくたちは東京に帰って来たのだ。

 娘をひいきしない警視総監殿は、娘の不注意だからと、随伴していたぼくを罰することはなかったが、ぼくはそれでも申し訳がなかった。ぼくは、目の前でお嬢が刺されるのを見ながら、何もできなかった……。

 ぼくはお嬢が部屋から出るのを待ちながら、やがてお嬢とぼくが出会ったころを思い出していた。


これは、ぼくとお嬢の、はじまりの話。



 ぼくが警察に就職して間もないころ。

 ぼくが警察官になった理由は、国民のためとか、国の治安を守るためとか、そんな大層な理由じゃない。単なる生活費を稼ぐ仕事。体を張るから給料が高めでいいな。それだけだった。警察学校に入った時から給料がもらえる、というのも良かった。

 ぼくは小さな交番に配属されて、しばらくそこに勤務していた。基本、事件はほとんどなく、あっても小さな窃盗程度だった。

 その日も、ひったくりを一人捕まえて、手錠もかけずに交番まで連れていく途中だった。手錠をかけなかったのは我ながら油断していた。

 今までおとなしくしていたひったくりは、人のいない土手に来た途端、いきなりぼくの手を振り払って逃げだした。当然ぼくも追う。

 ――まったく、こっちだって報告書書いたり色々忙しいんだから、手間かけさせないでほしい。面倒臭い。

 追跡中に考えていたのは、そんなことだった。

 突然、ひったくりの男が盛大にすっ転んだ。

 やった。なんか知らないけど、ラッキー。

 小走りに近寄ると、倒れている男の近くに、少女が立っていた。セーラー服。腰まである二本の長い三つ編み。眼鏡までかけて、完全に優等生スタイル。少女は、やってきたぼくを見て口を開いた。

 「君、警察官かい? 駄目だよ、ちゃんと手錠かけとかないと」

 「はあ……すいません」

 ――見かけによらず、妙な話し方をする子だな。

 ぼくは思わず敬語を使ってしまった。

 「て……てめえ、よくも足かけやがったな!」

 ひったくりが、鼻を押さえながら起き上がった。どうやら、この少女がひったくりを転ばせたらしい。男は少女の首に腕を巻きつけて、ぼくから距離を取った。

 「動くな! 動いたら、こいつの首へし折るからな!」

 ――うわー、また面倒なことになった……。

 少女の命がかかっているのに、ぼくはそんな不謹慎なことを考えていた。せっかく平和そうな小さい交番に所属しているのに、たまに面倒なのだ。犯罪なんか無くなれ、馬鹿。

 そう考えている間に、少女は男の腹に肘鉄をくらわせ、腕を掴んで一本背負いをした。ぼくが驚いて見ているうちに、男は地面に叩きつけられた。

 「――何ボーっとしてるんだい、警察官君」

 そう言われて顔を上げる。少女の綺麗な顔がぼくの方に向けられている。

 「面白い人だねえ、君。人が人質にとられても、人質が犯人を倒しても、見てるだけだなんてさ。普通、警官なら人質を助けて犯人をノックアウトするべきじゃないのかい?」

 口調は責めている様子でもなく、表情もニコニコ笑っている。本当に純粋に、ぼくの反応を面白がっているようだ。

 ――人質に取られて、なんでこの子、普通に笑ってんだろ。

 ぼくは、ここでやっと少女に少し異常を感じた。邪気は一切感じないのに、明らかに普通じゃない。

 「ねえ、警察官君。君の名前は?」

 「え、……月下氷人(つきした ひょうと)、だけど」

 「月下君、か。ボクは角柱寺六花(かくちゅうじ りか)。そのうち、君の交番に遊びに行かせてもらうよ。それじゃねっ♪」

 気絶しているひったくりと呆然としているぼくを置いて、少女は愉快そうに走って行ってしまった。

 これが、ぼくとお嬢の出会いである。



 次の日、本当にその少女が遊びに来た。

 いつも通り、ぼくが交番のデスクに座って仕事をしていると、誰かがそばに立った。顔を上げると、昨日の少女。

 「あれ、君は…………名前、なんだっけ」

 「あはははは、物覚えの悪い警察官君だね。みんなのアイドル、角柱寺六花(かくちゅうじ りか)ちゃんだよ。六花ちゃん、と呼んでくれて差しつかえはないよ」

 「ああ、六花ちゃんは芸能人なの?」

 「違うよ! 何言ってんだい。アイドルってのは例えだよ! 全く面白い人だな月下君は!」

 にこにこ笑いながらハイテンションで飛ばしていく六花ちゃん。なんだか面白い子だ。

 それから六花(りか)ちゃんは、毎日交番に来るようになった。彼女は当時、中学校に通っていて、学校が終わった頃にやってきては、ぼくや交番の警官たちと楽しそうに喋っては帰っていく。いつしか、それが日課のようになっていた。交番のぼくの先輩方も六花(りか)ちゃんを気に入っていた。ぼくと彼女の出会いを話したら、「お前何やってんだ」と、呆れながらぼくをからかった。

 ぼくは、こんな毎日がいつまでも続くと、思っていた。



 ぼくの日常が破壊されたのは、夏が終わる一週間前。交番のデスクで、蝉の声を聞きつつ、日誌を書きながら六花(りか)ちゃんが来るのを、いつものように待っていた。しかし、いつまで待っても彼女は来なかった。

 (あれ、どうしたんだろ)

 ぼくは首をかしげた。それこそ毎日、土日でも決まった時間に交番に来ていたのに。

 (きっと、夏休みの宿題で忙しいんだろう)

 ぼくは、あまり深く考えなかった。

 ――彼女がその時、大変なことになっていることにも気付かずに。



事件が発覚したのは、その二日後、夏が終わる五日前。

 ぼくが交番に出勤すると、何やら交番の中が騒がしかった。

 「どうしたんですか?」

 先輩の一人に声をかけると、いつも冷静な先輩が、いつになく取り乱した様子で答えた。

 ――つ、月下! 大変だ、大事件だ! ……警視総監の御令嬢が誘拐されたらしいぞ!

 「け、ケーシソーカン……?」

 警視総監って、アレか。

 あの、警視庁で一番偉い人。

 の、娘さんが誘拐か。

 ――誘拐犯が、この近くに潜んでるんだとよ!

 「マジですか」

 おいおい。

 平和なのがウリじゃないのか、この交番。

 とはいえ、こんな小さな交番が捜査するわけではなく、所轄署のほうで勝手にやってくれているらしい。ぼくは茶をすすりながら、自分たちに関係ないのに騒いでいる先輩方の話を聞いていた。

 ……ぼくに関係大ありだと知るのは後の話。



 夏が終わる三日前。所轄署から連絡がきた。犯人の居場所を突き止めたらしい。警視総監の御令嬢の力は大層強力なようだ。警察が本気を出すと、こんなに早くわかるのか。

 いつもこのくらい本気出せばいいのに、と思いながら、ぼくは交番の部長の話を聞いていた。

 ――それで、月下君。署の捜査員のために、その場所まで道案内してくれないか。

 平和な交番によく似合う、白ひげをたくわえた温和な顔の部長が言った。ぼくが断ることはできない。暇だし。

 「わかりました」

 場所を聞いて、署からの捜査員を率いてそこに向かう。……なんだか、ぼくが先導して歩いていると、ぼくが親玉みたいだ。不謹慎ながら、そう呑気に考えてしまった。

 ついた場所は、今は使われていない建物。まあ、見た目が遊園地のお化け屋敷みたいな、いわゆる廃墟。洋風の屋敷のレンガの壁に、枯れて茶色のツタが絡みついている。

 「ここです」

 そう言い終わるが早いか、捜査員たちは競っているかのように建物に向かって駆け出して行った。……いや、おそらく実際に競っているのだろう。警視総監の御令嬢を先に救助すれば、出世は確実。署が成果をあげるために全力をこめて投入した二、三十人の警官たちの中に、いったい何人、その娘の命を本当に心配している人がいるんだろう。

 そう思ったところで、ぼくはふと思い出した。

 ――この建物、中が妙に入り組んでいるのだ。以前、交番に猫探しを依頼したおばあちゃんがいて、先輩と二人で、この廃墟に入ったことがあった。見た目から想像もできないほど、迷宮のような内部で、先輩と一緒に遊び半分真剣半分で地図を作りながら進んだ覚えがある。結局猫は一番奥で寝ていた。

 管轄しているぼくらですら迷う建物。

 ――ここに来たばかりの捜査官がたどり着けるわけがない。

 ぼくは、さすがに不安になってきた。

 よく考えたら、人の命がかかっているのだ。

 「……行くしかない、か?」

 ぼくは、ゆっくりと建物へ入っていった。



 以前入った時と全く同じ、変わらない内部の様子。――当り前か。変わってた方がびっくりだ。

 変わっているのは、中に人の気配がすること。捜査員と、人質と、――犯人。

 先輩と作った地図はないが、記憶を頼りに最深部へ向かう。ばたばたと、走る音がするのは、名誉を求める捜査員たちが、我先にと最深部を目指しているのだろう。ぼくが建物に入ったことにも気付いていない。

 奥に向かって歩いて行くと、やがて警官たちの喧騒が消えていき、静寂が辺りを支配した。外見はお化け屋敷だが、内部はステンドグラスから優しい光が差し込み、とても落ち着いた雰囲気。とても凶悪犯が潜んでいるとは思えない。

 ステンドグラスが並ぶ廊下を慎重に歩く。――この建物は、ぼくが交番に来た時には既に廃墟だったが、昔、とても栄えていた富豪一族の豪邸だったらしい。多分、中が入り組んでいるのも防犯上の都合だろう。下手したら隠し通路なんかもあるかもしれない。

 先輩から聞いた話を思い出しながら廊下の角を曲がると、叫び声が聞こえた。女性の、悲鳴。

 ――しまった、犯人に何かされているのか!?

 ぼくは走り出した。……交番の部長が言っていたことを思い出した。

 犯人は、警視総監の御令嬢をまんまとさらっておきながら、未だに何も要求してこないらしい。つまり、犯人の目的は金じゃないのだ。――そして、それはとてもタチが悪い。金を払えば返ってくるわけではないのだ。下手したら、娘を殺すことこそが犯人の望みかもしれないのだ。

 警視総監殿を恨んでの犯行か。ぼくにはわからないが、明らかなのは、このままでは人質が危ない。

 以前猫を探した通りの道を、全速力で駆け抜ける。

 最深部の扉を開けると、予想通りというか、人がいた。人質と向かい合って立っている長身で細身の男と、椅子に座っている人質と思われる少女、つまり、警視総監の御令嬢。だが、ぼくはその少女を知っていた。

 「……や、あ。つき、したくん……」

 「……りか、ちゃん……?」

 なんで、きみが、ここに。

 答えはわかりきっていたけど、ぼくは彼女を見た途端、自分を呪った。

 絶望を見た。

 たとえるならば、芋虫。

 六花ちゃんの体には、手足がついていなかった。

 なのに、なんで。

 なんで、きみはわらっているの?

 「おや、やっと一人来ましたね。ようこそ」

 男が、にこりと微笑んだ。

 短い銀髪。笑みを絶やさず、しかし眼は鷹のように鋭い。

 「この屋敷、迷うでしょう? お疲れさまでした」

 お茶は出せませんがね。

 そう言って、男はくすくす笑った。

 ぼくは、この光景のあまりの異常さに、そう、頭の毛が太るような感覚がした。悪寒に吐き気。

 男の微笑みから出る毒気にあてられて、何も言葉が出せない。

 「……ああ、このお嬢さんの知り合いなんですね。可愛らしいお嬢さんですよね。――思わずさらってきてしまいました」

 そういって、男は床に落ちていた腕を拾って、手の甲に口づけた。床に目を落とすと、もう一つの腕と、二本の脚が転がっていた。ああ。ぼくは自然と腰が抜けて、床にぺたりと座ってしまった。

 「ふふ、情けない。貴方それでも警官ですか?」

 男は、可笑しくてたまらないといった顔で、ぼくの顔を覗き込む。やめろ、ぼくを、ぼくをみるな。動けないぼくに、男は頼んでもいないのに喋り続けた。

 「綺麗な手足でしょう? ふふ、あげませんよ。私が彼女から貰ったんです。あとで私の名前でも書いておきましょうか……いや、汚したくありませんね。困ったことです」

 こわい。

 ぼくの頬に一筋、涙が流れた。

 理解できない恐ろしさ。まるで、何語を話しているのかもわからない外国に、たった一人置いて行かれたような。相手の言っていることが分からない。いや、わかりたくない。理解してしまったら、人間をやめなければいけない気さえする。

 ぼくの涙にも気付いていないのか、男は恍惚とした表情で、口を動かす。

 「実はね、ゲームをしたんですよ。彼女が、貴方達が来ると知って、彼らの命は助けるように懇願してきたんです。まったく、善い子ですね。それでね、こうしたんです。お嬢さんが、私が手足を切る間、ずっと笑っていられたら、お嬢さんと貴方達の命は見逃してさしあげる……見事、貴女の勝ちですよ、お嬢さん」

 男は六花ちゃんのほうを向いて、にっこり笑った。

 「……ふん、やく、そくは、ちゃんと、守るんだろうね……?」

 六花ちゃんは痛みに耐えて、切れ切れに言葉を紡いだ。

 「当然ですよ。私は、人は殺しても約束は破りません。それが、私――『霧崎零』(きりさき ぜろ)のルール、ですから」

 それから、霧崎と名乗る男は、床に落ちている手足を、四本全部拾い上げた。

 「ああ、安心して下さい。切った後すぐに切り口を焼いたので、失血して死ぬことは多分ないでしょう。――まあ、私、殺すのが専門なので保証はできませんが」

 ふふ。

 何が可笑しいのか、霧崎はくすくす笑いながら、扉へゆっくり歩いていく。

 扉の前に立つと、霧崎は、くるりと振り向いて、六花ちゃんの太ももを手に取ってねろりと舐めた。

 「では、ごきげんよう。またお逢いできるといいですね」

 微笑んで、扉の向こうへ消えた。

 「……変態め……」

 六花ちゃんは笑顔で毒づいた。いや、笑顔じゃない。眼が憎悪を帯びている。

 「……ああ、無理に笑ってたから、口の形が直らなくなっちゃったなあ……参ったね、月下君」

 「う……っ」

 めまいがする。吐きたくても吐けない。

 なんとか、ぼくは立ち上がった。

 六花ちゃんの、頭と胴体だけの身体を抱き上げる。

 軽い。

 そりゃそうだ。

 手足ないんだもん。

 抱きやすくて仕方ない。

 ぼくは、ぼろぼろ涙をこぼしながら、建物を出て、病院へ走った。



 その後、六花ちゃんは緊急手術を受け、生命の危機は免れた。霧崎が傷をすぐ塞いだためか、案外出血量は少なかったらしい。それより、手足を切られたことによるショックで死ななかった方が奇跡的だ、と医者が言っていた。

 一方ぼくはというと、特に怪我はしていないものの、過度の恐怖で黒かった髪が全て真っ白になっていた。

 ぼくは六花ちゃんとの面会をゆるされ、彼女のいる個室をたずねた。

 ノックして入ると、年配の男がこちらを向いた。

 「ん? あ、君が月下ちゃん?」

 「え、あ、はい……」

 「はじめまして、だね。あ、僕、六花の父親の角柱寺凍牙(かくちゅうじ とうが)だよ。いやあ、六花が迷惑かけちゃってごめんね?」

 六花ちゃんの父親。

 イコール、警視総監。

 「いいいいいいいいいえっ!! むしろぼくがお世話になってますっ!」

 反射的に敬礼。

 いや、かっこ悪いって言われたって、あれだよ、警察のトップだよ? ビビるって、普通に。

 「月下君、もう大丈夫かい?」

 六花ちゃんが、枕に背を預けてベッドに座っていた。当然ながら、手足はない。思わず目をそむけてしまう。

 「六花様……申し訳ありませんでした」

 ぼくは床に膝をついて六花ちゃんと父親に土下座した。

 「ちょ……月下君、やめてよ」

 六花ちゃんの慌てた声が頭上から聞こえる。

 「六花様を助けられなかったのはぼくのせいです。ぼくがもっと早く辿り着けていれば……こんなことには……!」

 ちなみに、霧崎零は捕まることなく、逃げおおせた。あれだけ警官がいながら、最深部への道を探すことに夢中だった彼らは、堂々と玄関から逃亡した霧崎に、あろうことか全く気付かなかったのだ。

 屋敷の前に誰もいなかったのが致命的だった。……そして、本来屋敷の前で待機するべきだったのは――ぼくだ。

 「月下君は何も悪くないよ」

 「警視総監、どんな処罰も覚悟しております。どうぞ、好きに罰してください」

 「お、ホント? じゃあ、どうしようかな」

 「父上!」

 六花ちゃんが、父親に珍しく怒鳴っている。

 「――じゃあ、六花の面倒でも見てもらおうかな」

 凍牙は優しく笑って言った。

 ぼくは、きょとんとして、顔を上げた。

 「いや、実はさ、警視庁に刑事が一人欲しかったんだよね。月下ちゃん、ちょっと警視庁に転勤してくんない? 警視庁からなら、僕んち近いし」

 「それ、って……」

 罰、っていうか、昇格に近い。

 「六花から話、聞いたよ? 他の警官どもは自分の出世のことしか見えてなくて、結局犯人――霧崎を逃がした。でも、君は、霧崎を逃がしはしたけど娘の命を救ってくれた。月下ちゃん、十分頑張ったじゃない。ほんとに、ありがとね」

 ……やべ。

 また涙出てきた。

 「……わかりました。一生面倒みます。動けない娘さんの手足となって――」

 「あ、そうだ、そのことなんだけどさ」

 凍牙さんが、ぼくのちょっといいセリフを遮った。

 「六花。……『正義のミカタ』やる気無い?」

 少しの間、沈黙が流れた。

 「――ふふん、まさか、本当にこんなときが来るとはね……」

 六花ちゃんは遠い目をして苦笑した。

 ……あれ、ぼくだけ置いてけぼりですか?

 「あの……正義のミカタ、って……?」

 「ボクの小さい頃の話さ」

 六花ちゃんが答えた。

 「ほら、戦隊ものとか見て、『僕もヒーローになりたい!』……とか、憧れたりするだろ? アレだよ」

 ……。

 うん、まあ、ぼくも男だからよくわかる。

 女の子も憧れたりするのかは、よくわかんないけど。

 「で、父上に『ボクが死にかけたら身体改造して正義の味方にしてね』と、言ったわけだよ」

 「言ったわけですか」

 「ちょうど最近、犯罪増えてて困ってたんだよね。六花、高校進学しなくていいから、ちょっと犯罪撲滅してよ。んで、勉強は月下ちゃんにでも教えてもらいなよ。月下ちゃん確か、結構名門の大学出てたよね? エリートコースからは外れちゃったみたいだけど」

 「よく、ご存じで……」

 外れたっていうか、競争するの面倒臭いからあえて進まなかったんだけれども。

 「一応、部下のことは把握してないとね。僕の友達に同じような境遇のヤツがいるから印象に残ってるし。あ、月下ちゃん、これからそいつの部下になるんだけどね!」

 がっはっは、と豪快に笑う警視総監殿。

 親子そろって変わっている。ぼくは苦笑した。

 「で、身体改造というのは……?」

 「あ、うん、実はもう準備できてるんだよね。六花さえオーケーすれば、特注で義手義足セット造ってもらえんの。六花、どうする?」

 「……まあ、手足ないと困るよね、色々」

 「ん、じゃあ決まり! ちょっと技師の人呼んでくるね」

 娘の不幸の割にテンション高めのお父様が病室から出て行った。

 再び沈黙が流れる。

 「……月下君」

 「はい、なんでしょうか、六花様」

 「……その敬語、やめてくんない? あと、様もいらない」

 「いや、なんとなく……」

 ふう、と六花ちゃんがため息をつく。

 「あのね、父上は父上、ボクはボクだよ。ボクが警視総監の娘だからって、そんなにビビらなくていいだろ?」

 「……わかった、敬語はやめよう。ただ、お父様を目の前に、ちゃんづけは、ちょっとアレかな、と……」

 「婚約した彼氏かい、月下君は。……まあ、ついさっき、それっぽいことは言ったか」

 ――一生面倒みます。

 ――動けない娘さんの手足となって。

 ……。

 今更、恥ずかしくなってきた。

 「ははっ、赤くなっちゃって可愛いなあ、月下君は。……そうだな、ちゃんづけが嫌なら、呼ばれてみたい呼び名があったんだよね」

 「どんなの?」

 「お嬢。」

 …………。

 「……それは……あれだね、仁侠の世界の住人の親玉の娘さんとかが呼ばれる呼び名だね?」

 「ちょっと憧れだったんだよね。ほら、昔の偉い人も、『警察とヤクザは紙一重』って言ってたし」

 「誰だ、そんな恐ろしいこと言ったのは!」

 っていうか、この子の憧れるものは酷く偏っているな。対極的だし。

 まあ、そんなわけで。

 ぼくはお嬢に忠誠を誓い、お嬢は義手義足をつけて『正義のミカタ』として、犯罪撲滅のため、暗躍することとなる。



 ……なんだ、ぼく、昔と全然変わってないや。

 そこまで考えて現在に立ち返る。うすら寒い廊下。

 お嬢と警視総監はまだお取り込み中のようだ。

 捜査官の命を助けるために、手足を切られている最中でも笑顔で堪え切り、鋼鉄の義肢をつけて、リハビリも乗り越えた、強いお嬢と、昔も今も、臆病で、霧崎を見ただけで、髪の色が抜けてしまった、弱いぼく。昔も、そしてこの前の事件でも、お嬢を助けられず、病院に運ぶだけで精一杯のぼく……。

 かちゃ、と音がして、不意に扉が開いた。

 「月下君、おまたせ」

 お嬢が部屋から出てきた。ひょこ、と後ろから警視総監殿も顔をのぞかせる。

 「あ、月下ちゃ~ん。久しぶりだね」

 「は、ど、どうも……」

 ぼくは敬礼した。――未だにこの人、ちょっと苦手だ。

 「六花と一緒に部屋入ってくれば良かったのに。寒くない?」

 「あ、大丈夫です。お気づかい感謝します」

 正直寒いけど、部屋に入ると落ち着かないので、廊下で待っていたのだ。

 「どう? 捜査一課、楽しい?」

 「はい、皆さんいい人ばかりで……」

 そう、転勤先は警察の花形(?)、捜査一課。いやはや、警察のトップの力、恐るべし。

 現在ぼくは、刑事として警視庁で働きながら、お嬢の助手役として『正義のミカタ』のお仕事を手伝っている。……どっちかというと、足引っ張ってる気がしないでもない。

 「それは良かった。月下ちゃん、これからも、娘のことよろしくね。じゃ、僕これから仕事あるから」

 そう言って、お父様は廊下を歩いて行ってしまった。

 「お勤め御苦労さまだね、月下君。廊下につっ立って、何してたんだい? ずいぶん暇だろうに」

 お嬢がからかって言った。

 「ああ、暇だったね。昔のことを思い出すくらい」

 「へえ、月下君、昔のことは覚えていられる頭があったのかい。自分の携帯の番号は未だに覚えられないくせに」

 「自分の携帯に電話をかける機会は、あんまりないからね」

 「昔、ね。どうせまた、霧崎のことでも思い出してヘコんでたんだろ」

 図星。

 「霧崎といえば、父上が面白いことを言ってたな」

 「面白いこと?」

 ぼくはお嬢と廊下を歩きながら首をかしげた。首をかしげると、足が少しふらつく。

 「おいおい、大丈夫かい? ――これは警察の上層部しか知らないんだけど、『霧崎零』という男は、一世紀以上前から、その名を警察の未解決事件簿に残しているらしい」

 上層部しか知らないのは、誰も事件簿なんて見ないからだけどね。

 お嬢はそう言って、複雑な顔をして笑った。――何故だろう、お嬢の口はあの事件以来笑ったままなんだけれど、ぼくは彼女の表情の変化がわかる。

 「ふーん、一世紀以上前から……………………? 先生、ぼく馬鹿だから質問があります」

 ぼくは歩きながら手を挙げた。

 「何かな、月下君」

 お嬢がびしっと指をさす。

 「一世紀って何年でしたっけ、十年でしたっけ」

 「一世紀は百年なんだね」

 なるほど、わっかりやすーい。百年か、へえー。

 「もう一個質問いいですか」

 「何だろう、言ってごらん」

 「……あの時の霧崎、何歳に見えた?」

 「……さあ。ボク、人の年齢、見ただけじゃわかんないんだよね。月下君は、何歳に見えた?」

 「少なくとも百歳ではなかったと思います先生」

 たしかに、銀髪だけ見たら相当年くってるイメージはあるけども。顔はしわ一つなかったし、動きも軽やかだった。多めに見積もっても、三十代か四十代前半くらいだろう。

 「……これは、どういうことだ?」

 「さあ。人魚の肉でも食べたんじゃない?」

 お嬢はどうでも良さそうに、適当に答えた。

 「不老不死だろうが化け物だろうがボクには関係ないよ。むしろ――」

 ――寿命がないほうが都合がいいかもね。

 お嬢はくす、と笑った。

 「あいつを終身刑で永遠に牢屋に幽閉……ボクの望みはそれだけさ」

 ゾクッ。

 ぼくは隣の少女に鳥肌が立った。

 霧崎の話になると、いつもこれだ。

 お嬢の笑みが冷たく変わる。

 お嬢が、霧崎と同じ『向こう側』に行ってしまいそうで。

 ぼくは無意識に、お嬢の手を取った。

 「? どうしたの、月下君」

 「お嬢は、」

 人間をやめないでね。

 そう言うと、お嬢はきょとん、として、

 ふっと笑った。

 「愚問だね。……さっさとケリをつけたいね」

 ぎゅ、とお嬢が手を握って、ぼくらは歩き出した。

 〈了〉

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