正義のミカタ・04話~零の襲来~
「ねえ、月下君。今夜デートしようよ」
「…………はい?」
ここは警視庁のトップ、警視総監殿のご自宅(大豪邸)。
家の主の御令嬢、角柱寺六花(かくちゅうじ りか)からの突然のデートのお誘い。ちなみにその直前、彼女はセーラー服のまま床でごろごろ寝転がったり、ぼくの背中に寄り掛かったり、暇そうにぼくの白髪頭をいじっていて、ぼくはといえば意味もなく手帳に書いてあった過去の書き込みを眺めていて、つまりはそんなことを言われるような予兆はどこにもなかったのだが、とにかくぼくはぼんやりしていたせいで反応に遅れてしまった。
「……え、えっと、お嬢、何か言った? ぼく、よく聞こえなかったな」
ぼくは、事実を無かったことにしようと、無駄なあがきを始めた。
「だから、デートしようよ」
「……あ、あー……ごめん、頭がうまく回らなくて言われた内容が理解できないなー……」
「へー……じゃあ、君の頭を三六〇度くらい回せば理解してくれるかな」
「!! 違う、そっちの回す違う! 首ねじ切れちゃう! すいません今理解できました! まことにすいません!」
――ぼく、月下氷人(つきした ひょうと)がお嬢とのデートを嫌がる理由が理解できない人がいるかもしれない。
お嬢は眼鏡をかけていても美人とわかる顔立ち、体も細くて女の子らしいし、現役ではないものの年齢は一八歳と女子高生で通じる若さ(常にセーラー服着てるし)。頭も良ければ運動もできる。流石に血筋が良いのか、非の打ちどころのない完璧少女だ。
ぼくに何故かよく懐いていて、ぼくも一緒にいて別に不快なわけではないのだが、
(……ぼく、お嬢と付き合った覚え、ないんだけど……)
デート拒否理由その一。
ぼくは二五歳、彼女は一八歳。
近年、年の差カップルが流行っているとはいえ、成人男性と未成年女性の組み合わせはロリコンっていうか、犯罪だとぼくは思っている。ぼくが潔癖すぎるんだろうか。
……いや、それでも警視庁の刑事(ぼく)が、(現役女子高生じゃないけど)セーラー服を着た少女と恋人というのは……。
いや、違う、恋人じゃない。そもそも付き合ってない。ぼく、他に好きな人いるし。
……と、とにかく、「付き合ってもいないのにデートってなんかおかしくない?」
「月下君、今は女の子同士が買い物に行くにも冗談めかして『デート』と呼ぶ時代だよ」
「!? お嬢、なんでぼくの考えることが分かっ……!?」
嘘だろ、『正義のミカタ』って読心術もできんの!?
「今、声に出てたんだけど。やれやれ、しょうがないなあ。そんなにボクと二人でデートが嫌かい、月下君」
「仕事が終わったのに事件に遭遇したくないよ、正直」
デート拒否理由その二。
お嬢と一緒に外出すると、たいてい事件に巻き込まれる。それはもう、何かに取り憑かれているとしか思えないほどだ。
「お嬢、一度お祓いしてもらえば?」
「仮にも刑事が何をほざいているんだい? 月下君のような刑事が増えたら、そのうち魔女狩りが再発しそうだな」
「んな大げさな……」
心配して言っただけなのに、なんでここまで言われなきゃならないんだ。
「……デートが嫌なら、仕事、と言えば満足かい?」
お嬢の空気が変わった。
お嬢を見ると、口は笑みのまま、眼は少女とは思えない、鋭いものに変わっていた。
『正義のミカタ』の仕事モードだ。
お嬢――角柱寺六花(かくちゅうじ りか)は、セーラー服を着てはいるが、高校には通っていない。
家業の手伝い――つまり、父親である警視総監の補佐をしている。それが、警察組織では手出しできない犯罪を単独で取り締まる『正義のミカタ』だ。もちろん非公式ではあるが、警察のトップが黙認してしまっているので、特に文句を言う人間はいない(というか、『正義のミカタ』の存在自体、警察内でも知っている人間は限られている)。
ちなみにぼくは、ひょんなことから、お嬢のパートナーとして、正義のミカタの仕事の補佐から家庭教師の真似事までしている。
……警視総監の補佐の補佐、と考えると、とても微妙な気分である。
「……仕事、というのはどういうことかな」
ぼくも、頭を仕事モードに切り替える。
「最近、火だるま騒ぎが起きてるのは知ってるかい?」
「ああ……なんか騒いでるね、本庁でも」
ぼくはその事件を担当してはいないが、毎日ニュースになっているのでよく知っている。
秋に入ってから、何者かが人間に放火して、騒ぎになっている。深夜に連続して発生しているため、最近は夜中に出歩く人もいない。マスコミは『火だるま無差別殺人』と名付けたようだ。犯人がどんな人間なのかはわからない。目撃者もなく、――被害者は全員死亡しているからだ。
死亡率百パーセント、早朝に発見される死体。警視庁にも苦情が殺到している。
「――そうか、とうとうぼくらの出番が回ってきたんだね」
ぼくが言うと、お嬢はうなずいた。
「うん、父上からの直々の命令。
――『なんか苦情がうるさいから火だるま騒ぎ解決しといて』、だとさ」
……。
相変わらずノリが軽いな、警視総監……。
「簡単に言ってくれるよねー、父上も。
ということで、今晩、オトリ捜査デートとしゃれこもうじゃないか!」
「……お嬢も軽く言ってくれるよね……」
間違いなく親子だな。
「大丈夫だよ、月下君はボクが守るから。月下君だって強いしね」
そう言って、お嬢はぼくに何かを投げてよこした。
受け取ると、それは黒く光る拳銃だった。
「お嬢、こんなものを投げると危ないよ。……許可、もらってきたんだね」
ぼくは、弾丸が入っていることを確認した。
「凶悪事件だからね。二つ返事で渡してくれたよ」
「……ま、期待に応えられるように全力を尽くすよ」
ぼくは拳銃をしまった。ふと、さっきまで眺めていた手帳を見る。キャバクラ嬢ばかりが喉を刃物で切られて死体で発見された、連続殺人事件についての書き込み。
ぼくとお嬢が追い続けている、ある殺人犯が起こしたという事件の一つだ。
「……この事件、あいつと……『霧崎零(きりさき ぜろ)』と関係があるのか?」
「さあね」
お嬢は肩をすくめた。
「放火犯の正体は誰も見ていない。あいつがやった確証はどこにもない。ただ――」
お嬢はぼくに背を向けて、夕陽の差し込む窓に目を向けた。
窓からは警視庁の特徴的なビルが見える。
「父上には、少なくとも奴に関係する気がしてるみたいだ。刑事の勘ってやつなのかな。――父上も、霧崎零に遭ったことがあるらしいんだ。奴に出遭って生きていられたのは、父上と、ボクと、そして月下君、君を含めた三人だけ――なんだよ」
*
ぼくは、お嬢の屋敷で夕食を済ませ、暗くなってから、例のデートとやらに二人で出かけた。
「では、どこに参りましょうか、お嬢様?」
ぼくは冗談めかして言った。
これから命のやり取りをするかもしれない。今だけでも明るくしておかなくては。
「そうだなあ、夜の公園なんてどうだい? なんと犯人に出遭える確率九〇パーセントなんだってさ。今なら邪魔なカップルもいなくてオススメだよ★」
「うわー怖エ★」
無理。明るくなんてできない。フォローしきれない。
「ほら行くよ月下君」
「あ、本気で行くんだ……」
「確率は高い方がいいだろ?」
「しかも確率も本当なんだ……」
ぼくは、なかば引きずられるように、お嬢に手を引かれて公園にたどり着いた。
「じゃあ、カップルとして自然な感じでデートしようか月下君!」
「じゃあ、まずそのセーラー服を脱ごうかお嬢」
君のその格好がまず不自然なことに気づいてくれ。
「や、やだ月下君、いきなりそんな」
「いや、そういう意味じゃなくてね」
うん、確かにぼくの言い方が悪かったね。
「出かける前に着替えてほしかったな……。まるでぼくが援助交際しているみたいだ」
「じゃあ、今更しょうがないから、それで」
「やめろ!」
誤解を招くシチュエーションはよせ!
と、お嬢とデートというよりは漫才をしていると、ふと何かの視線と気配を感じた。
ぼくとお嬢は漫才を中断して、気配のする方を見た。
「……気づかれたか」と、『何か』は言った。
公園の外灯に照らされて、少年が立っていた。
赤い髪を後ろでまとめている。瞳も赤い。
黒いジャケットの下には黒い短パンだけで、上半身は何も着こんでいない。ジャケットの腕は手袋になっていて、両腕が真っ黒のように見えた。黒い両腕に、赤い炎の模様が入っている。
「うわあ……まさしく放火殺人犯っぽい外見じゃないか、月下君」
「ああ……明らかに何かを燃やす意志を持った服装だね、お嬢」
「放火殺人犯……。俺を捕まえに来た、か」
少年は、やけに落ち着いた様子で腕など組んでいる。
「認めるのかい? 君がやったって」
お嬢は口の端を上げたまま、少年を見据えた。
「当り前だろう? 認めなければ、燃やした意味などないのだから」
少年は無表情を変えることなく答えた。
「『認めなければ、燃やした意味がない』……?」
ぼくは聞き返した。
「犯罪者の中には、犯罪することで自己の存在を主張する者がいる、ということだ。少なくとも、『我々』はな」
「我々……だって?」
ぼくには、少年の話は理解しがたいものだった。人を焼殺することが……自己主張?
「自己紹介が遅れたな。俺の名は『黒の腕(くろのかいな)』……霧崎零(きりさき ぜろ)の従者。はじめまして、零の刃を逃れた者ども」
少年は、組んでいた腕を解き、体勢を低くすると、
「俺の焔(ほのお)を逃れられなければ――ここでさようならだ」
こちらへ走り出した。
「月下君、援護は頼んだよ」
お嬢は黒の腕の前に立ちはだかった。ぼくは拳銃をかまえながら後ろへ下がる。
「前衛が素手、後衛は小銃、か。それで俺を捕まえられるとでも?」
「なーに、やってみなけりゃ分からない、ってね!」
お嬢は黒の腕のこめかみを狙ってハイキックを繰り出した。が、こめかみの寸前で、パシッと足首をつかまれてしまった。
「残念、いきなり右足がさようならだ」
「お嬢!」
ぼくはお嬢の足首をつかんでいる右手首を撃った。キイン、という金属音が、夜の公園に響いた。
「無駄だ」
黒の腕が握っている足首に、突然炎が上がった。
(何も火器類を持っていないのに……!?)
「くっ!」
お嬢は黒の腕の手を振り払って、距離をとった。
「お嬢、怪我は?」
「平気。ちょっと皮膚は溶けたけど」
お嬢の右脚を見ると、確かに人工皮膚が、煙を上げて溶けてしまっていた。黒く光る鋼の義足が姿を現している。
「一体どこから炎を……?」
ぼくがつぶやくと、
「ほう……俺と同類か、女」
黒の腕が、撃ったはずの右手を見せながら言った。
黒い手袋には、ぼくの銃弾が作ったと思われる裂け目ができて、そこから鋼の腕が見えた。――鋼の義手。おそらく、火器を内蔵しているのだろう。
「犯罪者なんかと同類扱いされたくはないなあ」
お嬢は言いながら敵をにらみつけた。
「自分は罪を犯さないという、絶対の自信があるのだな、正義のミカタとやら」
黒の腕は、侮蔑するでも嘲笑するでもなく、ただ無感情にそう言った。
「形だけでもそういうことにしないと、断罪なんてできないだろ?」
お嬢は眉間にしわを寄せながら言った。この状況でも口は笑っている。いや、笑みの形にしかできないのだ。
「ふん……零の刃にかかって笑うことしかできなくなった女、か……。確か、両腕両脚を切られたとかいう。……四肢がすべて義肢は厄介だが、武器を内蔵している様子も無し、まあ、燃やせば済むか」
つぶやきながら、黒の腕はぼくを見た。
「ということは、お前が零を見ただけで白髪になったとかいう男か? ……問題外だな」
「カイナ君は両腕が義肢なんだね」
ぼくは苦笑しながら言った。
「家業である霧崎零の目付け役を継ぐために『改良』された。健康な両腕ぶったぎられてな」
「そりゃすごいね……」
もう、一般人のぼくはどうコメントしたらいいものやら。
「……じゃあ、義肢は腕だけかな」
ぼくは、ぼそっとつぶやいた。
「……雑談は終わりだ。お前らに付き合っていたら夜が明ける。武器を持たない機械人間と生身の臆病者では俺は捕まえられない。
――さっさと消し炭になれ」
黒の腕は両腕を構えて突撃してきた。
おそらく、あの手のひらに捕まったら、今までの被害者たちのように全身に火がまわってしまうのだろう。
「黒こげは勘弁だなあ……」
言いながら、ぼくは拳銃を構えた。
照準を足首に合わせて、かすらせるように撃つ。一応、両足。
ぱん。ぱん。
「ぐっ……!?」
黒の腕は、痛みのためかバランスを失って倒れた。
「日本の警察は、銃の扱いには厳しくてね」
ぼくは口を開いた。
「よほどの非常事態でもなければ、犯人を射殺することはタブーとされているんだ。銃を使うだけでも、狙うのはたいてい足首。命の危険なく相手の機動力を一気に削(そ)げるからね。――思ったとおり、脚は義肢じゃないみたいだね」
「馬鹿な……!」
黒の腕は、痛みに顔を歪めながらも、なんとか身体を起こした。
「簡単に言ってくれる……! 走っている人間の両足首を一足一発で撃ち抜くなど、並みの芸当ではない……お前、何者だ!?」
「君が知っているとおりの男だよ。霧崎零にビビって白髪になった臆病者。でも、その頃から今までずっとそのままだと思った?」
黒の腕に話しかけながらも、拳銃は下ろさない。
「これでも『正義のミカタ』の相方なんでね。それなりに戦力にならないと困るだろ? ……霧崎零の従者、なんだっけ? 話を聞きたいから、一緒に来てもらえるかな」
一応、身分証を見せながら、同意を求めてみる。ルールにのっとるのは大事だよね。……まあ、言うこと聞くわけないだろうけど。
「……くく……」
黒の腕は顔をうつむけた。表情はうかがえないが、どうやら笑っているらしい。
「? どうしたの?」
ぼく、何か可笑(おか)しなことを言っただろうか、と思いながら、黒の腕の返答を待つ。
「ははは……俺はどうやら『正義のミカタ』のネームバリューにつられていたようだな。留意すべきは女よりむしろお前のようだな、若白髪。いいぞ……心が震える」
「わ、若白髪……」
結構気にしてるのに……。
そして、この少年はどうやら、敵との戦いに喜びを見出すタイプのようだ。今までの無表情が崩れて、なんというか、とても良い笑顔をしていらっしゃる。
「面白い……流石は零に屠(ほふ)られなかっただけはある。あの男、お前らの可能性を見込んだとか言っていたか。……楽しかった。そろそろ夜が明ける。しばらくは弱いものいじめをしなくても済むくらい満たされた。今回は見逃しておこう」
黒の腕はゆっくり立ち上がった。まだふらついていて、こちらに背を向けて左手で木に寄りかかる。
「おっと、君は良くても、こっちは君に聞きたいことがあるんだよ。悪いけど、ボクらは君を逃がす気はないよ」
お嬢はそう言って、黒の腕に近寄った。
黒の腕は、キッとお嬢をにらむと、空いている右手を開いてお嬢に向けた。
「! お嬢!」
ぼくはとっさにお嬢を抱えて、地を蹴り後ろに跳び下がる。
お嬢の立っていた場所に、黒の腕の右手から火炎が吐き出されていた。
(――火炎放射器も搭載(とうさい)、ね……)
危ないところだった。
「焦(あせ)らずとも、また逢えるだろう。……『零の継承式』でな」
そう言うと、黒の腕の左手が、寄りかかっていた木を炎で包んだ。手を離すと、黒の腕はゆっくりと公園の出口へ歩き出す。
「待て!」
お嬢が叫ぶが、黒の腕は振り向かない。
「俺を追うより、消防に連絡しなければ、公園が火の海になるぞ」
黒の腕の姿は、夜明け前の闇に紛(まぎ)れて見えなくなってしまった。
「……クソッ!」
お嬢はひざをついて地面を殴った。
「と、とにかく消防を……」
ぼくは携帯を取り出して、消防に連絡した。公園のことは、彼らに任せればいいだろう。
「お嬢、とりあえず引き上げよう」
「……」
「今は追いかけようにも黒の腕の居場所を特定できない。あいつ、いくつか気になることを言っていただろ? 一旦、捜査一課に行って皆に相談してみよう? こういうときは組織の力に頼ったほうが早い」
ぼくは、なるべくきちんと理由を説明した。曖昧(あいまい)な理由では、お嬢は納得しないから。
「……そうだね。ごめん」
お嬢はやっと立ち上がった。申し訳なさそうにぼくを見上げて笑っている。
「いやー、流石、警視庁で二番目に射撃が上手い刑事さんだね月下君! すごくかっこよかったよ!」
「それはどうも」
ぼくはお嬢が元気を取り戻したことに安心して微笑した。
ぼくは朝食もお嬢の邸宅でお世話になって、それから本庁へ報告と相談に行くことにした。もちろん、お嬢も一緒に。
*
「霧崎零の従者、ねえ」
「そんな子供が火だるま殺人の犯人だなんて……」
「許せませんね崇皇(すのう)さん!」
ぼくの勤務している警視庁捜査一課。発言したのは、ぼくの仕事仲間で、順におやっさん――日暮針生(ひぐらし はりお)警部、崇皇深雪(すのう みゆき)先輩、同じく先輩の亀追飛雄矢(かめおい ひゅうや)さんだ。
ぼくは三人に黒の腕の外見的特徴と彼の話を簡単に伝えた。
「……ずいぶん目立つ服装ね」
崇皇(すのう)先輩は目を丸くした。
「犯行を隠す気がねえんだろうな。そいつ自身、自分の存在の証明とか言ってたそうだしな」
煙草をくわえながら、おやっさんが言った。
「それで、黒の腕について情報を集めてほしいんですが」
ぼくは亀追さんのほうを向いた。この人は何故かいつもぼくに厳しいので苦手だが、情報収集が得意な人なので頼まないわけにもいかない。キャリア組のエリートなので、きっと広い情報網を持っているのだろう。
「いいだろう。ただ、一応断っておくが、決して君のためではないぞ。六花(りか)嬢と崇皇(すのう)さんのためだ」
人差し指を人に向けてはいけない、という教育は受けていないのかな、この人は。
「……なんで私が出てくるの?」
崇皇(すのう)先輩はキョトンと首をかしげた。
「では、早速行ってきます」
亀追さんは一課の部屋から出ていった。
「いつも思うんだけど……亀追君と月下君、仲悪いの?」
崇皇(すのう)先輩は心配そうにぼくを見た。
「どうもぼく、嫌われてるみたいで……」
ぼくは頭をかいた。
――なんとなく、つっかかってくる理由はわかっている。
亀追さんは、崇皇(すのう)さんが好きだから。
ぼくにとっても、崇皇(すのう)さんは憧れの存在だから、敵視されているのだろう。
「気にしないでください。それより、黒の腕……どう思います?」
「そいつの話の内容が気になるな。霧崎零がお前と六花(りか)ちゃんを生かした理由の『可能性を見込んだ』っていうのと、またそいつに会えると言っていた『零の継承式』……だったか? ……零のことなら、凍牙(とうが)に聞いたほうがいいかもしれねえな」
おやっさんは、ぷはあ、と煙を吐き出しながら言った。
「凍牙、というと……角柱寺凍牙(かくちゅうじ とうが)警視総監、ですか?」
崇皇先輩は煙を気にしていない様子で、おやっさんに尋ねた。
「おう。確かあいつ、霧崎に会ったことあるし」
「へえ……すごいわね、六花ちゃんのお父様」
崇皇先輩は、お嬢にほほ笑んだ。
……警視総監と親友、というおやっさんも、十分すごい気がする。
「うん、じゃあ父上のところに行ってみる。亀追さんから報告があったら連絡してね」
ぼくとお嬢は一課を出て、警視総監の御部屋に向かう。……ヒラ刑事のぼくはお嬢の顔パスで通してもらった。
「あ、六花と月下ちゃんじゃない」
書類に目を通していた警視総監殿は部屋に入ってきたぼく達に気づいて手を上げた。
ぼくは敬礼と挨拶を返す。
「え、なに、火だるま騒ぎの犯人もう捕まえたの?」
「いえ、それが……」
「面倒なことになったよ、父上」
ぼくとお嬢はこれまでの経緯を説明した。
「うわあ、面倒くさいね! 零のやつが出てきたかあ」
警視総監殿、にこにこ笑う場面じゃないです。
「んで、針生(はりお)ちゃんが僕から零のこと聞いてこいって?」
針生ちゃん? あ、おやっさんのことか。
「僕が零について知ってること、ねえ。零の外見的特徴――は月下ちゃんも知ってるよね。会ったことあるもんね?」
「ええ、まあ」
ぼくはうなずいた。
警視総監とお嬢と、そしてぼく。
霧崎零に対面して、生き残れたのはたった三人。
しかも、ぼくの場合は前の二人と違って、お情けで生かしてもらった感じだし。
……短い銀髪に鋭い切れ長の目。口元は常に笑みを絶やさず、あくまでも物腰は柔らかいのに、殺人鬼らしく毒気じみた威圧感で、出会ってしまったぼくは身動きもできなかった。
見た目では年齢を推定できなかったが、動きが軽やかで、顔にはシワ一つなかったので、多分二十代から大目に見積もっても四十代くらいだろう、とぼくは思っている。
――ただ、その外見と矛盾する事実。
『霧崎零』という名の男がかつて起こした数多の殺人事件は、最も古くて一世紀ほど前に端を発するという。
繰り返される殺人事件も、目的・動機、一切不明。ただ、殺害方法はいつも、ナイフのような刃物で被害者の喉を切り裂くというもの。凶器は見つかっていないので、おそらく毎回現場から持ち去って次の事件にも使われているのだろう、というのが警視庁の見解。
「なんっか、都市伝説じみてるよね」
お嬢が溜息まじりにつぶやいた。
「まあ、伝説っちゃ伝説だね。崇拝してる犯罪者もいるって噂だし」
警視総監は場違いな笑顔を浮かべながら言った。
「でもさ、思ったんだけど、被害者を調べてみると共通点があんのよ。ガイ者はほとんどがキャバクラ嬢とか援交帰りの女子高生とか水商売みたいなことしてた女性ばかり。で、殺害方法は愛用のナイフで喉笛をズバッ。そして事件の発端はおよそ百年前……なんかに似てない?」
「なんか……?」
なんだろう。ぼくには思いつかない。
「――切り裂きジャック、かい? 父上」
「き、切り裂きジャック……?」
およそ百二十年前、イギリス・ロンドンで発生した、売春婦連続殺人事件の犯人。迷宮入りしてしまった事件の代表として有名だ。
「――えーと、その切り裂きジャックがまだ生きていて、日本に渡ってきたってことですか?」
ぼくは我ながら馬鹿馬鹿しいことを言った。
まさしく都市伝説じゃないか。
「月下君、模倣犯って発想は君の中には存在しないのかな?」
「あはは、つき、月下ちゃん面白い。座布団百枚」
お嬢はあきれ、警視総監は爆笑してしまった。ハワイ旅行に十回行けるほど面白かったのか……。
「ぷふ……まあ、百年前の殺人鬼の真似事が、何を意味するのかは僕にはわからないけど。そのカイナちゃんとかいうのが言ってた、六花と月下ちゃんの『可能性』が何のことかもわかんないし」
警視総監は笑いをこらえながら続ける。
「ただ、『零の継承式』っていうのは、ちょっと思い当たる部分はあるかな」
「何か知ってるのかい、父上?」
お嬢が尋ねた。
「これも、なんだか都市伝説みたいな話なんだけどさ」
警視総監は、机に座って手をぷらぷらさせながら話しだした。
「零がらみの事件の中で、たまーに零の名前が残されてる事件があるのよ。『霧崎零参上』みたいな。ただ、過去の事件で残されてる名前は、みんな筆跡が違うの。まあ、零はそんなことするキャラでもないだろうし、零をさらに模倣したやつの犯行だろうな、と僕は思ってるんだけどね」
ふと、警視総監の目つきが鋭くなる。流石親子、目が合った人を緊張させる目がよく似ていらっしゃる。
「ただ、変なうわさが広がっててさ。零の模倣犯が零の名前を残すと、その犯罪者は零の粛清(しゅくせい)を受ける――っていう」
「零に殺される……ってことですか?」
ぼくは反射的に唾を飲み込んだ。
「零は自分なりのルールみたいなものを守っていて、偶然そのルールの中に、零の名をかたることが、やつにとっての挑戦状、っていう条件を満たしてしまったのかも知れないねえ」
警視総監は呑気に笑っていた。
「わ、笑い事じゃないでしょう、警視総監……」
ぼくは内心ビビりながら忠告した。
「えー? だって、善良な市民が殺されるならまだしも、模倣犯が本物に殺されるのは自業自得じゃない?」
ぼくは寒気がした。……これが、ぼくが警視総監が苦手な理由。
緊張するのも勿論(もちろん)あるが、警視総監の正義観は、犯罪者を人とみなさない。それが、少し怖い。
「――で、まあ、その『粛清』を『継承式』と呼んでるんじゃないかな? 勝てたら零を名乗っていいですよ、みたいな」
「なるほどね……」
お嬢は少し考える動作をした。
と、ぼくの携帯電話が鳴りだした。
御部屋を失礼して、廊下に出る。
電話に出ると、崇皇先輩からだった。亀追さんから報告があるという。
ぼくは警視総監にその旨(むね)を伝えて、お嬢と共に再び捜査一課に戻った。
「――確かに黒の腕は、零によくくっついているようだね」
亀追さんが言った。
「出会った経緯や何故零がその少年を自分の傍につけているのかはよくわからないが……その少年の目撃情報を入手した。近々公演される劇団の関係者らしき青年と話し込んでいるのが目撃されたらしい」
「その青年は特定できますか」
ぼくは亀追さんに尋ねた。
「できたら『らしい』とか私が使うわけないだろう」
亀追さんの言葉には幾分か棘(とげ)が含まれていた。
「劇団員だと目撃者が思ったのは、その人物が仮面をつけていたからだそうだ」
「仮面……?」
「仮面劇をやるんだそうだ。ちなみに、青年なのは間違いない。その劇団、男性のみで構成されているらしいからね」
チリリリリ。
突然、おやっさんの机の電話が鳴った。
「はい、捜査一課……凍牙か。どうした? …………」
おやっさんは警視総監としばらく話して、ぼくに受話器を差し出した。
「お前に言い忘れたことがあるってよ」
『あ、月下ちゃーん?』
「どうしたんですか、警視総監」
『あのねー、言い忘れたことがあるんだけどさー』
「何でしょう?」
『多分、継承式、近々あると思うよー』
「…………え?」
『さっき、また殺人事件が起こってさー。死体の傍に書いてあったのよ。男の字で。
――「霧崎零参上」、って』
ぼくは、あやうく受話器を落とすところだった。
*
「いやー、ゲイジュツの秋だねえ、月下君!」
大きく伸びをしながら、お嬢はさわやかに言った。
「残念ながらゲイジュツを楽しむ余裕はなさそうだけどね……」
反対に、ぼくはうなだれながら憂鬱そうに言った。
街の文化ホール。
『劇団鬼百合』――例の、黒の腕が接触した劇団員らしき青年が所属していると思われる劇団が、公演のための準備と練習をしている。
殺害現場に残された、『霧崎零参上』のメッセージ。
放置すれば、メッセージを残した模倣犯は零に殺害されてしまう。
警視総監は殺されて当然、といった態度だが、やはり警察組織としては被害は食い止めなければならない。
とにかく、今できることといえば、黒の腕に接触した劇団員を見つけて、黒の腕の話を聞かなければならない(零につながるかはわからないが)。
わけなのだが、しかし。
「その劇団員を、どうやって見つけるか、だよな……」
演劇の練習の合間に会ったのか、その劇団員の青年は仮面をつけていたらしい。
で、劇団員は全員男だという。
つまり、誰が黒の腕と会話した人物かわからないわけだ。
「仮面の特徴とかでわからないかい?」
「鳥みたいな仮面をつけてたらしいんだけど……」
ぼくは、劇の練習の最中のステージを、げんなりした顔で見る。
「あー……全員鳥の仮面だね……」
お嬢は、珍しく苦笑いをしていた。
どうやら、鳥の世界のファンタジーチックな劇らしく、登場人物は全員鳥をイメージした、羽毛に包まれた衣装を身にまとい、仮面も鳥を思わせるものだった。
カラス、ハクチョウ、ツルが主な登場人物のようだ。他にも多くの鳥がいるが、ぼくには名前がわからない。
「目撃者もそんなによく見てなかったみたいだし、衣装は脱いでて、シャツとズボンだったらしいし……」
もしかしたら、その人物は、黒の腕に顔を見られたくなくて、仮面をしたまま会ったのかもしれない。
ぼくは、ふとそう思った。
「刑事さん、すいません、練習中でおかまいできなくて……」
マネージャーという大学生の大鷹玲夜(おおたか れいや)君が頭を下げた。
「あ、いえいえ、こちらこそすいません。こんな忙しいときに……」
ぼくもつられて頭を下げる。
彼の話によると、この劇団は、大学のサークルらしい。演劇が好きな学生が、毎年この文化センターで一般向けに劇をするのだそうだ。
「この劇はどんなお話なんだい?」
お嬢が大鷹(おおたか)君に尋ねた。
この子は敬語を使わないのか。
しかし、そんな無礼なお嬢に優しく笑いかけ、大鷹君は答えてくれた。
「この劇はね、『黒くなったカラス』という童話をもとに劇にしたんだ」
「黒くなった? もともと黒いんじゃないんですか?」
ぼくは首をかしげた。
「この童話では、もともとカラスは美しく白い羽をもった鳥だったんです。しかし、さらに美しくなろうと自らに様々な色を塗ったカラスは、結局全ての色が混ざって、真っ黒な醜い今のカラスになってしまうんです」
大鷹君は眉尻を下げて悲しそうに笑った。
何気なくステージを見ると、リハーサルらしく、わざわざスモークをたいているらしかった。
煙の後ろで、ステージの下から背景が上がってくる。
が、スモークが薄(うす)れたころ、劇をしていた団員達がうろたえた様子でざわつきだした。
「……? なんだ?」
「月下君、あれ……」
お嬢が指差したところを見る。
舞台にせりあがった背景のちょうど真ん中がライトの反射で光っている。演劇では、普通、光りものは使わないはずだが……。
とにかく、ぼくはステージに近づいて確認することにした。
「何かありましたか…………!」
ぼくは光の正体に息をのんだ。
大道具の製作に使ったのか、大きめのカッターナイフが、背景のスクリーンに突き刺さっていた。
(誰かのイタズラ……?)
ふと、背景にカッターで紙がとめられているのに気付いた。カッターをはずして紙を調べる。
「……『私に挑戦する美しいワシを今夜美味(おい)しく頂戴(ちょうだい)します――霧崎零』……!?」
それは、ぼくらが追い続けている恐るべき殺人鬼からの殺害予告状だった。
*
それからの劇団鬼百合は、まさに騒然としていた。
日本を騒がせ続け、未だ捕まらない恐ろしい犯罪者・霧崎零が、今夜殺人事件を起こすという予告状を、わざわざ演劇の背景に突き立ててきたのだ。
それはつまり、彼自身が誰にも気づかれず、この場所に来たことを意味する。
零のことだけじゃない。零に挑戦するために殺人を犯した、犯罪者がもう一人、この劇団に所属している――。
当然、劇の公演は中止である。チケットの払い戻しやら何やらで、損害は大きいことだろう。
「もうすぐ警察の応援が来てくれますので、この場を離れないでください」
と、ぼくが言った矢先、
「なんとかできなかったのかよ、刑事さん!」
劇の主役、カラス役の烏丸康二(からすま こうじ)さんがぼくに詰め寄ってきた。
「な、なんとかって……」
「お前ら警察が霧崎零をさっさと捕まえねえから、こんなことになったんじゃねえか!」
烏丸さんが、すごい剣幕でぼくに怒鳴る。
――警察だって、好きで野放しにしてるわけじゃない。あいつが事件を起こすたびに、マスコミに叩かれるし苦情がくるし、こっちだってどうにかしたいよ! 安月給なめんな!
……とは言えないので、とても困る。
「できたらこっちだって、さっさと捕まえてるよ」
ああ……お嬢が言っちゃった。
「ああ? んだこのアマ! すっこんでろ!」
烏丸さんは、今度はお嬢に吠えた。
「だいたい、なんで刑事が女子高生連れてんだよ! 彼女か! 彼女かゴルァ! うらやましいんだよ公僕(こうぼく)のくせによォ!」
何に怒ってるんだ、この人……。
「やめてください烏丸さん!」
大鷹君がお嬢をかばうように烏丸さんの前に立った。
「せっかくの主役をつぶされたのが悔しいのはわかりますけど、刑事さんもこの子も悪くありません!」
ああ、いい人だ大鷹君……! 君の周囲の空気が輝いて見えるよ……!
「るっせえな……ちっ」
烏丸さんはうつむいてそっぽを向いた。
「大丈夫? ごめんね」
大鷹君はお嬢に笑いかけた。
「ありがとなんだね」
お嬢もニコッと笑ってお礼を言った。
すると、劇場の入り口の大きな扉が開いて、外の光が差し込んだ。
「おう、月下。お疲れさん」
相変わらずよれよれのスーツを着たおやっさんが、ぼくに気づいて手を上げた。
後ろから、崇皇先輩と亀追さんも入ってきた。
「ご足労ありがとうございます」
ぼくは敬礼した。
「まったくだ。この私をわざわざ現場に呼び出すなど……」
……。
別に亀追さんに言ったわけではないんだけど。
まあ、面倒なのでほうっておく。
「これから皆さんにお話をうかがいたいので、ご協力お願いします」
崇皇先輩がニコッとほほ笑むと、さっきまでギャーギャーわめいていた烏丸さんがおとなしくなった。どうやら見とれているようだ。男しかいない劇団員たちも、静かになった。
「あの……大丈夫ですか?」
黙ってしまった烏丸さんに、首をかしげて尋ねる崇皇先輩。
「! あ、いえ、全然。全然どうぞ」
――さすが、警視庁のアイドル……。
崇皇先輩、美人だもんなあ……。
真っ赤になって答えにならない答えを返す烏丸さんに思わず失笑しながら、ぼくは思った。
「あのお……聴取が済んだら、帰ってもいいでしょうか……」
ハクチョウ役の白鳥学(しらとり まなぶ)さんが、おずおずと手を上げた。
「あ、すいません、それについてですが」
ぼくは、さっきの予告状を全員に見えるように持ちながら話す。
「背景に刺さっていたカッターナイフの先にこの殺人予告状がありました。これによると、霧崎零は今夜、誰かを殺すつもりのようです。なので、今夜は皆さん、この場にとどまっていただきたいんですが……」
「じょ、冗談じゃない! 独りで家に鍵をかけて閉じこもったほうが安全じゃないか! だってここには霧崎零の他にもう一人、霧崎のふりをして人を殺した奴がいるんでしょう!? なあ、鶴谷(つるたに)だってそう思うだろ!?」
声をかけられた鶴谷一騎(つるたに いっき)さんは、ツル役の青年である。
「俺は別にいいッスよー……寝る場所さえあれば」
「おい、鶴谷!?」
白鳥さんは目をむいた。
つ、鶴谷さん……寝る気なのか……。
正直ぼくも予想外だ。
「いいじゃないッスか白鳥さんー……俺、最近寝不足なんスよー。家帰んのタリイし。……それに、その霧崎さんって自分の偽物を殺そうとしてんでしょ? 無実だったら寝ても平気っしょー」
鶴谷さんは欠伸をして、今にも寝入ってしまいそうだった。度胸がすわっているのか、眠気が勝っているのか。
「それに、独りで逃げ帰ったら疑われるだけだぜ白鳥。――おもしれえ、残ってやんよ」
烏丸さんは、挑戦するかのようにニヤッと笑った。
「わかったよ……そこまで言うなら……」
白鳥さんは、未だ落ち着かない様子だが、とりあえずこちらの要求をのんでくれた。
「ん、じゃ、崇皇と俺で聴取すっから、月下と亀追は他の部屋に誰かいないか適当に調べといてくれ。六花ちゃんは……まあ、適当に」
「はい」
「了解なんだよ」
おやっさんの自由度の高すぎる指示を受け、ぼくらは動いた。
「大鷹君、聴取は後でいいので、部屋の案内をお願いできますか」
ぼくはマネージャーの彼に頼んで、控室に案内してもらった。亀追さんと手分けして、部屋の捜査にあたる。お嬢には劇場に残ってもらい、劇団員に不審な動きがないように見張ってもらっている。
控室に入って、ぼくは白手袋をつけて部屋の中を調べる。後ろでは入口の近くで、大鷹君が所在なさげに立っていた。
「すいません、大鷹君」
「ああ、いえ。……霧崎零、ですか。早く捕まるといいですね」
「そうですね。ぼくらも、もっと頑張らないと……」
「……あの、ずっと気になっていたんですが」
「何ですか?」
ぼくは、大鷹君のほうを振りむいた。
「あの……角柱寺さん、でしたっけ、あの女の子」
「ええ。彼女がどうかしましたか?」
「あ、いえ……可愛いですよね、彼女」
「え、ああ……そうですか」
――なんだろう?
ぼくには、大鷹君の言わんとしていることがよくわからなかった。
そうしているうちに、彼はしびれを切らしたらしい。
「――単刀直入におうかがいしますが」
「は、はい」
「あなたは、角柱寺さんの何なのでしょうか」
――ああ、そういうことなのかな。
ぼくはなんとなくそう思った。
この人、お嬢のことが好きなのかな。
「うーん……そうですね……」
お嬢との関係なんて聞かれたことがないから、ぼくは何と言うべきか迷った。
『正義のミカタ』の相方、なんて言われても困るだろうし……。
「――ただの召使ですよ。特に恋愛関係とかではないです」
多分、彼が聞きたいであろう言葉を付け加えて返す。
「召使……?」
大鷹君は首をかしげた。
あ、刑事が召使ってのも変な話か。
修正、修正。
「彼女は警察で偉い人の娘さんでして。ぼくは彼女の世話役です」
「あ、そういうことですか。いやー、そうですか……僕はてっきり援助交際か何かかと」
「はは……」
お嬢がセーラー服でぼくがスーツなものだから、よくこうして誤解される。いくらなんでも捜査に援交相手は連れてこない……って、そんな問題じゃないか。
言っとくけど、ぼく援交とかしたことないからね!
「なので、安心してください」
ぼくは笑って言った。
――そうだよ、大鷹君は大学生だし、お嬢と一緒にいて一番自然な年齢差だ。
お嬢は同世代の他人と関わることが滅多にないから、この機会に仲良くなれるといいんだけど。
「……いえ、残念ですよ」
「?」
「だって、」
大鷹君が何か言いかけたところに、控室のドアが開いて、亀追さんが入ってきた。
「月下君、まだやってたのか。こっちは全部終わったよ」
「あ、すいません亀追さん」
「ふん、仲良くおしゃべりでもしてたのか? ――大鷹さん、聴取があなたで最後なので舞台に戻ってください」
「あ、はい。では」
大鷹君は一礼して部屋を出ていった。
「……ここも怪しいところはなさそうだな。時に月下君」
「なんですか?」
「一応、最新情報を伝えておこう。例の『仮面の男』について、だ」
黒の腕と対面したという、鳥の仮面をつけた男。
「前に伝えた情報とは違う目撃者がもう一人いた。人と待ち合わせをしていたらしくて、よほど暇だったのか仮面の男について、前の情報よりは詳しく観察していたよ。鳥の仮面だったのは間違いない。真っ白な鳥だったそうだ。ただ、何の鳥かまではわからなかったそうだがね」
「真っ白な鳥……ハクチョウ、でしょうか」
「いや……ハクチョウならクチバシが黄色だし、流石に一目見れば、あんな特徴的な顔を知らないわけがない。情報によると、クチバシまで真っ白だった、と言っていた」
「クチバシまで……」
そんな鳥、いただろうか。
「……わかりました。情報、ありがとうございます」
「……あと、これは親切心だが」
ぼくは下げた頭を上げて、亀追さんを見た。
亀追さんは静かに口を開く。
「……あまり事件の関係者を信用しないほうがいい。刑事は疑う職業だということを、せいぜい忘れないようにしたまえ」
「……? それは、どういう」
「あの青年も、容疑者の一人に変わりない、ということだ。……部屋の捜査は、これで終わりか」
ぼくと亀追さんは、その後、言葉を交わすことなく舞台に戻った。
もうそろそろ日が落ちる時間だ。
ぼくは舞台にいたお嬢に、亀追さんの情報を伝えた。お嬢の話では、不審な動きをしたものはいないという。
「ずっと気になってるんだけどさ」
「何? お嬢」
「予告状には『ワシを殺す』ってかいてあったけど、この劇、ワシはいないよね」
「ああ、そういえば……」
「あと、亀追さんが言ってた『クチバシまで真っ白な鳥の仮面』、か……てっとりばやく、直接聞いてみようか」
お嬢の一言で、ぼくは劇団員が集まっているところに、質問してみた。
「皆さんの劇で、クチバシまで真っ白な鳥の仮面、というのはありますか?」
「クチバシまで……ああ、それは多分カラスの仮面ですね」
答えたのはマネージャーの大鷹君だった。
「え、カラス?」
予告状の騒ぎがある前、劇の練習を見たが、その時は間違いなくカラスの仮面は真っ黒だったはずだが……。
「カラスの仮面は二種類あって、真っ白なものと真っ黒なものがあるんです。ほら、劇の練習の時、言いましたよね。カラスはもともと真っ白だったけど、真っ黒になった設定だって」
――ああ、そういえば……。
「……ということは、カラスの仮面は、カラス役の烏丸さんのものってことですか……」
「な、なんだよ、それがどうかしたか?」
「……烏丸さん、もう一度、お話を聞かせてください」
ぼくとお嬢は、烏丸さんを控室に連れてきた。
「なんなんだよ!」
「うるさい」
うろたえる烏丸さんを、お嬢は一言で黙らせた。
「話を聞かせてよ。……会ったんだろ? 黒の腕に」
「黒野……? 誰だ、それ」
「……ふざけてるのかい?」
お嬢はガン、と机を叩いた。ミシ、と今にも壊れそうな音が響く。
「知らない、ほんとに知らないって!」
「さっさと言いなよ……早く! 君が零に殺される前に!」
「お嬢、落ち着いて!」
お嬢は、いつもとはうって変わって、焦って苛立っているようだった。瞳孔が開き気味になっている。
ぼくには、烏丸さんがとぼけているようには見えなかった。
「烏丸さん、白いカラスの仮面は今日は使ったんですか?」
「あ、ああ……午前の練習だけ……午後からはカラスが黒に染まったところをやってたから……」
だから、ぼくらは黒いカラスしか見ていないのか……。
「白い仮面は練習の後、どうしてました?」
「時間がなかったから、適当に控室のその辺に……おかげで今、ひどい目にあってるけど」
「……お嬢、この人は模倣犯じゃなさそうだよ」
「うん……烏丸さん」
「は、はい」
烏丸さんは完全に少女に委縮していた。
「……劇には役者は全員参加した?」
「はい、しました。間違いないです、はい」
「…………」
「お嬢……?」
お嬢は黙って考え込んでしまった。
ぼくはとりあえず、烏丸さんに先に舞台に戻ってもらった。
「お嬢、どうしたの?」
「……犯人、多分わかった」
「本当かい!?」
「……舞台に戻ろう。模倣犯……助けないと」
「……?」
ぼくとお嬢は舞台に戻った。
「おやっさん、お嬢が模倣犯が誰か、わかったそうです」
「おう、そうか。もう夜だ。時間がないからぱぱっと解いてくれ」
お嬢は、舞台に立つ劇団員たちを見据えた。
「模倣犯は……君だろう?」
お嬢はゆっくり指を上げ、犯人を指した。
「――大鷹、さん」
劇団員たちは、お嬢の指の先を見た。
ぼくは愕然とした。
大鷹君が……?
大鷹君は、無表情でお嬢を見つめ返した。
「模倣犯が黒の腕に会ったのは劇の最中。劇はすでに黒く染まったカラスの仮面が使われていた。つまり、その間、白いカラスの仮面しか使える仮面がなかった。主役のカラスの仮面を使えば、カラス役の烏丸さんを身代わりに殺させることもできると思ったのかもしれない」
「お……大鷹、てめえ……!」
「……」
大鷹君は、変わらず表情がなかった。
「しかし、カラスの仮面が使えたとしても、劇は役者が全員参加しているので、烏丸さん、白鳥さん、鶴谷さん他、役者は全員シロだ。黒の腕に会えたのは……マネージャーである大鷹さん、あなただけだ」
「そんな……!」
ぼくはつぶやいた。
「大鷹君、どうして模倣殺人なんか……!」
「――まさか、うわさが本当だったなんてね」
大鷹君は口を開いてそう言った。
「うわさで聞いたんだ。『零の継承式』ってやつをね。……ぼくは、もともと役者志望だった。だが、才能を認められず、仕方なくマネージャー……ぼくはどうしても自分を他人に認めさせたかった」
――犯罪者の中には、犯罪することで自己の存在を主張する者がいる、ということだ。
黒の腕が言っていた台詞を思い出す。
――そうか、大鷹君も自分を証明したかった――
その手段を誤ってしまった一人なんだ――。
ギッ
劇場と外をつなぐ扉が、開いて、閉じた。
「――零も当然、君が模倣犯だと気づいているよ。だからこそ――」
「だからこそ、わざわざ間違えて『ワシ』と書いたのですから」
ふふ。
不吉な笑い声。ステージのライトの外は真っ暗闇。しかしそこにやつがいる。
「すべてを切り裂き、零にする……」
捜査一課の面々は戦闘態勢に入った。
「亀追! 劇団員を全員避難させろ! 急げ!」
おやっさんが怒鳴って、大鷹君以外の劇団員は亀追さんに連れられて劇場を逃げ出した。大鷹君は立ち尽くしたままだった。
「私にとってはワシもタカも一緒です」
黒の腕が先に立ち、零が後から一緒にステージに上った。
「ほら、また逢えただろう? ――これから始まる『零の継承式』に」
黒の腕はそういって、腕を前に突き出した。
「よけてください!」
ぼくが叫んで、刑事たちはかろうじて火炎放射をよけた。
「はっ……あぶねえオモチャ持ってるじゃねえか、最近のお子さんは」
おやっさんは、世も末だとつぶやいた。
「ワシだろうがタカだろうがカラスもハクチョウもツルも私には皆同じに見えますよ。どれも等しく同じ命、羽をむしってしまえばどれも等しく同じ鳥肉にすぎません」
零はほほ笑みながらそう言って、大鷹君に歩み寄る。――ふと、立ち止まった。
崇皇先輩が、大鷹君を守るように立っていた。
「おや、これはまた美味しそうなマドモワゼル」
零はにっこり笑いかけた。
「残念だけど、殺させるわけにはいかないの」
「じゃあお前が代りに死ぬか?」
黒の腕が両手を再び前に突き出し、崇皇先輩に狙いを定めた。
「崇皇先輩!」
ぼくが叫んだ、その時。
パン、パン。
銃声が二度こだました。
黒の腕の焔は、噴射されなかった。
そのかわり、ジュウウウウと音がして、黒の腕がもがき苦しんでいた。
「あああああがあああっ……!」
黒の腕の両腕から煙が上がり、黒の腕は転げまわっている。
――おやっさんの構えている銃からは、細く煙がたなびいていた。
「お、おやっさん、何やったんですか……?」
ぼくは恐る恐る尋ねる。
「あ? 火炎放射器の発射口に弾丸ぶち込んだ」
おやっさんがあまりにあっさり言うので、リアクションに困る。
「……さすが、警視庁の射撃ナンバーワン……」
と言うしかなかった。
「ふふ、まだまだですね、カイナ」
「うるさい! はやくなんとかしろ、ゼロ!」
「やれやれ」
零は懐から拳銃を出して、天井のスプリンクラーを撃った。
劇場の中に雨が降る。
「……霧崎……」
零の背後に誰か立った。
「零オッ!」
お嬢がいつの間にか零の背後をとっていた。零に殴りかかるその顔は、笑顔がなく憎しみに満ちていた。
「おっと」
お嬢の攻撃は簡単にかわされた。
ぼくはその足元を撃った。
「!」
銃弾は零の脚に当たった。零は舞台に尻もちをついた。
「ここまでだよ、零」
お嬢は零を見下ろして言った。
「おや、誰かと思えばいつしかのお嬢さん……ふふ、私が見込んだとおりでした」
それでも零はほほ笑み続ける。
ふと、零がぼくを見た。もうその眼はぼくを凍らせはしなかった。
「貴方も、随分と成長しましたね。……まあ、貴方の可能性は低いかと思っていましたが、どうやら過小評価していたようです」
「――零、君は……」
お嬢が哀しそうな目で零に言った。
「君は……誰かに止めてほしかったの? だから、止められる『可能性』があるボクらを生かして……」
「どうやら、私の『呪い』も解けたようですね」
ひざをついたお嬢の顔を、零は愛おしそうになでた。お嬢の顔は、もう笑顔ではなかった。お嬢は泣いているのか、単にスプリンクラーのせいなのか、ぼくにはわからなかったが、口元はもう笑っていなかった。
「ゼロ……まさか、貴様……」
歪んだ顔で、黒の腕は零を睨んだ。
「俺を……はめたのか……!」
「今の時代、もう『霧崎零』は必要ありませんよ。霧崎零は十三代目で幕引きです」
「必要に決まってんだろ!? 今の人間は増えすぎなんだよ! 人類の数を減らさなければならない……それが我々の使命……」
こうして、数々の事件を引き起こした殺人犯、霧崎零とその側近、黒の腕、そして模倣犯、大鷹玲夜は逮捕された。
*
『霧崎零』は、代々世襲される殺人犯の名前らしい。本名『アレス・サイファー』が最後の十三代目。切り裂きジャックを殺したと言われる殺人鬼が、自分を殺した者を世襲させるというルールを作ったのが全ての始まりだった。世襲したものは、これまた世襲制のお目付け役――『黒の腕』に殺人を強制させられる。
十二代目はアレスの妻、『エリス・サイファー』だった。負傷し瀕死の状態だった十一代目を知らずに看護、十一代目死亡後、自動的に十二代目を世襲し、黒の腕が現れる。殺人を強制させられることに絶望にも似た恐怖を抱いた彼女のために、アレスは人生で初めての殺人――最愛の妻エリスをその手にかけた。
その後、彼はこの『殺人感染』を止めようとする。黒の腕が怪しまないように、かつ相手が自分を殺さないようにするには。
――答えが見つかったときには、すでに何十人もの犠牲者を葬ったあとだった。人ではない司法が私を殺せばいい。ただし、黒の腕も同時に捕まえさせるために、自首はできない。
警視総監とその娘、ついでにその場にいた警官を一人見逃した。彼らが、私を止めてくれる『可能性』を持っている。
――カイナは、その『可能性』を『楽しませてくれる可能性』と勘違いしていたようですがね。
面会した霧崎――いや、アレスは、すっきりしたように笑っていた。黒の腕に怪しまれないよう、殺人が好きな演技を何年も続けていたのだ。
そして、お嬢さんには本当にすまないことをした、と深く頭を下げて謝った。
お嬢は、大したことないよ、と笑っていた。笑うことしかできないのではなく、自分の意志で口角を上げて笑っていた。
最後にアレスは、お嬢に「ありがとう」と言った。
これが、ぼくらと、死刑囚アレス・サイファーの、最後の会話だった。
「二人とも、おめでとう!」
崇皇先輩がクラッカーを鳴らした。
捜査一課で事件が終わったねぎらいの打ち上げをしている。
「日暮警部、かっこよかったです!」
「そういや、大丈夫だったか崇皇。やけどとかしてねえか?」
「はい、大丈夫です!」
崇皇先輩が真っ赤になって一生懸命答えている。
「……全部、終わったんだね」
ぼくは、そっとつぶやいた。
「……うん」
お嬢は、無表情だった。
「あんまり、嬉しくない?」
「まさか。とてもめでたいことだよ」
お嬢は打ち消すように笑った。
「ただ……さ」
「うん」
「これでもう、月下君に会えないのかなって……」
「え、なんで?」
「なんでって……」
そこに、警視総監がやってきた。
「六花、悪いけど打ち上げが終わったら次の仕事だよ」
「え……次の……?」
「当り前でしょ、悪い奴は零だけじゃないんだよ。もちろん、月下ちゃんも一緒にね!」
「月下君……!」
お嬢は嬉しそうにぼくを見上げた。
ぼくもほほ笑んで言った。
「この世に悪がなくならないと、ぼくらは解散できないよ」と。
〈完〉
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