正義のミカタ・02話~北の大地の空の下~

 ことの始まりは、警視庁三階廊下での二人の男女の会話だった。

 捜査一課――通称「殺人課」の刑事が、二人。

 女が自動販売機で買った缶コーヒーを飲みながら、廊下の窓から冬の木枯らしが吹き荒れる、いかにも寒そうな外を見ていると、男が声をかけてきた。

 「やあ、崇皇(すのう)さん」

 「ゴク……あら、亀追(かめおい)君」

 「丁度良かった。ちょっと話があるんですが」

 「何?」

 女はグビグビと男前にブラックコーヒーを飲みほし、ゴミ箱に捨てた。誰もいない廊下に、スチール缶のカラン、と乾いた音が響いた。

 「確か崇皇(すのう)さんは、今週末は非番ですよね?」

 「んー……。そうだったわね、確か」

 崇皇深雪(すのう みゆき)は自分の休みの日など興味がなさそうに言った。

 実際、彼女は自分の仕事が大好きで、刑事であることに誇りを持っていたので、特に自分から休みが欲しいとは思わない。

 別に仕事中毒(ワーカホリック)というわけではないのだが、休日に家でゴロゴロするよりは、警視庁で一課のみんなと一緒に事件の犯人を追っかけ回すほうが、はるかに健康的だし楽しいのだ(事件を楽しむのはさすがにどうかと思うが)。

 崇皇(すのう)にとっては捜査一課の強面の刑事たちは家族同然の愉快な仲間たちなのである。

 もちろん、目の前に立っている、同輩で階級も自分より高いくせに自分に敬語を使ってくる男――亀追飛雄矢(かめおい ひゅうや)も、一応その一人である。

 「あ、やっぱりそうですか。僕も非番なんですよ」

 「ふうん」

 ――だから何?

 崇皇(すのう)はそう言いたくなったが、とりあえず言わないでおいた。

 どうも、この男のものの言い方が回りくどくて、崇皇(すのう)は苦手だった。

 言いたいことがあるなら、直接ガツンと言ってほしいのだ。

 変化球より直球勝負。

 崇皇(すのう)はそういうタイプだった。

 「よかったら、今週末、旅行にでも行きませんか」

 今回の亀追(かめおい)はよく頑張ったほうだった。

 この男は、食事に誘うのに、

 「ここのレストラン、美味しいらしいですよ」だの、

 「誰かと一緒に食べに行きたいです」だの、寂しがり屋の女子高生みたいな誘い方をするので、崇皇(すのう)はそのたびに、妙にイライラして、それでも丁重に断るのだった。

 そのことを考えると、亀追(かめおい)は大健闘した。

 しかし、亀追(かめおい)には誤算があった。

 「いいわよ。じゃあ、みんなも誘っておくわね」

 「は? ……みんな?」

 「一課のみんなで忘年旅行なんて、たまにはいい仕事するじゃない!」

 崇皇(すのう)の、警視庁の男共を悩殺する満面の笑顔が、今、亀追(かめおい)の目には絶望に映った。

 「い、いや、ちが」

 「きっとみんな喜ぶわよ。じゃ、今から誘ってくるわね」

 崇皇(すのう)はさっさと一課の部屋へ歩いて行った。

 亀追(かめおい)は、がっくりと肩を落とした。

 崇皇(すのう)は、恐ろしく恋愛事に疎いのだった。


***


 「ゴクゴク……それで、ボクも誘われたわけかい」

 お嬢は、ぼく、月下氷人(つきした ひょうと)が外で買ってきた缶コーヒー(ちゃんとミルクが入っていて、しかも微糖のやつ)を飲みながら言った。

 お嬢の屋敷は外の寒さなど関係なく、常に人間が過ごしやすい温度になっている。自然、ぼくが入り浸るようになるのに時間はかからなかった。

 「冬の北海道、ね。わざわざ凍死しにいくようなもんだね」

 「いや、むしろ冬の北海道が楽しいんじゃないか?」

 スキーとかスノボーとかさ、とぼくは北海道の弁護に回った。……なんでぼく、亀追(かめおい)さんの味方になってんだろ。

 「あ、でも、冬とか寒いと、傷が痛んじゃうかな」

 ぼくは、お嬢に言った。

 「それは大丈夫だよ。今の時点で痛いから」

 「痛いのかよ! だったら、無理しないほうが……」

 「平気だよ、これくらいなら。ほら」

 お嬢は、コーヒーを飲み干すと、スチール缶を握りつぶした。なんとも表現しづらい音がして、スチール缶は無残な姿になった。

 「……うん、大丈夫そうだね……」

 お嬢の両腕と両脚は、今は人工皮膚で隠されているが、その皮膚の下は鋼鉄の義肢になっている。昔、お嬢はある事件に巻き込まれて、――四肢を同時に失ったのだ。

 「崇皇さんのお誘いは断れないしね。問題は……」

 「問題?」

 お嬢は難しい顔をしたので、ぼくは不思議そうに尋ねた。お嬢――角柱寺六花(かくちゅうじ りか)は、警視総監のご令嬢だ。金も権力もある彼女が、何の問題を抱えているっていうんだ?

 「ボクが一緒に行って、事件が起こらないかな」

 「事件って……」

 いくら警察のトップの娘だからって、事件を引き寄せる磁力が発生するとは思えないけど。

 「多分、大丈夫だと思うよ。お嬢が自ら人を殺すんなら別だけど」

 「『正義のミカタ』であるボクが、そんなことをするわけないだろ」

 お嬢はちょっぴり、ぼくを睨(にら)んだ。

 きれいに澄んでいて、鋭い光を放つ瞳。

 睨まれた相手は石のように固まってしまう。

 ぼくは未だに、この眼が苦手だ。

 「なら大丈夫だよ。たとえ何か起きても、それはお嬢に犯罪を止めてもらおうとする、神の思し召しだよ」

 「うわ、刑事が神を語ってるよ。結構レアな光景だぜ」

 どこからか、声が聞こえた。

 「……今の、お嬢?」

 「こら、急にしゃべるなよ、重之(しげゆき)君」

 お嬢はテーブルに置いていた小さなコンピュータ――B5サイズでカバンにも入る大きさだ――に話しかけた。

 小さなコンピュータの小さな画面に、少年の胸から上が映っている。

 「お、お嬢、コイツは……!」

 「なんだい、もう忘れたのかい? この前の事件で捕まえた、オタクサイト大好き野郎じゃないか」

 「誰がオタクサイト大好きだコラア! 嫌いだからこそ荒らすんだろが!」

 画面の中から、小さい源重之(みなもと しげゆき)君が怒鳴った。

 テレビ電話で話しているわけではない。

 ぼくもにわかには信じられなかったが、この少年はパソコンの中にいるのだ。人間に似せて創られた『擬似人格プログラム』というらしい。

 重之(しげゆき)君は、以前発生した、オタクサイトの掲示板に誹謗中傷を書き込む、いわゆる『オタクサイト荒らし』事件の犯人だった。

 ぼくとぼくの同僚、そしてお嬢が捜査した結果、重之(しげゆき)君は……『父親』である創り主に消去(ころ)されそうになった。

 その直前に、お嬢がCDに重之(しげゆき)君をコピーしていて事無きを得たんだけど……。

 「確かお嬢さ……。そのCD、警察に証拠として提出したよね?」

 「それがどうかしたかい?」

 「いやいやいや。それじゃ、なんで重之(しげゆき)君がここにいるんだよ」

 「もう一枚コピーしたからに決まってるだろ?

 このボクが、こんな面白いものをわざわざ手放すと思うかい?」

 結構問題な発言を、さらっと言ってくれるよ、この子は。

 「いやあ、この前の事件では世話になったな、刑事の兄ちゃん」

 重之(しげゆき)君は、ぼくに向かって挨拶した。

 「この前は悪かったね。このお嬢のせいで、お父さんが……」

 「あ、ボクに責任転嫁かい? いーけないんだ、刑事さんが一般ピープルに責任押し付けてる~。

 崇皇さんに言いつけてやる」

 「君のどこら辺が一般人なんだよ」

 「ギャハハ。おもしれえ奴らだな」

 重之(しげゆき)君が笑った。

 「別に親父のことはもう気にしてねえよ。

 インターネットに逃げ込んだ俺はもう死んでるだろうけど、コピーされた俺はこうして生きてるわけだし。

 ――俺は、親父の言うことを聞かなかったから捨てられたのさ」

 うーん、このプログラム、境遇が下手したら普通の人間より複雑だ……。

 「それにしても、なんでオタクサイトなんか荒らしてたんだ、君は?」

 「ん~、別に荒らすつもりはなかったんだけどよ……。初めてインターネットにやってきた時――俺はその頃は、自分が人間で、精神をインターネットに送り込まれたと思い込んでたんだが――その時に、たまたま迷い込んだサイトが酷く画力が低くてさ。人間が描いたイラストとは思えない……っていうか、イラストか、これ? みたいな。

 それで、忠告したつもりだったんだけど」

 「それが……『下手糞なイラストを堂々とサイトに載せてんじゃねえよ

 一度死んで画力上げて生き返ってこい』……ってわけか」

 重之君は多分、悪気はないけど口の悪さで誤解を招くタイプだな……。

 特に、相手の顔の見えないインターネット上では、そういう誤解は起こりやすい。

 まあ、重之君の場合、口が悪すぎる感があるけど。

 「あ、そうだ、月下君! 重之君も連れて行こうよ!」

 お嬢が、ポンと手を打って言った。

 「う~ん、そうだね。パソコンなら飛行機代もかからないだろうし。でも、パソコンって、寒さは平気かな」

 「大丈夫だよ。むしろパソコンは相当な熱を放出するから、少し寒いくらいが丁度いいのさ。重之君、雪を見たことあるかい?」

 お嬢は、パソコンに向かって話しかけた。

 「ないない。まず外に出してもらえなかったからな。雪って、どんなんだ?」

 そうか、重之君の元々いたパソコン、だいぶ大きかったからな。

 研究所とかに置いてあるような、巨大なパソコン――後でお嬢に『スーパーコンピュータ』というのだ、と教えてもらった――の中で、重之君は創られ、そこからインターネットを飛び回っていた。

 あんなバカでかいパソコンを、外に出せるわけがない。

 「雪はね、白くて冷たいんだよ。空から降ってくるのさ」

 「つめたい……か。一応、触覚プログラムにはあるけど、冷たいものに触る機会がねえからな」

 まあ、そうだろうな。

 「う~ん、ボクも、もう手に触覚がないからなあ」

 お嬢は、自分の手をじっと見た。

 う……。

 な、なんか、雰囲気が……。

 「あ、あのさ……」

 「ま、いいや。とりあえず、面白そうだから、俺も行く」

 「吐き気がするくらい雪ばっかり見せてあげるよ!」

 「なんだ、その悪質なイヤガラセ」

 ……。

 うん、この二人が暗くなることはないな。

 とにかく、こうして、ぼくとお嬢、そして飛び入りで重之君も旅に参加することになったのだった。


***


 週末の空港。

 ぼくは、建物に入ってすぐに、旅の仲間の姿を発見した。

 ぼくの憧れの人である崇皇深雪(すのう みゆき)先輩と、ぼくの所属する捜査一課の警部で、みんなに『おやっさん』と呼び親しまれている日暮針生(ひぐらし はりお)さん、あとは……ついでに、今回の北海道旅行の企画者、亀追飛雄矢(かめおい ひゅうや)さんの三人…………三人?

 「おはようございます」

 「あ、おはよう、月下君」

 崇皇先輩が、笑顔で挨拶してくれた。

 今日も可愛いな先輩……じゃなくて。

 「よお、月下」

 いつも面倒臭そうなおやっさんは、今日も面倒臭そうに挨拶した。

 「おはようございます……あの。

 まだ三人しか来てないんですか?」

 一、二、三。

 ……うん、どう頑張って数えても、三人だ。

 ぼくを入れたって、四人になるだけだ。

 「ん、一課の全員誘った結果がこれなんだとよ」とおやっさん。

 「ごめんなさいね、月下君。週末が非番の人、私たち四人しかいないらしくて。亀追君が変な日を旅行の日程にするもんだから」崇皇先輩が、すまなそうな顔をして言った。

 ――いや……多分それ、亀追さんの計算だと思いますよ。

 ぼくは内心そう思った。

 亀追さんが崇皇先輩を狙っていることは、一課の中では有名な話だ(もっとも、亀追さんも隠すことなく大っぴらにやっているが)。この男は、やたらと女性にご飯をおごるのが趣味らしい。お嬢も一課に遊びに来るたびに、この男に夕飯に誘われるのだ。――毎回毎回、断られているが。

 おそらく、亀追さんは崇皇先輩と二人っきりで旅行したかったのだろうが、何か手違いがあって、一課全員の冬の遠足みたいなことになってしまった、といったところだろうか。

 ぼくは、適当に推理ともいえない推理をした。

 「まったく、日暮警部が来なかったら、私も帰ろうかと思ったわ」崇皇先輩が、呆れた表情で言う。

 崇皇先輩は、おやっさんを唯一『日暮警部』と呼ぶ人だ。どうやら、歳は離れている(27と48)が、刑事になる前から知り合いらしい。

 「そんなこと言わないで下さいよ。飛行機とるの大変だったんですから」

 亀追さんが情けない顔で言った。

 計画が半分失敗しているのに、この上目当ての女性に帰られてはかなわない、ということだろう。

 「あ~……なんか俺、もうすでに帰りてえんだが」

 おやっさんが言い出した。

 「な、何言ってるんですか! 飛行機が出る直前になって……!」

 亀追さんが、目に見えて慌てている。

 ――ああ、このメンバー、協調性皆無だなあ。

 ぼくが呑気にそんなことを考えていると、

 「あ、いたいた。おっまた~!」

 来たよ。一番協調性ないヤツが。

 「ごめんごめん、遅れてメンゴ☆ って、人少なっ! どうしたんだい、みんな待ちくたびれて帰っちゃったのかい、それともボクに恐れをなして……ってなんでやね~ん! やあやあ、みなさん、ご機嫌うるわしゅう?」

 ――どうした、お嬢……?

 明らかにテンションが異常だ。普段からの異常なテンションをはるかに凌駕している。『☆』って、『☆』ってアンタ。何気に北海道が楽しみだったのだろうか。

 お嬢の格好は、全体が紺色である以外は、いつもと変わらないセーラー服……で……。

 「お嬢? お嬢、ちょっとこっち来て」

 ぼくは、お嬢の手首をつかんで、みんなから少し離れたところへ引っぱっていった。

 「や……っ、痛いよ月下君っ。何するの?」

 「その話し方やめろ! 腕が金属の人が痛いわけないだろ」ぼくは何故か、顔が熱くなるのを感じた。なんだ、このお嬢の喋り方。い、いや、問題はそこじゃない。

 「むう、せっかく庶民の雑誌で喋り方の勉強したのに」

 「喋り方?」

 「うん。今、人間もキャラで分類される世の中でね、キャラによって喋り方が決まってるらしいよ。いわゆる現代のカースト制度? みたいな? あ、これはギャルキャラの喋り方らしいよ。んで、さっき披露したのが、不思議キャラとぶりっこキャラ」

 ……北海道行く前に勉強するべきことか、それ……?

 「……いきすぎた不思議ちゃんは、ただの困ったちゃんだよ、お嬢……覚えておきな」

 「ほーい」

 「でね、ぼくが言いたいのはそこじゃなくて、……お嬢。お前、本当に死ぬ気か?」

 ぼくがお嬢を『お前』呼ばわりするなんて、きっと相当混乱していたに違いない。

 「ん? 何が?」

 「今からぼくらが行くのは、真冬の北海道だよ? なんで上着も着ないでそのままセーラー服で来るかな?」

 「大丈夫だよ、月下君。ほら、これ冬服だから」

 お嬢はにこにこ笑って、自分の着ている制服を指差した。

 いや、大丈夫の意味がわからん。

 「う~ん……。もう飛行機が出るから、戻って取ってくる時間ないよな……。ったく、上着貸してあげるから、向こうで新しい上着買いなよ」

 「平気だって、どうせ手も足も寒さを感じないんだから」

 「だからって……」

 「月下~、そろそろ飛行機が出るってよ~」

 おやっさんが気の抜けた声でぼくを呼んだ。

 ――以上、こんな、あらゆる意味でグダグダな状態のまま、ぼく達は北海道へ飛び立ったのだった……。


***


 函館(はこだて)空港。

 真冬の北海道は、ぼく達の想像をはるかに超えていた。

 空港に着くと、そこは雪国だった、とでも言うのだろうか。空港から外に出て、ぼく達は外のありさまに言葉が詰まってしまった。

 冷たい風。歩道の半分を埋めている、雪かきによって人間の身長よりも高く積み上げられた雪。そして、残像が見えるほどの勢いで、ほぼ横向きに飛んでいく吹雪。

 確かに、ぼく達は冬の北海道に死にに来たのかもしれない。今着ている服と、上着一枚では寒さを防げない。

 「見てごらん、重之君。これが雪だよ」

 ぼくの上着をはおったお嬢は、パソコンを開いて重之君に外の様子を見せている。上着がなくてぼくは死にかけている。

 「うわ~、俺、自分が生身じゃなくて良かったって実感したの初めてかも」

 まったくだ。今だけは、パソコンの中の彼がうらやましい。

 とにかく、亀追さんが車を呼んで、ぼく達は車の中で震えながら予約した旅館へ移動した。

 車内がようやく暖房で暖かくなった頃に、車は旅館へたどり着いた。駐車場もすっかり雪で埋もれてしまっている。ぼく達五人とパソコン一台は地上の雪に四苦八苦しながらも、転ぶことなく無事に玄関に着いた。

 とりあえず、吹雪で観光どころではないため、外出は明日にして、今日のところは旅館でゆっくり休むことになった。

 旅館は老舗の和風なつくりで、歴史を感じる割にきれいで、古い旅館につきものな、何か出そうな嫌な雰囲気はなかった。

 ぼくが温泉から出て、中庭に面した渡り廊下を歩いていると、崇皇先輩が、ぼくと同じ柄の浴衣――まあ、どの浴衣も同じなんだろうけど――を着て、首にタオルをかけて中庭を眺めていた。

 足を止めてその横顔を見ていると、ふと、先輩がぼくに気づいてこちらを見た。

 「あ、月下君」

 「先輩、いいお湯でしたね」

 「そうね。旅館の雰囲気もいいし」

 ぼくは崇皇先輩の隣に立った。熱い湯を浴びて火照った顔に、外の冷たい空気が心地いい。

 「雪、綺麗ですね」

 「そうね。私、ここまで積もってる雪見るのは、初めてかも」

 「ぼくもです。東京じゃほとんど降りませんもんね」

 「雪といえば、北海道に着いた時、日暮警部、全然寒がってなかったの、気づいた?」

 「そういえば、震えてすらなかったですね」

 「そう。それで、警部に聞いてみたら、あの人、こんなの持ってたのよ」

 崇皇先輩はそういって、袋を取り出した。お茶のパックを大きくしたような白くて四角い紙の袋に、何か黒い粉のようなものが入っている。

 「これ……カイロ、ですか?」

 「ずるいわよね~。一人だけカイロ持ってたのよ! 私、文句言ってコレもらっちゃった♪ 警部のカイロ、記念にとっとくの」

 先輩は、とても嬉しそうに笑っていた。おやっさんからもらったカイロを、自分の顔に当てて、本当に嬉しそうに。

 「先輩は」

 ぼくは、少し時間をおいて、ゆっくり口を開いた。

 「――本当に、日暮警部がお好きなんですね」

 「ん? うん、大好き」

 先輩は、無邪気に笑って、あっさりと言った。

 ぼくは、胸が、ギュッと音を鳴らした気がした。

 とても、鈍い痛み。

 少しずつ、心臓を握られているような。

 息苦しい。

 「――ですよね。見てて、わかります」

 「えっ、嘘っ!? みんなにバレてる!?」

 「ええ、多分」

そりゃあ、常におやっさんのデスクの横に立って、おやっさんだけに一日十杯以上お茶汲んでたら、他の刑事もさすがに気づくと思う。多分気づいていないのはおやっさん本人だけだ。

 「日暮警部には、昔、すごくお世話になって……。私が刑事になったのも、警部に出会ったのがきっかけなの。どうしても、あの人に恩返ししたくて。だから、そうね、恋愛対象としてじゃなくて、純粋にお父さんに対するみたいな好き、かな」

 「あ、そうなんですか」

 心臓を握りつぶそうとする手が、少し弱まった。

 「……ね、卓球しない?」

 崇皇先輩が、ぼくの顔を覗き込むようにして言った。

 「卓球、ですか? いいですよ」

 ぼくは、なるべく平静をよそおって答えた。

 「やった♪ やっぱりお風呂上りと言えば卓球とコーヒー牛乳よね~♪ ほら、卓球台とられる前に早く行かなきゃ」

 「はいはい……」

 ぼくは微苦笑しながら、先輩に手を引かれて卓球台のある部屋へ向かった。

 ぼくと先輩が廊下を去ると、お嬢がパソコンを持ちながら廊下に現れた。

 「いや~、甘酸っぱいね、重之君!」

 「ギャハッ、他人の恋路ってのは、見てておもしれえな」

 「まったくだよ! わかってるじゃないか、重之君」

 「しっかしまあ、刑事の兄ちゃんの場合、あの美人と進展なしで終わっちまいそうだぜ。大丈夫かねえ?」

 「まあ、ダメならボクがお婿にもらうまでさ」

 「ギャハハハ、面白いソレ! じゃあ、人外の俺様は、のんびり他人事で高みの見物させてもらうぜ」

 「ボクは温泉入ってくるよ」

 ――もちろん、こんな会話があったことは、ぼくには知る由もなかった。


***


 ぼくと崇皇先輩が卓球で汗を流していると、お嬢とおやっさんがやってきた。

 「あ、お嬢も温泉入ったんだ」

 「いいお湯だね~。月下君と一緒に入りたかったよ」

 「あ~はいはい」

 ぼくはお嬢の悪ふざけを軽く流した。

 「へえ、卓球か」

 おやっさんは、部屋に並んだ卓球台を見ながら、たいして興味もなさそうに言った。

 「警部もやりませんか?」

 崇皇先輩はニコニコ笑いながらおやっさんに声をかけた。崇皇先輩の笑顔は、捜査一課の強面の刑事達すら悩殺する威力があり、普通、先輩に誘われて断る人間はいない。

 「あのなあ、せっかく風呂入ったのに、また汗流してどうすんだ」

 「また入ればいいじゃないですか」

 「やだよ面倒くせえ。俺は見学でいいよ」

 「え~……」

 ――誘われて断る例外人間など、おやっさんくらいだ。

 お嬢とおやっさんは部屋にある椅子に座った。おやっさんは、ぼくと崇皇先輩の卓球をぼんやり眺め、お嬢は自分の脚を外して丁寧に拭いている。……風呂を出てすぐに拭かないと錆びるのはわかるが、ここで拭いて大丈夫なんだろうか。他の客が見たら卒倒するんじゃないのか。

 しかし、ぼくはそのうち卓球に熱中して、お嬢に注意を向けられなくなった。

 ぼくと崇皇先輩が卓球しているのを見飽きたおやっさんは、ふと、お嬢に目を向けた。

 「六花(りか)ちゃん、何か手伝おうか?」

 「じゃあ、ボクは脚を拭いてるから、おやっさんは腕を拭いてもらってもいいかな。ここをチョメチョメすると外せるから」

 「了解、と。ふーん、よくできてんな、これ」

 お嬢とおやっさんはパーツの人工皮膚をはがして、しばらく黙って拭いていた。

 「――六花(りか)ちゃん、お風呂入るたびにコレじゃ、大変だな」

 「まあね。でも、大事なことだから。

 いざって時に体がうまく動かないと、『正義のミカタ』としてマズイからね」

 「正義のミカタ……か。ったく、父親のくせに、凍牙(とうが)のヤツ、娘に何させてるんだか」

 「仕方ないよ、父上は父親だけど、同時に悪を憎む警視総監だから。それに、ボクが自ら選んだ道だし」

 「六花(りか)ちゃんはいい子だなあ。月下も、いい加減気づきゃいいのにな。――このままでいいのか? あいつ、崇皇といい感じだぜ?」

 「いいんだよ。ボクは、月下君が幸せなら、それでいい。ボクはこんな体だし、月下君には色々と嫌なところ見せちゃったし。せめて、人並みの幸せはつかんでほしいしね」

 「……そうか」

 「なんなら、おやっさんが崇皇さんを嫁にもらっちゃえばいいんじゃない?」

 「は? なんで?」

 「……おやっさんも気付けばいいんじゃないかな……」

 ――こんな会話も、ぼくには聞こえなかった。

 「おお、やってますね」

 亀追さんが部屋にやってきた。……ああ、いなかったのかこの人。

 「この僕を差し置いて、崇皇さんと一緒に卓球とは、いい度胸だね、月下君……」

 「え? あ、はあ……」

 「崇皇さん、僕と組んで、一緒に月下君を倒しましょう」

 「え? あ、うん……。足引っ張らないでね」

 「じゃあ、いきますよー」

 ぼく対崇皇先輩+亀追さん、試合開始。

 「ふふふ、月下君、これでも食らうがいい――あれ?」

 「ちょっと、何空振ってんのよ!」

 「こ、今度こそ……いけえっ!」

 「今度はホームランしてるし! もう、足引っ張るなって言ってるでしょ!」

 「す、すいません……」

 函館に来た初日は、最後までグダグダで終わった。


***


 崇皇「警部、どこ行きたいですか? 五稜郭とかありますよ」

 日暮「へえ、新撰組か。俺は寒いから旅館にひきこもっていたいんだが」

 崇皇「じゃあ、ひきこもりますか!」

 亀追「い、いやいやいや! 旅行に来た意味ないでしょうソレ!」

 翌日、ぼく達は全員部屋に集まって、観光場所を決めていた。崇皇先輩とおやっさんにつっこむ亀追さん。まとめ役というのも大変なものだ。

 「ボク、ラーメン食べたいな」とお嬢。

 「ああ、函館は塩ラーメンが美味しいらしいね」とぼく。

 「あと、お土産に『白い●人』とか買って……」

 しばらく、こんな感じでグダグダと話し合った結果、大体の観光プランが決まって、ぼく達は旅館を出た。

 旅館から外に出た途端、近くに人ごみができているのが見えた。

 「お? なんですかね、アレ」と、ぼくは言った。

 「……」お嬢の目つきが、わずかに鋭くなった。

 「お嬢?」

 お嬢は人ごみのほうへ歩いて行った。人ごみを無言でかき分けていく。崇皇先輩も後から続いた。

 「警察です。どうしましたか?」

 崇皇先輩が身分証明を見せながら尋ねた。

 「ふーん、六花ちゃんと崇皇のヤツ、事件の匂いに反応したか。残念だったな、亀追。旅行どころじゃなくなったみたいだぜ」

 「……そのようですね」亀追さんは顔が引きつっていた。「まあ、かまいませんよ。それが我々の仕事ですから」

 内心、「チクショー!!」と叫びたいところだろうに。

 ぼくは、亀追さんに初めて同情心を感じた。

 しかし、今までグダグダ話し合ったあの時間はなんだったんだ。


***


 「――車に男性が一人乗っていて、車内で眠っていたようです。眠っている間に、雪が積もってきて車の排気口(マフラー)を塞いでしまい、排気ガスが車内に溜まってきて、一酸化炭素中毒に……まあ、冬の北海道ではよくあることですわ」

 北海道警察に通報したぼく達は、警官にそんな説明を受けた。

 まだ現場には人ごみができている。

 車内でぐったりしていた男性は、すぐに救急車で運ばれていった。だいぶ排気ガスを吸い込んでしまっていたが、命に別状はないようだ。

 「私たちに、何かお手伝いできることはありますか?」

 崇皇先輩が言った。

 「いえ、大丈夫ですよ。ただの事故ですし、休暇で旅行しているのでしょう? お時間とって申し訳ありません」

 「ああ、そうですか! じゃあ皆さん、早く行きましょう!」

 ほっとした顔で亀追さんが言った。態度が露骨だな、この人。

 「そうはいかないよ、亀追さん」

 お嬢が薄く笑いながら――というか、この子は表情が笑顔しかないので、この状態は普通の人の無表情にあたるのかもしれないが――言った。

 「この人たちに任せたら、事件が一つ、発覚すらせずに迷宮入りしちゃうよ」

 「え?」

 警官は目を丸くしている。そりゃそうだ。

 目の前で、女子高生が完全犯罪をほのめかしているんだから。

 「事故じゃなくて事件だ、って言いたいのかい、お嬢?」

 ぼくは言った。

 「車を見てると、その可能性は十分あるよ」

 「車?」警官が不思議そうに訊き返した。

 「車のマフラーの中を見てみたら、妙にきれいだったんだよね。普通、なんか黒ずんでて汚いよね。かといって、新車ってわけでもなさそうだし」

 「はあ……」警官は口を半開きながら、相槌を打った。

 「でも、雪が積もったくらいじゃ、そんなにマフラーの中に雪は入らない。せいぜい、マフラーの口の近くに溜まってガスをせき止める程度でしょ?」

 「そ、そうですね……」警官は、無意識に敬語を使ってしまっている。

 「だからさ」お嬢は言った。

 「多分、誰かがわざとマフラーに雪を詰めたんじゃないかなあ、と思ったんだけど。ほら、そうすれば雪が融けて、跡も残らない上にマフラーの中がきれいになっちゃう、みたいな?」

 「ギャル風にしゃべらなくていいから」ぼくはため息まじりに言った。勉強の成果をここで発揮するな。

 「はああ、すごいですな。何者ですか、この子は? 今流行りの高校生探偵、ですかな?」

 「ああ、まあ、そんなとこだ」おやっさんは相変わらず面倒臭そうに答えた。「どうも、この子は事件が好きなんで、手伝わせてもらってもいいか?」

 「もちろんです!」警官は、初めて見る高校生探偵(?)に興味があるようだ。「探偵さんに警視庁の方々までいれば、とても心強いです。よろしくおねがいします」

 「ほら、六花ちゃん、存分に捜査しな」

 「わーい! ありがとう、おやっさん! ほら、月下君、崇皇さんも行こう」

 「はいはい……」

 「二人とも、手袋しないとダメよ」

 ぼく達三人は、現場の車へ向かった。

 事故だと思われているためか、警官の数は少ない。

 手袋をしたぼく達は、車の周りの捜査を始めた。

 「うーん、足跡はあるけど、多すぎるな……。人通りが多いからなあ……。手がかりになりそうにないですね」

 「とりあえず、一番上の足跡を撮っておきましょう」

 崇皇先輩は携帯電話で写真を撮り始めた。カメラは持っていないらしい。

 「あ、怪しげなCD発見」

 お嬢が車のドアを開けて、車内の捜査を勝手に始めていた。

 「被害者に直接訊けばわかりますかね、犯人」

 「車の中で寝てたんなら無理じゃないかしら」

 「うわあ……、面倒なことになりそうですね……」

 「そんなこと言わないの。それが私たちの仕事でしょ?」

 「ふふ、君たち、公衆の面前でいちゃつかないほうがいいよ」お嬢は愉快そうに言った。

 「「い、いちゃついてない!」」ぼくと崇皇先輩は同時に言った。人ごみからの視線が刺さる刺さる。

 「せ、せめて目撃者とかいるといいんですけどね!」

 ぼくが照れ隠しに言うと、

 人ごみの一番手前から手があがった。

 「……へ?」ぼくは思わず変な声が出た。

 「ぼく、見たよ。女の人」

 小学生、のようだ。低学年くらいの男の子だ。

 「それ、本当? ちょっと話を聞かせてもらっていい?」

 崇皇先輩が男の子を連れてきて、質問を始めた。

 「お名前は?」

 「桐津圭太(きりつ けいた)」

 「年はいくつ?」

 「五才」

 「この車の近くに女の人がいたの?」

 「うん。白い着物着てたよ」

 「白い……着物?」

 「うん。髪が長くて黒くてね、白い息吐いてた」

 「そ、そうなの……」

 崇皇先輩は動揺しながら手帳に女の特徴を書いていった。

 ……黒い長髪に、白い着物、白い息……?

 それって、まるで――

 「――圭太君、だっけ」

 お嬢が突然、口を開いた。

 「何時くらいに見たの? その女の人」

 「えーっとね、何時かはわかんない。夜」

 「ふーん……」

 お嬢は圭太君の前に歩いていって、両手で圭太君の顔を優しくおさえた。そして、圭太君と目をしっかり合わせて、

 「――本当に、見たんだね?」

 と、囁くように尋ねた。

 「う、うん、見たよ……」

 圭太君は、少し怯え気味に答えた。

 「お嬢……?」

 「――ありがとう。崇皇さん、あと訊くことはある?」

 「そうねえ……あとは、地元の警察に任せましょうか。ちょっと、この子、連れていくわね」

 崇皇先輩は、圭太君を警官のもとへ、手を引いて連れていってしまった。

 「お嬢、どうしたんだよ、いきなり?」

 「……目が少し泳いでた。あの子、どこかで嘘をついてるね」

 「お嬢が突然あんなことするからじゃないのか? まあ、女の人の特徴からして疑わしかったけど……」

 「黒い長髪に、白い着物、白い息……その特徴って、まるで……」

 「――雪女……」

 崇皇先輩が、いつの間にか戻ってきていた。

 「やだなあ、私、オバケ苦手なのよね」

 ――まったく、とんだ観光旅行だ。


***


 もう観光どころではなくなってしまった。

 セーラー服を着た高校生探偵と警視庁の刑事たちの噂は、既に現場の警官の間で有名になってしまい、事件解決を依頼されてしまった。

 とりあえず、ぼく達は捜査の結果が明らかになるまで旅館に待機することになった。観光どころか、部屋に最低一人残らないと、部屋の外にすら出られない。

 「ああ、せっかくの北海道旅行が……」

 「まだ言ってるの? もう、あきらめなさいよ! 刑事は自分のことより事件優先なの!」

 亀追さんがウジウジしていて、崇皇先輩は呆れていた。

 「やれやれ、亀追さんは仕方がないね。そんなんだから女の人に逃げられるのさ」お嬢がからかった。

 「逃げられたことなど、一度もないよ!」亀追さんが、涙目でお嬢を睨みながら反論した。

 「その時点で、既に嘘だね。このボクに晩御飯をおごろうとしては逃げられてるくせに」

 「うっそ、まじで!? 六花姉ちゃんにまで手ぇ出してんのかよ、このヘンタイめ!」

 お嬢の座っているテーブルの上に置かれているパソコンの中から、重之君が罵った。

 「うわー、亀追君サイテー」

 崇皇先輩が冷めた視線を亀追さんに向けた。

 おそらく、亀追さんにとって、一番ダメージが大きいに違いない。しばらく何も言えなくなってしまったようだ。

 「さてと」

 お嬢が、ポケットからCDを取り出した。

 「? お嬢、何それ?」ぼくは尋ねた。

 「この前教えたじゃないか。『シーディーロム』っていうんだよ。いつになったら覚えてくれるんだい」

 「いや、名前は覚えたよ失礼な! 中身が何なのか訊いてるんだよ!」

 「ああ、中身ね。知らない」

 「は? 知らない?」

 「さっき車で見つけて持ってきたばかりだから、中身は知らないよ」

 ああ、そういえば、捜査した時に『怪しげなCD発見』とか言ってたな………………ちょっと待て。

 「――お嬢! 現場から勝手に証拠品持ってきちゃったの!?」ぼくは思わず叫んでしまった。

 何やってくれてるんだ、この子!?

 「高校生探偵には定番だろう?」

 「高校生探偵でも、やっちゃいけないことってあるだろ!? 一応それ犯罪行為なんだよ! そして、ずっとつっこむべきか迷ってたけど、お嬢は高校生でも探偵でもないだろ!?」

 「まったく、相変わらず堅いこと言ってるね、月下君は。持ってきちゃったものはしょうがないだろ? あとで警察に返しとくよ。中身見ていいよね、おやっさん?」

 「ああ、いいんじゃねえか? ……どうでも」

 おやっさん、絶対話聞いてないよ……。

 「というわけで、重之君、CD入れるよ」

 「ウイルスとか入ってないだろうな……」重之君は苦い顔をした。

 お嬢はパソコンにCDを入れた。パソコンの中でCDが回る音がして、画面に何かが出てきた。

 「これは……カルテ、かしら」

 後ろから、崇皇先輩がパソコンを覗き込んで言った。

 患者の名前やら病名やらが、細かく書き込まれている。

 「一応、メモしとくか――」

 「ああ、こうすればいいよ」

 お嬢が言って、CDの内容を全部パソコン本体にコピーしてしまった。……いいのか……?

 「……しかし、本当に事件が起こっちゃうとはなあ……」

 ぼくはため息をついた。

 「だいたい予想はしてたけどね~。っていうか、月下君が言ったんだろ?

 『何か起こっても、それは神(さくしゃ)の思し召し』……ってさ」

 「ぼく、そんなルビ振った覚え無いけどね……」

 「犯人は雪女みたいな特徴だったわね……。本当にいるのかしら、白い着物を着て、夜中に車のマフラーに雪を詰める犯人なんて」崇皇先輩が考えながら言った。

 「……なんか、言葉にして想像すると恐ろしく滑稽ですね」

 「まあ、どのみち目撃者が幼すぎて、証拠にならないと思うがな」おやっさんがそう言った途端、

 電話が鳴った。

 「はい」亀追さんが電話に出た。

 「え? ……はい……そうですか、わかりました。これからそちらに向かいます」亀追さんが受話器を戻した。

 「地元警察からか?」おやっさんが亀追さんに尋ねた。

 「はい。向こうも慌てていて、よくわかりませんでしたが……」

 亀追さんがぼく達のほうに向き直って言った。

 「どうやら、犯人が捕まったらしいです。我々に、一応来てもらいたい、と」

 ――本当にいたのかよ。

 白い着物着て、夜中に車のマフラーに雪を詰める犯人が。


***


 「私、そんなことやってません!」

 「そんなこと言ったって、見た人がいるんだよ」

 「知らないわよ、そんなこと! 実際やってないんだから!」

 警察署内は、なんだか白熱していた。

 「お~、やってるな」

 おやっさんは呑気にそう言った。

 おそらく、警官と口論しているのが、捕まった犯人とやらなのだろう。確かに黒い長髪だ。しかし――

 「白い……着物、ではないみたいですね」

 女性は、この寒いのに、真っ白いワンピースしか着ていない。上着も持っていないようだ。

 「おお、皆さん、おいで下さいましたか」

 現場であった警官が声をかけてくれた。

 「犯人、捕まったんですね」ぼくは言った。

 「ええ、電車に乗って逃げようとしていたんですが、妙にキョロキョロと挙動不審だったので、職務質問しようとしたら、いきなり逃げ出したんですわ。それで、逮捕した、と」

 「でも、犯人は白い着物を着ていたんですよね?」

 「多分、吹雪でよく見えなくて見間違えたんでしょう。まだ小さい子供ですからなあ。でも、顔は間違いなくあの女だったらしいですよ。なあ、圭太君?」

 警官は後ろを振り向いた。圭太君も警察署に来ていたようだ。

 「うん。あの人だったよ」

 圭太君はうなずいた。

 「へえ、着物とワンピースを間違えたのに、顔はちゃんと見えたのかい?」お嬢が言った。

 「だ、だって、ぼく、見たもん……」

 圭太君は、すっかりお嬢が苦手になったようだ。なるべく目を合わせないようにしている。

 「お嬢、そんな言い方しなくても……」

 「ああ、ごめんごめん。子供、嫌いなんでね」

 子供の目の前で言うなよ。

 「とりあえず、その女性の話を聞かせてもらっていいですか?」崇皇先輩が言った。

 「ええ、どうぞどうぞ。まあ、犯人はあの女で決定だと思いますけどね」警官はにこやかに言った。

 女性とぼく達と圭太君と警官は、取調室に移動して、話をすることになった。

 「聞いて下さい、私じゃないんです」

 女性は口を開いて最初にそう言った。

 「私はただ、家に帰りたかっただけなんです」

 「わかってますよ、お姉さん」お嬢は優しく笑った。

 「貴女のような綺麗な方が、犯人なわけないですよね」

 「お嬢、それは偏見だよ……」ぼくは呆れてしまった。

 「顔と犯罪は関係ないだろ」

 「ボクがいつ顔のことを言ったんだい?」

 お嬢が笑いながら言った。「手だよ、手。雪を持って車の排気口に詰めたんなら、年頃の女性は霜焼けなりひび割れなりになっちゃうもんだろ? 見てごらんよ、こんなに綺麗な手をしてるじゃないか。あ、もちろん顔も美しいですけどね」

 最後のセリフは女性に向けられた言葉だ。

 「……あなた、一体何者なの……?」

 女性は不思議そうにお嬢に尋ねた。

 「ただの『正義のミカタ』ですよ」

 お嬢はにっこり笑って言った。

 「ボクは貴女の味方です。だから、教えてください。貴女は、どうして逃げようとしたんですか?」

 「……私は、冬山冷子(ふゆやま れいこ)と申します」

 冷子さんは、しばらくたって口を開いた。

 「実は、私はある病院から逃げてきたんです。病院の人間に追いつかれる前に、家に帰らなきゃならない……だから、職務質問されて、思わず……」

 「冬山冷子さん……ね」

 お嬢は、いきなりパソコンを開いた。

 「……ああ、あった。冷子さん、この病院に入院してたんですね」

 お嬢は、冷子さんに例のカルテを見せた。

 「はい、この病院です」

 冷子さんはうつむきながら答えた。

 「こ、こりゃあ、この近くの精神病院じゃないですか!」

 警官が驚いて叫んだ。

 「重度の精神障害、ね。まったくそうは見えないけど」

 崇皇先輩はカルテを見ながら言った。

 「私は精神障害ではありません」

 冷子さんははっきりと言った。「お医者様に薬を飲まされて、おかしくされたんです。私は、薬が切れて自我を取り戻し、逃げ出したんです」

 「お嬢さん、あなたはどこでそのカルテを見つけたんです?」警官がお嬢に尋ねた。

 「被害者の車の中だよ」お嬢が答えた。

 「どうやら被害者は病院の関係者のようだね」

 「ええ、その病院の医者らしいです」と警官。

 「これで決定ですな。この女は病院を脱走し、恨みを持った医者を排気ガスで殺そうと――」

 「あのねえ……」お嬢が呆れ気味に言った。「さっきも言っただろ? この人、手が綺麗だから違うよ」

 「手なんぞ、手袋をすれば……」

 「じゃあ、その手袋、見つかったのかい?」

 「そ、それは、まだですが……」

 「じゃあ、ちょっと黙ってなよ。今から、犯人当ててあげるから」

 「え? 犯人わかったのかい、お嬢?」

 ぼくはお嬢に尋ねた。

 「うん、まあね。犯人、君でしょ? 圭太君、だっけ?」

 お嬢はほとんど時間をおかずに圭太君を指差した。……そこは時間を延ばすとこじゃないのか? いや、それより……。

 「あなたは何を言っとるんですか!?」

 警官が叫んだ。

 「こんな小さな子供が犯人なわけないでしょう!」

 「どうしてそう言い切れるんだい? 犯人が冷子さんじゃないなら、目撃者が嘘ついてるに決まってるじゃないか」

 「そ、そんな、無茶苦茶な……」

 「どこが無茶苦茶なんだい? それを言うなら、圭太君の証言のほうが余程無茶だよ。白い着物とワンピースを間違えたくせに、夜中の吹雪の中で犯人の顔が見えている。というか、そもそも何故こんな子供が吹雪の夜に外にいたっていうんだい?」

 お嬢の眼は、すでに鋭い光を放っている。

 「――この子が、車のマフラーに雪を詰めた犯人だからじゃないのかい? 目撃証言は嘘っぱちだ。最初から、雪女なんていなかったのさ」

 ――あの子、どこかで嘘をついてるね。

 なんのことはない。

 最初から、全てが嘘だったのだ。

 「たまたま、適当に言った目撃証言の特徴にあてはまる人物が逮捕された。だから、その人のせいにしようと思った。――ガキらしい、あまりに幼稚な犯行だね」

 「ガキじゃない」圭太君の顔つきが変わった。

 「訂正しろ。俺はガキじゃない」

 「ガキはガキだろう? ちなみに証拠もちゃんとあるよ。車の周りの足跡。マフラーの近く、一番上の足跡がやけに小さい靴だった。調べれば圭太君のものだってわかると思うよ。おそらく、雪で隠れると思ったか、誰かが踏んでくれると思ったか知らないけど、頭が悪いにもホドがある。いかにもガキらしいと思わないかい?」

 「てめえ!!」

 突然、圭太君がポケットに手をつっこんで、お嬢の懐に飛び込んだ。お嬢が体をくの字に折って、膝(ひざ)をついた。

 「……ふん、油断、しちゃったな……」

 お嬢のわき腹が紅く染まっていた。

 圭太君の右手にはカッター、左手には彫刻刀が握られていた。――ポケットに隠し持っていたのか……!

 「黙れ……黙れ黙れ! 俺はガキじゃねえ!

 どいつもこいつも、俺を馬鹿にしやがって……!

 俺は、霧崎零(きりさき ぜろ)みたいな天才殺人鬼になるんだ……! どいつもこいつも、俺をガキ扱いしやがって……

 死ね、死ね死ね死ね! みんな殺してやる! うあああああああ!」

 圭太君は叫びながら、何度も何度も両手を振りまわしてお嬢に刃物を突きたてようとする。お嬢は両腕で刃物を受けた。両腕の袖と人工皮膚が破れ、機械のような義肢があらわになる。

 カッターと彫刻刀が折れた。

 「ひっ……!」圭太君がひるんだ。

 「な、なんだよお前……なんだよその腕……!?」

 「言っただろ?」

 お嬢は初めて会った時のように、両手で優しく圭太君の顔をつつんだ。今度はむき出しの機械の腕で。

 「ボクは『正義のミカタ』だよ」

 「違う……!」

 圭太君はお嬢の手から逃げ出そうとしている。

 「お前なんか正義じゃない……! この、化け物……!」

 「そうだね」お嬢は目を細めた。

 「君たち悪に対しては、化け物にだってなるさ。どこで霧崎のことを知ったかしらないけど、あんなやつに憧れるなら子供でも容赦しないよ。……まあ、どのみち、あんな手口じゃ、君は殺人鬼にはなれないけど」

 圭太君は、すっかり戦意を失ったようだ。

 その場に座り込んでしまった。

 お嬢も、その場に崩れるように倒れた。

 「――お嬢!」

 ぼくはお嬢に駆け寄った。

 「きゅ、救急車……」警官が未だに信じられないように言った。

 「救急車を待ってる場合じゃない! お嬢は手足がないから、身体に血があまりないんです!」ぼくは叫んだ。

 「血が流れすぎたら、命が危ない!」

 ぼくは、お嬢の身体を抱えて、取調室から飛び出した。あとから、崇皇先輩やおやっさんも走ってついてくる。

 お嬢は、鋼の義肢をつけているのに、今だけは不思議と重さを感じなかった。

 ぼくは、ただひたすら、警察署から病院まで走って行った。


***


 「圭太君、これからどうなるのかな……」

 病院の個室で、ぼくはベッドのそばに座って、お嬢のためにリンゴを切っていた。

 「まだ幼いから、逮捕するわけにはいかないだろ? まあ、大きくなったら、自分のしたことの重大さくらいはわかるようになるんじゃないかな」

 お嬢は、枕を背中にあててベッドに起き上がって言った。

 「まったく、これだから子供は嫌いなんだ。ボクのセーラー服が台無しだよ」

 「子供が全部、あんな感じではないと思うけど……」

 っていうか、あんなんばっかりでたまるか。

 「月下君の上着まで汚しちゃってごめんね」

 「いや、お嬢が無事でよかったよ。……それにしても、圭太君、めちゃくちゃ怖かったなあ……」

 あの、小学一年生とは思えない、凶悪な顔。

 ちょっと、しばらくは忘れられそうにないな……。

 「でもさ、月下君」

 お嬢は言った。

 「何?」

 「――罪を犯して罰を受けられないって、哀しいことだよね」

 お嬢は、哀しそうに笑っていた。

 「――そう、だね」ぼくはそう返した。

 幼い、あまりに幼い殺人未遂者。

あの子が自分の罪を知り、罰を受けることが許されるのは、いつになるだろう。

 「しかし、あいつの名前が出てくるとはね……」

 ぼくは、リンゴの皮をむきながら言った。

 「霧崎零(きりさき ぜろ)……天才殺人鬼……か」

 「ふん、殺人鬼に天才も何もあるもんかい」

 お嬢はいつもと変わらない笑顔で、吐き捨てるように言った。

 「殺人なんてするやつは、みんな馬鹿だ」

 お嬢の表情に笑顔しかなくなったのも、霧崎のせいだ。

 ぼくが警視庁に来る前、ぼくは交番勤務で、お嬢とぼくが初めて出会って、しばらくしないうちに、お嬢は突然、霧崎に誘拐された。

 霧崎はお嬢とともに、迷路のように入り組んだ建物に立てこもり、管轄だったぼくの勤務先は、天下の警視総監のご令嬢が誘拐されたということで、全力で霧崎を追い、その建物の場所をつきとめた。

 しかし、犯人のもとへたどり着けたのは、たった一人。

 ぼく、だけだった。

 ぼくが来た時には、すでにお嬢は――

 四肢を切断されていた。

 お嬢は、そんな芋虫のような姿になっても、

 笑っていた。

 そして、

 霧崎も笑っていた。

 笑いながら、お嬢とぼくを残して逃走した。

 おぞましい光景だった。

 お嬢は、病院に運ばれ、命をとりとめ、鋼の義肢をつけて、『正義のミカタ』になった。

 お嬢の顔には、笑顔がはりつき、笑うことしかできなくなった。

 ぼくは、黒かった髪が恐怖で全部真っ白になった。

 霧崎はまだ捕まっていない。

 「霧崎零……ボクが必ず捕まえてやる」

 お嬢は、また眼が鋭くなった。

 「あれは、野放しにしちゃいけない……」

 ドアがノックされて開いた。

 「六花ちゃん、どら焼き買ってきたわよ」

 崇皇先輩とおやっさん、ついでに亀追さんが入ってきた。

 「やった♪ ボク、どら焼き大好き!」

 お嬢は一瞬でいつもの笑顔に戻った。

 「みんな、ごめんね。ボクのせいで、帰るの遅れちゃって」

 「ふん、まったくだよ」亀追さんが眉間にしわをよせて言った。「帰りの飛行機、どうすればいいんだ」

 「そんな言い方しなくてもいいでしょ!」

 崇皇先輩は、うんざりした表情で言った。

 「いい加減、空気読みなさいよ!」

 「六花ちゃん、気にすんな。凍牙に電話したら、有休にしてくれるってよ。――できれば、友達(ダチ)の権力は使いたくなかったが……」

 「ああ、父上のことは気にしなくていいよ、おやっさん。そっか、休みってことは、退院してから観光できるね。よかったね、亀井さん」

 「亀追だよ!」

 「それにしても、かっこよかったわね、月下君」

 崇皇先輩がぼくを見て言った。

 「え、そうですか?」

 「ええ、六花ちゃんをお姫様だっこして病院まで走って行ったんだもの。素敵だったわよ」

 崇皇先輩はにっこり笑った。

 「ホント、月下君? 重くなかった?」

 お嬢が嬉しそうに尋ねた。

 「あの時は夢中だったからなあ……」

 ぼくは照れて、頭をかきながら答えた。

 「へえ、じゃあ、お二人は付き合ってしまえばいいんじゃないかな」亀追さんは冷たく言った。

 「お前ちょっと黙ってろ」崇皇先輩は、とうとう口調が変わってしまった。

 「……すいません……」

 「はい、リンゴ。怪我、大丈夫?」

 ぼくはリンゴをお嬢に渡した。

 「ありがと。明日には退院できると思うよ」

 「そっか」

 退院、と言えば、冷子さんを思い出した。

 冷子さんは、大きな家のお嬢様だそうだ。

 遺産相続の問題で、親戚に邪魔に思われ、無理やり病院に入れられてしまったという。

 被害者の医者は、正常とわかっていながら、異常者扱いして、薬を飲ませていたのだ。おかしくなって当然だ。

 圭太君がその医者を殺そうとしたのは、偶然だったらしい。医者は、たまたま深夜に家に帰って、奥さんから外に締め出され、車の中で夜を過ごしていたそうだ。

 圭太君は、誰でもよかったのだろう。

 誰でもいいから、殺したかったのだ。

 霧崎零に近づくために。

 「ふああ……なんだか、眠くなってきたなあ……」

 お嬢は欠伸をした。

 「じゃあ、寝てなよ。明日は、歩き回って疲れるだろうから」ぼくは微笑んで言った。

 崇皇先輩、おやっさん、亀追さんもそっと出て行った。

 「おやすみ、お嬢」

 ぼくはドアに手をかけて言った。

 「うん、おやすみ」お嬢はベッドの中から手を振る。

 やっと、明日から観光ができる。

 お嬢とぼくは、北海道で何を見るのだろう。

 ぼくは、静かにドアを閉じた。

 

〈了〉

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