正義のミカタ

永久保セツナ

正義のミカタ・01話~電脳生存者~

 自由だ。

 俺は、どこまでも自由だ。

 どこまでも飛んでいって、

 好きな絵、

 好きな音楽、

 好きな映像、

 金を気にせず楽しめる。

 ああ、なんて自由なんだろう。

 とても心地いい。


 おや、

 できそこないのピカソみたいな絵があるぞ。

 可哀想に。

 自分の絵のレベルに気づいていないのか。


 俺は慈愛の心で、

 その絵を載せている掲示板に忠告を書いてあげる。


 『下手糞なイラストを堂々とサイトに載せてんじゃねえよ

 一度死んで画力上げて生き返ってこい by源重之(みなもと しげゆき)』


 ***


 「ふうん、随分と酷いことをする人間がいるもんだ」

 お嬢はチェス盤を見つめながら言った。「いろんなサイトの『お絵描き掲示板』に載っているイラストに対し、中傷を書き込み。そのサイトの管理人及びイラストの製作者は精神的ショックによるノイローゼで通院中、と。……王手(チェック)」

 「おっと……。うん、なかなか酷い」

 ぼくは王の駒を避難させながら言った。「被害を受けたサイトは、ほとんど非公式のオタクサイトだったからまだ良かったけど」

 「君も相当酷いよ、月下(つきした)君」お嬢は、口は笑ったまま顔をしかめた。

 ぼくは、「うん?」と、顔を上げてお嬢を見た。

 お嬢の馬鹿みたいに広い屋敷には、今日はお嬢とメイド数人と猫一匹しかいない。

 そして、このお嬢の部屋には、ぼくとお嬢しかいない。

 ……空いている部屋なんて、貸し部屋にしたら家賃だけで暮らしていけるぞ。

 「なんか酷いこと言ったかな、ぼく」

 「言ったよ。今、オタクを差別しただろう」お嬢も顔を上げて、じっとぼくを見る。「月下氷人(つきした ひょうと)ヒラ刑事は全国民の味方じゃないのかい」

 お嬢の澄んでいるけど鋭い眼をみると、何も悪いことをしていなくても、思わずたじろいでしまいそうになる。

 まして、悪人ならなおさら。

 「ヒラは余計だよ」ぼくは何とか言い返す。「だって、オタクってなんかキモチ悪いじゃないか。アレだろ、『萌え~』とか言うんだろ、女の子を見て。太り気味の脂汗流したメガネの男が、リュックしょって」

 「だいぶ偏ってるよ、そのオタク像……」お嬢はいつも笑っているが、付き合いが長いと、ウンザリしているとわかる。「みんながみんな、そういうわけではないんだよ、月下君。やせてる美女のオタクだって、この広い世の中にはいるんだよ。テレビの見過ぎじゃないのかい」

 なんか、刑事ドラマに憧れて刑事になった人みたいに言われたな、今。

 ……ちなみに、ぼくは刑事ドラマを見たことがない。

 ぼくの場合は、警察を「絶対に倒産しない会社」とみなして「就職」した。

 だって、犯罪は、人間が生きている限り、決して無くならない気がする。

 ……他の刑事が聞いたら怒るだろうけど。

 ――ぼくの名前は月下氷人(つきした ひょうと)。二十五歳男性。

 特に望んでもいないのに、警察の花形(?)、捜査一課――通称「殺人課」に所属している。

 一緒にチェスをしている、何故か常にセーラー服を着ている三つ編みお下げの少女は、角柱寺六花(かくちゅうじ りか)。十八歳女性。ぼくは「お嬢」と呼んでいる。

 「ところでさ」

 ぼくは、馬鹿にされるだろうな、と思いながら、素朴な疑問をぶつけてみた。

 「さっき言ってた『お絵描き掲示板』って、何なんだ?」

 「君は、そんなことも知らないのかい? ――はい、また王手(チェック)」

 満面の笑みで返してきやがった。

 「うわ、やばいやばい……。悪かったね、君と違って、ぼくはインターネットをする金も暇もないんだ」

 うーん、どんどんぼくの王様が追い詰められていく。

 「『掲示板』は、わかるかい?」

 「えっと、インターネット上で文字だけで意見を交わす、アレかい?」

 「そうそう。『お絵描き掲示板』はね、文字だけじゃなくて、イラストを描くことで意思疎通をするのさ」喋りながらも、お嬢の駒たちは、こちらの王様目がけて襲いかかってくる。ぼくの戦士たちは、次々と尊い命を落としていく。

 「ふ~ん、なるほどね……」

 「ボクからも、質問していいかな」お嬢は言った。

 「何? お嬢が質問なんて珍しいね」

 お嬢は基本的に疑問は自分で調べて解決してしまうので、人に、しかも無知なぼくに質問することは、本当に滅多にない。

 「月下君って確か殺人課だよね? こういう事件は担当外じゃないのかい?」

 「うん、まあ、そうなんだけど」

 なんだ、そんなことか。

 「ぼくの友達がそれの担当でね。ぼくを通じて、君に協力を仰ぎたいそうだよ」

 「え~、なんかつまらなそうだなあ」お嬢はしかし、くすぐったそうな笑顔だ。人に必要とされるのが、嬉しいのだろう。

 「今の時代、結構ありふれた事件だよ、それ」

 「『正義のミカタ』が、そんなこと言うなよ」

 なんとなく、ぼくも微笑みながら言う。「せっかく必要とされているんだからさ。それに、仕事を選んじゃいけないな」

 「ふふん、なかなか言ってくれるじゃないか」お嬢は、とても機嫌がいい。

 「そこまで言うなら、引き受けてあげるよ。ようするに、犯人を見つければいいんだろ? ……ただし」

 「何?」

 「月下君も一緒ならいいよ」

 「え……。ぼく、一応、他に仕事あるんだけど……」

 「大丈夫だよ。おやっさんなら、わかってくれるさ」

 「じゃあ、明日おやっさんに話してみるよ」

 「わーい、月下君と捜査デートだ。……はい、詰み(チェックメイト)!」

 「うわ、また負けた! くそ~、将棋なら負けないのに……」

 「月下君は単純なゲームが苦手だからね。ボク、将棋のルール、よく知らないし」

 「ううう、気が重いなあ……。同じ課に苦手な人がいるんだよなあ……」

 「あ、今更断る気かい? いいじゃないか、同じ課にかわいこちゃんがいるんだろ?」

 「か、かわいこちゃんって……。素晴らしく表現が古いよ、お嬢……」

 「……そんなにボクとのデートが嫌なのかい?」

 「デート、とか、気安く言うなよ……」

 そんな目で見るなよ……。何故か妙にどぎまぎする。

 「とにかく、ちゃんと明日、おやっさんに許可もらってきたまえよ、月下君」

 「はいはい……。じゃあ、今日は帰るよ」

 「おや、部屋はたくさんあるから、泊っていってもいいけど?」

 「いいよ、広すぎて落ち着かなさそうだから」

 普通、親父が帰ってくる日に男を家に泊めるか?

 い、いや、ぼくは別にアレな意味の男ではない。

 そうだよ、だって、七歳も年が離れてるんだぞ?

 向こうから見たら、ぼく、どうせオッサンだし。

 ぼくだって、お嬢をそんな目で見てない。見てないよ。

 お嬢がデート云々言ってるのも、きっとふざけてるだけであって……。

 「何さっきから立ち止まってぶつぶつ言ってるんだい?」

 「え? いや、別に……。じゃあ、バイバイ」

 「また明日」

 ぼくは、お嬢が手を振るのを見届けながら、部屋を出た。

 「ふう……」

 ふと、足もとに目をやると、お嬢の飼い猫が、いつの間にか、足もとでぼくを見上げていた。

 「やあ、ミゾレ」

 ぼくはしゃがんで、猫に挨拶をした。

 「――ぼくは、お嬢に好意を抱いちゃいけないんだよな」

 ミゾレの頭をなでながら、つぶやく。

「だって、ぼくのせいで、

 お嬢は『正義のミカタ』になっちゃったんだものな」

 ミゾレは何も言わなかった。

 その眼は、責めているわけでもなく、ただ無感情だった。

 「明日、お嬢を借りていくよ」

 ぼくはミゾレに言って、立ち上がった。

 「どうやら、ぼくとデートしたいらしいよ」

 ぼくは屋敷を出た。

 おやっさん、許可してくれるといいんだけど。




 「別に、かまわねえよ」

 おやっさん――日暮針生(ひぐらし はりお)は簡単に許可してくれた。

 四十八歳男性だが、もっと年をとっているように見える。なんというか、覇気のない、気の抜けた炭酸飲料みたいな人だ。あまり、やる気がないように見える。……この人も、なんで殺人課にいるのかな。

 「もしかして、いつも言ってる、お嬢って子?」

 「あ、崇皇(すのう)先輩」

 横で話を聞いていたらしい。二歳年上の先輩――崇皇深雪(すのう みゆき)さんが声をかけてきた。

 「ええ、まあ。すいません、しばらく仕事から抜けちゃいますけど――」

 「それは、困ったねえ……」

 ううう……、この声は……。

 「おやっさん、いいんですか? 勝手に許可してしまって」

 この人も二歳年上の先輩、亀追飛雄矢(かめおい ひゅうや)さんだ。

 なぜか、ぼくに突っかかってくるから、ちょっと苦手だ。キャリア組だし。

 「あん? いいじゃねえか、今事件なくて暇だし」

 「もしも、事件が発生したらどうするんです? 刑事が持ち場を離れていたと知れたら……」

 「刑事は今、腐るくらい余ってんだぜ? そんな、刑事が足りなくなるような大事件、滅多に起こるかよ」

 「し、しかし……」

 「月下~、客が来てるぞ」

 同僚の刑事がぼくを呼んだ。

 「客? すいません、ちょっと行ってき――」

 「おーい、つっきしったくーん!」

 セーラー服の少女が手を振りながら走ってきて、ぼくに飛びついた。

 「うわっ!?」

 勢いで、ぼくは尻もちをついた。

 捜査一課の刑事たちの視線が、いっせいにこちらを向く。

 「……お、お嬢!? なんでここに……」

 「あ、おやっさん、おひさだね!」

 「よお、六花(りか)ちゃん。久しぶりだなあ」

 お嬢は、ぼくの質問をガン無視して、さっさと立ち上がっておやっさんに挨拶している。おやっさんも普通に挨拶している。

 「月下君、あの子がお嬢?」

 「あ、はい」

 「へえ、かわいいじゃない」

 「はあ……」

 貴女も十分可愛いですがね。

 崇皇(すのう)先輩は、お嬢が気に入ったようだ。

 とりあえず、誰も手を貸してくれないので、自分で起き上がった。

 「月下君、何だ、この子は? 君の援交相手じゃないだろうね」

 亀追(かめおい)さんが、ぼくを睨みながら言い放った。

 「援交って……」

 普通それ、四十代のオッサンとかがすることだろ……。ぼくをなんだと思ってるんだ、この人……。

 「亀追(かめおい)君、発想がゲスい」

 崇皇(すのう)先輩が言ってくれた。ナイス先輩。

 「げ、ゲス……」

 「なんだ、亀追(かめおい)。お前、キャリア組のくせにこの子を知らないのか」と、おやっさん。

 「女子高生に知り合いはいませんよ。誰なんです?」

 「この子はな、

 現警視総監の娘さんだよ」

 捜査一課の刑事たちが、いっせいにざわざわしだした。

 「あ、そっか。だから『お嬢』なのね」

 崇皇(すのう)先輩、やたら落ち着いてるな。

 「俺はあいつの昔っからの友達でな。六花ちゃん、凍牙(とうが)のヤツは元気かい」

 「すこぶる元気だとも! おやっさんと今度飲みに行きたいだとさ!」

 「じゃあ、あとで都合のいい日を教えてくれって伝えといてくれよ」

 「いいとも」

 お、おやっさん、人脈すごいな……。

 ――角柱寺凍牙(かくちゅうじ とうが)。現警視総監にして、お嬢のお父さん。警視庁で一番偉い人だ。

 何故、ヒラ刑事のぼくが、そんなド偉い人の娘さんと知り合いなのかはともかくとして……。

 「じゃあ、おやっさん。月下君を借りてくよ」

 「おう、好きにこき使ってやってくれ」

 「じゃあね、お姉さん。今度一緒に買い物行こうね」

 「捜査頑張ってね♪」

 いつの間に仲良くなったんだ、この二人。

 「ほら、行くよ、月下君」

 「はいはい……。んで、どこ行くんだい?」

 「コンピュータ系の犯罪を扱ってるのは、確か捜査二課だよね? そこに行ってみようか」




 捜査二課では、ぼくの同期で、今回お嬢に協力を頼んだ人物――猫詩谷千枝(ねこしや ちえ)が待っていた。

 「月下君、本当に連れてきてくれたのね!」

 「まあね」

 「嬉しい! さすがに警視総監の娘さんを連れてくるのは無理だと思って、全く期待してなかったのに!」

 ……。

 「やあやあ、貴女が依頼者なのだね? いいなあ、月下君。君の周りの女性は美人ばかりだ!」

 「あら、上手いこというわね。今日はよろしくね、六花(りか)ちゃん」

 「こちらこそ、よろしくなのだね!」

 「んで、捜査状況はどうなんだ、猫詩谷(ねこしや)?」

 「あはは、無理。ぜ~んぜん捕まんないわ」

 「あはは、じゃないだろ……」

 「犯人の『源重之(みなもと しげゆき)』とかいうのは、最近出没してるかい?」

 お嬢が尋ねた。

 「ほとんど毎日特定のサイトにローテーションみたいに現れるわ。たまにそれ以外の別のサイトにも来ているみたい。でも、訪れるサイトは全部同人サイトね」

 「どうじんさいと……?」

 「君の言葉でいう『オタクサイト』だよ、月下君」お嬢は言った。

 「アニメ、マンガ、ゲームなど、好きなもののイラストやら小説やらを自分で作ってサイトに載せるのさ。いいな、ボクもサイト作りたい」

 「作れば? どうせいつも暇なんだろ」

 「それには、どのゲームについて載せるか決めなきゃならないのさ。ボク、多趣味だから迷っちゃうな」

 「……」

 やっぱりお嬢、オタクなんだ……。

 「ま、それはともかく。重之(しげゆき)君は同人が好きってことはよくわかるね。別のサイトにも現れるってことは、お気に入りのサイトを広げようとしているんだろう」

 「どういうこと?」ぼくは尋ねた。

 「特定のサイトに一定の周期で現れるってことは、つまりそのサイトが気に入って通ってるってことだよね。残念ながら、掲示板に悪口を書くためだけど。で、別のサイトにも現れるということは、今通ってるサイト以外に面白いサイトはないかと探しているんだと思われる」

 「つまり、被害が拡大する……」猫詩谷(ねこしや)が言った。「それは、ちょっとまずいわね……」

 「犯人の発信元の特定はできないのか?」

 「それがね、妙な事に、できないのよ。普段はできるはずなのに」

 「できない……?」

 「なんか、発信元を追跡しようとすると、ウイルス撒き散らされて退治されちゃう感じ? そのせいでウチの課のパソコン、何台か壊されちゃったわよ!」猫詩谷(ねこしや)は、本当に悔しそうに顔をしかめた。

 コンピュータウイルスならぼくも知っている。

 現実世界のウイルスと同じように、コンピュータに感染して壊してしまうプログラム。

 たしか、ウイルスの感染を防ぐために、ワクチンソフトとかいうものがあるんだっけ。

 「お気の毒に……」ぼくはそれだけ言った。

 「ふ~ん……。じゃあ、ボクが持ってきたヤツ、使えるかな?」

 お嬢はそう言って、ポケットからCDを取り出した。

 「音楽でどうするんだよ」

 「あんた馬鹿?」

 「何うっかり馬鹿発言してるんだい、月下君……」

 二人に同時に怒られた。

 「これは『シーディーロム』っていうんだよ、月下君。この中にボクのお手製のプログラムが入ってるのさ」

 「ふ~ん……。『しーでぃーろむ』……」

 「何が入ってるの?」

 「スパイウェア」

 「す、すぱい……?」

 そんな、カタカナばっかり言われても。

 「そんなんじゃ、話が進まないよ、月下君。スパイは知ってるかい?」

 「007だろ?」

 「スパイウェアは、まさにスパイみたいに相手のパソコンにもぐりこんで、相手の個人情報を盗むプログラムなんだよ」

 「へえ~……え? そ、それって……」

 「普通に犯罪行為ね」

 「えええ!? そ、そんな、まずくないか?」

 「いいのよ、私らは警察だから」

 「いくら警察でもそれは……! しかも、一般人(?)が一人いるし!」

 「もう、手段がないのよ! しかもアンタ自身、一般人かどうか、疑問を持ってるじゃない!」

 「もういいから、罠仕掛けとこうよ、猫詩谷さん。そこの月下君はほっといて」

 といいながら、既にCDをパソコンにセットしているお嬢。

 パソコンは電源がつけっ放しになっていて、どこかのホームページの『お絵描き掲示板』が表示されている。おそらく、被害にあっているオタクサイトなのだろう。

 複数のパソコンが、それぞれ別のサイトを表示している。

 どうやら、全てのパソコンにお嬢が『罠』を仕掛け終わったようだ。

 「さあて、源の重ちゃんは来るかな?」

 お嬢は何故か、とてもわくわくしている。

 まあ、人の役に立てて嬉しいのかな。きっと。

 しばらく三人でパソコンを見張っていて、ぼくが退屈で眠気を感じた、丁度その時。

 「来た!」

 猫詩谷が声を上げた。

 数台あるパソコンの一つ、その画面に表示されている掲示板に新しく文章があらわれたのだ。

 『全く更新されてねえな。

 さっさと新しいイラスト描けよ。

 画力低くて更新遅いって、最悪だな(笑) by源重之』

 「ひでえ……」

 ぼくは思わずつぶやいた。

 源なんとかだけじゃない。

 そのコメントの後から、他の閲覧者がさらにコメントを書いていくのだ。

 ほとんどが、源を支持している。

 悪口の後に、誹謗(ひぼう)。

 誹謗の後に、中傷。

 ぼくは、急に寒気に襲われた。

 匿名の不特定多数による、言葉の私刑(リンチ)。

 そりゃあ、

 「そりゃあ、ノイローゼで病院送りにされちまうよ……」

 背筋が寒い。

 これが、インターネットの現実か。

 「目をそらしちゃいけないよ、月下君」

 お嬢が言った。

 「これが、君たち警察の目の届かないところで行使されている『言論・表現の自由』なのさ」

 「自由? 自由だって?」

 ぼくは、どうにかなってしまいそうだった。

 いくらぼくが犯罪はなくならないと普段思っている人間でも、

 「こんなの……赦されることじゃないよ!」

 これこそ、殺人じゃないか。

 「そうだね」

 お嬢は、目つきが鋭くなっていた。

 お嬢の口は、相変わらず笑みの形になってはいるが、鳥肌が立つほどの殺気を放っている。

 お嬢は、怒っているのだ。

 「だから、ボクが、

 『正義のミカタ』がいるのさ」

 お嬢の指が、キーボードを叩いた。

 お嬢の罠が、口を開けた。

 「捕まえたよ……『源重之』君」

 罠が、口を閉じる音が、

 聞こえた気がした。




 『月下ちゃん、知ってる?

 警察って、正義の味方じゃないんだよ』

 妙にノリの軽い、現警視総監殿は、とても警察のトップとは思えない発言をぼくに対して言い放ったことがあった。

 『だいたい、正義っていうもの自体がすっごく曖昧なのね。立場によって、変わっちゃうじゃない。どっちかっていうと、主観的なのよ』

 ぼくは、どう答えたらいいか、わからなかった。

 その主張が正しいのかどうかすら、ぼくには判断できなかった。

 議論って、苦手だ。

 『だから、月下ちゃんには、感謝してるよ。だって、月下ちゃんのおかげで、』

 でも、この後の発言だけは、正しいと思った。

 『月下ちゃんのおかげで、僕の娘を正式に「正義のミカタ」にすることができたんだからさ』

 そうだ、

 ぼくの、

 ぼくのせいで、お嬢は――。




 「月下君?」

 はっと気づくと、お嬢がぼくの顔を不思議そうに覗き込んでいた。

 「月下君、大丈夫かい?」

 「あ、ああ……。ごめん」

 「あとはボクのスパイちゃんが帰ってくるのを待つだけだから、仮眠でもとってくればどうだい?」

 「い、いや、眠いわけじゃないんだ」

 「ふうん?」

 お嬢は首をかしげたが、「まあ、いいや」と言って、持ってきたスパイウェアのCDをいじり始めた。

 「……スパイウェア、大丈夫かな」

 「ボクの特製だよ? そう簡単に壊されてたまるかい」

 お嬢の顔は、もう元の笑顔に戻っている。世の中の穢(けが)れなんて知らなそうな、あまりに無邪気な笑顔。

 「なんと、このボクが一からプログラミングして、昨日から徹夜して創り上げた傑作なのだね!」

 「お嬢こそ、寝たほうがいいんじゃないのか?」

 ぼくは、思わず苦笑した。

 「あはは、やっと笑った」

 お嬢は嬉しそうに言った。

 「月下君、苦しそうな顔が多いからね。なかなか貴重だ」

「そ、そんなに笑わないかい、ぼく?」

 「うん。特にボクを見る時とか、苦しいような悲しいような眼をしているよ」

 「……! ……やっぱり、お嬢の眼はごまかせないね」

 「というか、月下君は態度がわかりやすいんだよ」

 ……。

 ふと周りを見回すと、誰も捜査二課の部屋にいない。猫詩谷はお茶を入れにいっているらしい。

 「……昔のこと、思い出してさ」

 「思い出して、ぼさっとしてた、と」

 「ちゃかすなよ。……あのさ」

 ぼくは、一息おいた。

 「ぼく、お嬢のそばにいて――」

 「いいに決まってるだろ?」

 お嬢はぼくのほうを向いて言い切った。

 「――せめて最後まで言わせろよ! ぼくにとっては、結構大事な話だぞ!」

 「なんで、今更そんなことを言い出すんだい?」

 「だ、だって、ぼくのせいで、お嬢は――」

 「サイボーグに改造されちゃいました、かい? このボクを憐れんでいるわけだ」

 お嬢は、ぼくのネクタイをつかんで、ぼくの目をじっと見据えた。

 「……調子に乗るな、小僧」

 ぞくっとする。

 父親と同じ、目を合わせた相手を石のように固まらせる、

 メドゥーサのような眼だ。

 「ボクが可哀想だから今まで一緒にいてやったと思っているのかい?

 フザけるな。

 ボクが、君と一緒にいたいって言ってるんだ。

 頼むから、ボクを憐れまないでくれ。――もう一度言う。

 ボクは、君と一緒がいい」

 「……っ」

 ぼくは、思わず言葉に詰まった。

 「わかったかい?」

 「え……あ……う、うん」

 「わかればよし!」

 お嬢は、ネクタイから手を離して、満足そうにうなずいた。

 「……痴話喧嘩は終わったのかしら?」

 振り向くと、猫詩谷がお茶を持ってきていた。

 「……いつから聞いてた?」

 「『調子に乗るな、小僧』から。

 ……月下君、てっきり崇皇先輩が好きなのかと思ってたのに。

 警視総監の娘さんは、ハードル高くない?」

 「い、いや、ちが」

 「私は止めないけど、まあ、いいんじゃない? しかし、七歳差ねえ……。ロリコンって、何歳差からいうのかしらね」

 「……どうかご内密に……」

 「じゃあ、あとでケーキおごって」

 うう……違うのに……。

 崇皇先輩に知られたらなんて言われるか……。

 ……普通に「おめでとう」っていわれそうだな。

 「崇皇先輩と言えば、明日亀追先輩とごはん食べるって言ってたわよ」

 「……え」

 「崇皇先輩、ああ見えて食べ物に目がないから。このままじゃ、まずいんじゃない?」

 かっ……、

 亀追貴様アアアアア!

 ぼくはうっかり『さん』をつけるのを忘れた。

 「――お嬢。今夜までに、カタをつけようか」

 「ははは、月下君、崇皇さんが絡むと本気になるんだね。面白いなあ。

 よし、そんじゃ、いっちょ、やろうか!

 丁度、ボクのスパイちゃん、帰ってきたし」

 パソコンの一つが、源重之の住所を表示していた。

 「……『押戻(おしもどし)研究所』……。聞いたことないわね」猫詩谷は首をかしげた。

 「っていうか、研究所がオタクサイトに悪口書きまくってたってことか?」

 「そういうことになるねえ。面白いことに」

 ……お嬢、本当に面白そうに言ってるな……。

 「……まあ、なんでもいいや。早速行こうぜ」

 「そうね。さっきお茶入れるついでに家宅捜索の令状もらってきたから」

 「だから、帰ってくるのが遅かったのか」

 ……つーか、どんな『ついで』だよ。

 「『押戻(おしもどし)研究所』か……」

 首を洗って待ってろよ、亀追……違った、源重之……!




 押戻(おしもどし)研究所に着いた頃には、既に昼を過ぎていた。県境(けんざかい)というのか、東京の外れ、地図で見るとまさに端っこに位置しているようだ。

 猫詩谷がドアについているチャイムを押すと、研究員らしき人物が出てきた。

 「どちら様ですか?」

 「警察です。家宅捜索をさせていただきたいんですが」

 「お引き取りください」

 見事な即答。

 「そういうわけにはいかないんです。ちゃんと令状もあります」

 「こちらの研究所には重要機密が保管されています。勝手に荒らされては困ります。お引き取りください」

 「いや、だから令状が――」

 「お邪魔しまーす」

 お嬢が研究員の横を抜けて、さっさと建物の中に入っていった。

 「あ、お嬢! 待って――」

 「誰かその小娘を止めろ!」

 猫詩谷に応対していた研究員が叫んだ。途端に、だだっ広いホールの薄闇から、十数人の研究員が現れてお嬢の周りを取り囲んだ。

 「六花(りか)ちゃん!」

 猫詩谷は目を見開いて叫んだ。

 「ふふん、君たち、邪魔だよ」

 お嬢は男に囲まれても、余裕たっぷりで笑っていた。

 「六花(りか)ちゃん、こっちに戻ってきなさい!」

 「大丈夫だよ、猫詩谷さん」

 「で、でも……」

 「お嬢、手加減しないと駄目だよ」

 ぼくはお嬢に声をかけた。

 「アンタまで何言ってんの!?」

 猫詩谷は目を剥いて怒鳴った。

 「まあ、見てなよ、猫詩谷」

 研究員が、お嬢につかみかかろうとした。お嬢はそれをさっとかわして、相手の頭を軽く叩いた。

 ゴ……ン。

 重い音がして、研究員が頭を抱えてうめいた。

 他の研究員はその様子にうろたえて、一瞬退いた。

 しかし、研究員の輪の外から、おそらく防犯用なのだろう、木のバットを振りかざした研究員が走ってきて、お嬢に襲いかかった。

 猫詩谷が息をのんだ。

 お嬢は、

 腕でバットを受け止めた。

 バットは、

 メキ……ッ

 と音を立てて、

 真っ二つに折れた。

 今度は研究員が息をのんだ。

 お嬢は優しく、

 研究員のすねに足を当てた。

 また、

 ゴ……ン

 と音がして、研究員はうずくまった。

 今度こそ、研究員たちは戦意を喪失した。

 「……何アレ……。どうなってるの……?」

 猫詩谷は、当然ながら、目の前で起こっていることを理解できないでいるようだ。

 「あーあ、せっかくのセーラー服が台無しだよ」

 折れたバットがセーラー服の袖と、お嬢の腕の人工皮膚を破ってしまったらしい。

 黒く光る鋼が見える。

 「どうしてくれるんだい。結構お気に入りだったんだよ、この服」

 どうやら、人工皮膚はどうでもいいらしい。

 研究員たちは、一斉に逃げだした。

 残っているのは、逃げ遅れたらしい、猫詩谷に応対していた研究員だけだ。

 「……私、サイボーグなんて初めて見た。本当にいるのね」

 猫詩谷は、それだけ言った。

 というか、それしか言いようがないのだろう。

 「サイボーグ、っていうのもちょっと違うけどね」ぼくは言った。

 「昔話になっちゃうけど、ぼくが小さな交番で働いていて、警視庁に来る前、ぼくの交番の管轄内で誘拐殺人未遂事件が起こったんだ。警察のトップの令嬢が誘拐されたということで、警察の威信をかけて、異様なほど警官が送り込まれた」

 「その、令嬢が……?」

 「目の前にいる、高校に通ってないくせにセーラー服着てる女の子だよ。当時はちゃんと中学に通ってたみたいだけど。

 で、犯人の居場所を突き止めたけど、その建物は迷路みたいに入り組んでいて、犯人のもとへたどり着けたのは、たった一人だった。

 その警官がついた時には、お嬢は――


 犯人の手で両腕両脚を切断されていた」

 猫詩谷は手で口を押さえた。

 「……その、警官って……」

 「お嬢は、生きているのが不思議なくらいだった。すぐに病院に運ばれて、一命をとりとめた。で、義肢をつける時に、お嬢の父親が提案した。

 『鋼鉄の義肢にしてくれ。

 この子を闘えるようにする』」

 「……『正義のミカタ』……!

 噂には聞いてたわ。

 警察でも介入できない事件を、人知れず解決する、謎の人物……。

 だから、六花ちゃんを呼ぶように頼んだんだけど……。そういうこと、だったのね……」

 「お嬢が戦う羽目になったのは、ぼくのせいだ。ぼくが、もっと早くたどりついていれば……」

 「まーた言ってるのかい、月下君。君も案外こりないよねえ」

 いつの間にか、お嬢がぼくと猫詩谷の傍に立っていた。

 「ボクは気にしてないって言ってるだろ? しつこい男は嫌われるよ、月下君。ボクは嫌いじゃないけどね!」

 「だって、お嬢が笑う表情しかないのも、その事件のせいだろ!? 実際、ぼくが駆け付けた時も、両腕両脚がない状態で笑ってたし」

 うう……、思い出しただけで気持ち悪い……。

 「あ~、あの頃は父上の言うこと聞いてた、純粋な時代だったからね~。

 あのオヤジ、何が『いつも笑っていれば悪い人は寄ってこないよ』だよ。思いっきり極悪なのが来ちゃったよ! みたいな? あはは」

 「……よく笑って済ませられるよな、お嬢……」

 ――あの事件の恐怖で、それでも笑い続けたお嬢は、笑顔が仮面のように張り付いてしまったのだ。

 怒っていても、悲しくても、口が笑みの形にしかできない。今も、なお。

 「ほら、昔話はもういいだろ? 早く行こうよ、二人とも。

 特に月下君、君は明日までにカタをつけて、崇皇さんとデートしたいんだろ?」

 「――ああ、そうだな。よし、とっとと終わらせようぜ!」

 「で、どうするの?」と、猫詩谷。

 「源重之を探すんだろ、もちろん」

 「でも、『源重之』って、多分ハンドルネームよね?」

 「は? なんでハンドルが出てくるんだよ?」

 「はい、ハンドルネームも知らない、と……」

 「月下君、本当に情報社会に生きてるのかい?」

 ……また、このパターンか。

 「ハンドルネームっていうのは、インターネットでの自分の名前。普通、ネット上で本名使う人間はいないわ」

 「そ、そうなのか……」

 「仮に本名を使うとしたら、個人情報をさらしても平気な人間か、月下君みたいにハンドルネームのことを知らない人間、かな」

 「ふうん……」

 「まあ、とりあえず、この研究所の所長さんに会うべき、かしらね。案内してね」

 猫詩谷は、まだ突っ立っていた研究員の腕を掴んで言った。

 「は、はい……こちらです……」

 やっと、犯人に会えそうだ。

 源重之……一体、何者なんだろう?




 「――誰だね、その方たちは……?」

 押戻研究所の所長、藤原兼輔(ふじわら かねすけ)は、ぼくらを見て言った。

 研究室は、学校の理科室のように薄暗く、違いといえば、巨大な液晶画面と、その傍にコンピュータが置かれている。

 「警察の者です。ちょっとお聞きしたいことが……」

 「申し訳ないが」

 藤原は猫詩谷の目を見据えて言った。

 「私たちの研究所はご存じのように、人里離れた所にある。この近くで事件があったという話も聞かないし、私たちは最近外に出ていないから、何の世間話もできないよ」

 物腰は柔らかいが、有無を言わせず出ていってほしいという気持ちが伝わってくる。

 「では、『源重之』という人物を知りませんか」

 「知らないね」

 と、藤原が言ったとき。

 液晶画面から声がした。

 「呼んだ?」

 部屋の中の人間が一斉に画面を見る。

 「随分と客が多いね」

 画面の中に、少年の胸から上が映っていた。テレビ電話か何かだろうか。

 「馬鹿が……」

 藤原がうめいた。

 「馬鹿っていうほうが馬鹿なんですう」

 画面の中から少年が言い返した。

 生意気盛り、といったところか。

 見た感じ、中学生くらいのようだ。

 「君が源重之君?」

 猫詩谷が画面に呼びかけた。

 「そうだよ。お姉さんたちは?」

 「ぼくたちは警察だよ」

 「てめえには聞いてねえよ」

 ……。

 ホントに生意気だな、このガキ……。

 「『源重之』って、本名?」

 「うん。俺、名前を変える必要ないから」

 「重之、答える必要はない」

 藤原はいらだった様子で会話をさえぎった。

 「いいじゃん、親父。わざわざ俺に会いに来てくれたんだから、追い返すのも失礼だろ」

 「お、親父……?」

 この所長、父親だったのか!

 「親父、こんなへんぴなところで研究ばっかりしてるから、離婚されちまったんだぜ」

 重之はとても愉快そうに笑った。

 「重之君」

 猫詩谷が、真面目な顔で重之に問いかけた。

 「なんで私たちが来たか、わかる?」

 「さあ、なんでだろ?」

 重之はいたずらっぽく問い返した。

 「君は、いくつかのサイトで、悪口を書いたでしょ?」

 「悪口? 忠告なら書いたけど」

 「『下手糞なイラストを堂々とサイトに載せてんじゃねえよ

 一度死んで画力上げて生き返ってこい』……。これのどこが忠告なのかしら?」

 「……ふ、ふん! それで? 俺を逮捕すんの?」

 「場合によってはね」

 「はんっ! それは無理だね!」

 重之は可笑しくてたまらないと言いたげに、腹をねじ曲げた。

 「なんで、無理って言いきれるのかしら?」

 「お姉さんさ」

 重之は口の端を上げながら、問いかけた。

 「今、俺がどこにいると思ってる?」

 「わからないわね。どこかしら。

 テレビ電話ってことは、ここじゃないどこか遠くかしらね」

 「テレビ電話あ? ギャハハハ」

 重之は下品に笑い飛ばした。

 「これ、テレビ電話じゃねえよ、お姉さん。今俺は、

 パソコンの中にいるのさ!」

「……」

 ……はい?

 本気で言ってるのか、このガキ。

 「ふざけるのは、そろそろやめてくれる?」

 猫詩谷は、うんざりしてきたようだった。

 「だって、ホントのことだもん。なあ、親父?」

 「……重之……。

 この研究所の機密を、べらべら喋るんじゃない」

 「大丈夫だよ、どうせこいつら、言ったってわかんないぜ」

 …………。

 なんで否定しないんですか、お父さん。

 まさか、本気で……。

 「本気で、人間がパソコンの中にいるって言うんですか……?」

 「ああ、そうさ!」

 重之は、楽しそうに言った。

 「俺は、親父の研究の実験のために、精神をパソコンの中に送り込み、電脳世界を自由に動ける最初の人間になったのさ! うらやましいだろ?」

 「……今日はいろいろありすぎて、頭痛い……」

 猫詩谷は頭を押さえた。

 ぼくも同感だった。

 「だいたい、精神をパソコンに送り込むとか、できるものなの……?」

 「少なくとも、今の科学技術では難しいんじゃないかな?」

 お嬢の声がした。

 「お嬢、さっきからいないと思ったら……」

 お嬢、なんでマネキン抱えてるんだ?

 「重之君さ」

 お嬢は笑みを浮かべつつも、目が鋭くなっている。

 「精神だけをパソコンに送り込んだってことは、肉体はこの研究所にあるってことだよね? もしかして、これかな?」

 「何勝手に俺の体に触ってんだよ!」

 重之は怒鳴った。

 「触るんじゃねえよ! 元の場所に戻せ!」

 「ふふん、悔しかったら自分の手で取り戻しな」

 お嬢は挑発的に言った。

 「くそっ! 親父、何やってんだよ! さっさと俺の体取り返せよ!」

 ……?

 「お嬢、それさ……、

 マネキンだよね?」

 「月下君の目には、それ以外の何に見えるんだい?」

 いや、何に見えるって、マネキン以外の何物でもないけど……。

 「この研究所に来る間に調べておいたけど、所長の藤原兼輔は、離婚したどころか、結婚すらしたことないよ」

 「へ……? で、でも、さっき……」

 「どういうこと?」

 猫詩谷もぼくも、もうわけがわからなかった。

 「重之君にとっては、マネキンが自分の肉体に見える。そういうふうにプログラムされている、と考えられる。

 精神だか何だか知らないけど、パソコンの中に入れるには、プログラム言語に変換しなきゃならない。

 そして、この人里離れた研究所の中に体がないってことは、もともと重之君は精神しかない、つまり、

 重之君は擬似人格プログラム。

 人に似せて造られた、でもただのプログラムでしかないのさ」

 部屋の中の、全員が黙り込んだ。

 最初に口を開いたのは、重之だった。

 「――俺が……人間じゃない?

 な……何言ってんだ、お前? 頭おかしいんじゃねえか? 馬鹿だろ。馬鹿に決まってる」

 「へえ、なんでそう言い切れるんだい?」

 「だ、だって、俺、どう見たって人間じゃねえか。い、今だって、こうやってしゃべって……」

 「見た目だって、おしゃべり機能だって、普通のパソコンでもつくれるよ。

 ところで君、物に触った感触、あるかい?」

 「そ、そんなの、あるに決まって……」

 重之は、哀れなほどうろたえて、パソコンの中で、手を上下させている。

 「な、なんで触れなくなってんだよお……。嘘だ、嘘だ嘘だ、お、俺は人間だ! 親父、なんで何も言わないんだよ!?

 俺は、俺は人間だろ?

 なんとか言ってくれよ……!」

 藤原は、しばらく黙って立っていたが、やがて溜息をついて、

 「……失敗作か……」

 と、言い放った。

 「お、親父……?」

 「やっと、成功したと思って、インターネットを巡らせたのだが……。

 やはり出来損ないか。

 刑事さん。こいつが迷惑かけて申し訳ない。よければ削除(デリート)するがどうするかね」

 「親父! 俺を殺すのか! この人殺し!」

 「君は人間じゃないけどね」とお嬢。

 「人殺し! 鬼! 悪魔!」

 重之がののしっている間にも、藤原が削除の準備を進めている。

 ぼくは、どうしようもなくて、ただ立って見ていた。

 「た、頼む、殺さないでくれ! どんな罰でも受ける。罰金なら働いて払う。刑務所だって入ってやる。だから、

 殺さないでくれえええ!」

 「重之君、君は反省するのが遅過ぎたね」

 お嬢は、哀しそうに笑っていた。

 「でも……所長さん。君も後で警察に来てもらうことになるね」

 「ふん、こんな出来損ないのために、遠出しなきゃならんとはな」

 「い…………

 嫌だあああああああ!」

 突然、重之が画面から消えた。

 「な、なんだ!?」

 「重之が、インターネットへ逃げたか……」

 藤原は、もう、どうでも良さそうに言った。

「まあ、消す手間が省けて丁度いい。

 ワクチンソフトを解除したから、そのうち勝手にウイルスにかかって野垂れ死にするだろう。

 ……しかし、残念だ。途中まではよかったのに、触覚にバグが発生するとは」

 「バグじゃないよ」

 お嬢はコンピュータを勝手にいじくりながら言った。

 「……どういう意味かな、お嬢さん」

 藤原は、お嬢を横目で見ながら尋ねた。

 「バグじゃない、って言ったのさ。そのままの意味だよ。

 だって、ボクが触覚のプログラムを一時的に止めたからね。……はい、これで元通り、と」

 お嬢は、実に見事にさらっと言ってのけた。

 藤原は、しばらく動きが止まった。

 おそらく、言われたことが理解できなかったのだろう。

 やがて、藤原はお嬢のほうを向いた。

 「な……な……、

 なんてことをおおおおおお!

 ということは、私の実験は成功していて、それをわざわざ逃がし……っ!?

 こ、この小娘がああああ……っ!」

 「とはいえ、あなたがワクチンソフトを解除しちゃったから、さっきあなたが言ったように長生きはできないだろう。

 あなたが造ったあの性悪プログラムは、自然消滅するだろうね。

 よかったね、消す手間が省けて」

 「貴様……貴様ア……」

 「でも、プログラムがいなくなっても、あなたはネット上の人々に迷惑をかけた責任をとらなくちゃいけない。

 ちょっと警察まで来てもらえるかな」

 こうして、源重之をめぐる、はた迷惑な事件は解決した。




 「でも、重之君、ちょっぴり可哀想ね……」

 次の日、警視庁捜査一課。

 猫詩谷が、捜査後の報告をわざわざしに来てくれた。お嬢も聞きに来ている。

 藤原は、取り調べ中、ショックでほとんど話もしなかったという。ただ、源重之を造った理由については、たった一言、「研究・実験のために創ったにすぎない」とだけ語ったらしい。

 あの後、源重之は二度とネット上に現れることはなかった。

 おそらく、本当にウイルスで自然消滅したのだろう。

 ……確かに嫌な奴だったけど、他に彼を救う方法はなかったのだろうか……。

 「大丈夫だよ。あいつ、今も元気だから」とお嬢。

 「なんでわかるんだよ。ネット上に姿を現してないのに」

 「だって、ここにいるから」

 そう言って、お嬢はCDを取り出した。

 「それ、確かスパイウェアの――」

 「猫詩谷さんと月下君が所長さんの気を引いている間に、こっそり重之君をこの中にコピーしといたのさ。

 君たちが、重之君の命を救ったんだよ。

 今日は、報告を聞くついでにこのCDを証拠として提出しようと思ってね」

 「六花ちゃん――」

 「お嬢……。

 君は、最高だな!」

 ぼくら三人は、しばし歓喜に包まれた。

 そこへ、

 「月下君、六花ちゃん」

 崇皇先輩がやってきた。

 「あ、先輩」

 「どうしたんだい、崇皇さん」

 「昨日、事件解決したんだって? おめでとう」

 「お嬢のおかげです」

 「えっへん」

 「でね、今夜みんなで食べに行かない? お金はぜーんぶ、亀追君のおごりよ!」

 「崇皇さんが言うので仕方なく……」

 亀追さんは言った。

 「君は払いたまえよ、月下君」

 「せこいこと言わないの!」

 崇皇先輩は言った。

 「誰のためだと思ってるの? 猫詩谷ちゃんもいらっしゃい」

 「え、いいんですか!」

 猫詩谷は感激して言った。

 なんだかんだ言って、自分も食べ物に目がなかったりするのだ。

 ――なんだ、今夜食事ってそういうことか。

 「行こう、月下君」

 お嬢が呼んでいる。

 みんなが待っている。

 「うん」

 ぼくは答えて歩き出した。

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