△2一醉象《すいぞう》(あるいは、心は迷宮/make you)


 平日午後のJR千駄ヶ谷駅前は、いつも通りにこじんまりと賑わいを見せていた。さっきの何とか空間に引き込まれていた時間は、こちらではカウントされない仕組みっぽい。現在午後3時22分。部活無い日の、普段の下校時間帯だった。


 この日常感……には、少しほっとさせられるところがある反面、それだけにここからまた襲い掛かってくるだろう「非日常感」との落差に少し慄きつつある私だけど、いや、まあ今日のさっきからずっと感じている高揚感が、私の背中をぐいぐい押して来てはいる。一方で傍観者めいた私も脳の片隅に佇んでいたりもするわけで、要はよう分からん、というはなはだ混乱したメンタルのまま進行しているのであった……


 にしても、電車で移動って随分庶民的なヒーローだなおい、と背をこごめて先導する老人にそんな言葉を投げつけてやろうとしたら、改札通ったところで急に卑屈な笑顔を晒しながら振り向いてきた。周りの一般の方はそのいやにガタイのいい白衣姿に、気色悪さを感じるのを通り越して、何かの撮影だろうと早々に結論づけて、ちら見をしつつ距離を開けていっているけど。何だ。


「ここですじゃ」


 老人が右掌を差し向けて示したのは、どう見てもホームに上がるエレベーターだったのだけれど。何のたまってんだろう。あれかな、さっき結構強めにローキック入れちゃったから、それでかな……


「……この階下に、我らが秘密のアジトがあるのですじゃ」


 声を潜めているつもりなんだろうけど、歯の隙間から空気が多めに出ているので、逆に意外と通ってしまう音声を発しながら、喜色満面という四文字を額→顎→右頬→左頬の順に貼り付かせたような皺だらけの顔が悪そうに歪む。やっぱり「悪の組織」と言われた方がしっくり来るなこれ……そもそも「アジト」「アジト」連呼してる時点でどう見積もっても怪しいだろ……いやそれよりも。


「……」


 「下」なんてここには無いだろ、と真顔で不信感を演出しつつ老人を睥睨していたら、ナヤがだいじょうぶ、みたいな、世の男共の98%くらいが、嗚呼大丈夫なんだ、と即断してしまうような柔らかな笑みで促してくるので、しょうがなくその6人乗りと言いつつ4人乗ったら結構満杯くらいの箱に乗り込む。でも階数表示には案の定「ホーム階」「改札階」の二つのボタンが上下に並んでるだけで、後は「開」「閉」。やっぱ「地下」とかあれか、世迷言か。と思っていたら。


「只今より帰還する」


 厳かな声と共に老人が手にした端末をそのパネルに翳したと思ったら、いきなりの急速落下が始まったわけで。突然のことに本来の意味での鳥肌が全・二の腕に立った私は、そのままの表情で固まってしまうけど。三秒くらい後? チン、と少々お間抜けな音と共に、目的階へと到着したことがおそらく告げられる。身体に感じる重力は結構なものだったけれど、何事も無かったかのように左右に割り開かれた扉の向こうには、白を基調とした通路のような空間が左右に伸びていた。


「ようこそ我々の『アジト』へ。私がここの責任者、嘉敷カシキです」

 降り立った老人が突如くるりこちらを向いて、慇懃に胸に手を当てて今更の自己紹介をかましてくる。今更そんな改まれても。相変らず定まらんなあ、キャラが……


「……説明は不要。まずはこちらをご覧くだされッ!!」


 とか思っていたら、正面にあった金属製と思しき扉のノブを後ろ手に掴み回すと、嘉敷と名乗った白衣老人は勢いよく、しかしドアクローザーがあったがために割とゆっくりと、向こう側へとその扉を開け放ったのであった……っ


「……!!」


 いきなりの眩しい光と熱。そしてむわりと汗が結晶化してから昇華したかのような、独特のむせ返る臭気がその奥から流れ出てきたわけで。ガシャンカシャンと、何か金属同士が打ち付け合わされる音が規則正しく、そして幾重にも連なって聴こえてくるけど。開かれた場所は、正にの異世界だった。地下とは思えないような大空間に、夢かと見まごうばかりの光景があった。いや、夢は夢だが、正確には悪夢も六割がた混ざっているようにも感じたのだけれど。


「……」


 それでも思わず、引き込まれるかのようにその光の中へと歩み込む。そこにはざっと見、百人くらいの人間がひしめき合っていたわけであって。それぞれが無言で様々なトレーニングマシンを押したり引いたり格闘している老若男女。「老」が八割くらいかな……その枯れているが艶のある体躯を包む、色とりどりの眼にくるド派手なウェアの色や、静かなる熱気が、入ってきた私を直撃してきたわけで。


体育館くらいはあるんじゃないのほどのスペースに、カシキ老人が言っていた通りの魅惑のトレーニングマシンが確かにずらりと、いやそんなに密集してて大丈夫? くらいに林立している。ガラスか透明な樹脂かで区切られた向こう側にはプールで泳ぐ人たちの流れも見えたりで、本当……だったんだ。さらに逆側を見渡せば、あれはもしや……


「18フィート四方。後楽園ホールのと同サイズじゃよ」


 私の奥底の興奮を素早く察知したのか、カシキ老人はにんまりとした笑みを浮かべながら、私の背後からそう言ってくる。目に眩い水色のキャンバスは、真っ黒なコーナーポストを四隅に屹立させながら、確かに光り輝く何かをもって、その内部の空間を4本のタイトロープにて切り取りつつ、片隅に鎮座していたわけで。


「……」


 懐かしい記憶が甦ってきていた。幼き頃、汗と涙を流したリングの記憶が。あ、ああ……と夢遊病者のようにふらふらと両手を力無く突き出しながら、その水色の正方形向けてよろめき歩き出してしまう私。何かもう、今日だけで色々なことあったから、脳がまともに働いてくれん……でも私はもうどうとでもなれぇい、みたいな投げやりな感じで、身体が投げかけて来た衝動に文字通り身を任せるのであった。


 その時だった。


「あっるぇ~、何や見込みありそうなコぉ、本当におったんやぁ。ほっか、そっか、博士にしちゃあお手柄やん」


 他ならぬそのリングの上からかかったのは、そのような西方っぽい言葉であったわけで。どことなく艶めかしい、人を食った感もある女性の声だ。


「……」


 思わず見上げた視線の先には、トップロープに両腕を掛けてその美麗なラインを描く体をしなだれかけさせた、ひとりの女性……いや、若いな、「少女」かな? がこちらを見下ろしている図があったわけで。メッシュの入った深緑のブラトップのウェアに、同色の七分くらいのレギンスをぴたりその細身の身体に着けている。いや、細身と評したけど、その胸の辺りは決して細くはないな。くそが。


「キミもアレなんかなぁ? やっぱ同い年くらいのが集まるもんなんか。それとも博士の趣味なんか」


 耳下だけ出してまとめたショート髪は、リング上のライトを浴びて落ち着いたグレージュの輝きを放っている。その下には何ていうか、こちらを妖しげに含み笑ってくる切れ長の目が覗いていて、見つめられていると何か気持ちがざわつく。


「偶然じゃよ、フウカくん。フヒ!! いや必然かも知れんじゃが」


 嘉敷「博士」の相好が崩れ、気持ちの悪い顔で気持ちの悪い言葉を放ってくる。「アレ」って言ったけど、アレってアレだよね……この、アンニュイでちょっと背伸びした感じの西方少女も、もしかしてアレ、なのだろうか……


「へえぇ。でも委員長とは違ぉて、素のままでも結構やりそうな雰囲気やん? ふーん、ふーん……いっちょ手合わせ、みたいなん、どや?」


 ネイティブでは無さそうなんだけど、妙にハマっているその物言いに、何となく意思が通じてしまった私がいる。こいつも……かなりの手練れと見た。しなやかだけど芯のある体躯。腕も脚も多分私より長い。何より……格闘をする者の目つきだ。ちなみに「委員長」ってナヤのことだよね……やっぱ私も思てたけど、まごうことなき委員長の風格なんだ……


「私は構わないけ↑ど?」


 内心の高揚を悟られまいと、殊更にクールに言い放ったつもりの私だが、気持ちの前のめり感は伝わってしまったんだろう。くっく、みたいな苦笑と嘲笑のあいだみたいな笑い声を発するその少女……「フウカ」と呼ばれてたな、そいつは寄り掛かっていたロープから勢いを付けて離れると、リング中央へと背を向けて歩き出す。そして軽く突き上げた右拳を、ちょいちょい、と挑発するかのように動かすのであった……やろう……


「待ってミロカ、彼女……かなり強い」


 顔面に力が漲っていく私の肩に手を置いて制したのは、いつもの「委員長」らしい振る舞いをするナヤであったわけだけど。振り向いた私の絶対小動物なら殺す眼力ガンリキにちょっとのけぞりながらも、なんとか、っていう格闘技のジュニア日本代表なんだって、との情報を付け加えてくる。「日本代表」? そう名乗れるスポーツの類ってサッカーくらいかと思ってた。将棋至上のこの国で、ご禁制とも称されるそんな格闘技を常日頃からやれていること、そして「代表」として大手を振って世界に出ていけること、それらのことだけでも尋常じゃないことは伝わってくる。


「……」


 伝わってくれども。息を大きく吸い込み、私は極めて冷静に、ブレザーを脱いでナヤに手渡す。そして、


「……ナヤ、これは初対面のマウントなの。そして女として生まれてきた以上、売られたマウントは買うよりほかは無いの……」


 凪ぐ水面のように静かに、諭すようにのたまった私だったが、上着を受け取ってくれたナヤは、ひぎぃぃ太古のDNAが既に蠢き出して喰うために殺すカオになっているよこわいよぉっ、との震える言葉をガチガチ鳴る歯の隙間から絞り出したのち、二歩ほど私から遠ざかっていくのであった……


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