▲1三桂(あるいは、暗躍オーバードーズ/ローズ)
「あ。四時からなんかあったっけ。あったような気がする。早く帰らないと」
ことさら丁寧にきわめて曖昧に辞する旨を伝え、くるりと回れ右して離脱しようとした私だったが。
「待たれよ、選ばれし勇者」
その老人は、悪い意味で的確に追い打ちを被せてくるわけで。でもそんな言葉を振り回していたら、通告がいっちゃうような気がするけど。私は今も周囲を静音で旋回している飛行物を横目で見ながら気を揉む。せめて私だけは、私だけはお咎めなしの方向でお願いしたい……
でもその白衣老人は、もう完全に自分の世界を最大展開しているにとどまらず、その「世界」を触手のように張り出してきて、こちらを絡めとろうとする気満々であることは、その焦点の定まってない眼を見なくてもわかる。でも何だか。
「……」
根っこの部分で、私とこの老人は似ているかも知れないとまで思えるようになってきてしまっていた。同族のニオイ……そう表現してもいいかも。将棋至上のこの国で、異端とされる「モノ」に傾倒没頭している者同士の……そんな奇妙な仲間意識、連帯感。
もちろん将棋の奥深さは知っている。私も日本を離れる前、4、5歳くらいの頃には、どうにかなったんじゃないのくらいにそれに打ち込んでいたから。誰からも強制されないのにただひたすらに、その深奥を目指そうとしていた、あの頃。
だから本当は分かっているんだ。その魅力も、底抜けの深さも。まがりなりにも。でもそれ以外をすべて否定してしまう現状はどうなんだろう? 人生がそれだけとは、私にはどうしても思えない。思えなくなってきてるんだ、最近、特に。
「……キミは、近頃増加している『失踪事件』を知っているかね?」
そんな私が逡巡している中、相変わらず自分のペースを崩そうとしないその老人は、話題をするりと転換するように端末の画面に何か動画らしいものを表示させると、こちらに向けてきたのだけれど。
〈千駄ヶ谷、真昼の怪!! 兎宿原初段(13)、謎の消失?〉
煽情的な文字が踊るニュース映像。知ってるも何も、近場のことだし、親たちがしつこく言ってきてたから、いやというほど知ってるし。失踪事件。捜査は一向に進展していないみたいだけど、これが何?
「たまたま、奨励会段位者が事件に巻き込まれたゆえ、こうして大きく取り上げられているが、それ以前にも、ここしばらく、千駄ヶ谷界隈では、老若男女問わず人の『消失』が立て続けに起こっている。それも一度に何人もの数が」
老人が重々しくそう告げて来るけど。そこまでの大規模なことだったの。「人の消失」……それに「一度に何人も」っていうのは、割と尋常じゃあない。それが立て続けとなれば、なおさら。でも、だったら何でそこがクローズアップされず「有名人」がってとこが強調されてるの?
「話を大ごとにしたくない……国の意向だよ、お嬢さん」
老人は別のアプリを起動させたようだ。今度はやけに画質の荒い映像が流れ始める。
「……!!」
そこに映っていたのは、学生服姿の男女の集団が、等身大の蠢く黒い何かと向かい合っているというものだったのだ。真っ暗な空間をバックに。これ……「棋青」の制服。私がいま身に着けている、ベージュのブレザーと同じだ。体つきとかから判断して、高等部のヒトらっぽいけど。よく見ると、相対しているのは、何と言うか五角形に手足が生えたかのようなシルエットをしている。それらが何体も、互いに一定の距離を取って立ち並んでいた。ぐわんぐわん揺れる画面で酔いそうになるけど、ふ、とその「黒い五角形」に焦点が合う。
〈飛車〉
確かにそう書かれている。由緒正しき錦旗書体で。つまりは、等身大の将棋駒が林立している状況。何だこれ。五角形の将棋駒たちがロボットみたいな手足を側面から生やしている様子は、何かのキャラクターのように見えるけど。例えば0歳児向け将棋入門のイラストとかで見かけるような。
それ系のイベント? でもそんな安穏な空気は、その小さな画面からは漂っては来なかった。感じるのは、不穏で殺伐とした、もっと言えば「戦闘」の雰囲気だけだった。
「……我々はこやつらを『二次元人』と呼称している。将棋盤の上で躍動する駒たちと同じく、『列』と『段』のみにしか、空間意義を持たないという意味でな」
老人の話す言葉の7%も理解は及ばなかったのだけれど、その「二次元人」とやらが各地のイベントをハシゴするようなゆるキャラではないということ、さらには私ら人間の味方でもないことだけは分かった。黒光る金属のような質感を持った、鉄骨を組み合わせたかのようなその「飛車」の腕が、目の前にいた女子高生の胸を貫いたからだ。
いきなりのショッキング映像に、小さな画面の出来事ではあったけど、私は思わず喉の奥がぐっと鳴ってしまうほど動揺してしまう。何これ……。
何かの作られた映像には思えなかった。けど現実感も同じように無かった。金属パイプの寄り集めのような「腕」を、セーラー服の背中から生やした女子生徒の体からは、血が噴き出すことも染み出すことも無くて、その強張ったままの体がうっすら光る無数の球体に分裂を始めると、そのまま画面でいうと奥の方へと引っ張られて消えていってしまった。呆然と画面をそのまま見続けることしか出来なかった私に、老人の重々しい説明が。
「『二次元人』に『取られる』と、向こうの『手駒』へと引きずり込まれてしまう」
相変わらずその言葉に私の理解は追いつく気配も見せないものの、え、ちょっと待って。さっき言ってた「失踪事件」。これがその真相? とか言わないよね。
「そしてさらに。『対局』に敗れると。その『38メートル×35メートル』のフィールドに囚われし者、最大20名全員が、取り込まれ、『二次元人』として再構成されてしまうのじゃ」
私の疑問もさて置きながら、常軌を逸した感ありありの老人の話は止まらない。でも語尾に「のじゃ」は無いよね……取ってつけた感ありありだったしね……
「やつらの『棋力』は絶大じゃ。そして何者かに統率されているかのような的確かつ伸びやかな『手筋』……それに相対する人間たちは、突如としてわけの分からぬ状況に引きずりこまれるがゆえ無理はないが、まともな『着手』などは望みようもない。たとえそれが奨励会員であろうとも。各々が意思のある『駒』でもある人間はバラバラ。各々バラバラに惑い動き、そして刺されてしまうのじゃ」
時折思い出したかのように付けられる「のじゃ」の響きに、私がだんだん真顔に移行しつつあることもさて置きつつ、熱弁をふるった老人は端末をしまい込むと、白衣の懐からまた何かをつかみ出し、こちらに差し出してきた。
「『二次元人』の思惑は未だ謎だが、われわれ『三次元人』に並々ならぬ敵意を持っておることは確か。しかも殺すでもなく、自らの陣営に取り込もう取り込もうとしておる。これは間違いなく『侵略』じゃ。今はまだ水面下で粛々と進行しているに過ぎんが、顕在化した時にはもう手遅れ。ならばどうするか。答えはひとつ」
老人が手を伸ばして何かを突きつけて来る仕草をすると、何だか水戸っぽい……みたいな早くも現実逃避を始めた私の大脳だったけど、あ、それってお供の仕事だっけ? とさらに詮無いことを思いぶつけると、VRよりも現実感が希薄な現実に何とか意識を引き戻す。
私の眼前に突きつけられたそれは、見慣れた五角形……将棋駒の形をしていた。材質はでもあまり見かけない黒い金属。微妙にテカっている。先ほどの映像で見た、あの等身大の「将棋駒」のような、そんな感じだった。大きさは掌に収まるくらいで、よく授業とか解説なんかで使われる大盤用の駒くらい。何だこれ。
「やつら『二次元人』が、その進化の過程で切り捨ててきたもの!! その要素を機構を……利用して私が作り上げた。やつらに対抗しうるパワーを得る……二次元の盤上を躍動する戦士へと変身するための、名付けて『ダイショウギ×チェンジャー』」
異次元の言語を紡ぎ続ける老人だったけど、清々しいほどに直球なその名前に何でか強く惹かれた自分がいる。「変身」……ダメな自分から、変われるのなら。
「キミに呼ばれて私はここに来た。この『駒』がキミへといざなった。可能性を秘めたキミよ、最強の戦士『赤い★フェニックス』となり、やつらを燃やし尽くすのじゃッ!!」
最後高らかに言い放った老人だったけど、そのネーミングはどうかと思う。でも突きつけられている「駒」に刻まれた、荒々しい書体の文字も「
その文字が、私の呼吸に呼応するかのように、燃え滾る炎のように揺らめき光り輝いているのを、確かにこの目が捉えた。
私の運命の歯車が、廻り始めた瞬間だった。
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