7. 増えていく

「始め!」


 合図に竹刀が鳴る。打ち込みの音に合わせて観客が声を上げ、探るように距離を取り合えば静かになる様はどこか一体型のアトラクションのようだ。必死に拳を固く握り光介の応援をする照信も、がんばれー、と間延びした声で応援する西之も馴染んでいる。


 彼らの声が光介に届いているのかどうかといったら、まったくわからない。光介も渡辺も、亜樹から見れば声援の届かない場所で打ち合っているように見える。

 サッカーの時、声援は明確な言語というよりもそのものがかたまりのようだった。亜樹にとってそれは、声援という名前の別の物。高い音も低い音も混ざって、応援してくれる誰かがいる。必死な誰かが、後ろにある。だからやはり、西之と照信の言葉は宛にならないと思うのだ。

 ただ、どうせ固まりなら。


「光介さん頑張れー!」


 音に紛れて、叫ぶ。照信は集中しているようだったが西之は亜樹を見て笑った。ややあって大きな音と、一本の声。名前で呼ぶ女子いないから、という提案だったが、近くの人間が少し亜樹を見上げた程度で意味があったのかどうか。とりあえず一本をとられた様子を見るに、応援の効果は一切無かっただろう。あちゃあ、と西之が笑い、照信が肩を落とした。


「決まらないなー光介」

「それより覚悟した方がいいんじゃないの?」


 照信の落胆にからからと西之が笑う。やっぱヤバい? と聞く照信にヤバいかもね、と返す西之は特にヤバそうには見えない。

 光介が渡辺といくらかやりとりをしている様子が見える。面を外した渡辺は少し不機嫌なようだったが、近くにいた部員の鈴木になにやら言われると笑って光介の背中を叩いていた。防具なのに気安い様子で、親しさがわかる。叩かれた光介は一度頭を下げると、面を外さないまま照信たちの方に向かってきた。


「お疲れ」

「おっつー」

「お疲れ様です」


 照信と西之には軽く籠手の付かない側面部分で頭を小突き、亜樹の言葉には律儀に会釈する光介は平時とさほど変わらないだろう。胴着を来ているとやや迫力が増すものの、二人に対しては多少気さくなまま、亜樹には一々丁寧だ。亜樹だから、というよりは、照信と西之だからなのだろう。涼香にあまり話しかけないにしても、その涼香に対しても所作自体は丁寧な人だ。


「すみません、お邪魔してました。小野寺先生のグループ学習、プリントが今日まででして。できたら受け取りたいんですが……」


 こくり、と光介が頷く。また応援の声が上がり、亜樹は微笑した。


「今日、賑やかなんですね。そんなタイミングですみません」


 今度は首が横に振られる。亜樹はもともと光介が不満を露わにすると思っていないのだが、人も多いのである程度の言葉を並べているだけだった。提出物でぴりぴり怒るような人には思えない。いや、別に亜樹は光介のことなど知らないし、知ることもないのだが。


 なんだか少しずつ、勝手な認識が増えている。


「待っててくれ」


 静かな声が、面の中で少しくぐもっている。亜樹が笑顔で頷くのとあまり変わらない間で、西之が光介の胴着を拳で軽く叩いた。


「そういや聞こえた? 応援」

「……お前は雉か」

「ケーン」


 楽しそうに鳴き真似をしたのは照信だ。おそらく雉のつもりなのだろう。西之の問いには低い声で返すだけだった光介が、照信の頭をまた軽く小突く。けぇん……と言う声はどちらかというとしょぼくれた犬のようだが、顔に反省の色はない。


「応援聞こえてたみたいだよ」


 光介ににんまりと笑った西之が、亜樹には存外柔らかく笑む。やりとりからの唐突な言葉に一度瞬いた亜樹は、次の瞬きの前に理解し、微苦笑を浮かべた。


「あー、邪魔してすみません」

「邪魔じゃない」


 謝罪にほとんどかぶるかの速度で光介が言いきった。歓声の中そこまで響く訳ではないが、伝えることのはっきりとした意志に亜樹はさらに眉を下げる。

 お人好しがすぎると、中々不器用さが目立つのかも知れない。


「普段呼ばれない呼び方ならこっちに気づくかも、って、イベントのノリでも言うものじゃないですね。慣れない呼び方で僕も少し気恥ずかしいです。ごめんなさい」


 正直に言えば呼び方程度、亜樹は気にしない。けれども西之の問いに雉と返したということは、いわゆる『雉も鳴かずば撃たれまい』だろう。照信の鳴き真似もその関係だ。

 だとすると、言わなきゃいいのに言うならなんらかの行動に移るぞ、という警句。亜樹が光介の名前を呼ぶわけがないと分かっているから、その原因の一人だろう西之の言葉に低く答えた訳だ。応援の効果が無いどころか邪魔だったのなら亜樹は謝罪をすべきだし、その違和感を持つことを肯定するためにも「少し気恥ずかしい」と言うのが適切だった。気にはしないが、まあ、少し違和感があるのは一応事実だ。嘘を吐かないと言うマイルールが亜樹にはあるので、抵触しない程度の言葉選びで光介に謝罪を重ねる。


「緑静は、悪くない」

「もし万が一、呼び方で揶揄されたりとかありましたらきっちり説明しますので。そのあたりも含めて軽率でした。お言葉有り難うございます」


 面を着けているのでわかりづらいが、それでもやや表情が硬くなったのがわかり亜樹は微笑した。ここまで言うのは今いる周囲への説明も含んでいるが、それ以外の人間への説明は光介に任せてしまうことになる。光介の物言いははっきりしている為おそらくそうそう揶揄が続くことはないだろうし、お節介だろうが――それでも亜樹は亜樹のなすべきことをすると示す必要がある。

 硬くなった表情は、そうさせることの申し訳なさだろうか。光介は気にしすぎる人なのだろう、と言う印象がじんわりと増えていく。


「……プリント、持ってくる」


 移動する手前で一度照信と西之を見た光介だったが、結局二人に対してはそれ以上言わずがしゃがしゃと移動した。あまり彼らを責めても亜樹が気にすると思ったのかもしれない。気を使いすぎて疲れないだろうか、と思うのは、光介の人柄と不器用さが原因か。

 亜樹の面倒だからという理由とは異なるような飲み込み方は、同年代では珍しく思える。


「面外してくると思う? 俺そのままに一票」

「さすがに外すだろ、多少時間空くし。それよりプリントとるのに手の防具外すだろうから猟師がくるぞ」

「ケーンしないようにしないとな」

「ほどほどにな」


 照信と西之は相変わらず楽しそうにごそごそ話していて、光介と比べなくとも好き勝手だ。亜樹自身マイペースなので、なんというか哀れでもある。貧乏くじを引く羽目になりやすいと言うべきか。


 同じクラス、元々あまり一緒に話そうなどと思うことはないとはいえ、できるだけ一人でいられるようにした方がいいのかもしれない。照信と西之の二人と一緒にいるのは光介が選んだのだから好んでのことだろうが、亜樹の場合は光介の信念として気遣いをしてしまう状況があるせいだろう。そうでなければ、あまり話しかけるような人でもない。

 涼香と一緒にいるときは照信の関係上仕方ないにしても、もう少し気を配るのが無難だ。亜樹の立ち位置として、あまり迷惑をかけるのは流石に気になる。だんだんと積み重なることが増えている気もするわけで。


「俺アタリ」

「流石に外したかぁ」


 ちぇ、と言う照信はしかし楽しそうなままだ。涼香と出かけるとほとんど涼香とばかり話しているが、西之にも光介にも声をかけるので気安いムードメーカーが似合っているのだろう。光介に話しかける数はやや少ないものの、それは光介が物静かだからだろう。悪い奴ではない。が、判断するのは亜樹ではない。涼香でもなく、その時の行動のみでみるべきで。


(ああ、でも)


 光介への勝手な認識が増えてきて、情報が情報と言うには紐付いている。同じように、照信にも西之にも、事実の現状だけでなく積み重なった推論が増えている。


(気をつけるしかないか)


 プリントを持ちながらやってきた光介は、二人が言うように面を外していたし小手もなかった。表情は少し眉間に皺が寄っていて、不機嫌ではないかもしれないがいつもよりも険しく見える。その理由を亜樹は想像できないし、するつもりもない。

 ただゆっくりと微笑みながら、亜樹は小さく呼吸を落とした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る