6. 話かけづらい?
「緑静さんって朽木くんと親しいよね?」
「うん?」
秋山の言葉に、亜樹は首を傾げた。理解できないと言うよりは続きを促すような語調に、問いかけた主はちらりと朽木の机を見る。
「ほら、この間の班活動のプリント。私の班授業で集めなくてさ。そのまま忘れちゃってて、今日期限じゃん? 他の子は回収出来たんだけど……」
どうにも気まずいのだろう。うーと時折うなりながら頭を掻いたり腕を触ったりする秋山に、亜樹は傾げた首を戻した。同時に、内心では不可思議な心地を強める。
仲がいいと言われなかったのはある意味正しいが、しかし親しさを基準にしなくとも朽木に言うことはさほど難しさのないものだ。人によっては急なことに怒ったりするだろうし、出来ていないことに焦ったりもするとは思う。そういった不安はわからなくもない。だが、授業態度を見ても朽木の人間性を見ても、先に挙げたような理由で声をかけるに難しい部分はない。
「さっき田中に聞いたら剣道部いってるらしくてさ。今日なんか部活でのミニ大会みたいな、イベントしてるらしくて。正直朽木って話しかけづらいっつーかそんな中で声かけにくいけど田中は田中で部活いっちゃったしさぁ。剣道部の知り合いにはそんなイベント中に声かけづらいし、かといって朽木くんを呼び出すにも私親しい訳じゃないからさあ」
言い訳を重ねているのは後ろめたさだろうか。そんなに気にせず用件を言ってしまえばいいのに、というのも野暮だろう。部活のない人間は既に帰り、残っているのは半端に用事のあった人間だけ。そういうタイミングになって今更あわてて回収となったのも含めて、気に病んでしまうのは仕方ない。
タイミングが悪かったけれども、気づいてラッキーとも言うべきか。教師の小野寺は穏やかなので多少の遅れは許容してくれるが、それはそれとしてペナルティを必ず出すところがある。板書を代わりにしてもらうだとか、そういう地味に生徒が頭を抱えるタイプのペナルティは小野寺らしい恒例のものだ。自分の責でそんなことを、というのと、それなのに回収にためらう罪悪感は秋山のものだからこそ部外者が言うものではない。代わりに、亜樹はにっこりと笑顔を深めて頷いた。
「プリントもらってくればいいんだね、わかった」
「えっいいの! ありがと!!」
いいのもなにも頼みに来たんでしょ、とは言わない。わかりやすく安堵する様子も含めて、見て分かりやすいところは秋山の魅力だ。そう考えると、見てもわかりづらい朽木は秋山にとって苦手意識があるのかも知れない。
面倒くさいところのある真面目さは、物静かな様子もあって声をかけやすいと思うのだけれども。人の付き合い易さは人によるだろうと判断して、亜樹は帰り支度をしていた鞄を置き戻した。
「秋山さんここで待ってるの? 小野寺先生に出すだけなら僕が行こうか?」
「まとめて出すから待ってる。じっちゃん先生にも言ってあるしぃ」
「わかった。試合の様子によってはちょっと時間かかるかもだけど」
「ジューブン! よろしく緑静さん!!」
パチン、と手を合わせて拝むようにされ、亜樹は眉を下げて笑う。調子の良い様子は動きやすく、適当に合わせることが出来るから気楽だ。
「じゃ、いってくる」
「いってらっしゃーい」
にこにこと手を振る秋山に軽く手を振り返して、亜樹は少し大股で体育館に向かった。
* * *
夕日が鮮やかで、眩しい。帰宅する人影に何度か手を振られては、その度に手を振りかえしながら体育館に向かう。下校時間からずれたので人影の数は少なく、部活中の声が遠くで響くのは夕暮れに馴染んでいた。釣瓶落としの秋の空。すぐに暗くなるかもしれないが、まだその時間になる手前。
体育館から響く声が、一際大きくなる。
「あれ、緑静さん」
めざとく亜樹を見つけたのは、西之だ。ということは、と視線をやれば照信がもう少し入り込んだところで楽しそうに笑っている。普段から見に来る機会はないのだが、いつもの剣道部よりもやけににぎやかなのは秋山が言っていたイベントのせいだろうか。
どんなイベントか、秋山が言う以上のことを亜樹は知らない。疎くはないが、積極的に知りたいと思わない故に知らないことはそれなりある方だ。去年のクラスメイトに剣道部員はいたが、女子はいなかったはずなので余計知る機会も少なかっただろう。
ひとつ気になるのは、照信たちなら騒ぎそうなあたりか。彼ら越しに知る機会が無かったのは、やはりあの関係が照信の為のものだからか、それとも一年の時は彼らも知らず、その時はじめて知ったのか。涼香の付き添いで出かけたのは、一月半ほど前だからそのタイミングでは話題にしようがないだろうし、どれもありえるように思えた。まあ、どちらにせよ亜樹にとってはどうでもいいのだが。
「光介応援にきたの?」
「いえ。用があるのは朽木さんですが、応援じゃなくてプリントですね」
「そっか。話しかけるタイミングもあるだろうし入りなよ。見ての通り今日は部外者も多いよ」
相変わらずどこか楽しそうに、西之は我が物顔で亜樹を体育館に呼んでしまう。確か西之は剣道部ではなかったはずだが、実際声をかけるには中に入った方が早いので亜樹は素直に頷いた。そもそも照信をはじめ、剣道部員でない人間が多い。
「失礼します」
「あ、緑静さん。応援?」
「違います」
気づいた照信が西之と同じように問うので、亜樹は苦笑した。この熱気だと確かに応援と考える方が自然だろうが、涼香もいない中頼まれてもいないのに応援する機会もそうそう持ちようがない。
「プリントを朽木さんに貰いたいんですけど、賑やかですね」
「あ、知らないか。年に一回の無礼講。剣道ってほら、道を極めるもんだからあんま賑やかな応援とか喜ぶのとか御法度なんだけど、この日だけはってなんか伝統らしいよ。どうせだから光介応援してきなよ、張り切るだろうし」
おおーと時折打ち込みに声を漏らしながらもなされた説明に、亜樹は曖昧に頷いた。光介が張り切る、というのはあまりイメージが沸かない。同じクラスでもこのイベントの話題を聞かない程度に、光介はあまり気にしない人に思えた。
まあ、張り切るということが真だから言っているというより、説明している照信が張り切るタイプだから勝手に言っているのだろう。なんとなく、照信は人目が多いほど上機嫌になる印象だ。
「まあ、応援すれば緑静居るの気づくから、なんでいるのか気になって早めに見に来るかもね」
西之が補足するように言う。参加者は試合が見やすいよう応援側から反対なので、確かに気づいて見に来ればプリントだけなら一言二言で済むかも知れない。だが。
「この音の中で気づきませんよ」
「気づくよぉ」
照信の言葉は一々根拠がない。亜樹自身も大ざっぱであるが、照信の場合は大ざっぱやとりあえずと言うよりも希望的観測を信じ切って言っているあたりが面倒だ。こんな適当な人間がなんで涼香に気に入られているのかわからないが、恋愛感情さえ含まなければ涼香が楽しんでいる相手でもあるので不満を持つには足りない。
曖昧に笑う亜樹に、西之がぽん、と手を打った。少々ジェスチャーとしてわざとらしいような所作は、西之の飄々とした表情とあいまるとやけに馴染む。
「女子の声もそこそこあるっちゃあるけど、ちょっと目立てばこっち見るよ。大丈夫、いい案がある」
大きな歓声。また打ち合いがひとつ終わったらしく、拍手と称える声が飛び交う。ありがとー、なんて大声で返しているのを見ても、やはり少し平時と違うのだろう。
亜樹自身の背丈は大きいが、男女も三年生も含まれている状態で、後から来たので立ち位置は後ろだ。西之の言葉どおりに行くのかと考えると疑問はあるが、しかし提案されたようにすれば確かに目立つだろう。といっても、人の声の中でどこまで聞き分けられるか。精神統一をしているだろうから結局のところ最初の気づかないに落ち着くのだが、西之の提案に照信も楽しそうに薦めてくるのでどうしようもない。
良くも悪くも、亜樹はとりあえずまあいいか、と流してしまうことも多い。こだわりはなく、満足するなら提案に乗ってしまえばあとは野となれ山となれだ。気づいた場合光介には少し悪い気もするが、まあ気づかないだろう。
「光介ー、ガンバレー」
「朽木先輩頑張ってくださいー!」
「亮君がんばー!」
「りょーちゃーん」
「わっつーん」
剣道部の後輩だろう女子もあるが、それでもギャラリーからは基本男子の声援が多めの光介と男子と女子どちらもにぎやかな渡辺が並ぶ。渡辺は呼ばれ方が多く、竹刀を構える前は一々呼び方に突っ込みを入れては観客が楽しそうに声を出している。確かそれなりに女子の話題にもあがりやすい人だ。
それでも竹刀を構えれば静かなもので、さすが、とも言えるだろう。光介と並ぶと一六〇程度の渡辺は小さく見えたが、ぴり、と張りつめた空気はどちらも相手を侮っていないものに見える。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます