第64話『花火と人妻』

 麗奈先輩、紗衣、咲夜の告白を聞いていたからか、夏実さん、璃子にはからかわれ、健太からは尊敬の眼差しを受けながら、料理やスイーツ作りを再開した。

 また、ミスコン効果もあってか、麗奈先輩、紗衣、咲夜がバイトを再開すると、これまでとは比にならないくらいのお客様が来る事態に。これには夏実さんも大満足のようだった。

 あと、麗奈先輩が料理担当の男の子と明言したこともあってか、男性中心に俺の方を見てくることが多かった。中には「こいつかよ」と呟く輩もいたので、熱したフライパンで一発叩いてやりたいと思ったが、バイト中なので無視することに決めた。

 一昨日の麗奈先輩のこともあったので、何かトラブルが起こってしまわないか心配だったけれど、特に何も問題なく営業終了まで働くのであった。



「よーし、これで片付けも終わったね! 今日もお疲れ様!」

『お疲れ様でした!』

「そして、神楽君、紗衣ちゃん、咲夜ちゃん、麗奈ちゃんのバイトはこれでおしまいです。3日間お疲れ様! みんなのおかげでお店の売上はかなり上がったと思います。本当にありがとう!」


 午後7時過ぎ。

 後片付けまで終わり、3日間の海の家のアルバイトはこれにて終わった。それを労ってか、夏実さん、璃子、健太は俺達に向かって拍手を送ってくれる。


「色々なことがありましたけど、料理やスイーツを作るのは楽しかったですし、いい経験になりました。ありがとうございました」

「甘粕店長からこの話を聞いたときはどんな感じになるんだろうと思いましたけど、颯人達と一緒にバイトをして、夏実さん達と出会ったからかとても楽しくて充実していました。ミスコンもあったので、忘れられない時間になりました」

「あたしは接客だけでしたけど、紗衣ちゃんや会長さんが一緒で、璃子ちゃんや健太君っていう先輩がいたので何とかなった気がします。今後のバイトを考えるいい機会にもなりました。ミスコンで想いを伝えることもできて良かったな。上位には入らなかったですけど。3日間ありがとうございました。忘れないと思います」

「私も咲夜ちゃんと同じ接客担当でしたけど、みんなと一緒だったのでお仕事をこなすことができました。痴漢にも遭ってしまいましたけど、はやちゃんが助けてくれて。あと、璃子ちゃんと健太君が仲直りできて良かったな。いい3日間になりました。明日を含めた池津の時間は思い出深いものになりそうです。ありがとうございました」


 俺達はそれぞれ感謝の言葉を伝えた。

 こうして3日間を振り返ると、単に海の家のバイトをしただけでなく、深津先生や浅河先生と出会ったり、麗奈先輩が痴漢に遭ったり、璃子と健太の喧嘩だったり、健太の誕生日やミスコンがあったり。予想もしないことが多かったな。みんなの言うように、忘れられない時間になりそうだ。


「4人と出会って、一緒にお手伝いできて本当に良かったです! あたしと健太君のお手伝いは明日からも続くから、明日からも頑張ろうね」

「おう! オレも兄貴やお姉さん達とお手伝いができて楽しかったっす! みなさんのおかげで璃子と仲直りできて、最高の誕生日を迎えることができましたから! あと、兄貴は一生、オレにとっての人生の師匠っす!」


 健太が高らかにそう言ってくるので、健太と俺以外はみんな笑っている。咲夜と璃子なんてお腹を抱えて爆笑しているぞ。


「まったく、2人は。……まあ、師匠と思ってくれてもかまわない。俺達が東京に帰ってからも、何かあったら遠慮なく連絡していいからな」

「はい!」


 もしかしたら、兄貴とか師匠と慕ってくれる少年と出会ったことが、池津に来た中で最も予想外のことだったかもしれない。

 その後、俺達は夏実さんから今回のバイト代をもらった。一昨日は昼からだったけれど、昨日と今日は1日フルで働いたからかかなりの額だ。

 和気藹々とした雰囲気の中で、俺にとっての初めてのアルバイトが終わったのであった。



 午後8時。

 宿の従業員用の休憩室で夕ご飯を食べ、5号室でゆっくりとしていた俺達と璃子は、海野さんちの海の家の入口前まで向かう。


「こんばんはっす」


 海の家の入口には健太が待っていた。

 どうして俺達がここに来たのかと言うと、海の家から宿に戻ってくる途中、夏実さんから午後8時くらいにお店の前まで来てくれと言われたからだ。

 それにしても、池津は夜になると涼しくなるな。ミスコンのときはとても暑かった。陽差しが照り付けているだけじゃなくて麗奈先輩、紗衣、咲夜から3連続で告白されたこともあるだろう。

 バイト中は仕事もあったから普通だったけど、今、3人のことを見ると、今でもミスコンでの告白もあってかドキドキしてしまうな。


「おっ、みんなちゃんと来てくれたね」


 作務衣姿の夏実さんがこちらに手を振りながら歩いてくる。そんな彼女が持っていたのは手持ち花火セットだった。


「うわあっ、花火だ!」

「結構な種類があるじゃないっすか!」


 璃子と健太はとても興奮している。お手伝い中は頼もしい場面が何度もあり、大人っぽさも感じられたけれど、2人はまだ小学生なんだよな。今は年相応な反応をして可愛らしい。


「ふふっ、4人がバイトに来るって決まった後、近くのスーパーで買ったの。璃子や健太君もいるし、バイトの打ち上げってことで。あっ、ちなみに打上花火も1つ入っているよ」

「うわあっ、ありがとうございます! あたし、花火を見るのもやるのも好きです!」

「ワクワクするよね、咲夜ちゃん! 私も小さい頃はお庭で、家族や友達や……明奈ちゃんとも一緒にやったな」


 叶の名前を口にしたからか、麗奈先輩の笑みはしんみりとしたものに。先輩にとっては、幼なじみの叶との楽しい思い出がたくさんあるのだろう。


「私達も、夏休みにお泊まりするときとかには庭で花火やったよね、颯人」

「やったなぁ。小雪や数兄が色々な花火の付け方を試していたよな」

「あったあった」


 当時のことを思い出しているのか、紗衣は楽しげな笑みを浮かべている。そういえば、小さい頃は花火をしているとき、紗衣は今みたいな可愛らしい笑みを見せてくれたな。あのときから、俺に好意を抱いていたのだろうか。


「それじゃ、花火やろうか。消えた花火は海には捨てずにこのバケツに入れること。非常時には海に飛び込みなさい」

『はーい!』


 そして、俺達はそれぞれの好きな花火を楽しむことに。また、打上花火はラストにやろうということになった。


「綺麗だなぁ。夜の浜辺でできるなんて贅沢だよ」

「ふふっ、良かったですね、咲夜さん」

「オレ達にとっては普通のことですけどね。行くぜ! これが2倍パワー花火だ!」

「危ないってもう!」


 咲夜、璃子、健太はベーシックな手持ち花火を楽しんでいる。小雪や数兄も健太のように2、3本一気に火を点けていたな。


「紗衣ちゃん、ねずみ花火はやったことがないからドキドキしちゃうよ」

「予想外の動きもしますからね。では、火を点けますよ」

「うん。……きゃっ! こっち来た!」


 麗奈先輩、ねずみ花火の動きに驚いたのか紗衣のことをぎゅっと抱きしめている。こういう広々とした場所だからできることだよな。


「神楽君は線香花火?」

「ええ。小さい頃から、線香花火が好きなんです。見るなら、打上花火とか派手なものも好きなんですけど、やるのはこうした静かな花火が好きで」

「そうなのね」


 夏実さんは俺の隣で線香花火をする。自分の線香花火を見るのもいいけれど、他の人の線香花火を見るのも美しくていいなと思う。


「そういえば、ミスコンで3人から告白されたけれど、誰と付き合うのかは決めたの?」


 夏実さんはニヤニヤしながらそんなことを言ってくる。


「ストレートに訊いてきますね。……まだ決めてません。3人それぞれに魅力があって、素敵な女の子ですからね。贅沢な悩みなのは分かってます」

「そっかぁ。神楽君なら、3人の誰でも付き合うことになっても大丈夫だと思うよ。もし、璃子と結婚前提に付き合うつもりなら、私は母親として大歓迎だけどね! 主人も神楽君の腕前に感嘆していたから」

「そ、そうですか」


 璃子のことや姑のことは置いておいて、料理の腕前について宿の番頭さんや仲居さんに一目置かれるというのは嬉しいな。


「参考に訊きたいんですけど、夏実さんは旦那さんと付き合ったり、結婚したりすることを決めたきっかけって何だったんですか?」

「きっかけかぁ。何だったかな。主人と出会ったのは15年以上前になるよ。学生時代に友達と池津に遊びに来て、海野家に泊まったときだったな。彼の一生懸命な姿や、私に見せてくれた笑顔に惚れちゃって。この人と一緒にいたいと思って、私から告白したの」

「そうだったんですか」


 夏実さんは明るく活発で、御主人の保仁さんは大人しいタイプの人だからな。夏実さんの方から告白したのも納得できるな。


「付き合い始めてからは、大学の長期休暇の時期を中心に、海野家でバイトをするようになって。妹の春奈ともやったことがあるよ。海野家の雰囲気も好きで、将来は私もこの海野家を盛り上げていきたいって思うようになってね。もちろん、主人のことも大好き。大学3年の春休みのときに、主人から『これからもずっと一緒にいてくれますか。妻として海野家うみのけの一員、海野家うみのやの一員になってくれませんか』ってプロポーズを受けたの。気持ちが重なっていることが嬉しくて、喜んでプロポーズを受けた。それで、大学卒業を機に結婚したの。それで、今から12年前に愛の結晶が産まれたわけ」

「……そうだったんですね」


 愛の結晶なのは間違いないけど、何だかいかがわしく聞こえる。ちなみに、その愛の結晶は健太や紗衣と一緒に手持ち花火を楽しんでいる。


「3人もいると迷っちゃうだろうけど、彼女達の中で一番誰が好きで、誰と一緒にいたいかなんじゃないかな。結婚のときは、この人と一緒ならきっと大丈夫だっていうのも決め手になったけど」

「そうでしたか」

「……考えることも必要かもしれない。でも、リラックスして3人と楽しい時間を過ごすのも大事じゃないかな。せっかく、池津まで来てくれたんだし、地元の人間としてはここでの時間を楽しんで、東京に帰ってくれると嬉しいな」


 夏実さんはそう言うと爽やかな笑みを浮かべて、俺の頭を優しく撫でてくれる。確かに、せっかく池津まで来たんだから、楽しまないと損だよな。

 あと、バイト中は頼りがいのある店長さんって感じだったけど、今、こうして頭を撫でてくれると、本当に優しいお母さんって感じがするな。小さい頃、母さんに抱きしめられたときの感じと似ている。


「はやちゃん!」

「は、颯人君! 夏実さんと何をイチャついているの? まさか、颯人君ってひ、人妻が好きだったりするの?」


 気付けば、俺の目の前には麗奈先輩と咲夜が立っていた。そんな近くにいたら危ない……と思ったけど、線香花火は消えていた。


「何を言ってるんだ、咲夜。俺はただ、人生の先輩である夏実さんと線香花火をしながら相談をしていただけだ」

「そ、そうだったんだ。あたし、てっきり夏実さんといい感じになっているのかと思って」

「キッチンで一緒に作業することが多かったもんね!」

「ふふっ。でも、私の隣で料理やスイーツを作る神楽君は素敵だったし、主人ほどじゃないけど、久々にいい男性だなって思ったわ」


 夏実さんはとても嬉しそうな笑みを浮かべて、俺の腕をぎゅっと抱きしめてくる。それを間近で目撃したからか、麗奈先輩と咲夜は不満そうな様子に。


「あーっ! お母さんったら、不倫なんてダメだよ! お父さんもいるのに! あと、未成年に手を出したら犯罪じゃなかったっけ?」

「り、璃子の言う通りっすよ! 兄貴も本気になっちゃダメっすよ!」

「さすがに颯人は人妻に手は出さないでしょ。……出しちゃダメって分かってるよね?」


 璃子や健太はもちろんのこと、麗奈先輩や咲夜はまだ可愛らしさを感じられるけれど、紗衣は……落ち着いた笑みを浮かべているのにかなり恐いぞ。こんな紗衣を見るのは初めてだ。寒気すら感じる。


「わ、分かってるぞ、みんな。さすがに旦那さんのいる女性に手は出さない。夏実さんも男子高校生の腕を、凄く嬉しそうに抱きしめて、頭をすりすりしないでくれませんか」

「ふふっ、とてもいい抱き心地だったよ。気持ちが若返った。ありがとう、神楽君。彼の腕を将来的には誰が抱きしめることになるのか楽しみだな。決まったら教えてね」


 楽しげな様子でそう言うと、夏実さんは俺にウインクをしてきた。ようやく俺の腕の抱擁を解いてくれたので一安心。

 また、今の夏実さんの言葉を聞いてか、咲夜に紗衣、麗奈先輩はとても意気込んだ様子になっていた。

 その後もみんなと一緒に線香花火をしたり、手持ち花火をしたり。その際、咲夜や紗衣、麗奈先輩は俺に体を密着させることもあった。それは花火から伝わる熱よりもよっぽど温かなもので。

 そして、約束通り、ラストは打上花火。こういうファミリー向けのものはしょぼいと思っていたけれど、意外と迫力があって驚いた。そのせいで、みんなと一緒に「たまやー!」と叫べなかったけど。

 みんなのおかげで、池津での思い出が一つ増えたのであった。

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