第56話『少年の奮闘』
午前8時前。
朝食を食べ終わった俺達は、夏実さんの指示で従業員の出入り口のところで健太と待ち合わせをすることに。一応、待ち合わせの時刻は午前8時頃となっている。
ちなみに、健太には咲夜達も見守ってくれることをメッセージで伝えておいた。すると、健太からすぐに『あざっす! よろしくおねがいします!』という返信をもらった。
「おはようございます!」
半袖の青いTシャツ姿の健太がやってきた。昨日の夕方に初対面したときの嫌悪さが信じられないくらいに、いい笑顔を俺に向けてくれる。
「健太君。ちゃんと待ち合わせ通りに来るなんて偉いじゃない。お手伝いのときは遅刻するときが多いのに」
低い声色で璃子がそう言うと、健太はすぐに怒った表情に変わって、
「きょ、去年までのオレはそうだったさ。でも、オレも小学校の最高学年になったんだ。時間を守るように気を付けるようにしてるんだ。まあ、今日は颯人兄貴がいるから遅れないように気を付けたぜ!」
「時間を守ることは偉いな、健太」
そう褒めて頭を撫でたからか、健太はとても嬉しそうな様子に。こういった素直な部分を璃子に向けることができれば、仲直りへと一気に向かいそうだが。
「はやちゃんと健太君、本当に仲良くなってるね!」
「これが男の友情ってやつかもしれませんね! でも、兄貴と言っていますから、師弟関係という方が正しいのかも!」
「まさか、池津に来て、颯人のことを兄貴と慕う小学生に会うとはね。しかも、それが昨日はあんなに嫌悪していた健太君だっていうのがね……」
「朝食のときに、健太君に謝ってもらったとは聞いたけど、ここまで懐いているとは」
女子高生3人と夏実さんは笑顔でそう言ってくれる。昨日の健太の様子をみんな見ているし、俺が兄貴として慕われていることに驚きもありそうだ。
「颯人さん効果が大きいみたいだね、健太君。まあ、この様子からして健太君が謝ったのは本当なんでしょう」
とは言うものの、璃子は依然として不機嫌な様子。散歩から戻ってきたとき、健太が謝ってくれたことは伝えたんだけどな。実際に俺達の様子を見るまで信じることはできなかったのだろう。
「颯人さん。お手伝いの間に健太君が何かしたら、遠慮なく怒っていいですからね」
「何を偉そ――」
「こほん」
「……き、気を付けなきゃな。料理以外の手伝いは去年までもやってるから、お姉さん達の先輩だもんな。ちゃんとやんなきゃ」
「……そうね」
璃子は真剣な様子でゆっくりと頷く。
健太は璃子に謝る意志はあるけれど、喧嘩中ということもあってか、いざ本人を目の前にすると素直になれないのかな。璃子もまだ怒っているから、下手すると今よりも関係が悪くなってしまうかも。
「お姉さん達にはまだ自己紹介してなかったですね。オレ、天野健太っていいます! 璃子と同じ小学6年生で、昔からの腐れ縁です! よろしくお願いします!」
「元気だね、健太君! あたしは月原咲夜。高校1年生だよ。よろしくね。あたしは接客担当だよ」
「私は天野紗衣。私も高校1年生。颯人とはいとこ同士なんだ。私は主に接客担当だけど、夏実さんから料理の許可ももらっているの。だから、颯人が休憩しているときを中心に料理もやるからね。よろしく」
「私は皇麗奈。3人の先輩で高校2年生です。私は咲夜ちゃんと同じ接客担当です。一緒に頑張ろうね!」
「はい! オレ、今日も明日も手伝うんで、よろしくお願いします! 接客とか、呼び込みとか、皿洗いとかはこれまでたくさん手伝ってきたので、分からないことがあったり、力を貸してほしかったりするときはいつでも言ってください!」
堂々と言ってくれると、年下でも先輩っぽく見えるな。微笑ましい光景だ。女子高生3人とは健太も上手くやっていけそうな気がする。
「健太君と3人の自己紹介が終わったね。今日はこのメンバーで海の家を営業していきます。みんな、よろしくね!」
『よろしくお願いします!』
そして、俺達は海の家へと向かう。その際、俺は璃子と健太に手を引かれる。そのことに咲夜と麗奈先輩にクスクスと笑われてしまう。
小雪の友達に手を引かれることはあったけれど、出会って間もない小学生達にされる日が来るとは。ただ、彼らのおかげもあってか、海岸に行っても海水浴客に驚かれたり、怯えられたりすることはなかった。
海の家に到着して、俺達は開店の準備をする。俺は夏実さんと一緒にキッチンの方を、他の5人はフロアの方の準備を行なう。その際、夏実さんに健太が璃子に謝るつもりでいることをこっそりと教えておいた。
キッチンから璃子と健太の様子を見ると、今は離れて準備をしているな。ただ、健太はたまに璃子のことをチラッと見ているけれど。
「なに? 健太君」
「な、何でもねえよ。ただ、ちゃんとやってるのかなって」
健太がそう言うと、璃子は目を鋭くさせて彼のことを見る。
「あたしは今年も夏休みに入ってから、ほぼ毎日手伝いしているんだよ? あたしの心配よりも自分の心配をしなさい。自己紹介のとき、お姉さん達に先輩っぽく振る舞っていたんだから」
「わ、分かってるっつーの!」
そう言うと、小さいため息をついて健太は準備を行なう。2人が仲直りするまで一筋縄ではいかない気がしてきたな。
午前9時。
今日も『海野さんちの海の家』の営業がスタートした。俺は担当の料理やスイーツ作りを頑張ろう。
夏休みであり、今日も朝から晴れていることもあってか、開店するとすぐにお客様が続々と来店してくる。昨日の麗奈先輩のような出来事が起きないことを祈ろう。
また、開店してすぐに深津先生と浅河先生が顔を出してくれた。これから神社に参拝したり、水族館に行ったりするなど観光を楽しむ予定だという。
「すみません、注文いいですか?」
「はい!」
さすがに去年までお手伝いをしていただけあって、健太は笑顔で接客している。そんな彼のこと見て璃子は微笑んでいた。いい感じじゃないか。
「兄貴! 夏実おばさん! 注文入りましたぁ! 唐揚げ1皿、枝豆1皿に生ビール2杯で!」
「健太君、元気なのはいいけれど声が大きすぎるよ」
「あと、私のことは夏実おばさんじゃなくて、夏実さんで呼ぶようにしてね、健太君」
「は、はい。ごめんなさい」
璃子だけじゃなくて夏実さんまで注意されてしまうとは。だからなのか、健太も苦笑いをする。
そういえば、俺も中学生くらいの頃に、真弓さんのことを「真弓伯母さん」って呼んだら、今の夏実さんのように注意されたな。それ以降、おじやおばの関係に当たる人は全て、下の名前にさん付けするように心がけている。
「了解だ、健太。俺が唐揚げと枝豆を用意するので、ビールは夏実さんがお願いします」
「OK、神楽君」
俺と夏実さんは健太から注文を受けたメニューを用意し、近くにいた紗衣へと渡すことに。
「璃子ちゃんがいるからか、健太君も頑張っているね。彼も手伝ってくれれば、1日バイトをやっても大丈夫そうだ。あとは、2人が仲良くなればいいけど」
「そうだな。紗衣、3番テーブルにこの唐揚げと枝豆、生ビール2つをよろしく」
「分かった」
璃子と健太に仲直りしてほしい気持ちがあるからか、紗衣だけでなく咲夜や麗奈先輩も2人のことを気にかけているようだ。当の2人は……離れてお手伝いをしているな。
その後も、たまに休憩を挟みながらも俺はキッチンの仕事をこなしていく。
時間もお昼時に差し掛かり、健太や璃子の元気な呼び込みもあってか、バイトを始めてから最も盛況になっている気がする。それでも、健太が手伝ってくれているからか、接客の方は何とかなっているようだ。
「健太、冷やし中華ができたぞ。7番テーブルに運んでくれ」
「了解っす! 兄貴!」
健太も休憩することがあったからか、開店して3時間近く経ってもまだまだ元気そうだ。笑顔で冷やし中華を運んでいく。
さてと、次は……8番テーブルで醤油ラーメンとチャーハンか。よし、作るか。
「すみませーん、注文いいですか?」
「はーい!」
「うわっ! 璃子!」
「きゃああっ!」
――ドン!
――ガシャン!
健太の大きな声がした瞬間、璃子の悲鳴や何かが激しくぶつかる音、お皿が割れる音が聞こえた。
キッチンを出ると、璃子と健太がフロアの床に尻餅をついていた。
しかし、璃子の方は、健太とぶつかった衝撃で冷やし中華がぶちまけられてしまったからか、着ていたTシャツやズボンが汚れ、髪からは醤油だれがこぼれ落ちるのであった。
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