第53話『温泉でドキドキして』
海野家に戻ると、保仁さんの計らいもあって、夏実さんが頼む前に従業員用の休憩室に俺達の夕食が用意されていた。和風の夕食だ。
さすがに人気のある宿専属の板前さん達が作ったからか、夕食はかなり美味しかった。バイトをしてお腹が減っていたこともあってか、ペロリと平らげてしまった。
夕食後、俺達は宿の温泉に入ることに。
男女別なので咲夜、紗衣、麗奈先輩、璃子とは入口前でお別れ。ただ、璃子曰く、露天風呂は竹製の高い仕切りがあるだけなので、男女の間で話すことはできるという。これを知った麗奈先輩は大喜び。あとで露天風呂で話そうということになった。
俺は4人と別れて『男』と刺繍された黒い暖簾の方をくぐる。
夏休みという時期だし、小さな子どもとかいるかなと思ったけど、脱衣所には風呂上がりなのか湯気を纏ったヨボヨボのじいさん1人しかいなかった。夕食後に温泉に入る宿泊客は少ないのかな。そんなことを考えながら服を脱いでいく。
「おっ、そこの若人! いい体しているじゃねぇか!」
ヨボヨボじいさんがそんなことを言って、俺の背中をバシバシと叩いてきた。このじいさん、見た目はヨボヨボなのに意外と力があるじゃねぇか。
「どうも。以前から鍛えているんで」
「おっ、声もいいじゃねぇか! ただ、目つきも悪くて、髪も真っ白だ。こりゃあいくつもの修羅場をくぐり抜けたと見たぞ! 75年生きたワシには分かる!」
わははっ! と、じいさんは大きな声で笑いながら更に強く叩いてくる。恐がられたり、因縁付けられたりするよりはマシか。
それにしても、いくつもの修羅場をくぐり抜けた……か。いじめとか放火事件とか16年ちょっとの人生でも、同い年の人と比べると色々なことを経験したな。ただ、このじいさんはきっと、見た目と声で俺のことを20代か30代くらいに考えていそうだ。この白い髪も若白髪とかだと思っているんじゃないだろうか。
「……そうですね。色々なことがありました」
「そうかそうか! ここはいい温泉だから、人生の疲れを癒やすんだぞ!」
そう言って、じいさんは俺から離れていった。
俺、確かに今日のバイトで疲れてはいるけれど、人生単位で疲れているように見えているのだろうか。思わずため息が出てしまう。
服や下着を全て脱いで、タオルを持って大浴場の中に入っていく。
大浴場の中にはおっさんが2、3人いるくらい。人が多いよりはこのくらいの方がゆっくりできていい。あと、夏だけど湯船から出ている湯気の温もりが心地いいな。
俺は洗い場で髪と体を洗う。
洗い場は10個近くあるし、女湯も男湯のように空いていたら、きっと4人並んで髪と体を洗っているんだろうな。お互いの背中を洗ったりしているのだろうか。あと、璃子は3人の大きな胸に憧れている感じもしたし、3人の胸を触っているかもしれない。
「……何を考えているんだか」
想像しただけでもこんなにドキドキするんだ。混浴風呂なんてあったらどうなっていたことか。のぼせたり、熱中症になったりして入院したかもしれないので、混浴風呂はなくて良かったかもしれない。
髪と体を洗って、俺は大きな湯船に浸かる。
「あぁ、気持ちいい……」
東京からの移動や今日のバイトの疲れが抜けていくのが分かる。お湯の温度もちょうどいいな。あと、脚を目一杯に伸ばすことができるというのは、大きな湯船で味わえる贅沢の一つだと思う。
「気持ちいいと思えるようになって良かったな」
3年前、退院した直後は風呂に入るのが辛かった。ヒリヒリしたり、ジンジンしたり。今は何カ所か、小さいヤケドの痕が残っているだけで、日常生活を送る上で痛みを感じることは全然ない。
湯船のお湯は温泉のようで、壁に取り付けられている看板には温泉の効能が書いてあった。筋肉痛、腰痛、疲労、肩こり、滋養強壮、冷え性、リウマチ、子宝……か。色々な効能があるようだ。
明日と明後日もバイトがあるし、今日は温泉にゆっくりと浸かって、たっぷりと寝ることにするか。
「女子達も今頃、この温泉に入っているのかな……」
1人でこうしてゆっくりと浸かるのもいいけれど、みんなと一緒に浸かるのも楽しいのだろうか。幼稚園くらいまでは母親や小雪、紗衣と一緒に女湯に入ったことはあるが。小雪がはしゃいでいたことは覚えている。まあ、今でもあの4人と一緒に温泉に入ったら、小雪ははしゃぎそうだ。
「そろそろ露天風呂に行くか」
麗奈先輩達と露天風呂で話そうって約束もしたし。
湯船から出て、近くにある扉から外に出る。夜になって弱くも風があるからか快適だ。体が濡れているし、中が暖かかったからか涼しさも覚えるほど。
露天風呂には誰も入浴していない。実質、俺の貸切状態か。
璃子の言う通り、竹で作られた高い柵があり、その向こう側から小さいけれど可愛らしい声が聞こえてくる。咲夜っぽい声だけれど、確証が持てないし、いないのに声をかけて不審者騒ぎとかになったら恐いので、とりあえずは露天風呂に浸かることにしよう。
「おおっ! あっついな」
岩風呂に足を入れるだけで、かなりの熱さが伝わってくる。露天風呂だから、中の湯船よりも熱めに設定しているのだろうか。夏だと熱中症になりそうな気がするけど、入れるのは夕方から夜、あとは早朝だから大丈夫なのかな。
「あれ? 向こうからとても低い声が聞こえたよ! はやちゃんかな?」
「訊いてみましょうか、会長さん。あの、そちらに神楽颯人君っていますか?」
「いるぞ。咲夜」
「やっぱりはやちゃんだ!」
「テンション上がりまくりですね、麗奈会長」
「本当に颯人さんのことが好きなんですね!」
そんな楽しげな声が女湯の方が聞こえてくる。あの竹の柵の向こうに、一糸纏わぬ状態の4人がいると思うとドキドキするけれど、彼女の達の声を聞くと安心もできる。
「はやちゃん、露天風呂は気持ちいいですか?」
「ええ、気持ちいいですよ。熱めですけど、夜になって涼しくなり始めていますから」
「そっか。こっちも気持ちいいよね」
「ええ! 最初は熱かったですけど、段々と慣れてきました。温泉に入ると旅行気分を味わえますね。紗衣ちゃんや会長さん、璃子ちゃんと一緒に入浴していますから、修学旅行や部活やサークルの合宿って感じもしますね」
同学年の女子とは修学旅行のときに一緒に入浴できるけれど、学年が違うと、俺達のように個人的に仲が良くない限りは、部活やサークルの合宿くらいしか一緒に入浴する機会ってないか。
「あと、紗衣ちゃんは温泉好きらしくて、今までの中で一番って言っていいほどまったりとした表情になってるよ」
「お風呂や温泉は大好きだからね。気持ちいいよ。昔、颯人と家族同士で旅行に行って、一緒に温泉に入ったことを思い出したからか、より気持ちいい」
ははっ、と紗衣の笑い声が聞こえてくる。行きの電車の中でも温泉を楽しみにしていたからな。
きっと、4人も俺のように温泉で今日のバイトの疲れを取って、体を癒やしているのだろう。
「気持ち良くて露天風呂でゆっくりしていいですけど、長く浸かりすぎてのぼせないように気を付けてくださいね。毎年、そういうお客様が何人かいますから」
「おっ、さすがは璃子ちゃん! 旅館の娘さんだけあって言うことが違うね!」
「ふふっ。もし、3人がのぼせて倒れちゃったら、あたしじゃ運ぶのはキツいですから、颯人さんに手伝ってもらうことになりますね」
璃子ったら、何を言っているんだ。
「ほえっ? は、颯人君に?」
「はやちゃんに裸を見られることになるの? でも、緊急事態だし、はやちゃんになら見られてもいいかな。あぁ、ドキドキしてきちゃったよ!」
「小学校の低学年くらいまでは一緒にお風呂に入ったことがありますけど、倒れた私の体を颯人に見られるのは恥ずかしいかな……」
今頃、女子高生3人は顔を赤くしながら露天風呂に浸かっていることだろう。3人の顔を想像していたら、自分の顔が火照ってきた気がする。色々と考えてしまわないように気を付けないと。俺の方がのぼせることになっちまう。
「ふふっ、3人とも可愛いです。おっぱいも大きくて柔らかいですし。あたしも3人みたいに大きくなれるかな……」
「あたしは今の璃子ちゃんくらいのときから大きくなったから、きっと大丈夫だよ!」
「私も小学校高学年くらいから大きくなり始めたかな。今もカップがまた1つ上がりそうで。まだまだこれからだよ、璃子ちゃん。それに、お母さんの夏実さんもなかなか大きいもんね。叔母さんの春奈さんはもっと大きいから、血筋的には大丈夫じゃないかな!」
何というおっぱい談義。もちろん、俺が口を挟むことはしない。というか、男湯に筒抜けであることを忘れていないだろうか。
「希望はたくさんあるってことで。あと、今更ですけど、ここが露天風呂だってことを忘れてませんか?」
『……あっ』
咲夜と麗奈先輩の声が揃ったぞ。どうやら、紗衣の言うように2人はここがどういう場所なのか考えずに話していたようだ。
「は、颯人君! そっちの露天風呂に誰かいるの?」
「安心しろ。俺以外は誰もいない」
「……そっか。それならまだ良かった」
「そうだね、咲夜ちゃん。ただ、それでもはやちゃんに聞かれていたから、恥ずかしくてドキドキしちゃうけれど」
「あたしもです。もしかして、璃子ちゃん……」
「あたしはただ純粋にお悩み相談しただけですよ! 希望を持ちたいと思います! 3人ともありがとうございました!」
お悩み相談をしたかったのは本当だろうけど、俺が男湯にいるのが分かったからという悪戯心も多少はありそうな気がする。
「璃子ちゃんのお悩みが解決できたならいいんじゃない? 咲夜ちゃん」
「……そうですね。あと、颯人君。その……会長さんやあたしの胸の成長過程とかは誰にも言わないでよ!」
「ああ、もちろんだよ」
それはもちろんだけど、最も口外してはいけないのは、璃子の言った3人の胸が大きくて柔らかいということじゃないだろうか。やっぱり、璃子は3人の胸に興味を持ち、触るという行動に移していたか。
女湯から胸の話を聞いてかなりドキドキしてしまったので、のぼせないためにも俺は温泉から出ることにした。
入浴後、俺は自分の泊まる4号室に戻る。
食事や温泉で体を癒やすことはできたけれど、それでも疲れは残っている。ベッドに横になるとすぐに眠気が襲ってきた。眠たいときに眠るのが一番だと思うので、俺は普段よりもかなり早い時間に眠りにつくのであった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます