第52話『幼なじみ』

「よーし、これで今日のお仕事は終わりです! みんなお疲れ様!」

『お疲れ様です!』


 午後7時過ぎ。

 海の家の掃除や後片付けが終わり、今日の俺達の仕事はこれで終わった。

 今日は麗奈先輩の一件があったけれど、それ以降は特に大きな問題やトラブルが起こることはなかった。個人的には、料理やスイーツをたくさん作ることができて楽しかったし、あっという間に時間が過ぎていった気がする。


「かわいい咲夜ちゃんや紗衣ちゃん、麗奈ちゃんの接客はもちろんのこと、神楽君と紗衣ちゃんの作った美味しい料理やスイーツのおかげで普段よりも売上がいい感じだよ。明日と明後日もこの調子でよろしくね!」


 夏実さんはとてもご機嫌なようだ。満席になって、入口の側に行列ができることもあったな。あと、かき氷やラムネ、焼きそばなど、一部のメニューは持ち帰りも可能だから、持ち帰りで利用するお客さんもいたし。


「この後はうちの板前達が作った夕飯をたくさん食べたり、温泉に浸かったりして体を癒やしてね。それじゃ、宿に戻ろっか」


 海の家を出ると、夕暮れ時ということもあってか、お昼過ぎと比べて海岸にいる人は全然おらず静かだ。昼間の賑わいを知っているので、今の雰囲気がちょっと寂しい。ただ、砂浜を撫でるように流れる風は優しく感じられた。


「今日は本当にありがとう、はやちゃん」


 昼過ぎの一件があってか、麗奈先輩は嬉しそうな様子で俺の左手をぎゅっと握ってきた。いつもの笑顔を見せてくれるようになって良かった。


「お役に立てて光栄です」

「……はやちゃんがいて本当に心強かった。もちろん、咲夜ちゃんや紗衣ちゃん達もいたからだよ。緒花先生と会ったら、改めてお礼を言おう」

「浅河先生、普段はクールですけど、今日は熱い一面を見ることができましたよね。夕立高校にはいい先生がたくさんいるんだなと思います」

「そうだね! あと……」


 すると、麗奈先輩は俺に顔を近づけて、


「はやちゃんなら、私の……色々なところを触っていいからね」


 耳元でそう囁かれたのだ。その言葉と先輩の温かな吐息と微笑みが相まって、一瞬で全身が熱くなっていくのが分かる。まったく、先輩ったら。ドキドキしちまうよ。


「今日の颯人さんはとてもかっこよかったです! 麗奈さんのことを助けたときもそうですけど、料理やスイーツを作っているときも輝いていました」

「そう言われると照れるな」


 璃子は満面の笑顔を浮かべながら俺の右手をぎゅっと握ってきた。そんな璃子は接客はもちろんのこと、キッチンでも料理の手伝いや皿洗いを頑張っていたな。さすがは夏実さんの娘といったところか。


「璃子! お前……」


 気付けば、前方に半袖半ズボン姿の少年が立っていた。黒くツンツンとした髪型が特徴的だ。そんな彼はイライラとした様子で俺達のことを見ている。

 少年が璃子のことを呼んでいるので、彼女を見てみると……あぁ、こっちもイライラしちゃっているな。


「今度はそのデカい男と仲良く歩いているのかよ。目つき悪いし、髪も白いから何かやってそうだよな」

「そんなことないよ! こちらの神楽颯人さんは東京から海の家にバイトをしに来てくれた高校生なの! 料理やスイーツ作りも上手だし、こちらの金髪のお姉さんが痴漢に遭っても果敢に立ち向かったし、健太けんた君に比べたらよっぽど男っぽいもんね!」


 ふんっ! と璃子は健太と呼ばれる少年から顔を背ける。そんな璃子を見て、この服に着替える直前の彼女のことを思い出した。璃子と呼ぶ男子がクラスメイトにいると言っていたな。そのときも不機嫌にしていたけれど、この少年のことを思い出していたからだったのだろう。


「オ、オレだってこれから成長するし、男っぽくなるつもりだっつーの! 第一、今日出会ったのに、どうしてお前は璃子と仲良く手を繋いでいるんだよ! どういう関係だ! つーか、後ろのお姉さん達の誰かと付き合っているんじゃないのかよ!」

「そうだなぁ……」

「こ、声が凄く低い!」


 健太と呼ばれる少年は俺の声の低さに驚いたのか、一歩後に引く。声変わりに入っていないのか、少年の声は璃子に負けないくらいに高い。きっと、彼の周りにこんなに声の低い人はいないんだろうな。

 あと、少年に「付き合っているんじゃないか」と言われたからか紗衣、麗奈先輩はもちろんのこと、咲夜までも頬を赤くしていた。


「海の家での良き仕事仲間だな。璃子は接客や皿洗い、料理の手伝いをしてくれるいい子だと思っている。まあ、自分で言うのはアレだが、昼過ぎからだが、一緒に海の家の仕事をしたことで気に入られたんだろうな」

「颯人さんの言う通りだよ! あたし、颯人さんのことを気に入っているもんね! 健太君とは全然違うから! 颯人さんはとても大人っぽくて、ワイルドだもん!」


 そう言って、璃子ちゃんは俺の右腕をぎゅっと抱きしめる。そのことでほんのりと柔らかさを感じるが、彼女は小学生だ。成長期だ。発展途上中だ。それ以上は考えるな。

 少年はこれまで以上に怒った様子になり、両眼に涙を浮かべて、


「まったく、どうしてこんなタイミングで。……璃子のバーカ! 気に入っているんだったら、その狼野郎と東京でもどこにでも行っちまえよ!」


 叫ぶようにしてそう言うと、少年は俺達から逃げるようにして走り去ってしまった。


「バカは健太君の方だよ。あいつにプレゼントなんか買うんじゃなかった……」


 独り言なのか、璃子はそう呟いた。ただ、それからすぐに俺と目が合うと、彼女は苦笑いをする。


「ご、ごめんなさい。みなさんの前でこんな姿を見せちゃって。彼は高見健太たかみけんた君といって、近所に住む同い年の幼なじみなんです。腐れ縁か、ずっと同じクラスで。小さな喧嘩は前からよくするんですけど。最近、大きな喧嘩をしちゃって。会うと今みたいに言い合ってしまうんです。颯人さんに健太君がひどいことを言ってしまって、本当にごめんなさい」

「健太君が産まれたときから知っている大人の一人として、私からも謝らせて。申し訳ありません」


 そう言うと、璃子と夏実さんは申し訳なさそうな表情をし、俺に向かって深く頭を下げてくる。


「顔を上げてください。その……小さい頃からこんな顔立ちなんで、狼とか言われるのは慣れていますから。全然気にしていないです」


 言われ慣れているのもそうだけど、きっと、健太という少年は純粋に俺に対する悪意から言ったのではなく、俺が璃子と一緒にいるから思わず言ってしまったのだと思うから。あと、彼が声変わりする前の小学生っていうのもあるかな。小犬がキャンキャンと鳴いているようで可愛らしく思えるほどだ。

 璃子と夏実さんはゆっくりと顔を上げると、俺に向かって微笑んだ。


「幼なじみかぁ。歳の近い親戚の男の子はいるけれど、東北の方だし、お盆やお正月にしか会わないからなぁ。その点、紗衣ちゃんと颯人君はいとこ同士だけどよく会っているから、幼なじみって感じがしそうだね。あとは、会長さんも……あっ」


 まずそうな表情をして、咲夜は右手で口元を押さえた。

 麗奈先輩にも叶という幼なじみはいる。ただ、彼女とは俺へのいじめをきっかけに3年以上も口を利かなかった期間があるからな。先輩の姉の優花さんという存在もあってか、現在は少しずつ話すようになっているそうだが。

 麗奈先輩は優しい笑みを浮かべて、


「いいんだよ、咲夜ちゃん。人っていうのは、関わりを持てば喧嘩をすることもあるって思っているから。さっきみたいに、会ったら何か言い合えるのはまだいい方なのかなって思う。近くにいるのに、何年も話さなかった子が私にはいたからね」

「麗奈さん……」

「……そういえば、あたしも颯人君と喧嘩したとき、彼を避けたけれど、それはそれで辛かったな。颯人君にバカって言った直後も辛かったけれど。幼なじみでも友人でも、人と付き合うのは難しいときがあるよね」


 咲夜は俺と喧嘩したときのことを思い出しているのか、切なげな笑みを浮かべた。


「……璃子ちゃんが早く笑顔になれるといいね。できれば、健太君も一緒に」


 麗奈先輩は優しい口調でそう言うと、璃子の頭を撫でる。先輩の言うように、面と向かって喧嘩できるうちはまだいいのかもな。

 ――ぐううっ。

 誰かのお腹が盛大に鳴り響いた。周りを見ると、咲夜が顔を真っ赤にして両手でお腹を押さえていた。俺と目が合うとはにかむ。


「い、いやぁ……休憩は何度かありましたけど、昼過ぎからたくさん働きましたからね! お腹空いたなぁ」

「そうだね、咲夜。私もお腹空いたよ」

「私もお腹が空いたな」


 俺も……腹減ったな。味や麺の固さなどの確認のために、たまに作った料理をちょっとだけ食べていたけれど。

 璃子はクスクスと笑って、


「あたしも今日はお手伝いをたくさんしたからか、お腹が空きました」

「……そうね。お母さんもお腹空いた。宿に戻ったら、みんなの夕飯を早めに出してもらうように頼んでみるわ」


 璃子と健太という少年の件は明日考えることにして、今日は夕飯を食べたり、温泉に入ったりして疲れを取ることにするか。

 璃子に手を引かれる形で俺は海野家に戻るのであった。

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