第51話『vs.神様と自称する男』

 先生方が美味しいと言ってくれたおかげで、自分の作る料理に確かな自信を持つことができた気がする。ただ、そのことに慢心せずにしっかりと作っていかないと。

 その後も夏実さんといっしょにキッチンの仕事をしていく。しかし、


「きゃあっ!」


 入口の方から麗奈先輩のそんな大きな声が聞こえた瞬間、ハゲかかった小太りおっさんがニヤニヤしながらお店を出て行くのが見えた。

 麗奈先輩を見ると、先輩は涙目になり、右手でお尻を触っていた。まさか、あのおっさんに触られたのか? その一部始終を目撃したのか、浅河先生が学校にいるとき以上の厳しい表情を浮かべていた。


「夏実さん。今、店を出て行ったおっさんを捕まえて、話を聞いてきてもいいですか。あの人、麗奈先輩のお尻を触ったみたいで」

「うん、行ってきな」

「ありがとうございます」


 キッチンのエリアから出ると、浅河先生が席から立ち上がり、俺のところにやってくる。


「……目撃していたんですね、浅河先生は」

「ええ。さあ、一緒に捕まえて謝らせましょうか、神楽君」

「はい。先生が一緒だと心強いです」


 チラッと麗奈先輩の方を見ると、紗衣が側に寄り添って先輩の頭を撫でていた。そんな紗衣と頷き合って、俺は浅河先生と一緒に、小太りおっさんのことを追いかける。

 まだ、そこまで時間が経っていなかったからか、お店を出るとすぐに小太りおっさんのことを見つける。


「そこの殿方! ちょっと待ちなさい!」


 かなり怒っているからか、浅河先生は大声でそう言った。

 浅河先生が呼んだ殿方……小太りおっさんはこちらに振り返る。すると、俺の顔つきのせいか、怒りを露わにする浅河先生を見たのかギョッとした表情に。

 俺は小太りおっさんの左肩、浅河先生は右肩をしっかりと掴む。


「な、何だよお前ら!」

「……あなた、ついさっきまでいたあの白い外観の海の家で、金髪の店員さんのおしりを触りましたよね」

「さ、触ってねぇよお姉ちゃん! 第一、俺が触った証拠があるのかよ! 少なくとも、誰かがはっきりとその場面を見たって言わない限り、お前らの話を聞くつもりはないぜ」

「私はその一部始終をしっかりと目撃しましたが」

「えっ!」

「その後、彼女は涙を浮かべていました。うちのスタッフが嫌がるような行為をしないでいただけますか。……元お客様」


 俺が右肩を更に強く掴んだからか、小太りおっさんは俺のことを睨んでくる。しかし、俺も睨んでいるからか、それは一瞬のことであり、すぐに怯えた様子になる。


「申し遅れました。私、海野さんちの海の家のスタッフの神楽と申します」

「ス、スタッフが何だっていうんだ! お、お客様は神様なんだぞ!」


 俺が海の家のスタッフだということが分かったからか、小太りおっさんは再び生意気な態度に。実際にその言葉を聞くのは初めてだからか、恐いという気持ちは全くなく、むしろ感動すら覚えるほどだ。本当に言う人間がいるとは。


「お客様は神様というのは、客側からの言葉ではないと思います。客だから何をやってもいい、どんな態度を取っても許される決め文句ではありません。それに、少なくとも、そういうことを言う人が神様に値するわけがないでしょう。あなたのような態度を取る方はお客様とは思えませんが、さっきまで当店におり、お金を払ったので一応、元お客様とお呼びしております」

「何だと……!」

「言葉の選び方がキツいですが、神楽君が今言った趣旨に賛同します」


 浅河先生がそう言うので彼女の方を振り向く。すると、真剣な様子の先生と目があったので、一度頷き合った。


「ところで、あなたに触られたかもしれないうちの女性スタッフは、俺の連れの女の1人なんですよ。あなたの態度次第では、警察でお世話になりますが、それでもよろしいでしょうか?」

「あっ、えっと……」

「うちでは監視カメラが設置されているんです」


 後ろからそんな声が聞こえたので振り返ると、そこには夏実さんの姿があった。彼女は余裕のある笑みを浮かべている。


「こんにちは。私、海野さんちの海の家の店長の海野と申します」

「夏実さん……」

「うちでは、店内どこでも見ることができるように何台もあります。ですので、きっと映っていると思いますよ? 通報して、警察から映像を提出するよう言われたら、うちはそのように対応いたします。触ったのであれば、早くお認めになられた方がいいかと。そうすれば、私から警察にそのように伝えますので」


 夏実さんは落ち着いた様子で小太りおっさんにそう説明した。さすがは海の家の店長さんで、大人だなと思う。

 小太りおっさんは観念したのか青ざめた表情となって、その場に崩れ落ちた。


「す、すみませんでした……」

「……俺達じゃなくて本人に向かってちゃんと謝れよ。オッサン!」

「は、はいっ!」


 小太りおっさんの怯えた様子となり、体が小刻みに震えていく。さっきまでの威勢の良さはどこへ行ったんだか。

 その後、俺達3人で小太りおっさんを海の家に連れて帰り、麗奈先輩に対して謝らせた。それに対して、麗奈先輩は真剣な様子で「許しません。もう二度と、誰にもしないでください」とはっきりとした口調で言った。

 夏実さんが110番通報をし、程なくして地元の警察官の方が到着。小太りおっさんは迷惑防止条例違反の現行犯として逮捕された。


「これで一件落着ですね、麗奈先輩」

「そうだね。はやちゃん、夏実さん、緒花先生。ありがとうございました」

「悪いのはあの男です。それに、麗奈先輩のことを見たら、いても立ってもいられなくなって」

「うちの大切な生徒が痴漢にあったのでムカムカして」

「いい先生ですね。私も、うちの大切な店員が嫌な想いをしたので、店長として対応しました。本当に触ったなら、何台もある監視カメラの話をすれば認めるかなと思って」

「……ありがとうございます」


 麗奈先輩は涙を浮かべながら頭を下げると、俺のことをぎゅっと抱きしめてきた。そんな彼女の頭を優しく撫でる。あのおっさんにお尻を触られたことが未だに恐いのか、それとも安心したのか、麗奈先輩は小さく声に出して泣く。

 そんな俺達の姿を見てか、店内にいるほとんどのお客さんから笑顔で拍手を贈られ、


「よくやったぞ、青年! 先生もいい人だな!」

「目つきは恐いけど、結構優しいのね」

「警察に逮捕される瞬間を見ちゃったけれど、解決して良かったわ!」


 などという声も聞こえてきた。俺に向けてサムズアップしてくる年配の男性もいる。


「よくやったね、颯人。緒花先生もありがとうございました。クールな感じだと思っていたんですけど、熱い部分もあるんだなって分かりました。もちろん、生徒想いの先生であることは分かっていましたけど」

「緒花先生、格好良かったよね! もちろん颯人君も!」

「後輩から、教師として大切なことを教えられた気がするわ。あと、店長さんもうちの生徒のためにご協力ありがとうございました」

「2人はもちろんのこと、お母さんもかっこよかったですよね!」


 紗衣、咲夜、深津先生、璃子は俺達にそんな称賛の言葉を贈ってくれる。


「ははっ、お母さんかっこよかったか」

「……さ、さっきも言ったとおり、夕立高校の生徒が嫌な目に遭ったのだから、教師として当然のことをしたまでです。それに、私は皇さんが触られる瞬間を目撃していましたからね。褒められるほどのことでもありません」


 夏実さんは爽やかに笑うけれど、浅河先生は今まで見たことのない照れくさそうな様子に。ここまで褒められることに慣れていないのかな。それとも、性格的なことだろうか。


「それに、私1人だけだと正直ちょっと恐くて。神楽君が一緒だから、あの男性に向かって突撃することができたんです。だから、その……神楽君、ありがとうございます」

「いえいえ。俺も浅河先生が一緒で心強かったです。ありがとうございます」

「……こ、こちらこそ。……生徒からでも、褒められると嬉しいものですね」


 浅河先生はそう言うと文字通りの嬉しそうな笑みを見せる。ただ、今も照れているからか視線をちらつかせる。学校での浅河先生を知っているからか、今の先生がとても可愛らしく思える。


「あと、夏実さんもありがとうございました」

「ううん、いいんだよ。ただ、神楽君と浅河さんが話せば、あの男もすぐに認めるかと思ったんだけどね。ただ、彼が苛立っているみたいだったから、監視カメラのことを伝えに行ったってわけ。さあ、営業中だから仕事をしましょう。麗奈ちゃんは大丈夫? 気持ちが落ち着くまで休憩してもいいよ」


 優しい声で夏実さんが麗奈先輩に語りかけると、先輩はゆっくりと俺の胸から顔を離す。目尻は赤くなっていたものの、涙は既に止まっていた。


「みんなのおかげで気持ちが大分落ち着きました。もう大丈夫です」

「分かった。でも、無理はしないで。みなさま、ご迷惑をおかけしました。申し訳ございません。引き続き、ゆっくりとお過ごしください。神楽君、キッチンに戻りましょう」

「はい」


 麗奈先輩もある程度元気になったようで一安心だ。

 今後はこういうことが起きないことを祈るしかないな。そんなことを思いながらキッチンに戻り、注文されたメニューを作っていくのであった。

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