第45話『頼みたいこと』

 7月24日、水曜日。

 例年よりも長かった梅雨も今日になってようやく明けた。朝からよく晴れて気温が高くなっている。いよいよ夏本番といった感じか。



 午後2時過ぎ。

 俺は咲夜や麗奈先輩と一緒に、紗衣の家の最寄り駅である清田駅のホームに降りる。

 どうして彼女達とここにいるのかと言うと、昨日の夜に、俺、咲夜、麗奈先輩、紗衣のグループトークに、『相談したいことがあるから明日、ピュアスイートに来てほしい』という旨のメッセージが紗衣から送られてきたからだ。


「あぁ、あっついね」

「今日、梅雨明けしましたからね! 雨が降らないのは嬉しいですけど、ここまで暑いのは嫌ですよね」

「嫌だよねぇ。電車の中がオアシスだったよ。それにしても、店長さんが私達に頼みたいことって何なんだろう?」

「どんなことでしょうかね」


 紗衣から例のメッセージが来た直後に、俺がどんな話をしたいのかと尋ねたら、紗衣から『店長から私を含めて4人に頼みたいことがあるそうです』という返信が届いたのだ。


「もしかして、新作の試食をしてほしいんじゃないですか? 一般人代表として!」

「なるほどね! お店の人だけじゃ判定できないから、紗衣ちゃんの友人であり、甘いものが大好きな私達に抜擢されたってわけだね! 咲夜ちゃん頭いい!」

「えへへっ」


 麗奈先輩に褒められ、頭を撫でられて咲夜はとても幸せそう。

 2人はとても盛り上がっているけれど、新作スイーツのためのモニターなのだろうか。それなら、そういう旨をはっきりと伝えそうな気がするが。


「さあ、ピュアスイートに行きましょう!」

「そうだね! はやちゃんも行こう!」

「ええ」


 早く行きたいのか、俺は咲夜と麗奈先輩に手を引かれてしまう。本当に新作スイーツの試食だったらいいんだけれどな。あと、人は少ないものの、こんな姿を周りから見られてしまうことが恥ずかしい。女子大生なのか、若い女性のグループがこちらを見てクスクスと笑っている。

 清田駅の改札を出て、北口を出たところにあるピュアスイートへと行く。ここに来るのは1ヶ月ぶりくらいか。

 ピュアスイートの入口の扉を開ける。今日もスイーツの甘い匂いや、コーヒーや紅茶の香りがしてくるな。

 店内の様子を見ると、私服姿の紗衣が落ち着いた笑みをこちらに手を振ってくる。一昨日とは違って、今日はいつも通りのポニーテールにパンツルックか。一昨日、課題をしに家に来たときは俺と2人きりだから、普段と違う姿を見せてくれたのかな。

 俺達は紗衣の待っている4人テーブルへと向かう。

 紗衣はさりげなく俺を自分の隣の席に座らせた。ちなみに、テーブルを挟んで向かい合う形で麗奈先輩が座り、先輩の隣に咲夜が座る。


「店長を呼んできますね。その前に、3人からの注文を訊きますね」

「えっ?」

「注文……訊くんだね。分かったよ、紗衣ちゃん」


 咲夜と麗奈先輩は間の抜けた表情になっている。どうやら、ここに呼ばれたのは新作スイーツの試食が目的ではなさそうだな。


「じゃあ、あたしはモンブランのアイスティーセットで!」

「私はロールケーキとアイスコーヒーをお願いします」

「俺はベイクドチョコとアイスコーヒーで」

「かしこまりました。少々お待ちください」


 紗衣は店員らしく俺達に軽くお辞儀をすると、厨房の方へと姿に消していった。


「会長さん。注文訊かれちゃいましたよ」

「そうだね。きっと、新作のモニターじゃないんだろうね。まあ、ここのスイーツを一度食べてみたかったから、それでもいいんだけどね」

「まだ数えるほどにしか食べたことはありませんが、とっても美味しいですよ!」

「そうなんだ。期待しちゃうね」


 予想とは違っていたけれど、美味しいスイーツをこれから食べることができるからか、2人とも上機嫌になっていた。

 それから程なくして紗衣と、このお店の制服を着た女性がスイーツと飲み物を持ってきた。ショートヘアの茶髪が特徴的な小柄な方だな。小雪よりも背が低いな。ただ、胸は麗奈先輩に負けないくらいに大きい。もしかして、この小さな子……じゃなくて女性が店長さんなのかな。


「3人ともお待たせしました。咲夜の頼んだモンブランのアイスティーセットと、麗奈会長の頼んだロールケーキとアイスコーヒーになります」

「こちらが、紗衣ちゃんが大好きでたまらない桐生君の頼んだベイクドチョコとアイスコーヒーになりまーす」

「もう、店長ったら。みんなの前で恥ずかしいですよ」


 やっぱり、茶髪の女性は店長さんだったのか。

 以前、彼女のような人のイラストを描くとき、参考のために本やネットで色々な作品を見たこともあってか、どうも『合法ロリ巨乳』という言葉を思い浮かべてしまう。

 店長さんはとても楽しげな表情を浮かべながら、俺の前にベイクドチョコとアイスコーヒー、紗衣の席の前にもアイスコーヒーを置いた。その直後に紗衣は俺の隣の席に座った。


「急なことだったのに、3人とも来てくれてありがとう。私、ピュアスイート店長の甘粕春奈あまかすはるなといいます。今日梅雨明けしたし、ここに来るまで暑かっただろうから、まずはみんなスイーツを食べたり、冷たい飲み物を飲んだりしてね」

「はい! じゃあ、いただきまーす!」

「いただきます!」

「……いただきます」


 外は暑かったし、甘粕さんのお言葉に甘えよう。

 俺はまずアイスコーヒーを飲む。あぁ、冷たくてとっても美味しいな。ベイクドチョコを一口食べると……うん、苦味が強めだけど甘味もちゃんとあって。これも美味しい。


「う~ん、モンブラン美味しい!」

「ロールケーキも美味しいよ。咲夜ちゃんの言うとおり、ここのスイーツは美味しいね」

「ふふっ、2人ともありがとう。桐生君はどうかな?」

「ベイクドチョコも美味しいです」

「みんなが美味しいって言ってくれて嬉しいな。じゃあ、そろそろ本題に入ろうかな。紗衣ちゃんを通じて3人にここに来てもらったのは、来週、海の家のバイトをしてほしいと思って」

「海の家ですか?」


 そう言って、咲夜は少し首を傾げながらアイスティーを飲んでいる。

 このお店のバイトを頼みたいのかなと思ったことはあったけど、海の家のバイトをしてほしいというのは全く考えなかったな。でも、スイーツ店が海の家を開くイメージが全くないぞ。あと、ここからだと一番近い海岸でも電車で2時間近くかかるし。

 もしかして、このコーヒーやスイーツは、俺達にバイトのことを断らせないためだったのでは。


「うん。ただ、このお店がどこかの海に出張するんじゃなくて、あたしの姉の嫁ぎ先の旅館が運営して、姉が店長をしている海の家を手伝ってほしいの」

「店長さんにはお姉様がいらっしゃるのですね」

「そうだよ、皇さん。静岡県の海沿いにある旅館を経営する家に嫁いでね。海野さんっていう家だから、海の家の名前も『海野さんちの海の家』っていうの」

「そ、そうなんですね」


 ツボにハマったのか、咲夜は右手で口を押さえながら笑っている。海野という名字を最大限に活かした店名じゃないだろうか。そのまんまな感じもするけど。


「ただ、海の家のバイトさんが大学生ばかりで。月末は期末試験などがあってバイトに来られない人が多いみたいで。特に、来週の月曜日から水曜日までの3日間は。地元の高校生も部活や受験勉強で忙しい子が多くて。そこで、紗衣ちゃん達4人に、その期間バイトをしてほしいなと思ってここに来てもらったの。3人の話は紗衣ちゃんからよく聞いているから」

「私も今日のバイトの休憩中に言われました。急なこともあって、バイト代は弾んでくれるらしいです。もちろん、行き帰りの交通費も出してくれます。泊まる場所も、宿の中にあるスタッフ用の部屋を用意してくれるみたいです」

「もちろん、今日の3人の往復の交通費や、スイーツと飲み物代はお店持ちにするよ。あと、お風呂は宿の温泉に入ることができるよ! 朝食と夕食は宿の板前さんが作ったものを食べることができるんだよ!」


 スタッフ用の部屋であるものの、宿で快適な時間も過ごすことができることを強調してくるな、甘粕さんは。紗衣が落ち着いて金銭面のことを説明していることもあってか、甘粕さんがとても子供っぽく見える。


「海の家がピンチだし、店長のお願いもあって私は来週、海の家でバイトをしてきます。3人も一緒だと心強いんですけど、どうでしょうか。麗奈会長は生徒会の方もあるでしょうから、難しいかもしれませんが」

「今月中の生徒会の活動は、明後日に会議があるだけだよ。ええと、バイトは来週の月曜から水曜ってことだから、29日から31日までね」

「そうです。ただ、31日もフルで働くので、帰るのは1日の予定です」

「クタクタになって夜に帰るのは辛いだろうから、31日はゆっくりと休んで、1日に海で遊んだ後にでも帰ってほしいってお姉ちゃんが言ってた」


 静岡も広いから場所によるけれど、少なくとも2時間はかかるだろうな。1日中働いた後、夜に帰るのは確かにしんどそうだ。


「あたし、バイトやります! 夏休みになったら短期でもいいので何かバイトをやろうと考えていたので。海の家は特殊かもしれませんが、いい勉強になると思いますし、お金も弾むらしいので。温泉や海にも惹かれている部分はありますが」


 咲夜ははにかみながらそう言う。


「私もやりたいです。紗衣ちゃんや咲夜ちゃんも一緒ですから、遠いところでのバイトも心強いです。バイトなのでこういう考えはあまり良くないと思いますが、みんなと一緒にちょっとした旅行気分も味わえそうなので。ただ、はやちゃんが一緒だともっと楽しいだろうし、心強いな」


 麗奈先輩がそう言うと、彼女はもちろんのこと咲夜や紗衣、甘粕さんも俺のことを見つめてくる。隣に座っている紗衣に至っては俺の手をぎゅっと掴んできて。


「バイトの内容は接客だけじゃなくて、お客様に提供する料理を作るのもあるんだって。颯人は料理やスイーツ作りがとても上手だから、きっといい戦力になると思うんだ」


 紗衣は真剣な表情をして俺にそう言ってくれる。普段はクールな紗衣にここまで熱く語られてしまったら、断るわけにはいかないな。


「……そうか。まあ、料理とかの担当もあるんだったら、俺でもできるかもしれない。分かった。俺も一緒に海の家のバイトをするよ。今のところ、課題を片付けること以外に特に予定はないし、咲夜と同じように夏休み中にバイトしようかどうか考えていたから」

「ありがとう、颯人」

「はやちゃんと一緒で嬉しいよ!」

「颯人君がいれば、バイト中もより安心できそう」


 3人とも嬉しそうな様子でそう言ってくれる。

 接客担当と料理担当があるなら、きっと3人が接客で俺が料理担当になるだろうな。あと、海の家ではどんな人と出くわすか分からないし、俺の目つきや白い髪が役立つ場面があるかもしれない。


「3人ともありがとう! じゃあ、紗衣ちゃんを含めて4人がバイトに行くことをお姉ちゃんに伝えるね」

「店長。もう既に私の来週のシフト希望を出していますけど、私が海の家の方に行ってしまうので、私がいない分はどうしましょうか? 確か、月曜と火曜、木曜に入れたと思います。私は主に接客ですし、適任な人の心当たりが1人いますけど」

「分かったわ。じゃあ、その人にお願いしてみてくれるかな。もしダメだったら、あたしの方で探すから。こういう状況になったのは、こちら側に原因があるからね」

「分かりました。では、その人に話したら連絡しますね」

「分かったわ。じゃあ、みんなはスイーツを食べたり、紅茶やコーヒーを飲んだりしててね」


 そう言うと、甘粕さんはお店の奥へと姿を消していった。


「バイトの後に海で遊べるなら、水着を買わないといけませんね!」

「そうだね。はやちゃんも一緒だから、可愛い水着を買わないと」

「私も買おうかな。高校生になったし。……颯人も一緒だし」


 海の家でのバイトが一番の目的なのに水着の話になってるよ。好きな人と一緒に海に行くから、水着も新調したくなるのかな。

 ただ、バイトする場所は海の家だし、水着を着てバイトをするって可能性もあるかもしれない。


「俺も水着を買うか」

「いい機会だと思うよ、颯人。じゃあ、お店を出たら、近くにあるショッピングモールで水着を見てみましょうか」


 何だか、こういう話をしていると4人で静岡の海沿いへ旅行に行く感じがしてくるな。

 その後、甘粕さんが戻ってきて、来週、俺達4人が海の家でバイトに行くことを了承してもらった。

 来週は初めてのバイトか。緊張するけれど、3人が一緒なら何とかなりそうかな。

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