第8話『素敵なご褒美』

 朝に色々とあったけど、今日も授業を受けていく。

 授業と授業の間の10分休みになると、朝、田中の周りにいた生徒のうちの何人かが咲夜に話しかけていた。中には頭を下げる生徒もいて。ただ、さすがに俺が咲夜に話しかけたり、逆に咲夜が俺の席に来たりすると誰も話しかけてくる生徒はいなかった。

 対して、田中の方は朝よりも話しかける生徒の数はグッと減ったけど、それでも3、4人の女子と喋っていて、時々、俺のことを睨んでいる。共通の敵ができて、友情や結束力が深まったのかな。

 昼休みは咲夜と一緒に俺の机でお昼ご飯を食べた。一人で好きな音楽を聴きながら食べるのも良かったけど、誰かと一緒に食べるのも悪くはないなと思った。

 また、紗衣から、


『友達から、例の月原さんと友達になったって聞いたよ。良かったね』


 というメッセージをもらった。今朝のことがさっそく広まっているのだろうか。どういう返事をすればいいのか迷ったけど、結局『ありがとう』としか言えなかった。




 放課後。

 終礼が終わると、部活があるのか生徒はすぐに教室を後にする。

 咲夜は何人かの生徒と笑顔で挨拶を交わしたり、手を振り合ったりしている。そして、バッグを持つと、俺のところへとやってくる。


「颯人君、一緒に帰ろうよ」

「俺はいいけれど、咲夜はいいのか? 休み時間とか、今まで仲良くしていた奴らのうちの何人かが話しかけてくれたけど」

「確かに、話しかけてくれたり、謝ってくれたりした子もいたよ。それでも、今のあたしにとって、颯人君が一番の友達だと思ってるの! だから、颯人君と一緒に帰りたいの……」


 咲夜は不満げな様子で、少し頬を膨らませながら俺にそう言ってきた。今の咲夜には悪いけれど、それが可愛らしく見える。


「……そう思ってくれて嬉しいよ。悪かった。じゃあ、一緒に――」

「ちょっと待て!」


 教室内にそんな声が響き渡る。この声、最近聞いた男子生徒の声だな。

 声がした方に顔を向けてみると、教室の後ろの扉のところに、息を乱した佐藤先輩がいた。終礼が終わってすぐにここまで走ってきたのかな。そんな先輩の姿を見たのか、咲夜は深いため息をつく。


「はあっ、はあっ……風のたよりで聞いたんだけど、月原さんってそこにいる狼とは実は付き合っていなくて友人なんだって? もし、そうなら俺にもまだチャンスがあると思ってここまで来たんだ」


 そう言うと、佐藤先輩はズカズカと咲夜の目の前まで迫ってくる。そのことで、教室に残っているクラスメイトのほとんどがこちらを見てくる。また、廊下から覗いてくる生徒達もいる。

 いずれはそのときは来ると思っていたけれど、結構早く佐藤先輩に俺達の関係についての話が耳に入ったんだな。


「ええ。颯人君とは友人ですが何か」

「じゃあ、どうしてあのときは彼と付き合っていると嘘を付いて、俺の前でキスをしたんだ! ちゃんと理由を言え!」


 佐藤先輩は咲夜にそんな怒号を放つ。その迫力はかなりのものだ。

 だからか、咲夜は一昨日告白されたときのように脚が震えてしまう。緊張しているのか、嘘を付いた理由を彼女はなかなか言うことができない。

 そんな彼女の様子を見た佐藤先輩はニヤリと笑って、


「月原さんは可愛いから、まずはお試しでも俺と付き合ってくれるなら……こんなヤツと付き合っているって嘘を付いたことも許してやろう」


 強い口調で迫り、恐怖の中で自分の欲求を許す条件として提示するとは。咲夜の心を無理矢理にでも引き寄せようとしているな。

 咲夜の肩にそっと右手を乗せると、彼女がゆっくりと俺の方を向く。なので、俺は咲夜の目を見ながらゆっくりと頷く。

 すると、咲夜はゆっくりと俺に向かって頷き、佐藤先輩の方に顔を向ける。


「佐藤先輩と付き合うつもりは全くありません。これまでも一切、付き合ってみようと思ったことはないですし、これからもそう思うことはないです。ただ、先輩は女癖が悪くて、とてもしつこい人であると、風のたより……ではなく、あたしの信頼できる人から聞きましたので。なので、あなたを諦めさせるために、颯人君が恋人だと嘘をついて、キスをしました」

「何だと……!」

「もう一度言います。佐藤先輩と付き合いません! もう、二度と告白しないでください! 諦めてください!」

「ふざけるな! この俺様に嘘をつきやがって!」

「いい加減にしろ!」


 もう我慢ならない。

 俺は右手で佐藤先輩の胸倉を掴み、そのまま教室の後ろ側の壁に追い詰める。そして、彼のことを睨み付ける。


「咲夜は佐藤先輩からラブレターをもらって。でも、先輩のこれまでのことを知ったとき、咲夜はとても恐い想いをしたんだ! だから、咲夜は俺に助けを求めに来たんだよ! 当時は友人でもないただのクラスメイトだった俺に! そりゃあ、なるべく嘘を付かない方がいい。でも、嘘つかなきゃ自分の身を守れないと思わせる悪行をお前は重ね続けてきたんだ! それを覚えておけ。胸と頭に刻んでおけ! あと、好きな人ならその人の言葉や気持ちも分かって、受け入れやれよ。狼の俺とは違ってお前は人間なんだから、そのくらいできるだろ? もし、咲夜に何か手を出したら、友達の俺が絶対に許さないからな!」


 ――ドン!

 左手で壁を思いっきり叩く。佐藤先輩にその音が聞こえるように、右耳のすぐ近くで。全力で叩いたからか左手がかなり痛いな。

 俺の言葉が響いたのか。それとも、壁を思いっきり叩いたからなのか、佐藤先輩はそれまでの怒った表情から一変し、恐怖に震え、青ざめた表情になる。


「……わ、分かった。もう月原さんとは二度と関わらない。手も出さない。約束する。だから、この右手を離してくれ。ゆ、許してくれ!」

「咲夜と二度と関わらない。手も出さない。ちゃんと覚えておくからな。あと、手を離すのは俺だけど、許すかどうかは咲夜だ。まずは自分のやったことを咲夜に謝れ」


 佐藤先輩は怯えた様子で小刻みに首肯し、咲夜の方を見る。


「……ど、怒鳴って、恐がらせて……お、俺の言う通りにさせようとしました。本当にごめんなさい。二度と関わりません。手も出しません。約束します!」


 佐藤先輩がそう言うと、咲夜は真剣な表情で彼のことを見て、


「あたしもとっさに嘘を付きました。それについてはごめんなさい。許さなくていいです。ただ、あたしも佐藤先輩のことは許しません。ですから、二度と関わらないでください」

「……とのことです。咲夜や俺の言葉を忘れないでください」

「は、はい!」


 俺が佐藤先輩の胸倉を離すと、彼は逃げるようにして教室から去って行った。これで佐藤先輩のことは一件落着って考えていいかな。

 佐藤先輩の姿が見えなくなってすぐ、咲夜はほっとしたのか倒れるような感じで俺の席に座る。


「……ようやく終わったって感じがする」

「ああ。咲夜、佐藤先輩によく自分の気持ちを言えたな。嘘をついた理由も言うなんて。とても立派だった」


 俺がそう言うと、咲夜は笑いながら首をゆっくりと横に振った。


「……颯人君のおかげで言えたんだよ。それに、あたしが嘘ついた理由を言ったら先輩はキレちゃうし。颯人君がいなかったから、どうなっていたか分からなかった。颯人のおかげで無事に終わったんだって思ってる。ありがとう」

「……どういたしまして」


 これで咲夜が佐藤先輩のことで悩んだり、怯えたりする必要はなくなる。友人としてそれはとても嬉しいことだ。


「そういえば、颯人君。このことが解決したら報酬を出すってことになっていたじゃない。何がいい?」

「ああ、そういえば、そんな話をあの夜に話したな」


 あのときから今まで色々なことがあったので、咲夜に何かご褒美をもらうなんてことを全然考えてなかった。


「……じゃあ、佐藤先輩に色々と言って喉が渇いているから、俺の好きな缶コーヒーを1つ奢ってくれないか?」

「……まあ、颯人君がそれでいいなら、いいよ」


 咲夜は笑みを浮かべながら受け入れてくれたけれど、何だか物足りないって感じの顔をしていた。

 咲夜と一緒に学校を出て、徒歩数分のところにある夕立駅近くの広場へと向かう。そこには自販機が何台もあって、ベンチでゆっくりできる。

 約束通り、俺は咲夜に冷たいボトル缶のブラックコーヒーを奢ってもらう。咲夜がペットボトルのピーチティーを購入すると、近くにあるベンチに隣り合って座る。


「咲夜、コーヒーいただきます。あと、無事終わったから、乾杯」

「ふふっ、乾杯」


 咲夜の持つピーチティーのボトルに軽く当て、俺は缶コーヒーをゴクゴクと飲む。


「うん、美味い。冷たい飲み物が本当に美味しい季節になったな。あと、奢ってもらったからかいつもよりも凄く美味しく思える」


 それもあるけど、美味しいと思う一番の理由は佐藤先輩のことを解決できて、咲夜が笑っているからかもしれないな。


「……奢った甲斐があったよ。それに、何だか……ご褒美をあげたのに颯人君から素敵なご褒美をもらった気分だよ」

「……どうして?」

「だって……今、颯人君が笑ってるから。微笑んでいるっていう方が正しいのかな。その顔がとてもいいなって思って」


 そう言うと、咲夜は頬を赤くして、照れくさそうな様子で俺のことをチラチラと見てくる。

 俺は今、笑っているのか。家族や親戚以外の前で笑うなんてことがあったかな。今朝は思いっきり笑ったけど、あれも咲夜という友人のおかげだった。


「……そうか。俺も咲夜の笑っている顔はいいと思っているぞ」

「ふえっ? ええと、そ、そうなのですか……」


 咲夜はなぜか敬語になり、ピーチティーをゴクゴクと飲んでいる。そんな彼女の頬の赤みはさっきよりも濃い。


「……そういえば、さ。颯人君はあのときのキスがファーストキスだって言ったじゃない」

「けほっ、けほっ。……そうだけど」


 いきなりキスの話をしてくるから、驚いて咳き込んでしまった。危うくコーヒーをぶちまけるところだった。


「実はあたしにとってもあれがファーストキスだったの。告白されたことは何度もあるんだけど」

「……そうだったのか」


 佐藤先輩には「俺とキスするのが初めて」と言っていたけれど、俺と同じであれがファーストキスだったのか。意外だ。ただ、何度も告白されたことがあるのはイメージ通りだな。


「あのとき、颯人君は唇を大切にしろって言ったじゃない。あたしも、ああいう形でファーストキスをしたのは嫌だなって思ったよ」

「あれは佐藤先輩を振るためのキスだったんだ。咲夜次第だけど、ノーカウントと考えてもいいんだぞ」


 俺がそう言うと、咲夜は小さくため息をついた。


「……ノーカンにするのはちょっと寂しいかな。だって、キスした相手が颯人君だから。颯人君のおかげもあって、佐藤先輩とのことも解決できたし。あたしはあのキス自体が嫌だとは思ってないよ」

「……そうかい」


 笑顔でそう言われたら、凄くドキドキしちまうじゃねぇか。頬が熱くなっているのが分かる。きっと、赤くなっているんだろうな。

 あと、あのキスを嫌だと思っていないと咲夜が言ってくれると、相手としてほっとはする。


「颯人君。今日は本当にありがとう。宏実のことも、佐藤先輩のことも。そして、これからよろしくね」

「……ああ。こちらこそよろしく」


 もう一度、乾杯をして、俺達はそれぞれの飲み物をゴクゴクと飲み「美味しい」と言い合うのであった。

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