第7話『友達宣言』
「ありがとう、颯人君。気持ちが大分落ち着いたよ」
そう言うと、咲夜は俺の胸から顔を離す。彼女の涙は止まっていた。しかし、しばらくの間泣いていたからか、彼女の目元はさっきよりもかなり赤くなっていた。
「気持ちが落ち着いたなら良かった」
「……うん。颯人君は温かくて……い、いい匂いがしたからかな」
えへへっ、と咲夜は照れくさそうに笑った。いい匂いと言ってくれたけど、それは汗の匂いなのでは。ここまで走って、少し汗を掻いたから。
そんな俺も抱きしめられている間、咲夜の甘い匂いを感じた。なので、昨日の放課後に、彼女にキスされたときのことを思い出してしまった。
「そういえば、教室で別れてから佐藤先輩と会ったりしたか?」
「ううん、それはない。でも、あたし達が友達だってことが知られて、いずれはまた告白してきそうだよね。しつこいし。また断らないと」
「そのときはまた俺が側にいる。……友達だからな」
「……うん」
咲夜は俺と眼を合わせ、静かな笑みを浮かべる。
恋人じゃないって分かったら、佐藤先輩はかなり怒りそうだな。昨日以上にやっかいなことになりそうだ。お詫びで付き合えとか言いそう。そんなときは咲夜のことを友人として守ることにしよう。
「颯人君、今日は来てくれてありがとう。あと、明日は一緒に学校に行かない? 颯人君が来るまで教室に居づらいから」
「ああ。いいぞ」
「ありがとう。あたしと颯人君の家は反対方向だから、正門前で待ち合わせしたいな」
「分かった。じゃあ、また明日な。途中まででも送っていくか?」
「大丈夫だよ」
「そうか。暗いから気を付けて帰れよ。また明日」
「うん。また明日ね」
少しでも咲夜が元気になったようで良かった。
明日からは咲夜と一緒にいる時間がかなり多くなるかも。佐藤先輩だけではなく、田中達からも守らないと。そう想いながら、家に帰っていく咲夜の後ろ姿を見守るのであった。
6月20日、木曜日。
今日も梅雨らしく弱い雨が降り、空気もジメジメとしている。暑くなってもいいので、さっさと梅雨明けしてくれないだろうか。
傘を差しているので普段よりも人に避けられることは少ない。ただ、その反動なのか近くにいるのが俺だと分かると、
「きゃあっ!」
「うわっ! アドルフかよ!」
いつもよりも大きな声で驚かれ、逃げられるのだ。忌み嫌われる存在の筆頭格であるイニシャルGの虫の気持ちってこんな感じなのだろうか。
今日も15分ほど歩いて夕立高校の校舎が見え始めてきた。昨日、咲夜が正門前で会おうと約束していたけれど、彼女は待ってくれているのだろうか。
「あっ、颯人!」
正門の前で咲夜は俺に向かって笑顔で手を振ってくる。咲夜の方から言ったこととはいえ、俺との約束を守ってくれるとは。それがとても嬉しい。
「颯人、おはよう」
「おはよう、咲夜」
「悲鳴が聞こえたから、そろそろ颯人が来るんじゃないかなって思ったの。そうしたら、アドルフって声も聞こえてきて。そうしたら、予想通りその白い髪が見えたの」
「……そうか」
悲鳴で予想できてしまうなんて。何とも言えないな。それだけ、俺が長い間、多くの人に恐れられているってことか。
俺は咲夜と一緒に正門を入り、教室A棟にある昇降口に向かって歩き始める。
「そういえば、昨日、俺と別れた後、田中達から電話やメッセージって来たのか?」
田中達の話題を振ったからか、それまで見せていた笑みが咲夜の顔から瞬時に消えてゆく。
「……一切ない。一昨日まではテレビや漫画、宿題のこととかを電話やメッセージで話すことは普通だったんだけどね。本当に絶交されたんだなって実感する」
「……そうか」
咲夜は「はあっ」とため息をつく。
田中とは同じ中学出身だと言っていたから、その習慣は何年も続いていたのだろう。それが突然なくなるというのは辛いし、寂しくもあるだろう。
「でも、今のあたしには颯人っていう友達がいるし、こうして一緒に歩いていると何だか大丈夫だって思えるの」
「……そうか。なら良かった」
これなら何とかなりそうかな。ただ、教室には田中達もいるし、友人として咲夜のサポートをしていくことにしよう。
「やっぱり噂は本当だったんだぁ」
「あのアドルフが誰かと付き合うなんて。信じられねぇ」
「あたし、あの噂は違うって昨日聞いたんだけど、やっぱり本当だったのかな……?」
「美女と狼だ!」
「結構可愛いから、あの女子のことを狙ったんだけどなぁ」
咲夜と俺の話が広まっているからか、教室A棟に入ると俺達のことを見てくる生徒が多くいる。色々と言う生徒もいて。それが恥ずかしいのか、咲夜はほんのりと顔を赤くして俯きがちになる。
「あたし達、有名人になっちゃったね」
「俺は元々狼として名が広まっちまっているけどな。ただ、咲夜のおかげか、いつもに比べたら見てくる奴らの表情や視線は柔らかい」
「……そ、そうなんだ。さすがは颯人。言うことが違うね」
「小学生の頃からずっと、狼だの白狼だのアドルフだのと言われているから。誰かに見られたり、睨まれたりすることは慣れてる」
だから、今、俺達のことを見ている奴らなんて可愛いとすら思える。
その後も周りからの注目を浴びながら、俺は咲夜と一緒に1年4組の教室へ向かった。
教室に入ると、咲夜と一緒にも関わらず、いつもと同じように空気が一瞬固まったように思えた。
教室の中を見渡すと、田中の姿もある。田中は目を細めて俺達の方を見ている。そんな彼女の周りにいる生徒は、昨日の朝まで咲夜と一緒に楽しく喋っている生徒ばかりだ。これが『絶交』の影響なのか。
「……一旦、それぞれの席に行こう」
「分かった」
俺は1人で自分の席へと向かい、今日の授業で使う教科書やノートを机の中に入れていく。
咲夜の方を見てみると、何人かの女子生徒が挨拶をするくらいで、いつものように誰かと楽しく喋るようなことはない。
咲夜の席へ行こうと椅子から立ち上がったときだった。
「咲夜」
田中は席からゆっくりと立ち上がって、取り巻き達の生徒達と一緒に咲夜のところへと向かう。そのことで、普通ではない空気を感じたのか、教室にいる多くの生徒が彼女達の方を見る。
「あの狼と一緒に来るなんてね。さすが、噂が広がるだけある」
田中がそう言うと、彼女の取り巻き達はクスクスと笑っている。
しかし、咲夜は昨日の涙が嘘のように、真剣な表情をして田中の方を見る。
「颯人君はあたしの大切な友人だよ。確かに、宏実の言う通り、颯人君と関わるようになって、今までのように男子が近寄ってきたり、遊びに誘ったり、言い寄ったりすることはなくなるかもしれない。あたしにとってはそれでいいんだけどね。ただ、颯人君と関わって、さっそくとてもいいことがあったよ。ひどい人間が何人も近寄らなくなった。特に……あたしを男と呼び寄せるためだけに、親友気取ってベッタリしてきてた田中宏実っていう女がね!」
「何ですって……!」
「あははっ!」
咲夜の言うことが面白くて、思わず大きな声を出して笑ってしまう。だからか、咲夜や田中を含め、教室にいる全ての生徒が俺の方を向いてくる。
俺はゆっくりと咲夜の側まで歩いていく。
「学校でこんなに面白い話を聞いたのは初めてだ。思わず笑っちまったよ。やっぱり、咲夜が友人になってくれて良かった。この際だから俺からも言っておく。咲夜と俺は友達だ」
「颯人君……」
咲夜は俺のことを見ると安堵の笑みを浮かべる。
田中によく自分の想いを言ったな、咲夜。ここからは俺の出番だ。
「昨日、私が絶交だって言ったときはメソメソ泣いていたくせに。狼とつるむようになったからって調子に乗るな!」
「それはこっちのセリフだ、田中。そうやって自分の周りに『お友達』を立たせて、お山の大将になったつもりか? 咲夜の話によると、お前は絶交するって言ったとき、同じ中学の女子と一緒だったらしいじゃないか。今も咲夜のことをみんなで嘲笑って。なかなか卑怯な性格をしてるな。こりゃあ、咲夜の言う通り、田中が近寄らなくなって良かったかもな」
「狼のくせに……! 黙れっ!」
俺の記憶の中では一番と言っていいほど、田中は怒った表情を浮かべている。田中の取り巻き達も彼女ほどではないものの不快感を示している。
「俺のことを狼だと見下しているなら、人間らしく俺の言う言葉なんかに怒らずに平然と笑ってみたらどうなんだ。あと、周りにいるお前らの恋愛事情なんて知ったことじゃないが、もし恋人ができたり、恋愛の噂が流れたりしたら田中との『友人関係』がどうなるか見ものだな」
とは言ったけれど、田中との友人関係がどう変化するのかも全く興味ない。もし、俺に火の粉が降りかかりそうになったら、そのときに対処をすればいいか。
「最後に言っておくが、咲夜に何かしたら友達の俺が動くと思っておけ。その内容次第では絶対に許さないし、相応のことが待っていると覚悟しろ。特に田中は、昨日、自分と一緒に咲夜と絶交した同じ中学出身の友達にも伝えておけ」
俺がそう言うと、田中は「チッ」と舌打ちする。
「アンタなんかに言われなくても、咲夜なんかに関わるつもりなんてない! だから、昨日の放課後に絶交したんだから!」
「そうか。その言葉、よーく覚えておく」
俺は田中達のことを睨みながらそう言う。これで、少なくとも俺の目が届く範囲では、田中達が咲夜に何かしてくることはないだろう。
「……あと、咲夜は俺のことをこの見た目だけじゃなくて、色々なところを見てくれた。色々な事情はあったけれど、彼女は俺に話しかけてくれた。可愛い笑顔を見せてくれた。俺が友達になりたいって言ったら、嬉しそうに友達になってくれた。そういうことのできる人だ。それはきっと、俺よりもお前達の方がよく分かっているんじゃないか。……それじゃ、俺は自分の席に戻る。またあとで、咲夜」
「……うん」
咲夜は優しい笑みを浮かべながら小さく手を振ったので、俺も彼女に手を振って自分の席へと戻る。
いつになくたくさん喋ってしまったので喉が乾いた。俺は水筒に入っている麦茶を一口飲む。あぁ、美味しい。
咲夜や俺の言葉の影響なのか、田中の周りにいる生徒達は何も言わずに彼女から離れていく。さすがに、その流れで咲夜に話しかける生徒はいなかったが。これで、咲夜にとって少しでもいい状況になれば幸いである。
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