第6話『つながり』

「颯人、分からないところを教えてくれてありがとう。おかげで終わったよ」

「こちらこそ、数学のいい復習になった。それに、俺も集中して自分の課題を取り組むことができたから、むしろこっちがお礼を言いたいくらいだ。ありがとう」

「……いえいえ」


 課題が終わってほっとしているのか、紗衣は柔らかな笑みを浮かべる。俺もこれで課題が終わったし、夜は好きなことをしてゆっくりと過ごすか。


「ただいまー。あら? 颯人ー、誰か来ているのー?」


 部屋の外から母さんの声が聞こえてきた。

 紗衣と一緒に課題をやったからか、気付けば午後6時を優に超えていた。

 部屋の扉を開けると、そこには半袖のブラウスにロングスカートの母さんの姿が。


「おかえり、母さん。紗衣が来てるんだよ。今日はバイトがないから。ついさっきまで一緒に課題やっていたんだ」

「お邪魔してます、陽子さん。颯人のおかげで課題も終わりました。もういい時間ですし、そろそろ帰ろうかなと」

「あら、そうなの? じゃあ、帰る前に課題を終わらせたご褒美ね」


 母さんは長くて白い髪を揺らしながら部屋の中に入ってきて、紗衣のことを抱きしめ頭を撫でる。叔母と姪という関係だけれど、母さんの見た目が若々しいからか歳の離れた姉妹のように見えるな。


「えらいえらい。……紗衣ちゃん、高校も近いしこれからも遠慮なく遊びに来てね」

「ありがとうございます」

「ふふっ。颯人も課題をやったご褒美にお母さんがぎゅっと抱きしめようか?」

「気持ちだけで十分だ」

「あらあら。高校生にもなると、お母さんに抱きしめられるのは恥ずかしいのかしら。出会った頃のお父さんに似てきたから、お母さんはすっごく抱きしめたいけれど」

「……父さんが帰ってきたら、思いっきり抱きしめてやれよ。きっと、父さんは凄く喜ぶと思うから」

「そうするわ!」


 息子からみても、可愛い笑顔を浮かべる母親だなと思う。父さんが高校生のときに惚れたのも分かる気がする。あと、パート先の喫茶店では綺麗で可愛らしい人妻店員さんとして話題らしい。


「陽子さんは叔父さんと相変わらずラブラブですね。じゃあ、私はこれで帰りますね。颯人、またね」

「ああ。駅まで送っていくか?」

「ううん、大丈夫。まだ外も明るいから」


 紗衣がそう言うため、玄関の前で彼女の姿が見えなくなるまで見守ることにした。

 こうして見てみると、紗衣の後ろ姿って凄く綺麗だなと思う。小さい頃から数え切れないほどに会っているからか、紗衣は気心知れた従妹って感じだけど、月原と同じ高校1年生の女性なんだよな。そう考えると、つい先ほどまで、自分の部屋に2人きりでいたことにちょっとドキドキした。



 母さんと一緒に夕食を作っている間に小雪が中学校から帰ってきて、今日は残業がなかったのか夕食を作り終えた頃に父さんも会社から帰ってきた。なので、今日の夕飯は家族4人揃って食べた。

 明日出す課題は終わっているので、夕食後は好きな音楽を聴きながらのんびりすることに。バラード曲を聴いているからか、気持ちがとても落ち着く。学校での疲れが抜けていくな。

 ――プルルッ。

 スマートフォンが鳴っているので確認すると、月原からメッセージが届いていた。


『すぐに神楽君と会いたい。この前の花畑で会ってくれるかな?』


 もしかして、何かあったのかな? 月原の方から話題を振るメッセージを受け取るのは初めてなので、何だか不安になる。


『分かった。あの花畑で待ってる。暗くなったし、気を付けて来いよ』


 月原にそんな返信を送り、俺は自室を出る。


「父さん、母さん。ちょっと花の様子を見てくる」


 リビングでくつろいでいる両親にそう伝える。クラスメイトの女子と会うと言うのは気恥ずかしくて言えなかった。特に母さんは興味津々で小雪と一緒についてきそうだし。


「おう、いってらっしゃい」

「暗いから気を付けるのよ」

「ああ。いってきます」


 俺は花畑に向かって家を出発する。自宅から歩いて数分もかからないところにあるけれど、早足で花畑に向かう。

 昼過ぎまでずっと雨が降っていたからか、夜になっても空気はジメジメとしている。そして、走って花畑に向かっているからか、汗を掻いてしまう。


「神楽君……」

「月原……」


 花畑に到着すると、そこには既に月原の姿が。


「……まさか、月原の方が先にここに着いているとは思わなかった。実は近所なのか? ただ、月原のことは高校に入学するまで一度も見たことなかったが」

「……ううん。夕立駅の南側の地域に住んでいるの。家からここまでは歩いて20分ちょっとかな。学校には7、8分くらい」

「そうだったのか」


 夕立駅の南側に住んでいるのか。それなら中学までの学区はうちとは違うので、夕立高校に入学するまで出会わなかったのは当然か。

 今は曇っているので、灯りは近くにある街灯のみ。それでも、月原の顔をよく見ると目元が赤くなっているのが分かった。


「……神楽君に会いたくて。ここに来れば会えるんじゃないかと思って来たんだけど……いなくて。だから、あのメッセージを送ったの」

「そうだったのか。……いったい、何があったんだ?」


 俺がそう問いかけると、月原は両眼に涙を浮かべる。


「……宏実達に絶交された」

「絶交……」


 俺には縁のない言葉だ。ただ、その言葉の重大さは分かる。特に教室でいつも誰かと楽しく喋っていた月原にとっては重大なことであることも。


「宏実っていうのは、クラスメイトの田中宏実のことか? よく月原と話している……」

「……うん。中学のときからの親友で」

「……そうか。それは……辛いな」


 それが、月原にかける最善の言葉なのかどうかは分からなかった。そのことに悔しさを覚えた。

 月原の両眼に浮かぶ涙が、すっとこぼれ落ちていく。


「……あたしとはもう親友としてやっていけないって。付き合っていなくても、神楽君と一度噂になったから、もう男が近寄ってこないからって。宏実からはっきり言われたよ。あたしは男を呼び寄せるだけの存在でしかないだってさ。だから、仲良くしてやったんだって」

「……そんなことを言われたのか」


 月原にとって田中のことを親友だと思っていたから、それを言われたことのショックはかなりのものだっただろう。そのことで、目元が赤くなってしまうほどにずっと泣いていたんだろうな。

 そういえば、今日の田中は月原と少し距離を取っていて、俺のことを睨んでいたな。あのときにはもう、咲夜と絶交しようと考えていたんだろうな。


「同中出身の友達は宏実以外にも何人もいる。でも、そのトップの存在は宏実で。宏実が絶交って言った瞬間、私も、私も……って。結局、夕立高校に通う同中の友達はゼロになっちゃった。ニセの恋人の話をしたとき、色々と失うことを覚悟していたけれど、実際にそうなると……辛いね」

「……そうか」


 まさか、俺達が付き合っているという噂が広まったことで、こういう事態になるとは。嘘を付いてしまった代償なのだろうか。もしかしたら、一昨日、この場所で俺にニセの恋人の話を持ちかけた時点で、こうなることが決まってしまったのだろうか。


「家に帰って、自分の部屋でずっと泣いて。気付いたら夜になってた。でも、外が暗くなったら急に、明日からのことが不安になって。宏実は男女問わず友達が多くて、クラスでもトップだから。そんな宏実から絶交されたら、クラスでの居場所がなくなるかもしれないし、宏実達に何をされるか分からない。それが凄く恐くて。寂しさもあって……」


 月原は震えた声でそう話す。

 いわゆるスクールカーストってやつか。思い返せば、うちのクラスでは月原や田中達の周りには4組で人気のある生徒が集まっていた。だから、4組でのカーストトップの立場にあるグループなのは間違いない。また、俺の記憶の限りだと、月原と田中はいつもグループの中心にいたので、実質トップは2人だろう。

 ただ、月原は田中から絶交されてしまった。その口実に俺が絡んでいるとなると、田中のことを味方する生徒がほとんどだろう。きっと、そこまで考えたから月原は恐れたのだろう。明日からクラスでどんな扱いを受けるのか。特に田中達から何をされるのか。

 俺にとってスクールカーストなんてくだらないし、どうでもいい。

 だけど、月原にとってはとても重要な概念なのだろう。だからこそ、今の状況に悩み、恐がってしまう。


「でも、自然と神楽君の姿が思い浮かんだ。佐藤先輩から告白されたときも、今朝、クラスメイトに絡まれているときも、帰りに話しかけてくれたときも。神楽君の姿を見たり、神楽君の声を聞いたりすると安心できて。だから、神楽君に凄く会いたくなったの」

「……そうだったんだな」


 今、最も考えるべきことは、俺は月原にどんなことができるかだな。どうすれば、彼女の気持ちを少しでも楽にできるのか。


「神楽君。あたし、これからどうすればいいんだろう……」

「……悩むきっかけは田中達から絶交すると言われたことだ。いつか、月原はまた田中達と友人として付き合いたいと思うか? 今それを訊くのは酷かもしれないが……」

「……宏実の気持ちを知っちゃったからね。友人としてまた付き合いたいとは思えない」

「そうか。それでいいと思う」


 もし、月原の立場だったら、俺も田中達とまた友人として付き合おうとは思わない。田中はクラスメイトなので、完全に断ち切ることは不可能だけど、距離を十分に置いた方がいい。

 それにしても、クラスメイトとこんなにも関わって、深く考えることはなかったな。会いたいと言われて、急いで会いに来てしまうこともなかった。

 もしかして、これが――。


「……月原さえよければだけど」

「うん」

「……俺と友達にならないか。付き合っているっていう話が広がっているから、本当に恋人になろうとは思わない。でも、友達なら……今の俺達ならなれる気がするんだ」


 俺という友人がいれば、クラスで月原の抱く寂しさが少しでも和らぐと思ったから。

 それに、俺のことを見たり、声を聞いたりすると安心できるという月原の言葉がとても嬉しかった。小さい頃から「恐い」とか「近寄るな」などと言われるのが当たり前だったからこそ、彼女の言葉がとても温かく思えたのだ。あの言葉は真心から出たものだと信じている。そんな彼女の手をそっと掴みたいと思った。


「……うん。いいよ」


 月原はここで会ってから初めての笑顔を見せる。それはとても可愛らしいもので。


「友達になろう。……ううん、友達になってください。颯人君」

「……もちろんだ。咲夜」

「……ありがとう」


 すると、咲夜の両眼からは大粒の涙がこぼれる。


「どうしてだろう。颯人君が友達になってくれたのに。涙が止まらないよ」

「……泣きたいときは思いっきり泣けばいい。それは何も悪くない」

「……うん。ちょっとの間、颯人君の胸を借りるね」


 そう言うと、咲夜は俺のことをぎゅっと抱きしめてきて、俺の胸の中で顔を埋め……声に出して泣いた。きっと、友達ができたことで安心し、それまで我慢してきた涙が一気に流れているのだろう。

 これが友人という存在の持つ温かさなのだろうか。そんなことを考えながら、咲夜が泣き止むまで頭を撫でるのであった。

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