第4話『LOVEはじめました?』

 6月19日、水曜日。

 今日は梅雨の時期らしく、しとしとと雨が降っている。これが夕方まで続くそうだ。


「ふああっ……」


 昨日の放課後に月原にキスされてしまったせいか、昨日はあまり眠ることができなかった。俺が使っているボディーソープの匂いが彼女の匂いに似ているからだろうか。ベッドに入った瞬間、その甘い匂いのせいで、あのときの月原のことを思い出してしまったのだ。


「眠い……」


 そのせいか、普段以上に目つきが悪く、表情も良くないのだろう。


「ひぃっ!」

「ア、アドルフに何かあったのか?」

「今日は特に近づかない方がいいぞ。触れた瞬間に殺される……!」


 校門を通ると、いつもよりも生徒達から恐れられてしまう。眠たいだけだから、単に触れてしまったくらいじゃ殺さねえって。ただ、周りの声がうるさいので段々とイライラはしてきた。


「俺、昨日の夜に友達からメッセージが来たけど、どうやらアドルフに彼女がいるみたいだぞ」

「らしいな。確か、クラスメイトのかなり可愛い女子だっけ?」


 そんな気になる話し声が聞こえたので立ち止まる。


 ――俺に彼女がいる?

 ――クラスメイトのかなり可愛い女子?


 それらの言葉から、これまでに何が起こったのか想像に難くなかった。

 確認のため、今の会話をした2人の男子生徒のところへと向かう。俺がいきなり近づいてきたからか、彼らの顔が真っ白になり、脚がガクガクと震えてしまっている。


「……あの」

「な、何でしょうか! アドルフ君! すみません! 本名がよく分からなくて!」

「……アドルフと言われ慣れているので気にしていないです。ところで、あなた方は俺がクラスメイトの女子と付き合っているという話を教えてもらったそうですね。友人からメッセージが来たと話していましたが」

「は、はいっ!」

「その友人は誰からそのことを知ったのか聞いてませんか? もし知っているなら教えていただきたいのですが」

「確か、佐藤っていうサッカー部に入っている2年の男子生徒から聞いたと……」

「やっぱり……」


 チッ、と舌打ちすると2人の男子生徒は「ヒイイッ!」と悲鳴をあげながら走って逃げてしまった。まあ、佐藤先輩が「月原と俺が付き合っている」という話を広めていることが分かったからいいか。フラれたショックのあまり、色々な人に話しちゃったのかな。

 俺にも友人がいたら昨日のうちに、そのことをメッセージや電話で訊かれたのだろうか。

 あと、隣のクラスには俺の従妹がいるけど、彼女からはそのことでの連絡はなかったな。彼女は友達はいるけれど、部活には入っておらず、放課後は地元のスイーツ店でバイトすることが多いからなぁ。例のことについてはまだ知らないのかもしれない。

 また、月原本人からも俺達が付き合っている話が広まっていることについて、メッセージは受け取っていない。今も確認するが、彼女からのメッセージはない。


『佐藤先輩が、俺達が付き合っていることを喋ったみたいだ。』


 一応、月原のスマートフォンにそんなメッセージを送った。

 俺は再び校舎に向かって歩き出す。月原との話が広がっているからなのか、いつもに増して騒がしい。

 昇降口に入り、自分の上履きに履き替えたところで、月原から返信が届いた。


『みたいだね。……巻き込んじゃってごめん』


 あのとき、佐藤先輩に俺が恋人だと言ったり、キスしたりしなければこんな事態にはならなかったと思っているのだろう。一昨日の夜、ニセの恋人になってほしいことを断られたのも、彼女が『ごめん』という言葉を送る一因になっているのかもしれない。


『周りに騒がれたり、色々言われたりするのは慣れてるから。月原も何かあったら、遠慮なく言ったり、メッセージをしたりしていいぞ』


 月原にそう返信して、俺は1年4組の教室に向かって歩き始める。

 例の噂の影響が大きいのか、いつもに増して俺のことを見てくる生徒が多い。


「神楽君。その……久しぶりだね」


 そう言って、金髪のロングヘアの女子生徒が俺の目の前で立ち止まる。彼女は優しい笑みを浮かべながら俺のことを見てくる。


「……お久しぶりです。皇会長。こうして話すのも3年ぶりくらいですか」

「そうだね。こうして話すのは……ね」


 彼女の名前は皇麗奈すめらぎれいな。2年生の生徒で、この夕立高校の生徒会長を務めている。そんな彼女は俺と同じ中学出身であり、中学でも生徒会の役員をしていた。生徒会役員らしく成績は優秀で、圧倒的な美貌やスタイル、穏やかな性格もあってか、当時からかなり人気の高い生徒だ。


「……神楽君。クラスメイトの女の子と付き合っているっていう話が広まっているけれど、それって本当なのかな?」

「……違いますよ。色々と訳あってそういう話が広まっているんです。彼女はただのクラスメイトですよ」

「そ、そうなんだね! そっかそっか……」


 皇会長はほっとした胸を撫で下ろしていた。


「私に何か手伝えることがあったら言ってね。私、2年2組の教室か生徒会室のどちらかにはいるから」

「……お気持ちだけ受け取っておきます。ありがとうございます。ただ、あのときに比べれば、今回のことなんて可愛いものです。自分で何とかしますので。失礼します」


 俺は皇会長に軽く頭を下げて、教室へと歩いていく。

 そう、あのとき……3年前に比べれば、月原とのことが広まっていることなんてどうってことない。

 1年4組の教室の前に到着する。今日は月原の様子を確認するために、前の方の扉から入る。

 すると、昨日と同じように、俺が教室に入ると教室内の空気が一瞬止まる。

 ただ、俺に向けられるクラスメイト達の視線は、今までとは種類が違うことは分かった。これも月原とのことが影響しているのだろう。

 月原は今日も自分の席に座っていて、男女問わず何人ものクラスメイトに囲まれていた。俺と目が合うと顔が露骨に赤くなってうつむいてしまう。その反応がいいと思ったのか、取り巻き達は盛り上がっている。顔が赤くなったのは確かに可愛らしかった。

 月原に声をかけることはせず、俺は自分の席へと向かう。

 自分の席についた瞬間、寝不足による疲れのせいか大きなため息をついてしまう。でも、こんな態度を取っていたら、月原が気にしてしまいそうだな。できるだけいつも通りにしておかないと。

 月原の方を再び見てみると、依然として彼女は俯いたままだ。あと、田中は昨日のように月原とじゃれることはなく、俺のことを睨んでいる。

 ――プルルッ。

 スマートフォンが鳴っているので確認すると、従妹からメッセージが来ていた。


『友達から、颯人が月原さんっていうクラスメイトの女の子と恋人になって、キスしたっていう話を聞いたけれど。それって本当?』


 あいつにも昨日のことが知れ渡ったか。まあ、彼女にだったら、事情を説明しても大丈夫だろう。


『月原とキスしたっていうのは本当だ。ただ、それは彼女が2年生の先輩からの告白を断るためのとっさの嘘で。きっとそれが広まったんだろう。だから、月原と恋人としては付き合ってない』


 従妹にはそう返信しておいた。彼女ならこれで分かってくれるだろう。

 すると、すぐに従妹から返信が届く。


『なるほどね。じゃあ、月原さんと付き合っていないってことか。分かった。今日はバイトないから、放課後にまたゆっくりと話を聞かせて』


 思っていた通り、彼女は俺の言葉を受け止めてくれたか。彼女のような存在が同じ高校にいるというのは大きいな。


「おい、神楽」

「月原と付き合っていてキスしたって本当なのかよ。教えろよ」


 気付けば、俺のすぐ近くに2人の男子生徒が立っていた。彼らは嘲笑して俺のことを見ている。確か、山本と鈴木だったか。

 遠くから色々言われるのはまだしも、こうして絡まれるのは本当に面倒臭い。思わず大きなため息をついてしまう。自分だけのことならまだしも、今回は月原が絡んでいるからな。


「……お前らの態度次第では考えてやる。ちなみに、いくら金を出してくれるんだ?」

「はぁ? 何言ってるんだ?」

「俺達のことを舐めてるのかよ!」


 鈴木はそう怒号を飛ばして、俺の胸倉を掴む。そのことで俺は席から立ち上がる。こういうことをすれば、俺が怯えて色々と喋ってくれると思っているのだろうか。

 また、今のことで大多数のクラスメイトがこちらに注目する。もちろん、その中には月原も含まれている。


「舐めてるのはそっちの方だろ。教えてもらう立場なのにその態度はなんだ? それに、令和になった今の時代、情報っていうのは凄く価値があるんだ。金くれなきゃ教えねえよ。友人でも何でもないただのクラスメイトなんかには。……さっさと離せ。ワイシャツに皺ができる。……離せよ!」


 俺は胸倉を掴んでいる鈴木の右手に手刀打ちをする。そのことで、鈴木の手は俺の胸倉を離す。


「おっと、脚が滑った」


 右脚を払い、鈴木と山本の脚をすくわせる。そのことで彼らはうつぶせの状態で倒れてしまう。


「その体勢になったんだからちょうどいい。そこから俺に土下座して、『教えてください。お願いします』って言ってみろ。そうしたら、金を出さなくても本当のことを教えるかどうか考えてやるよ」

「誰がお前なんかに……アドルフなんかに土下座するかよ!」

「白狼風情で調子乗ってるんじゃねえよ!」

「その白狼に教えてもらおうとしているんだからお前らって惨めだな。さあ、早く言ってみろよ。俺とは違って人間なんだから言えるよな?」

「何だと……!」


 これが鬼の形相というのだろうか。鈴木と山本は物凄く怒った表情で俺のことを睨んでくる。ただ、俺が「あぁ?」と呟いて睨み返すと、2人の表情は怒りから恐怖へと変わっていく。


「……結局、お願いしますって言えないのか。人間のくせに情けないな。誰かに舐めた態度を取ったら痛い目に遭うことは覚えておけ。まあいい、さっきの転びぶりは面白かったから特別に教えてやるよ。いい機会だから、ここにいる全員にも言っておく。色々と事情があって月原は俺と恋人だと嘘のことを言って、俺にキスをした。それは事実だ。でも、月原と俺は付き合ってない! あと、このことで騒ぎ立てて、俺達の……特に月原の学校生活に支障をきたすようなことになったら絶対に許さないからな!」


 俺が大きな声でそう言ったからか、一部の生徒達が「ひいっ!」と悲鳴を上げている。そんな反応をされるのは仕方ないと思った。


「あらあら、色々と事情があったのね」


 担任の深津若菜ふかつわかな先生が教室の中に入ってくる。今日も先生らしい柔らかな笑みを見せてくれる。

 深津先生は入学当初から、俺のことを恐がることなく優しく接してくれる。そんな人が担任ということも、中学までに比べると平和な学校生活を送ることができている理由の一つと言えるだろう。

 サイドダウンにまとめた茶髪と非常に大きな胸を揺らしながら、俺の目の前までやってくる。


「今日、職員室に行ったら何人もの先生から、神楽君と咲夜ちゃんの話を聞いてね。だから、先生も気になっていたんだけど、本当は付き合っていなかったのね」

「……ええ」


 俺がそう言うと、深津先生は「ふふっ」と上品に笑う。


「じゃあ、後で付き合っていないって先生達に言っておこう。あと、3人とも。人に無理矢理に何かを聞き出そうとしたり、脚をすくったり、土下座させようとしたりするのは、めっですよ。お返事は?」

『……はい』


 鈴木や山本と一緒に返事をすると、深津先生は優しい笑みを浮かべる。


「うん、よろしい。これからは気を付けるように。あと、みんなも神楽君と咲夜ちゃんが付き合っていないと分かったから、騒ぎ立てたり、2人に色々と訊いたりするのは止めるようにしてね。それじゃ、ちょっと早めだけど朝礼を始めるよー」


 深津先生のおかげか、教室の中の空気はある程度落ち着いた。

 朝礼をやっている間、月原のことを何度か見る。その中で月原と目が合う。すると、彼女は頬を赤くして俺から視線を逸らすのであった。

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