第3話『ファーストキス』

 月原は俺のネクタイを引っ張り、強引にキスをしてきた。

 もちろん、キスは人生初。唇から柔らかい感触や温もりが伝わったり、甘い匂いを強く感じたりするんだな。


「んっ……」


 佐藤先輩により恋人と印象づけたいのか。それとも、気持ちが高ぶっているだけなのか。月原はそんな甘い声を漏らす。

 唇から月原の強い温もりが伝わり、心臓に達したのか鼓動がとても激しいものになる。それに伴ってか、全身がかなり熱くなって。

 俺から唇を離すと、月原はキスする前とは比にならないほどに顔を赤くしていた。俺と同じく心臓がバクバクしているのか、呼吸が乱れていた。


「はあっ、はあっ……恋人だからやりましたよ。でも、彼とキスをするのはこれが初めてですから、凄くドキドキしちゃってますけどね!」

「……俺はキス自体が初めてだ」


 まさか、こんな形でファーストキスをすることになるなんて。キスしたことのドキドキも結構あるけれど、ショックもなかなか大きい。ただ、ドキドキの方が強いんだろうな。今も顔が熱くなっていっているのが分かる。

 佐藤先輩の方を見ると、告白した相手が他の男子とキスしていたことがショックなのか、彼は呆然とした様子だ。


「佐藤先輩?」


 月原が声をかけると、佐藤先輩ははっとした表情になる。ただ、すぐに彼女のことを睨み付ける。イケメンが台無しだ。


「くそっ、本当に恋人同士だったなんて。だったら、最初からそう言えよ! 粘ればイケると思ったのに。バーカ!」


 そんな捨て台詞を吐くと、佐藤先輩は「ちくしょおおおっ!」と叫びながら走り去ってしまった。

 佐藤先輩の姿が見えなくなり、月原はほっと胸を撫で下ろしている。それでも、さっきのキスの影響からか、顔の赤みはしっかりと残っている。


「まったく……何てことをしてくれたんだ!」

「……ご、ごめん」


 月原は怯えた様子で俺のことを見る。きっと、それは……俺が声を荒げたことだけじゃなくて、昨日の夜に、俺がニセの恋人になってほしいことを断ったからだよな。


「……本当にごめんなさい」

「……俺こそ声を荒げてしまってすまない。今更、佐藤先輩に言ってしまったことや、俺にしてしまったことは取り返せない。ただ、あのキスは俺にとってファーストキスだったんだ。俺だってその……初めてのキスは大切な場面でしてみたかったよ。月原のキス事情は知らないが、もっと唇は大切にしろ」

「う、うん……」


 怯えた様子はなくなったけれど、それでも自分のしたことがどういうことか分かっているからなのか、月原は申し訳そうな表情になり俯いている。あと、キスのことを言ったからか、右手で唇を触っている。


「ねえ、神楽君」

「なんだ?」

「これで……ラブレターについて解決できたって言えるのかな。佐藤先輩はあたしのことを諦めてくれたみたいだけれど」

「……佐藤先輩は月原が俺と付き合っていることを言われ、キスしている姿を見せつけられたからこそ諦めたんだと思う」


 つまり、俺とニセモノの恋人として付き合えば大丈夫だという月原の当初の考えは当たっていたと言える。それは凄いなと思う。


「ただ、俺達は恋人じゃなくてクラスメイトだ。その関係を知ったとき、佐藤先輩がどう動くか」

「……また告白してきそうな感じはするよね」

「ああ。そうなったときは、また俺がさっきみたいに月原の側にいる。だから、安心してくれ」

「……ありがとう、神楽君」


 そう言うと、月原はようやく俺に可愛らしい笑みを向けてくれる。今までだったら単に可愛いくらいにしか思わなかったのに、キスされたせいかドキドキしてしまう。


「今日は神楽君が側にいてくれて心強かった。佐藤先輩がしつこくて恐いなって思ったこともあったけれど、神楽君が側にいるって思ったら、自分の気持ちを言うことができたから。きっと、1人だったら佐藤先輩に根負けして、お試しとして付き合うことになっちゃっていたかもしれない」

「……そう言ってくれると、協力した甲斐がある」


 俺にでも役に立てることがあるのだと思えるから。


「ね、ねえ、神楽君」

「うん?」


 月原はもじもじしながら、俺のことをチラチラと見てくる。


「……佐藤先輩に神楽君と付き合っているって言っちゃったけれどさ。あたし達、これからどう接すればいいのかな」

「俺は嘘の関係の上で誰かと付き合うつもりはない。だから、恋人じゃなくて、今までと変わらずクラスメイトとして接すればいい。さっきも言ったけど、俺達が付き合っていないことが分かって、また佐藤先輩が月原に絡んでくるようなら、俺がすぐに駆けつける。何かあったら連絡してくれ」

「……うん、分かった。ありがとう」


 さっきと同じく俺に礼を言ってくれるけれど、今の彼女の笑みはさっきとは違ってどこか寂しげな感じがした。


「じゃあ、あたしは帰るね。また明日、神楽君」

「……ああ、また明日」


 月原は笑顔のまま俺に小さく手を振ると、自分のバッグを肩にかけて走り去っていった。

 今日の告白は何とか凌いだけれど、人気の生徒である佐藤先輩に「俺と付き合っている」とはっきり言って、キスするところを見せたことがどう影響するか。正直、悪い予感しかしない。


「とりあえず、今日は帰るか……」


 俺もバッグを持って下校することに。

 佐藤先輩の告白があって、その後に月原と少し話したからか、俺のように下校する生徒の姿はあまりなかった。

 今日は色々とあって疲れたから、駅前のショッピングセンターなどには立ち寄らずにまっすぐ帰るか。

 梅雨に入って雨や曇りの日が多かったからか、晴れている今日の街並みの雰囲気がとても良く思える。たまに、俺のことを睨む人や避ける人、怯える人はいるけれど。もう16歳の高校生になったし、そのくらいのことじゃそこまで大きくショックは受けない。

 途中、自販機で気に入っている微糖コーヒーを買う。


「……あれ? こんなに甘かったか?」


 すぐにパッケージを確認するけれど、違うものを買ったというわけではない。

 もしかして、普段と味が違うように思えるのは、放課後になって月原の側にいただけじゃなくて、彼女とキスしたからだろうか。そういえば、あのとき月原からとても甘い匂いを感じたな。


「……まったく。ドキドキしちまうよ」


 激しい鼓動を少しでも抑えるために、缶コーヒーを一気に飲み干す。ただ、そうしても全く収まることはなかった。キスってこんなにもパワーがあるなんて。

 気を紛らわすためにも、携帯音楽プレーヤーで好きな音楽を普段よりも大きめの音量で聴きながら家に帰るのであった。

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