3章 13話 諦めない心(後編)

 突然部屋に入って来たきずなさんは、必死な顔で俺の肩を掴んだ。


 「翔太君。これ以上無いチャンスなんだよ? せっかく、翔太君の夢が叶うのに!」


 「きずなさん。……きずなさんは俺を馬鹿にしている」


 正直言うと、俺はきずなさんに対して怒っていた。

 この人の心遣いは、とても嬉しい。自分を犠牲にしてでも俺の夢を叶えよとしてくれrなんて、本当に俺の事を思ってやってくれたんだという事はわかっている。

 でも、それでも。


 「俺が、自分の実力でプロになれないと思ったから、こんな事したんでしょう?」


 これは、俺への侮辱に等しい。


 「ち、違う! 私は、ただ!」


 ぶんぶん首を振って、否定する。


 「……私は、大学を卒業したら、実家の会社に入って、いずれ後を継いで、この人と結婚する事になっているの! そう決められているの! だから、ピアノだってやめさせられた! もう、両親の言う通りにするしかないの! だから、私の分まで、翔太君の夢を叶えて欲しかったの!」


 そう、必死な形相で辛そうに叫んだ。

 さっきまで呆然としていた真田さんは、きずなさんの言葉にうんうん頷いている。


 「……でも、きずなさん。本当は、嫌なんでしょ?」


 ビクッと肩が震え、慌てて否定する。


 「ち、違う! ……仕方ないの! 音野の家に生まれた私は、そういう運命だったのよ! その分、お金に困った事なんか無くて不自由はしていないし、今だけは自由にさせてもらってるし……!」


 『仕方ない』、『運命だ』、『そういう家に生まれたから』、『その分いい思いしている』……全部、きずなさん自身の言葉じゃないはずだ。周りから言われ続けて、心に刻みつけられた呪縛のような物なんだろう。

 でも、そんな簡単な言葉じゃ片づけられたくないはずだ。

 きっと、散々悩んで、泣いて、その上で本当にどうしようもなかったんだと思う。

 それでも。そうだとしても。


 「きずなさんは、ピアノだって続けたかっだろうし、この人と結婚なんてしたくないんでしょ? 本当は、諦めたくないんでしょ? きずなさんは、負けず嫌いで、諦めるのが苦手な人ですからね」


 きずなさんはとても優しい人だ。

 本当に俺の事を思って、こんな事をしてくれたんだとわかっている。

 でも、きずなさんだって、本当は嫌なんだ。

 なぜなら、俺はこの1か月、きずなさんと何度もカードゲームで対戦した。だからわかる。

 カードゲームは、コミュニケーションのゲームだ。だから、普段とは違うその人の一面が見えることがある。

 普段は大人しそうな人が、滅茶苦茶攻撃的なデッキを使っていたり、優し気な人が、相手の嫌がる事をする妨害デッキばかり好んで使っていたり。

 きずなさんは、勝負に負けたら本気で悔しがるし、相手が格上でも最後まで諦めたりしない。

 本当のきずなさんは、負けず嫌いで、自分のやりたい事に正直な人なんだ。


 「きずなさん。自分の事、諦めないでください。大丈夫です。俺は自分の実力で、残り11か月でプロになってみせる! だから、こんな事しなくていいんですよ! 俺だって、諦めませんから!」


 確かに、厳しい条件ではある。でも、そんなの最初からわかっていた事だ。

 プロ達と対戦して、厳しい現実に打ちのめされていた。どうすればいいかわからなくなっていた。

 でも、もう俺は諦めない。

 きずなさんが、ここまでしてくれたんだ。自分を犠牲にしてまで、俺の夢を叶えて欲しいと思ってくれている。

 俺は、きずなさんの思いに答えないといけない。

 何度負けても、打ちのめされても、地面を這いつくばってでも、無様な姿を晒しても。

 俺は諦めず、最後に勝ってプロになってやる。

 きずなさんは、俺の目をじっと見つめてきた。

 そして、コクっと頷くと、くるっと振り返り、真田さんの方を向き、深々と頭を下げた。


 「ごめんなさい、真田さん。今回の話、無かった事にしてください」


 真田さんは、そんなきずなさんを見てぽかんとしていたが、彼女が本気だという事がわかると、肩をすくめた。


 「……まぁ、仕方ないですね。元々、ジェット君をチーム入れたら、という約束でしたから。彼がそれを断った以上、ここで話はおしまいでしょう」


 そう言って、秘書の人と一緒に部屋から出て行こうとした。

 その背中に向かってきずなさんは、さらに声をかける。


 「でもせめて、翔太君が次の大会で優勝したら、きちんと彼をスカウトしてあげてください」


 え、ちょ、きずなさん?

 真田さんは訝しげな顔で振り返った。


 「そんな事、僕が聞く必要ありますか? 上位者をスカウトする事は、公表をしていない。例え彼が優勝して、うちがスカウトしなかったとしても、誰にも何も言われる筋合いはありませんよ?」


 「ありません。これは、単なる私のわがままです」


 しばらく考えていたが、


 「……わかりました。そういえば、あなたは彼に教わって『レジェンドヒーローTCG』をやっているんでしたよね? 彼がゴールドで優勝し、そしてあなたがビギナーで優勝するような、そんな奇跡が起きたら、彼の実力も、指導力も認める事ができる。そうしたら、彼をスカウトしましょう」


 そんな事できるわけない、とバカにしたような表情をしていたが、


「ありがとうございます」


 きずなさんまたしても深々と頭を下げて、お礼を言ったのだった。

 ひとまず、今回の件は解決したと言っていいだろう。

 俺達は3人揃って『SANAGAMES』のオフィスを後にしたが、ビルを出た後、俺はどうしても言いたかった事を言った。


 「……あの、きずなさん。次の1DAYトーナメントって、プロも参加できるから、ゴールドで優勝するのって、プロ昇格試験大会で勝つより難しいんですよ?」


 「えっ」


 元々言われていたスカウト条件が、1DAYトーナメントの『優勝』では無く、『上位者』なのはそのためだ。普通に考えたらプロが優勝する可能性が高いから、という事だ。

 並居るプロを倒して優勝できるほどの実力があれば、真田さんでなくともスカウトしたいと思うはずだろう。

 それに、きずなさんもビギナーとは言え、初めての大会だ。何が起こるかなんて、まったくわからない。

 きずなさんは、しばらうーんとうなっていたが、急に明るい声で、


 「……諦めなければ、きっと何とかなる!」


 根拠の無い事を自身満々に言い放った。やれやれ。これから大変だな。

 さて、その前に一つ、言わないといけない事がある。けじめとも言う。

 俺は、きずなさんに向けて、土下座をする。


 「え、ちょ、翔太君!?」


 道端でいきなり土下座し始めた俺に、きずなさんは慌てていた、

 ……まぁ、こんな人通りのある所でやる必要は無かったかもしれないけど、それでも、絶対にやらないといけない事だ。


 「酷い事言って、ごめんなさい」


 きずなさんは、目をぱちくりさせていたが、


 「え? ……ああ、うん。私も、無神経だったよ。……ごめんね」


 スカートが汚れるのにも構わず、地面に膝をつけて、俺の手を取って、謝った。

 そして、もう一人。


 「……殴って悪かったでございます」


 同じく絢子さんが、俺の腫れた頬を優しく撫でながら、謝ってくれた。


 「じゃあ、そろそろ帰りましょうか!」


 「いえ、俺、ちょっと行くところがあるんで」


 「ええ!?」


 きずなさんが驚いた声を上げる。絢子さんも、不安そうな目でこちらを見ていた。

 家出した直後だから、仕方ないが。思わず苦笑する。


 「心配しなくても、ちゃんと夜には帰りますよ。帰ったら、きずなさんも特訓しないといけないですからね!」


 二人とも安心したようだ。にっこり笑って(絢子さんは無表情だけど、ちょっと優しい目をしていた)、見送ってくれた。


 「……わかった! 待ってるわね!」


 「絢子も、ご飯を作って待っているでございます」


 楽しみだな。絢子さんの温めた冷凍食品。

 俺にとっては、あれはもはや家庭の味だからな。

 さて二人と別れて、訪れたのはプロ達の集まる場所、通称『プロの溜り場』。

 強くなるには、ここが一番だ。わざわざネット対戦なんかしなくても、ここに来れば、いくらでも強い人と対戦できる。

 でも、俺は恐かったのだ。

 負ける事が。俺はプロに敵わないんだと、自分で思ってしまう事が。他人から思われる事が。

 でも、もう俺は逃げない。諦めない。

 ライバルが、俺の実力を認めてくれた。大切な人達が、俺の事を応援してくれている。

 俺は、扉を無造作に開けた。

 レンさん。ナギさん。東雲さん。ヒナタさんもいる。数人の知らない人。そして、マッキー。みんな、驚いた顔で俺の方を見ていた。


 「ジェット君」


 「おお、ジェット君やん!」


 「ジェットさん」


 みんな、俺を歓迎してくれた。俺は彼らに頭を下げる。


 「レンさん、ヒナタさん、マッキー……みなさん……俺を鍛えてください! みなさんに勝てるぐらい!」


 ヒナタさんは俺の方に寄ってきて、真剣な顔になる。


 「俺らに勝てるぐらいやて? それはなかなかしんどいで? やめといた方がええんちゃう?」


 俺は、首を振る。


 「俺、もう逃げません! 何度負けたとしても! 絶対みなさんより強くなって、プロになってみせます!」


 俺の言葉に、ヒナタさんはにやりと笑った。


 「よう言うた! それでこそカードゲーマーや! ここにいる奴らは、本気で強くなりたい奴らとはいくらでも対戦したるで! じゃあ、さっそく俺と……」


 「ジェットさん。僕とやりましょう! あれからまたデッキを調整したんですよ!」


 「……いい加減俺もジェット君とやりたいんやけど!?」


 部屋の中は笑いに包まれた。

 俺は絶対にもっともっと強くなる。勝つ事を、プロになる事を諦めない。

 なぜなら俺は、カードゲーマーだからだ。

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