3章 12話 諦めない心(前編)
会議室に突然響いた声に、驚いてペンを落としてしまった。慌てて振り向く。
正直な所口調で最初からわかっていたが、声の主はやはり俺のよく知っている人だった。
「じゅ、絢子さん?」
部屋の入口に立っていた絢子さんは、走って来たのだろう。肩で息をしていて、いつもキチンと着こなしているメイド服も乱れていた。しかし、何で絢子さんが『SANAGAMES』のオフィスにいるんだ?
絢子さんは、俺に向って、必死な表情で再び叫ぶ。
「それにサインしては、絶対にダメでございます! お嬢様が!」
「え? きずなさんが?」
きずなさんが、何だというんだ? やっぱり、真田さんがきずなさんの好感度を上げるためのダシに使われたのか? いや、そんな事で絢子さんがここまで慌てるわけが無い。
混乱する俺をよそに、真田さんはダンッと机を叩いて立ち上がり叫ぶ。
「おい、警備員を呼べ! ……邪魔をするな! これは、ただのメイドには関係無い事だ!」
今にも彼女に掴みかかりそうだったので、俺は彼女を後ろに庇うように立ち上がった。
「きずなさんが、何か関係あるんですか?」
「それは……」
絢子さんが話そうとした所を、真田さんは慌てた様子で遮る。
「おい、ただの雇われメイドのくせに、出しゃばるんじゃない! これは、主人の問題なんだぞ!」
だが絢子さんは、真田さんの言葉に首を振る。
「……絢子に命令できるのは、お嬢様だけでございます。絢子は、自分の意志で主人を選び、仕えています。そして、お嬢様が悲しむような事だけは絶対にしたくないのでございます!」
彼女がこんなに大きな声で叫ぶのは、一昨日喧嘩した時ぐらいしか聞いた事が無い。
そしてあの時も、きずなさんが関係していた。
わずか一ケ月とは言え、一緒に暮らしたからよくわかる。絢子さんときずなさんは、単なる主従関係じゃない。親友のような、姉妹のような、家族のような。そんな強い絆で結ばれている。
……そして、俺だって期間限定とは言え、彼女達の家族だ。二人が悲しい目にあって欲しくなんて無い。
「真田さん。俺をスカウトした事と、きずなさん。何か、関係あるんですね? 詳しく話してください」
だから、俺はそれを聞く必要がある。
「今の俺があるのは、きずなさんのおかげです。きずなさんが、俺のために1年間という時間をくれた。もし、俺のせいで彼女に何かあったら……俺は一生後悔する。そんな事をして、プロになっても意味が無いんです」
真田さんは躊躇しているようだったが、頑としてサインを書かないという意志を見せた事で観念したようだ。
「彼女は……僕に、君をプロチームにスカウトするように頼んできたんだ」
「!?」
俺をスカウトするというのは、真田さんでは無くきずなさんの意志だったようだ。
「それだけじゃないでございましょう? そんなお願いを、あなたが何の条件も無しに聞くはずが無いのでございます」
そう。それだけではないはずだ。
黙って続きを促す。
「……交換条件に、僕と正式に結婚すると約束するのなら、構わないと言ったんですよ」
「はぁ!?」
結婚!? 交換条件で結婚!?
「それで、お嬢様は、何と?」
「『それで彼が本当にプロになれるなら、それでいい』と……。ほら、彼女も満更じゃなかったんだよ。ジェット君はプロになれるし、僕と姫珠菜さんは幸せに結婚する。誰も損をしない、いいアイディアだろう?」
あまりの事にしばらく呆然としていたが、我に返ると、急激に怒りが湧いてきた。
「……ふざけんな!」
この人の事を、ちょっとでもいい人だと思った自分がバカみたいだ。
結局の所、自分の私利私欲のために俺をスカウトしようとしただけじゃないか。
「そんな事聞かされて、サインなんてできるか!」
だが、真田さんは俺を嘲るかのように、
「いいのかい? 今その契約書にサインしなければ、君が例え次の1DAYトーナメントで上位に入っても、僕は君をスカウトしない。それに、うち以外で、ランク7の君をスカウトしようなんてチームはいないだろう」
うっ、と言葉に詰まる。
もしスカウトされないのだとしたら、半年に1回行われる、プロ昇格試験大会で優勝するしかない。
俺には、きずなさんが与えてくれた1年間しかないから、実質的にチャンスはあと2回。
しかも、何千人も参加するような大会で、優勝しないといけない。
それだけの中から勝ち抜くには、どれだけ実力があっても、どうしても運が絡んでしまう。
「どちらがいいかなんて、考えるまでも無いだろう? さぁ、早くその書類にサインをするんだ」
「翔太さん……」
絢子さんは、不安そうにこちらを見つめる。
目を閉じて、考える。
俺は、プロになりたい。
俺の、人生の目標は、夢は、そこにしかない。
一度は断たれた夢だ。
お先真っ暗だった。死にたいと思った。
それを救ってくれて、もう一度希望を与えてくれたのは誰だ?
俺に帰る場所を、居場所を与えてくれたのは誰だ?
考えるまでもない。腹は決まった。
「きずなさんを犠牲にしてまで、プロになりたいなんて思わない!」
俺は、机の上に置いていた契約書を拾い上げる。
「お、おい!」
ビリビリビリッ!
そして、それを両手で掴み、ビリビリに破り捨ててやった。
確かに、俺はプロになりたい。
だが、それ以上に大事な物がある。
俺にとって、カードゲームをしていて一番楽しかった瞬間。
それは、きずなさんがいて、絢子さんがいて。まぁ、たまによっぴーがいて。
みんなで、ワイワイと一緒にデッキを組んだり、対戦したりした、あの時間だ。
もちろん、その時間はずっと続くわけじゃない。あと1年……いや、もうあと11か月か。
時が来たら、もうみんなで遊ぶ事もできなくなるのかもしれない。
でも。それでも。きずなさんも、絢子さんも、ずっとずっと、俺の大事な人達だ。
そんな人たちが、俺のせいで不幸になるなんて、我慢できるはずが無い。
そんなんじゃ、たとえプロになれたとしても、ちっとも嬉しくない。
「これで、結婚は無しですよね?」
真田さんは、破かれて紙屑となった契約書を呆然と見つめていた。
そして、絢子さんは安心して気が抜けたのか、ペタッと床に座り込んでしまった。
「絢子さん、大丈夫?」
「……ありがとうございます。翔太さん」
「いや……元はと言えば、俺が悪いしさ」
元々は、俺が招いた種だ。
俺がきずなさんにあんな事を言って出て行ったりしなければ、きずなさんはこんな無茶な事をしでかさなかっただろう。
俺はへたり込んでいる絢子さんに手を差し伸べる。
彼女がおずおずと俺の手を掴み、そのまま引っ張ると。
なぜかフワッといい匂いがした。気づいたらそのままぎゅっ、と抱き着かれていた。
「お、お、お、おう?」
あまりの事にオットセイと化してしまった。
「……いいえ。真田様の事は、いずれどうにかしないといけない事でございましたから。翔太さんは、ご自分の夢よりも、お嬢様の事を大事にしてくださった……絢子は、それが嬉しいのでございます」
「……ん、まぁ。うん」
ドキドキして、曖昧にしか返事できない。
こういう時、どうしたらいいの?
抱きしめてあげればいいの?
俺、彼女とかいたこと無いからわかんないんだけど。
「翔太君!」
そこに、新たな声が現れた。
「わ!? きずなさん!?」
渦中の人、きずなさんだった。
恥ずかしさのあまり、慌てて絢子さんからぱっと離れたのだった。
絢子さんはちょっと不服そうな顔をしていたが。
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